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第三十九話 光よ、彼を討て
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竜縛りの呪具が私の放った光の矢によって破壊された瞬間、戦いの趨勢は決した。
カイザーを縛り付けていた漆黒の鎖は、陽光に溶ける朝霧のように掻き消える。解放された竜王から放たれる圧倒的なプレッシャーが、厨房の空気を支配した。
「―――馬鹿な」
異端審問官が初めて焦燥に満ちた声を漏らした。
「神代の呪具が……人間の聖女ごときの力で……!」
彼女が驚愕に動きを止めている、その一瞬。
カイザーは既に動いていた。
その姿はまるで黒い疾風。人間の目では到底捉えることのできない神速で、彼は異端審問官との距離をゼロにする。
「―――終わりだ」
地を這うような低い声と共に、カイザーの手刀が黒い雷を纏って異端審問官の胸元へと突き込まれた。
それは心臓を的確に貫き、その存在ごと消滅させるための一撃。
だが。
異端審問官もまた常人ではなかった。
彼女は絶体絶命のその状況で、信じられないほどの反応速度を見せる。体を紙一重で捻り、カイザーの必殺の一撃をわずかに逸らしたのだ。
ゴッと、鈍い音がした。
手刀は彼女の心臓ではなく、左肩を深く抉っていた。
「ぐっ……!」
異端審問官のフードの奥から苦悶の声が漏れる。彼女は、その勢いのまま後方へと大きく跳躍し、カイザーから距離を取った。
抉られた左肩からは血の代わりに、黒い霧のようなものが噴き出している。尋常な肉体ではない。
「……逃がさん」
カイザーは追撃の構えを取る。
その時、異端審問官がローブの中から何かを取り出した。
それは黒く、ひび割れた奇妙な宝玉だった。
「―――転移か!」
カイザーがいち早くその正体を見抜く。
異端審問官は、その宝玉を躊躇なく床に叩きつけた。
パリン!
宝玉が砕け散り、その破片から空間そのものを歪ませるような禍々しい紫色の光が溢れ出す。彼女の足元に、不安定な渦を巻く転移の魔法陣が形成された。
「アリア!」
カイザーが叫ぶ。
私は彼の意図を即座に理解した。
このままでは、彼女を逃してしまう。
私は残っていた最後の力を振り絞った。
右手に再び光の矢を形成する。それは先ほどよりもずっと小さく、か細い。けれど、私の揺るぎない意志がその切っ先に宿っていた。
狙うは一つ。
転移しようとする異端審問官。
光よ、彼を討て。
心の中で強く、強く念じる。
私の手から最後の一矢が放たれた。
それはまるで流星のように、一直線に闇の中へと突き進んでいく。
転移の光にその身を飲み込まれようとしていた異端審問官。
その背中に、私の放った光の矢が深々と突き刺さった。
「―――がっ!?」
異端審問官の体は聖なる光に貫かれ、激しく痙攣する。その体からさらに濃い黒い霧が噴き出した。
そして、次の瞬間。
彼女の姿は紫色の光と共に、完全に掻き消えていた。
厨房には静寂が戻った。
後に残されたのは、砕け散った呪具の残骸と床に描かれた転移魔法陣のかすかな光だけ。
「……はぁ、はぁ……」
私はその場にへなへなと座り込んだ。
全身の力が抜けきってしまった。聖力を使い果たし、指先一本動かせそうにない。
「アリア!」
カイザーが駆け寄ってくる。
その大きな腕が、私の体を優しく、しかし力強く抱きしめた。
「……見事だった」
彼の声が頭の上から降ってくる。
その声は誇らしさと、そしてどうしようもないほどの安堵に震えていた。
「お前がいなければ、俺はあのまま……」
「……いいえ」
私は彼の胸に顔をうずめたまま、か細い声で答えた。
「カイザー様が信じてくださったからです。私に時間を稼げと……私にできると、信じてくださったから」
そうだ。
これは私一人の力ではない。
彼が私を信じてくれた。
私が彼を信じた。
二人の心が一つになったからこそ起こせた奇跡。
私たちは初めて、本当の意味で「共に」戦ったのだ。
その事実が疲労困憊の体に、温かい光を灯してくれるようだった。
カイ-ザーは何も言わずに、ただ私を抱きしめる腕に力を込めた。
その温もりに、私の意識はゆっくりと安らかな闇の中へと沈んでいく。
勝利。
私たちは確かに勝利した。
けれど、私の最後の光の矢が逃げ去った敵にどのような影響を与えたのか。
そして、その敵が再びどのような形で私たちの前に現れるのか。
それを知る術はまだ、私たちにはなかった。
ただ、確かなこと。
それは、私たちの戦いがまだ始まったばかりだということだけだった。
カイザーを縛り付けていた漆黒の鎖は、陽光に溶ける朝霧のように掻き消える。解放された竜王から放たれる圧倒的なプレッシャーが、厨房の空気を支配した。
「―――馬鹿な」
異端審問官が初めて焦燥に満ちた声を漏らした。
「神代の呪具が……人間の聖女ごときの力で……!」
彼女が驚愕に動きを止めている、その一瞬。
カイザーは既に動いていた。
その姿はまるで黒い疾風。人間の目では到底捉えることのできない神速で、彼は異端審問官との距離をゼロにする。
「―――終わりだ」
地を這うような低い声と共に、カイザーの手刀が黒い雷を纏って異端審問官の胸元へと突き込まれた。
それは心臓を的確に貫き、その存在ごと消滅させるための一撃。
だが。
異端審問官もまた常人ではなかった。
彼女は絶体絶命のその状況で、信じられないほどの反応速度を見せる。体を紙一重で捻り、カイザーの必殺の一撃をわずかに逸らしたのだ。
ゴッと、鈍い音がした。
手刀は彼女の心臓ではなく、左肩を深く抉っていた。
「ぐっ……!」
異端審問官のフードの奥から苦悶の声が漏れる。彼女は、その勢いのまま後方へと大きく跳躍し、カイザーから距離を取った。
抉られた左肩からは血の代わりに、黒い霧のようなものが噴き出している。尋常な肉体ではない。
「……逃がさん」
カイザーは追撃の構えを取る。
その時、異端審問官がローブの中から何かを取り出した。
それは黒く、ひび割れた奇妙な宝玉だった。
「―――転移か!」
カイザーがいち早くその正体を見抜く。
異端審問官は、その宝玉を躊躇なく床に叩きつけた。
パリン!
宝玉が砕け散り、その破片から空間そのものを歪ませるような禍々しい紫色の光が溢れ出す。彼女の足元に、不安定な渦を巻く転移の魔法陣が形成された。
「アリア!」
カイザーが叫ぶ。
私は彼の意図を即座に理解した。
このままでは、彼女を逃してしまう。
私は残っていた最後の力を振り絞った。
右手に再び光の矢を形成する。それは先ほどよりもずっと小さく、か細い。けれど、私の揺るぎない意志がその切っ先に宿っていた。
狙うは一つ。
転移しようとする異端審問官。
光よ、彼を討て。
心の中で強く、強く念じる。
私の手から最後の一矢が放たれた。
それはまるで流星のように、一直線に闇の中へと突き進んでいく。
転移の光にその身を飲み込まれようとしていた異端審問官。
その背中に、私の放った光の矢が深々と突き刺さった。
「―――がっ!?」
異端審問官の体は聖なる光に貫かれ、激しく痙攣する。その体からさらに濃い黒い霧が噴き出した。
そして、次の瞬間。
彼女の姿は紫色の光と共に、完全に掻き消えていた。
厨房には静寂が戻った。
後に残されたのは、砕け散った呪具の残骸と床に描かれた転移魔法陣のかすかな光だけ。
「……はぁ、はぁ……」
私はその場にへなへなと座り込んだ。
全身の力が抜けきってしまった。聖力を使い果たし、指先一本動かせそうにない。
「アリア!」
カイザーが駆け寄ってくる。
その大きな腕が、私の体を優しく、しかし力強く抱きしめた。
「……見事だった」
彼の声が頭の上から降ってくる。
その声は誇らしさと、そしてどうしようもないほどの安堵に震えていた。
「お前がいなければ、俺はあのまま……」
「……いいえ」
私は彼の胸に顔をうずめたまま、か細い声で答えた。
「カイザー様が信じてくださったからです。私に時間を稼げと……私にできると、信じてくださったから」
そうだ。
これは私一人の力ではない。
彼が私を信じてくれた。
私が彼を信じた。
二人の心が一つになったからこそ起こせた奇跡。
私たちは初めて、本当の意味で「共に」戦ったのだ。
その事実が疲労困憊の体に、温かい光を灯してくれるようだった。
カイ-ザーは何も言わずに、ただ私を抱きしめる腕に力を込めた。
その温もりに、私の意識はゆっくりと安らかな闇の中へと沈んでいく。
勝利。
私たちは確かに勝利した。
けれど、私の最後の光の矢が逃げ去った敵にどのような影響を与えたのか。
そして、その敵が再びどのような形で私たちの前に現れるのか。
それを知る術はまだ、私たちにはなかった。
ただ、確かなこと。
それは、私たちの戦いがまだ始まったばかりだということだけだった。
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