ドラゴンに攫われた聖女ですが、このドラゴン、めちゃくちゃ過保護でイケメンです

夏見ナイ

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第九話 天空城の探検

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悪夢を見なかった。
目が覚めた時、私が最初に感じたのはその安堵だった。重く体にのしかかるような疲労感もなく、ただ穏やかな朝の光が部屋を満たしている。
体を起こすと、昨夜の出来事が鮮明に蘇った。
悪夢にうなされる私。静かに寄り添い、背中をさすってくれたカイザー。彼の大きな手の温もり。
「……」
無意識に、自分の背中に手をやる。もちろん、そこに彼の温もりはもうない。けれど、あの確かな安心感は、まだ心の奥に残っていた。頬が、じわりと熱くなるのを感じる。
身支度を整え、部屋を出る。いつもと同じように、カイザーが扉の前で待っていた。
「おはよう、アリア」
その声は、昨日と何も変わらない。けれど、私には彼の黒曜石の瞳が、いつもより少しだけ優しく細められているように見えた。
「おはようございます。……あの、昨夜は」
ありがとうございました。そう続けようとした言葉は、彼の静かな一言に遮られた。
「当然のことをしたまでだ。気にするな」
彼はそう言うと、私に背を向けダイニングへと歩き出す。その大きな背中を見つめながら、私は彼の不器用な優しさに、胸の奥が温かくなるのを感じていた。

朝食の席は、いつもより穏やかな空気に包まれていた。
以前のような息の詰まる緊張はない。私はゆっくりと食事を味わい、カイザーは静かにそれを見守っている。その沈黙が、不思議と心地よかった。
食事が終わると、カイザーが口を開いた。
「気分転換に、まだ見ていない場所を案内しよう。この城は、お前が思っているよりも広い」
彼の提案に、私は少しだけ胸が弾むのを感じた。以前は義務のように感じていた彼の案内が、今は少しだけ楽しみになっている。
「……はい」
私が小さく頷くと、彼は満足そうに立ち上がった。

最初に案内されたのは、巨大なアーチ状の扉の前だった。扉には、世界の成り立ちを描いたかのような精緻な彫刻が施されている。
カイザーが軽く手を触れると、重々しい音を立てて扉が開かれた。
その瞬間、私の目に飛び込んできた光景に、思わず息を呑んだ。
「……図書館?」
そこは、どこまでも続く書架の迷宮だった。天井は高く、ドーム状の天窓から柔らかな光が差し込んでいる。壁一面を埋め尽くす書架は、何階層にもわたって続いており、その全てにびっしりと本が詰まっていた。一体、何万冊、いや何十万冊あるのだろう。
だが、私が驚いたのはその規模だけではなかった。
何冊かの本が、まるで鳥のようにふわりと宙を舞い、目的の場所へと自ら収まっていく。司書も、梯子も見当たらない。この図書館そのものが、まるで一つの生命体のように機能しているのだ。
「すごい……」
感嘆の声が、自然と漏れた。
「ここには、この世界が始まって以来の、あらゆる知識が収められている」
カイザーが私の隣で静かに言った。
「歴史、魔法、地理、物語。お前が知りたいと思うことで、ここにないものはないだろう」
私は、ただ呆然と本が飛び交う光景を見つめていた。
王城にも書庫はあった。けれど、聖女である私が立ち入ることは許されなかった。文字を学ぶことさえ、最低限しか認められなかった。『聖女は神の声を聞けばよい。余計な知識は信仰の妨げになる』それが、教会の教えだったからだ。
本を読みたい。世界を知りたい。
そんなささやかな願いすら、私には贅沢すぎた。
「何か、探しているものはあるか」
カイザーが尋ねる。
「例えば、古い英雄譚とか」
彼がそう呟くと、一冊の分厚い革張りの本が、近くの書架からふわりと浮かび上がり、私たちの目の前で静止した。
私はおそるおそる、その本に手を伸ばす。ページをめくると、そこには美しい挿絵と共に、かつて魔王と戦ったという伝説の勇者の物語が記されていた。
「読みたい本があれば、いつでも来るといい。ここの本は、お前の知識欲を歓迎するだろう」
カイザーの言葉に、私は強く頷いた。胸が高鳴っているのが分かる。
知ることの喜び。学ぶことの自由。
そんな当たり前のことを、私はここで初めて手にすることができたのだ。

次に向かったのは、城の中央に位置するという、ガラス張りの巨大なドームだった。
一歩足を踏み入れると、そこは別世界だった。
暖かく、湿った空気が肌を撫でる。あたりには、色とりどりの植物が生い茂り、甘い花の香りが満ちていた。
「……空中庭園」
ぽつりと、そんな言葉が口をついて出た。
地面には柔らかな苔が絨毯のように広がり、それ自体が淡い光を放っている。せせらぎの音が聞こえ、見ると、水晶のように透き通った小川が流れていた。水面を、宝石でできたかのような翅を持つ蝶が舞っている。
地上では見たこともない花々が、そこかしこに咲き誇っていた。ベルの形をした花は、風が吹くたびにりんと澄んだ音色を奏で、大きな白い花は、夜空の月のように静かな光を放っている。
まさに、楽園。
私は夢中になって、その幻想的な光景の中を歩いた。
ふと、足元に咲いていた小さな青い花が目に留まる。星屑を集めたような、可憐な花だった。私は無意識にその場にしゃがみこみ、そっとその花に指先で触れた。
その瞬間。
私の指先から、淡い金色の光が溢れ出した。聖力が、無意識に流れ出したのだ。
光に触れた青い花は、まるで喜ぶかのようにきらきらと輝きを増し、その周りには、さらに小さな花の蕾がいくつも芽吹いた。
「あっ……!」
私は慌てて手を引いた。また、この不気味な力を。
そう思って身を固くした私に、カイザーは静かな声で言った。
「美しいな」
「え……?」
振り返ると、彼は私の力の宿った花を、穏やかな目で見つめていた。
「お前の力は、本来そうやって使うものだ。生命を育み、輝かせる。それは呪いでも、不気味なものでもない。祝福そのものだ」
祝福。
私の力が、祝福。
アルフォンス王子に「不気味だ」と蔑まれ、教会からは「制御すべき危険な力」だと教えられてきたこの力が。
彼は、美しいと言ってくれた。祝福だと言ってくれた。
胸の奥が、じんと熱くなる。
私は何も言えず、ただ、輝きを増した青い花を見つめていた。

庭園を後にし、私たちはいつものテラスに戻ってお茶を飲んだ。
今日一日で見た、たくさんの不思議なもの、美しいもの。それが私の心を満たしていた。
「楽しかったか」
カイザーが、カップを置きながら尋ねる。
私は、彼の目を真っ直ぐに見て、はっきりと頷いた。
「はい。とても、楽しかったです」
嘘偽りのない、心からの言葉だった。
自分の感情を、こんなに素直に口に出せたのは、いつぶりだろう。
私の返事を聞いたカイザーが、ほんのわずかに、口元を綻ばせたのを私は見逃さなかった。それは、今まで見たどんな表情よりも優しい微笑みだった。
空を見上げる。どこまでも続く青空と、白い雲。
王城にいた頃は、空を見上げることさえ息苦しかった。聖女という役割が、重く私の肩にのしかかっていたから。
でも、今は違う。
この城に来てから、私は一度も息苦しさを感じていない。
これが、自由。
閉じ込められていた鳥籠から出て、初めて大空の広さを知ったような、そんな感覚。
攫われたはずのこの場所が、今では世界で一番、自由な場所に思えた。
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