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第十話 ドラゴンの趣味
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城での探検から一夜が明けた。
私は朝食を終えた後、一人で再びあの図書館を訪れていた。カイザーは「好きにするといい」と言って、書斎のような部屋に籠っている。彼が私に一人の時間を与えてくれるようになってから、この城での生活はさらに過ごしやすいものになっていた。
広大な図書館は、相変わらず静謐な空気に満ちている。
私は昨日カイザーが見せてくれた英雄譚を手に取り、窓際の柔らかな椅子に腰を下ろした。ページをめくる。インクの匂いと、古い紙の匂いが心地よい。物語は面白く、私は時間を忘れて読み耽った。
ふと、視線を感じて顔を上げる。
書架の間から、一冊の本がふわりと浮かび上がり、私の隣のテーブルにことりと音を立てて着地した。それは、昨日カイザーが手にしていた本だった。どうやら、この図書館の本たちは、私に興味津々のようだ。
私はその本を手に取ってみた。
深い青色の装丁に、銀の箔押しで星の模様が描かれている。題名は『月光のセレナーデ』。人間の言葉で書かれた、恋愛詩集だった。
意外だった。
世界の歴史や難解な魔法理論が詰まった本を好むのだと、勝手に想像していたからだ。終焉の黒竜と、甘い恋の詩。その組み合わせは、あまりにもちぐはぐに思えた。
パラパラとページをめくる。そこに綴られていたのは、恋する男女の喜びや、切ない想いを謳った美しい言葉の数々だった。
カイザーも、これを読んだのだろうか。
永い時を生きる竜は、人間の短い一生と、その中で燃え上がるような恋心を、どういう気持ちで読むのだろう。
詩集を元の場所に戻すと、今度は別の本が近づいてきた。それは、人間の家庭でよく作られるという、お菓子のレシピ本だった。
……これも、彼が?
次から次へと、本たちがカイザーの読書遍歴を教えてくれる。そのどれもが、彼の威厳ある姿からは想像もつかないような、穏やかで人間らしいものばかりだった。
なんだか、彼の秘密を覗き見てしまったような、くすぐったい気持ちになる。同時に、今までヴェールに包まれていたカイザーという存在が、少しだけ身近に感じられた。
図書館を出て、私は空中庭園へと向かった。
あの青い花がどうなったか、気になったのだ。
ガラスのドームに足を踏み入れると、昨日と同じように暖かく湿った空気が私を迎えた。花の香りと、せせらぎの音。
庭園の奥へと進んでいくと、見慣れた黒い人影があった。
カイザーだった。
彼は書斎にいるのではなかったのか。驚いて足を止めると、彼のしていることに気づいて、私はさらに目を見開いた。
彼は、小さな噴水のそばにある花壇の前に屈み込み、何かをしていた。その手には、小さな園芸用のシャベルが握られている。彼はそのシャベルで、慣れた手つきで優しく土を耕し、新しい花の苗を植えていたのだ。
終焉の黒竜が、ガーデニング。
私は自分の目を疑った。あの、一振りで城壁を砕く鉤爪を持った竜が。咆哮一つで軍隊を沈黙させる厄災の化身が。今は、指先ほどの大きさしかない可憐な花の苗を、壊さないように、傷つけないように、そっと土の中に植えている。
その横顔は、私が今まで見たどの表情よりも穏やかだった。植物に向ける眼差しは、慈しみに満ちている。
彼は私の視線に気づくと、少しだけ驚いたように顔を上げた。
「アリアか。どうした」
「あ、いえ……その、お花の様子が気になって」
私は慌てて、昨日聖力を与えた青い花の場所を指さす。花は昨日よりもさらに生き生きと輝き、小さな蕾は今にも綻びそうになっていた。
「カイザーは……お花の手入れを、されるのですね」
おそるおそる尋ねると、彼は立ち上がりながら、こともなげに言った。
「ああ。ここの植物は、俺が世話をしている」
「魔法で、全て管理しているのだとばかり……」
「魔法は万能ではない。特に、命あるものはな。自らの手で触れ、声をかけ、世話をしてやらねば、本当の意味では美しく育たん」
彼は土のついた手を魔法の光で清めながら、静かにそう言った。
「永い時を生きていると、変わらないものは退屈になる。だが、こうして日々姿を変え、懸命に咲こうとする小さな命は、見ていて飽きない」
その言葉は、彼の数千年の孤独を、ほんの少しだけ垣間見せたような気がした。
私は、彼が植えたばかりの小さな苗に視線を落とす。それは、真っ白なスズランのような花だった。
「……可愛らしい、お花ですね」
私がそう言うと、カイザーは少しだけ照れたように、ふいと視線を逸らした。
「……お前が、好きそうだと思っただけだ」
その言葉に、私の心臓が、とくんと小さく跳ねた。
この花は、私のために。
恐ろしい竜。謎めいた城の主。
そんなイメージが、音を立てて崩れていく。
私の目の前にいるのは、人間の恋の詩を読み、小さな花の世話を焼き、そして、私のことを考えて花を選んでくれる、一人の不器用で優しい竜だった。
気づけば、私の口元には、自然と笑みが浮かんでいた。
「ありがとうございます。とても、嬉しいです」
心からの言葉だった。
私の微笑みを見たカイザーは、一瞬だけ目を見開くと、何かを堪えるように再び顔を背けてしまった。その耳が、ほんの少しだけ赤くなっているように見えたのは、きっと気のせいではないだろう。
彼と私の間に流れる空気が、また少し、温かいものに変わった。そんな気がした。
私は朝食を終えた後、一人で再びあの図書館を訪れていた。カイザーは「好きにするといい」と言って、書斎のような部屋に籠っている。彼が私に一人の時間を与えてくれるようになってから、この城での生活はさらに過ごしやすいものになっていた。
広大な図書館は、相変わらず静謐な空気に満ちている。
私は昨日カイザーが見せてくれた英雄譚を手に取り、窓際の柔らかな椅子に腰を下ろした。ページをめくる。インクの匂いと、古い紙の匂いが心地よい。物語は面白く、私は時間を忘れて読み耽った。
ふと、視線を感じて顔を上げる。
書架の間から、一冊の本がふわりと浮かび上がり、私の隣のテーブルにことりと音を立てて着地した。それは、昨日カイザーが手にしていた本だった。どうやら、この図書館の本たちは、私に興味津々のようだ。
私はその本を手に取ってみた。
深い青色の装丁に、銀の箔押しで星の模様が描かれている。題名は『月光のセレナーデ』。人間の言葉で書かれた、恋愛詩集だった。
意外だった。
世界の歴史や難解な魔法理論が詰まった本を好むのだと、勝手に想像していたからだ。終焉の黒竜と、甘い恋の詩。その組み合わせは、あまりにもちぐはぐに思えた。
パラパラとページをめくる。そこに綴られていたのは、恋する男女の喜びや、切ない想いを謳った美しい言葉の数々だった。
カイザーも、これを読んだのだろうか。
永い時を生きる竜は、人間の短い一生と、その中で燃え上がるような恋心を、どういう気持ちで読むのだろう。
詩集を元の場所に戻すと、今度は別の本が近づいてきた。それは、人間の家庭でよく作られるという、お菓子のレシピ本だった。
……これも、彼が?
次から次へと、本たちがカイザーの読書遍歴を教えてくれる。そのどれもが、彼の威厳ある姿からは想像もつかないような、穏やかで人間らしいものばかりだった。
なんだか、彼の秘密を覗き見てしまったような、くすぐったい気持ちになる。同時に、今までヴェールに包まれていたカイザーという存在が、少しだけ身近に感じられた。
図書館を出て、私は空中庭園へと向かった。
あの青い花がどうなったか、気になったのだ。
ガラスのドームに足を踏み入れると、昨日と同じように暖かく湿った空気が私を迎えた。花の香りと、せせらぎの音。
庭園の奥へと進んでいくと、見慣れた黒い人影があった。
カイザーだった。
彼は書斎にいるのではなかったのか。驚いて足を止めると、彼のしていることに気づいて、私はさらに目を見開いた。
彼は、小さな噴水のそばにある花壇の前に屈み込み、何かをしていた。その手には、小さな園芸用のシャベルが握られている。彼はそのシャベルで、慣れた手つきで優しく土を耕し、新しい花の苗を植えていたのだ。
終焉の黒竜が、ガーデニング。
私は自分の目を疑った。あの、一振りで城壁を砕く鉤爪を持った竜が。咆哮一つで軍隊を沈黙させる厄災の化身が。今は、指先ほどの大きさしかない可憐な花の苗を、壊さないように、傷つけないように、そっと土の中に植えている。
その横顔は、私が今まで見たどの表情よりも穏やかだった。植物に向ける眼差しは、慈しみに満ちている。
彼は私の視線に気づくと、少しだけ驚いたように顔を上げた。
「アリアか。どうした」
「あ、いえ……その、お花の様子が気になって」
私は慌てて、昨日聖力を与えた青い花の場所を指さす。花は昨日よりもさらに生き生きと輝き、小さな蕾は今にも綻びそうになっていた。
「カイザーは……お花の手入れを、されるのですね」
おそるおそる尋ねると、彼は立ち上がりながら、こともなげに言った。
「ああ。ここの植物は、俺が世話をしている」
「魔法で、全て管理しているのだとばかり……」
「魔法は万能ではない。特に、命あるものはな。自らの手で触れ、声をかけ、世話をしてやらねば、本当の意味では美しく育たん」
彼は土のついた手を魔法の光で清めながら、静かにそう言った。
「永い時を生きていると、変わらないものは退屈になる。だが、こうして日々姿を変え、懸命に咲こうとする小さな命は、見ていて飽きない」
その言葉は、彼の数千年の孤独を、ほんの少しだけ垣間見せたような気がした。
私は、彼が植えたばかりの小さな苗に視線を落とす。それは、真っ白なスズランのような花だった。
「……可愛らしい、お花ですね」
私がそう言うと、カイザーは少しだけ照れたように、ふいと視線を逸らした。
「……お前が、好きそうだと思っただけだ」
その言葉に、私の心臓が、とくんと小さく跳ねた。
この花は、私のために。
恐ろしい竜。謎めいた城の主。
そんなイメージが、音を立てて崩れていく。
私の目の前にいるのは、人間の恋の詩を読み、小さな花の世話を焼き、そして、私のことを考えて花を選んでくれる、一人の不器用で優しい竜だった。
気づけば、私の口元には、自然と笑みが浮かんでいた。
「ありがとうございます。とても、嬉しいです」
心からの言葉だった。
私の微笑みを見たカイザーは、一瞬だけ目を見開くと、何かを堪えるように再び顔を背けてしまった。その耳が、ほんの少しだけ赤くなっているように見えたのは、きっと気のせいではないだろう。
彼と私の間に流れる空気が、また少し、温かいものに変わった。そんな気がした。
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