ドラゴンに攫われた聖女ですが、このドラゴン、めちゃくちゃ過保護でイケメンです

夏見ナイ

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第十一話 捨てられない「聖女」の癖

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カイザーの意外な一面を知ってから、私たちの距離は少しだけ縮まったように思う。
私は毎日のように図書館へ通い、今まで知らなかった世界の物語に夢中になった。時にはカイザーも隣で静かに本を読み、ページをめくる音だけが響く穏やかな時間が流れた。
空中庭園で、彼と一緒に花の世話をすることもあった。土の匂い、植物の息吹。そうしたものに触れていると、王城での息の詰まるような日々が嘘のように思えた。
カイザーは口数が少ない。けれど、私が新しい知識を得て目を輝かせたり、小さな花の蕾を見つけて微笑んだりするのを、いつも穏やかな目で見守ってくれていた。
その視線が心地よかった。
誰かに見られているのに、少しも息苦しくない。評価されることも、判断されることもない。ただ、ありのままの私を、彼がそこにいることを許してくれている。
そんな当たり前のことが、どれほど得難く、尊いものか。私はこの城に来て初めて知った。
凍てついていた私の心が、春の陽光を浴びた大地のように、ゆっくりと解けていくのを感じていた。

その日、私たちは二人で城の錬金工房を訪れていた。
カイザーが、薬草を調合するのを見せてくれるという。空中庭園で育てた薬草の中には、強力な治癒効果を持つものがあるらしい。
「これは月光草だ。月の光を浴びて育ち、傷を癒やす軟膏の材料になる」
彼は乳鉢に乾燥した薬草を入れ、丁寧にすり潰していく。その手つきは、庭仕事の時と同じように慎重で、薬草に対する敬意のようなものさえ感じられた。
工房の中は、様々な薬品や鉱石が並んだ棚に囲まれており、不思議な匂いが満ちていた。中央には大きな釜が据え付けられ、その下では青い炎が静かに燃えている。
「次は、この竜血石を少し加える」
カイザーは棚から深紅の輝きを放つ小さな石を取り出した。
「これは魔力を増幅させる効果がある。入れすぎると薬が暴走するから、分量には注意が必要だ」
彼はそう言うと、石の欠片を慎重に削り、粉末にして乳鉢に加えた。すると、緑色だった薬草の粉が、淡い金色の光を放ち始める。
「すごい……」
私は、目の前で起こる神秘的な化学変化に、思わず見入っていた。それはまるで、魔法そのものだった。
「仕上げに、これを釜で煮詰める。アリア、少し下がっていろ。火傷をするといけない」
カイザーはそう言って、乳鉢の中身を大きな釜へと移した。
私は言われた通り、数歩後ろに下がる。カイザーが釜に何かの液体を注ぐと、ぶわりと白い蒸気が立ち上った。薬草の爽やかな香りが、工房中に広がる。
彼は長い棒で、ゆっくりと釜の中をかき混ぜ始めた。その横顔は真剣そのものだ。
順調に進んでいるように見えた。
その時だった。
釜の中の液体が、突然、不気味な紫色に変わり、ごぽりと大きな泡を立てたのだ。
「む……」
カイザーがわずかに眉をひそめる。
「少し、魔力の反発が強いか」
彼がそう呟いた瞬間、釜の中から紫色の光を放つ魔力の塊が、まるで生き物のように飛び出してきた。それはピンポン玉くらいの大きさで、パチパチと火花を散らしながら、一直線にカイザーの顔めがけて飛んでいく。
まずい。
そう思った時には、私の体は勝手に動いていた。
「カイザー様、危ない!」
考えるより先に、私は彼の前に飛び出していた。
聖女として、人々を守るのは当然のこと。魔王との戦いの中でも、私は何度も仲間の盾になってきた。危険を察知すれば、自分の身を挺してでも守る。それが、私の体に染み込んだ、唯一の存在価値だった。
たとえ相手が、この世界で最も強靭な竜だとしても。
この身が砕けても、彼に傷一つ負わせてはならない。
ぎゅっと目を瞑り、衝撃に備える。
けれど、予想していた痛みはいつまで経っても来なかった。代わりに、私の体を力強い腕がぐいと引き寄せ、背中に柔らかな衝撃を感じた。
気づいた時、私はカイザーの胸の中に抱きとめられていた。
そして、私たちがいた場所のすぐ後ろの壁に、あの紫色の魔力の塊がぶつかり、ぱんと小さな音を立てて弾けた。壁には、焦げ跡一つ残っていない。
「……」
カイ-ザーは何も言わなかった。
ただ、私を抱きしめる腕に、力が込められている。彼の心臓の音が、どくん、どくんとすぐ近くで聞こえた。
「あ、あの……申し訳ありません、邪魔を……」
私が慌てて身を離そうとすると、彼の腕はそれを許さなかった。
「……なぜ、あんなことをした」
低く、静かな声だった。けれど、その声には、今まで感じたことのない種類の感情が込められていた。それは怒りというより、もっと深く、冷たい響きを持っていた。
「え……?」
「なぜ、俺の前に立った」
私は彼の問いの意味が分からず、戸惑いながら答えた。
「それは……危険でしたから。カイザー様を、お守りしなければと……」
「お前が?」
彼の声が、さらに低くなる。
「お前が、俺を、守る?」
その言葉に、私はようやく彼の感情を理解した。彼は、怒っている。私の行動に対して、心から憤っているのだ。
「聖女として……人を、守るのは当然のことです。私は、そのために……」
「黙れ」
ぴしゃり、と。
言葉が、氷の刃のように突き刺さる。私はびくりと体を震わせた。
カイザーはゆっくりと私の体を離すと、その両肩を掴んだ。彼の黒曜石の瞳が、射殺さんばかりの光を宿して私を見下ろしている。
「いいか、アリア。二度と言うな。お前が俺を守るなどと」
「で、でも……」
「あれしきの魔力、俺にとっては蚊が止まるのと変わらん。お前が庇う必要など、万に一つもない。分かっているな?」
有無を言わせぬ口調だった。私は小さく頷くことしかできない。
だが、彼の怒りは収まらなかった。
「問題はそこではない。お前は、今、何をしようとした? 自分の身を盾にして、俺を守ろうとした。違うか?」
「……はい」
「なぜだ! なぜ、そうまでしてお前は自分を犠牲にしたがる! それは聖女の務めなどではない! 長年お前の心を蝕んできた、ただの悪癖だ!」
悪癖。
彼は、私の行いをそう断じた。
良かれと思ってしたことが。私の唯一の存在意義だと思っていたことが。彼にとっては、ただの忌むべき癖でしかない。
頭が真っ白になる。
カイザーは、苦しげに顔を歪めた。
「俺は、お前を守るためにここへ連れてきた。お前を傷つける全てのことから遠ざけ、お前が安らげる場所を与えるために。なのに、当のお前が、自ら傷つこうとするなど……本末転倒だ」
彼は私の肩から手を離すと、まるで言い聞かせるように、静かな、しかし強い口調で言った。
「よく聞け、アリア。この城でのお前の最優先事項は、他の誰でもない。お前自身だ」
彼の言葉が、私の心に深く、深く刻み込まれていく。
「お前は、お前のことを一番に考えろ。腹が減ったら食事をしろ。眠くなったら眠れ。したいことがあればそれをしろ。危険があれば、俺の後ろに隠れろ。それが、お前の今の唯一の務めだ」
「……」
「そして、それが、俺の唯一の望みだ」
彼の真剣な瞳から、目が離せない。
自分を一番に考える。
そんなこと、今まで一度だって考えたことがなかった。聖女は無私であれと教えられてきた。自分のことより、常に他人を優先しろと。
それが正しい生き方なのだと、信じて疑わなかった。
けれど、彼はそれを否定する。私の生き方そのものを、間違っていると言う。
ショックだった。けれど、それ以上に。
彼が、私のために、こんなにも心を砕いてくれているという事実が、胸を締め付けた。私の身を、誰よりも案じてくれている。
「……分かり、ました」
私は、ようやくそれだけを答えるのが精一杯だった。
すぐに彼の言う通りにできる自信はない。長年染みついた癖は、そう簡単には抜けないだろう。
でも、変わりたいと思った。
彼が望んでくれるのなら。私自身を大切にすることが、彼の望みなのであれば。
私は、そのために努力してみたい。
私の返事を聞いて、カイザーの表情から険しさが少しだけ消えた。彼はふう、と長い息を吐くと、失敗した軟膏の入った釜に目をやった。
「……今日の調合は中止だ。夕食にしよう」
彼はそう言って、気まずい空気を払うように私に背を向けた。
工房を出て、長い廊下を歩く。彼の大きな背中を見つめながら、私は静かに決意を固めていた。
自分を、大切にする。
この城で私が学ぶべき、一番難しくて、一番大切な課題。
その答えを、これから彼と一緒に見つけていきたい。
そう、心から思った。
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