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第二十話 守られるだけじゃ嫌
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カイザーの咆哮一つで、王国騎士団の第一次攻撃は呆気なく終結した。
拡声器の魔道具も破壊されたのか、下界からの下品な罵声はぴたりと止み、代わりに負傷者のうめき声や、混乱した指示が風に乗って微かに聞こえてくる。彼らは恐慌状態に陥り、蜘蛛の子を散らすように撤退していった。
テラスには、嵐が過ぎ去った後のような、静寂が戻っていた。
カイザーは、何も言わずに欄干に寄りかかり、雲海を見下ろしている。その横顔は、いつものように静かで、感情の起伏が読み取れない。
けれど、私には分かった。
彼の内に燻る怒りは、まだ完全には消えていない。私を侮辱されたことへの、深く、静かな憤怒が、そのオーラに滲んでいる。
私のせいで。
私が、ここにいるせいで、彼を怒らせてしまった。彼に、あんな恐ろしい顔をさせてしまった。
胸が、罪悪感で押し潰されそうになる。
私は、ただ守られているだけだ。彼が私のために怒り、世界と敵対しようとしているのを、ただ無力に見ていることしかできない。
それが、たまらなく悔しかった。そして、怖かった。
いつか、本当に彼が傷つく日が来てしまうのではないか。
いつか、私のために、彼がその手を血で汚してしまう日が、来てしまうのではないか。
そんな未来を想像するだけで、心臓が冷たくなる。
「……カイザー様」
私は、震える声で彼に呼びかけた。
彼は、ゆっくりと私を振り返る。その瞳は、もう怒りの色を宿してはいなかったが、深く、静かな光を湛えていた。
「すみません……私のせいで……」
「お前が謝ることではない」
彼は、私の言葉を静かに遮った。
「悪いのは、事実を確かめもせず、己の愚かな妄想だけで他者を断罪しようとする、彼らの浅はかさだ。お前に、非はない」
その言葉は、優しかった。けれど、その優しさが、今の私にはかえって辛かった。
「でも……!」
私は、一歩、彼に近づいた。
「でも、私は、嫌です」
「……何がだ」
「カイザー様が、私のために怒ったり、誰かと戦ったりするのを見るのは、嫌です。あなたが、傷つくかもしれないと思うと……怖くて、たまらないんです」
それは、私の偽らざる本心だった。
自分を犠牲にするのとは、違う。
彼が傷つくくらいなら、自分が傷ついた方がましだ、という自己犠牲の考えではない。
ただ純粋に、大切な人に、傷ついてほしくない。
その一心だった。
私の言葉を聞いて、カイザーは、わずかに目を見開いた。そして、ふっと、その口元に自嘲的な笑みを浮かべた。
「……傷つく? 俺が? あんな、羽虫ごときに?」
「それでもです!」
私は、彼の言葉を遮って叫んだ。
「今は、そうかもしれません。でも、これから先、もっと強い敵が現れたら? 今回のことで、教会も、本気であなたを排除しようと動き出すはずです。もっと、狡猾な手を使ってくるかもしれない」
「……」
「私は、ただ守られているだけなのは、もう嫌なんです。無力なまま、あなたの背中を見ているだけなのは……もう、耐えられない」
私は、固く拳を握りしめた。
自分の無力さが、歯がゆい。
この手にある、強大すぎると言われた聖なる力が、もどかしい。
この力があれば、彼を守れるかもしれないのに。彼と共に、戦えるかもしれないのに。今の私には、それを正しく使う術がない。
「……強くなりたい、です」
ぽつりと、そんな言葉が口をついて出た。
今まで、一度も思ったことのない言葉だった。
聖女として、力はただ与えられるものだった。それを強くしたいなどと、考えたこともなかった。むしろ、この力などなければいいとさえ、思っていた。
けれど、今は違う。
はっきりと、そう願っている自分がいる。
大切な人を守るために。
彼の隣に、ただ守られるだけの存在としてではなく、対等なパートナーとして立つために。
私は、強くなりたい。
私の決意のこもった瞳を、カイザーは、ただ黙って見つめていた。その黒曜石の瞳の中で、様々な感情が渦巻いているのが分かった。驚き、戸惑い、そして、深い慈しみ。
やがて、彼は、静かに口を開いた。
「……お前は、本当に、変わったな」
その声は、どこか感慨深げな響きを持っていた。
「俺が初めて会った時のお前は、全てを諦めた、壊れかけの人形のようだった。だが、今は……」
彼は、私の前に歩み寄ると、その大きな手で、私の頬にそっと触れた。
「その瞳に、強い光を宿している」
彼の指先から伝わる温もりに、私の決意は、さらに固まっていく。
「……ならば、良いだろう」
カイザーは、決断したように、言った。
「お前がそこまで望むのなら、俺が、お前に本当の戦い方を教えてやる」
「え……?」
「ただ癒やすだけではない。ただ守るだけでもない。お前のその聖なる光を、敵を討ち、悪を滅する、破邪の力へと変える術を」
彼の言葉に、私は息を呑んだ。
聖なる力で、敵を討つ。
そんなこと、考えたこともなかった。私の力は、あくまでも守りのためのものだと、そう教えられてきたから。
「だが、その道は、決して楽なものではないぞ。自分の力が、他者の命を奪う可能性と向き合うことになる。その覚悟が、お前にはあるか?」
カイザーの目が、真剣に私に問いかける。
命を、奪う。
その言葉の重みに、一瞬、体が竦む。
けれど、私の脳裏に浮かんだのは、先ほどの、カイザーの怒りに満ちた横顔だった。
彼にあんな顔をさせないためなら。彼を守るためなら。
私は、どんな覚悟だってできる。
「……あります」
私は、彼の目を真っ直ぐに見つめ返し、はっきりと答えた。
私の答えを聞いて、カイザーは、満足そうに、深く頷いた。
「……分かった。ならば、明日から、訓練を始める」
彼の瞳に、師としての、厳しい光が宿る。
嵐は、まだ始まったばかり。
けれど、私はもう、ただ怯えて嵐が過ぎ去るのを待つだけの、か弱い存在ではない。
自らの意思で、嵐の中へと歩み出す。
愛する人を守るための、力を手に入れるために。
私の、本当の戦いが、今、始まろうとしていた。
拡声器の魔道具も破壊されたのか、下界からの下品な罵声はぴたりと止み、代わりに負傷者のうめき声や、混乱した指示が風に乗って微かに聞こえてくる。彼らは恐慌状態に陥り、蜘蛛の子を散らすように撤退していった。
テラスには、嵐が過ぎ去った後のような、静寂が戻っていた。
カイザーは、何も言わずに欄干に寄りかかり、雲海を見下ろしている。その横顔は、いつものように静かで、感情の起伏が読み取れない。
けれど、私には分かった。
彼の内に燻る怒りは、まだ完全には消えていない。私を侮辱されたことへの、深く、静かな憤怒が、そのオーラに滲んでいる。
私のせいで。
私が、ここにいるせいで、彼を怒らせてしまった。彼に、あんな恐ろしい顔をさせてしまった。
胸が、罪悪感で押し潰されそうになる。
私は、ただ守られているだけだ。彼が私のために怒り、世界と敵対しようとしているのを、ただ無力に見ていることしかできない。
それが、たまらなく悔しかった。そして、怖かった。
いつか、本当に彼が傷つく日が来てしまうのではないか。
いつか、私のために、彼がその手を血で汚してしまう日が、来てしまうのではないか。
そんな未来を想像するだけで、心臓が冷たくなる。
「……カイザー様」
私は、震える声で彼に呼びかけた。
彼は、ゆっくりと私を振り返る。その瞳は、もう怒りの色を宿してはいなかったが、深く、静かな光を湛えていた。
「すみません……私のせいで……」
「お前が謝ることではない」
彼は、私の言葉を静かに遮った。
「悪いのは、事実を確かめもせず、己の愚かな妄想だけで他者を断罪しようとする、彼らの浅はかさだ。お前に、非はない」
その言葉は、優しかった。けれど、その優しさが、今の私にはかえって辛かった。
「でも……!」
私は、一歩、彼に近づいた。
「でも、私は、嫌です」
「……何がだ」
「カイザー様が、私のために怒ったり、誰かと戦ったりするのを見るのは、嫌です。あなたが、傷つくかもしれないと思うと……怖くて、たまらないんです」
それは、私の偽らざる本心だった。
自分を犠牲にするのとは、違う。
彼が傷つくくらいなら、自分が傷ついた方がましだ、という自己犠牲の考えではない。
ただ純粋に、大切な人に、傷ついてほしくない。
その一心だった。
私の言葉を聞いて、カイザーは、わずかに目を見開いた。そして、ふっと、その口元に自嘲的な笑みを浮かべた。
「……傷つく? 俺が? あんな、羽虫ごときに?」
「それでもです!」
私は、彼の言葉を遮って叫んだ。
「今は、そうかもしれません。でも、これから先、もっと強い敵が現れたら? 今回のことで、教会も、本気であなたを排除しようと動き出すはずです。もっと、狡猾な手を使ってくるかもしれない」
「……」
「私は、ただ守られているだけなのは、もう嫌なんです。無力なまま、あなたの背中を見ているだけなのは……もう、耐えられない」
私は、固く拳を握りしめた。
自分の無力さが、歯がゆい。
この手にある、強大すぎると言われた聖なる力が、もどかしい。
この力があれば、彼を守れるかもしれないのに。彼と共に、戦えるかもしれないのに。今の私には、それを正しく使う術がない。
「……強くなりたい、です」
ぽつりと、そんな言葉が口をついて出た。
今まで、一度も思ったことのない言葉だった。
聖女として、力はただ与えられるものだった。それを強くしたいなどと、考えたこともなかった。むしろ、この力などなければいいとさえ、思っていた。
けれど、今は違う。
はっきりと、そう願っている自分がいる。
大切な人を守るために。
彼の隣に、ただ守られるだけの存在としてではなく、対等なパートナーとして立つために。
私は、強くなりたい。
私の決意のこもった瞳を、カイザーは、ただ黙って見つめていた。その黒曜石の瞳の中で、様々な感情が渦巻いているのが分かった。驚き、戸惑い、そして、深い慈しみ。
やがて、彼は、静かに口を開いた。
「……お前は、本当に、変わったな」
その声は、どこか感慨深げな響きを持っていた。
「俺が初めて会った時のお前は、全てを諦めた、壊れかけの人形のようだった。だが、今は……」
彼は、私の前に歩み寄ると、その大きな手で、私の頬にそっと触れた。
「その瞳に、強い光を宿している」
彼の指先から伝わる温もりに、私の決意は、さらに固まっていく。
「……ならば、良いだろう」
カイザーは、決断したように、言った。
「お前がそこまで望むのなら、俺が、お前に本当の戦い方を教えてやる」
「え……?」
「ただ癒やすだけではない。ただ守るだけでもない。お前のその聖なる光を、敵を討ち、悪を滅する、破邪の力へと変える術を」
彼の言葉に、私は息を呑んだ。
聖なる力で、敵を討つ。
そんなこと、考えたこともなかった。私の力は、あくまでも守りのためのものだと、そう教えられてきたから。
「だが、その道は、決して楽なものではないぞ。自分の力が、他者の命を奪う可能性と向き合うことになる。その覚悟が、お前にはあるか?」
カイザーの目が、真剣に私に問いかける。
命を、奪う。
その言葉の重みに、一瞬、体が竦む。
けれど、私の脳裏に浮かんだのは、先ほどの、カイザーの怒りに満ちた横顔だった。
彼にあんな顔をさせないためなら。彼を守るためなら。
私は、どんな覚悟だってできる。
「……あります」
私は、彼の目を真っ直ぐに見つめ返し、はっきりと答えた。
私の答えを聞いて、カイザーは、満足そうに、深く頷いた。
「……分かった。ならば、明日から、訓練を始める」
彼の瞳に、師としての、厳しい光が宿る。
嵐は、まだ始まったばかり。
けれど、私はもう、ただ怯えて嵐が過ぎ去るのを待つだけの、か弱い存在ではない。
自らの意思で、嵐の中へと歩み出す。
愛する人を守るための、力を手に入れるために。
私の、本当の戦いが、今、始まろうとしていた。
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