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第二十四話 嵐の前の静けさ
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あの日、ダイニングから逃げ出してしまってから、私とカイザーの間には、どこかぎこちない空気が流れるようになってしまった。
私は、彼とまともに顔を合わせることができない。彼の姿を見るだけで、心臓が大きく跳ねてしまい、顔が熱くなるのを止められないのだ。
カイザーの方も、どう接していいか戸惑っているようだった。彼は、私が何か思い悩んでいるのだと思っているらしく、時折、心配そうに遠くから私を見つめている。その視線を感じるたびに、私は罪悪感で胸が苦しくなった。
私の勝手な恋心のせいで、彼にまで気を使わせてしまっている。
こんな関係は、嫌だ。
早く、いつものように戻らなければ。そう焦れば焦るほど、私の態度は不自然になっていった。
そんなある日の午後。
私は、一人でテラスに出て、外の空気を吸っていた。もやもやとした気持ちを、この雄大な景色が少しでも晴らしてくれるのではないかと思ったのだ。
ぼんやりと雲海を眺めていると、背後から、静かな足音が近づいてきた。
カイザーだった。
びくりと肩を震わせ、逃げ出そうとする私を、彼の静かな声が引き留めた。
「……アリア」
その声は、いつもより少しだけ、低く、そして優しく響いた。
「俺は、何か、お前を怒らせるようなことをしただろうか」
彼の、あまりにも真っ直ぐな問いかけに、私は言葉を失った。
違う。違うのです。あなたが悪いわけでは、決して。
そう言いたいのに、声が出ない。
「もしそうなら、謝る。だから、教えてくれないか。お前が、何にそんなに思い悩んでいるのかを」
彼は、私の隣に並んで、欄干に肘をついた。その横顔は、心から私を案じている色を浮かべている。
彼の優しさが、痛い。
私の身勝手な感情のせいで、彼をこんな顔にさせてしまっている。
もう、ごまかすのは、やめよう。
たとえ、この想いを伝えることはできなくても、彼に心配をかけ続けるのは、もう終わりにしなければ。
私は、大きく深呼吸をすると、意を決して口を開いた。
「……カイザー様は、何も、悪くありません。私が、勝手に、混乱しているだけです」
「混乱?」
「はい。……私、今まで、誰かにこんなに大切にされたことがなかったので」
それは、嘘ではなかった。彼のくれる優しさは、私の心を良い意味で、かき乱し続けている。
「この城での生活は、毎日が驚きの連続で……私の心は、まだ、その変化に追いつけていないみたいです。だから、時々、どうしていいか分からなくなってしまうだけで……」
我ながら、苦しい言い訳だと思った。けれど、今の私に言える、精一杯の真実だった。
私の言葉を聞いて、カイザーは、しばらく黙って何かを考えているようだった。やがて、彼は、ふっと息を漏らすと、穏やかな声で言った。
「……そうか」
彼は、私の言い訳を、それ以上追及しようとはしなかった。
「無理もない。お前が過ごしてきた環境は、あまりにも過酷すぎた。急に全てを受け入れろという方が、酷な話だったな。……すまない、俺の配慮が足りなかった」
「い、いえ!そんなことは!」
彼が謝ることなど、何一つないのに。
カイザーは、そんな私を安心させるように、ゆっくりと私の頭に手を置いた。そして、いつものように、優しく、その髪を撫でる。
「焦る必要はない。お前のペースで、ゆっくりと慣れていけばいい。俺は、いつまででも待つ」
その、どこまでも温かく、包み込むような優しさ。
私の心に張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと音を立てて切れた。
気づけば、私の目からは、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちていた。
「すみません……私……」
「謝るな」
彼は、静かにそう言うと、私の体を、そっと引き寄せた。
そして、私は、彼の広い胸の中に、優しく包み込まれていた。
彼の衣から、陽の光と、古い本のインクのような、落ち着く香りがする。彼の心臓の音が、どくん、どくんと、私の耳に心地よく響く。
その温もりに、私の心は、ゆっくりと溶けていくようだった。
恋をしている、という苦しさも、伝えられない、という切なさも。その全てが、彼の腕の中では、不思議と穏やかな感情に変わっていく。
ただ、彼のそばにいられる。
今は、それだけで、十分すぎるほど幸せだ。
「……落ち着いたか」
しばらくして、カイザーが低い声で尋ねる。
私は、彼の胸に顔をうずめたまま、小さく頷いた。
「はい」
「そうか」
彼は、そう言うと、ゆっくりと私の体を離した。けれど、その手は、私の肩に置かれたままだった。
「アリア」
彼が、私の名前を呼ぶ。
「……これからも、何かあれば、一人で抱え込むな。俺は、お前が思うよりも、お前のことを気にかけている」
その言葉は、まるで愛の告白のように、私の心に甘く響いた。
もちろん、彼にそんなつもりはないのだろう。これは、保護者としての、親愛の情だ。
分かっている。分かっているのに。
私の心は、勝手に舞い上がってしまう。
「……はい」
私は、涙で濡れた顔を上げて、彼に向かって、精一杯の笑顔を作った。
「ありがとう、ございます。カイザー様」
私の笑顔を見て、彼は、一瞬だけ、息を呑んだように見えた。そして、次の瞬間、その口元に、今まで見たこともないくらい、優しい、慈しみに満ちた笑みが浮かんだ。
その笑顔に、私の心臓は、また大きく跳ねた。
ぎこちなかった空気は、嘘のように消え去っていた。
私たちの間には、以前よりも、もっと甘く、穏やかな空気が流れている。
カイザーもまた、私への愛おしさを、もう隠そうとはしていないように見えた。
この、幸せな時間が、ずっと続けばいいのに。
嵐が、すぐそこまで迫っていることなど、忘れてしまいたいほどに。
私たちは、言葉もなく、ただ、互いの存在を確かめ合うように、穏やかな午後の光の中に、佇んでいた。
私は、彼とまともに顔を合わせることができない。彼の姿を見るだけで、心臓が大きく跳ねてしまい、顔が熱くなるのを止められないのだ。
カイザーの方も、どう接していいか戸惑っているようだった。彼は、私が何か思い悩んでいるのだと思っているらしく、時折、心配そうに遠くから私を見つめている。その視線を感じるたびに、私は罪悪感で胸が苦しくなった。
私の勝手な恋心のせいで、彼にまで気を使わせてしまっている。
こんな関係は、嫌だ。
早く、いつものように戻らなければ。そう焦れば焦るほど、私の態度は不自然になっていった。
そんなある日の午後。
私は、一人でテラスに出て、外の空気を吸っていた。もやもやとした気持ちを、この雄大な景色が少しでも晴らしてくれるのではないかと思ったのだ。
ぼんやりと雲海を眺めていると、背後から、静かな足音が近づいてきた。
カイザーだった。
びくりと肩を震わせ、逃げ出そうとする私を、彼の静かな声が引き留めた。
「……アリア」
その声は、いつもより少しだけ、低く、そして優しく響いた。
「俺は、何か、お前を怒らせるようなことをしただろうか」
彼の、あまりにも真っ直ぐな問いかけに、私は言葉を失った。
違う。違うのです。あなたが悪いわけでは、決して。
そう言いたいのに、声が出ない。
「もしそうなら、謝る。だから、教えてくれないか。お前が、何にそんなに思い悩んでいるのかを」
彼は、私の隣に並んで、欄干に肘をついた。その横顔は、心から私を案じている色を浮かべている。
彼の優しさが、痛い。
私の身勝手な感情のせいで、彼をこんな顔にさせてしまっている。
もう、ごまかすのは、やめよう。
たとえ、この想いを伝えることはできなくても、彼に心配をかけ続けるのは、もう終わりにしなければ。
私は、大きく深呼吸をすると、意を決して口を開いた。
「……カイザー様は、何も、悪くありません。私が、勝手に、混乱しているだけです」
「混乱?」
「はい。……私、今まで、誰かにこんなに大切にされたことがなかったので」
それは、嘘ではなかった。彼のくれる優しさは、私の心を良い意味で、かき乱し続けている。
「この城での生活は、毎日が驚きの連続で……私の心は、まだ、その変化に追いつけていないみたいです。だから、時々、どうしていいか分からなくなってしまうだけで……」
我ながら、苦しい言い訳だと思った。けれど、今の私に言える、精一杯の真実だった。
私の言葉を聞いて、カイザーは、しばらく黙って何かを考えているようだった。やがて、彼は、ふっと息を漏らすと、穏やかな声で言った。
「……そうか」
彼は、私の言い訳を、それ以上追及しようとはしなかった。
「無理もない。お前が過ごしてきた環境は、あまりにも過酷すぎた。急に全てを受け入れろという方が、酷な話だったな。……すまない、俺の配慮が足りなかった」
「い、いえ!そんなことは!」
彼が謝ることなど、何一つないのに。
カイザーは、そんな私を安心させるように、ゆっくりと私の頭に手を置いた。そして、いつものように、優しく、その髪を撫でる。
「焦る必要はない。お前のペースで、ゆっくりと慣れていけばいい。俺は、いつまででも待つ」
その、どこまでも温かく、包み込むような優しさ。
私の心に張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと音を立てて切れた。
気づけば、私の目からは、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちていた。
「すみません……私……」
「謝るな」
彼は、静かにそう言うと、私の体を、そっと引き寄せた。
そして、私は、彼の広い胸の中に、優しく包み込まれていた。
彼の衣から、陽の光と、古い本のインクのような、落ち着く香りがする。彼の心臓の音が、どくん、どくんと、私の耳に心地よく響く。
その温もりに、私の心は、ゆっくりと溶けていくようだった。
恋をしている、という苦しさも、伝えられない、という切なさも。その全てが、彼の腕の中では、不思議と穏やかな感情に変わっていく。
ただ、彼のそばにいられる。
今は、それだけで、十分すぎるほど幸せだ。
「……落ち着いたか」
しばらくして、カイザーが低い声で尋ねる。
私は、彼の胸に顔をうずめたまま、小さく頷いた。
「はい」
「そうか」
彼は、そう言うと、ゆっくりと私の体を離した。けれど、その手は、私の肩に置かれたままだった。
「アリア」
彼が、私の名前を呼ぶ。
「……これからも、何かあれば、一人で抱え込むな。俺は、お前が思うよりも、お前のことを気にかけている」
その言葉は、まるで愛の告白のように、私の心に甘く響いた。
もちろん、彼にそんなつもりはないのだろう。これは、保護者としての、親愛の情だ。
分かっている。分かっているのに。
私の心は、勝手に舞い上がってしまう。
「……はい」
私は、涙で濡れた顔を上げて、彼に向かって、精一杯の笑顔を作った。
「ありがとう、ございます。カイザー様」
私の笑顔を見て、彼は、一瞬だけ、息を呑んだように見えた。そして、次の瞬間、その口元に、今まで見たこともないくらい、優しい、慈しみに満ちた笑みが浮かんだ。
その笑顔に、私の心臓は、また大きく跳ねた。
ぎこちなかった空気は、嘘のように消え去っていた。
私たちの間には、以前よりも、もっと甘く、穏やかな空気が流れている。
カイザーもまた、私への愛おしさを、もう隠そうとはしていないように見えた。
この、幸せな時間が、ずっと続けばいいのに。
嵐が、すぐそこまで迫っていることなど、忘れてしまいたいほどに。
私たちは、言葉もなく、ただ、互いの存在を確かめ合うように、穏やかな午後の光の中に、佇んでいた。
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