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第四十話 影の退散
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異端審問官はカイザーの追撃を振り切り、謎の転移魔法で撤退した。
厨房に残されたのは戦いの生々しい爪痕と、聖力を使い果たしてぐったりとした私、そして安堵と新たな脅威への警戒が入り混じった表情を浮かべるカイザーだった。
「……深手を負わせたはずだ。しばらくは動けまい」
カイザーは異端審問官が消えた空間を睨みつけながら、静かに呟いた。
私の最後の光の矢は、確かに彼女の急所を捉えていた。聖なる光は彼女のような闇の存在にとって猛毒に等しい。たとえ転移に成功していたとしても、無事では済まないはずだ。
彼はぐったりとした私を、壊れ物を扱うかのようにその腕にそっと抱き上げた。いわゆる、お姫様抱っこという体勢だ。
「きゃっ……!」
思わず小さな悲鳴を上げてしまう。
「自分で歩けます……!」
「黙っていろ。聖力を使い果たしたお前は今、雛鳥よりも弱い。下手に動けば魂が肉体から乖離しかねん」
彼の有無を言わせぬ口調。そして、その腕から伝わってくる力強く、そして優しい温もり。
私は抵抗するのを諦めた。頬が熱くなるのを感じながら、彼の広い胸にそっと頭を預ける。
彼の心臓の音が、とくん、とくんと、すぐ近くで聞こえる。
それは私が生きていることを、そして彼が生きていることを実感させてくれる、何よりも安心する音だった。
カイザーは私を抱えたまま、ゆっくりと歩き出す。
向かう先は厨房ではなく、私の部屋だった。
「……パイはまた今度だな」
彼が少しだけ残念そうに呟く。
そのどこか気の抜けた一言に、張り詰めていた私の心がふっと緩んだ。
思わずくすりと笑みが漏れてしまう。
「はい。今度はもっと大きいのを作りますね」
「ああ。楽しみにしている」
そんな穏やかな会話。
ついさっきまで命を懸けた死闘を繰り広げていたとは、到底思えなかった。
この強くて優しい竜の腕の中にいれば、どんな恐怖も遠い世界の出来事のように感じられる。
私は彼の胸の中で、心地よい疲労感に身を任せ、ゆっくりと瞼を閉じた。
部屋のベッドにそっと降ろされる。
ふかふかの寝台が疲れた体を優しく受け止めてくれた。
カイザーは私が眠っていると思ったのか、ベッドの傍らに静かに座り、ただじっと私の顔を見つめていた。
そのあまりにも真剣で、そして慈しみに満ちた眼差しに、私は眠ったふりを続けるのが少しだけ難しくなった。
やがて彼はそっと私の髪に触れた。
その指先はわずかに震えている。
「……すまない」
彼の絞り出すような低い声が、静かな部屋に響いた。
「俺が油断したせいで。お前にあんな恐ろしい思いをさせてしまった」
彼の後悔に満ちた声。
違う。違うのです。
あなたが謝ることではない。
そう言いたかった。けれど、疲労しきった体は声を発することを許してくれなかった。
「二度とこのような過ちは犯さん」
彼は自分自身に、そして眠っている(と思っている)私に固く誓った。
「必ず、お前を守り抜いてみせる」
その、あまりにも強く、そして切ない響きを帯びた誓い。
私は瞼の裏で静かに涙を流した。
あなただけを守らせはしない。
私もあなたを守る。
その想いがどうか、彼に届きますように。
私は心の底からそう祈った。
カイザーはしばらくの間、私のそばを離れなかった。
私が穏やかな寝息を立て始めたのを確かめると、彼はようやく静かに立ち上がった。
そして部屋を出て行く、その直前。
彼はもう一度だけ私の方を振り返った。
その口元にほんのわずかだけ、優しい笑みが浮かんでいたのを、私は夢うつつの中で確かに見た気がした。
影は退散した。
だが、その影が残していったものはあまりにも大きい。
敵は私たちの想像以上に狡猾で、そして強力な手駒を持っている。
その事実が私たちの心に、新たな、そしてより深い不安の影を落としていた。
私たちの本当の戦いは、まだ始まったばかりなのだ。
穏やかな眠りの中で、私は無意識にカイ-ザーの名前を呼んでいた。
厨房に残されたのは戦いの生々しい爪痕と、聖力を使い果たしてぐったりとした私、そして安堵と新たな脅威への警戒が入り混じった表情を浮かべるカイザーだった。
「……深手を負わせたはずだ。しばらくは動けまい」
カイザーは異端審問官が消えた空間を睨みつけながら、静かに呟いた。
私の最後の光の矢は、確かに彼女の急所を捉えていた。聖なる光は彼女のような闇の存在にとって猛毒に等しい。たとえ転移に成功していたとしても、無事では済まないはずだ。
彼はぐったりとした私を、壊れ物を扱うかのようにその腕にそっと抱き上げた。いわゆる、お姫様抱っこという体勢だ。
「きゃっ……!」
思わず小さな悲鳴を上げてしまう。
「自分で歩けます……!」
「黙っていろ。聖力を使い果たしたお前は今、雛鳥よりも弱い。下手に動けば魂が肉体から乖離しかねん」
彼の有無を言わせぬ口調。そして、その腕から伝わってくる力強く、そして優しい温もり。
私は抵抗するのを諦めた。頬が熱くなるのを感じながら、彼の広い胸にそっと頭を預ける。
彼の心臓の音が、とくん、とくんと、すぐ近くで聞こえる。
それは私が生きていることを、そして彼が生きていることを実感させてくれる、何よりも安心する音だった。
カイザーは私を抱えたまま、ゆっくりと歩き出す。
向かう先は厨房ではなく、私の部屋だった。
「……パイはまた今度だな」
彼が少しだけ残念そうに呟く。
そのどこか気の抜けた一言に、張り詰めていた私の心がふっと緩んだ。
思わずくすりと笑みが漏れてしまう。
「はい。今度はもっと大きいのを作りますね」
「ああ。楽しみにしている」
そんな穏やかな会話。
ついさっきまで命を懸けた死闘を繰り広げていたとは、到底思えなかった。
この強くて優しい竜の腕の中にいれば、どんな恐怖も遠い世界の出来事のように感じられる。
私は彼の胸の中で、心地よい疲労感に身を任せ、ゆっくりと瞼を閉じた。
部屋のベッドにそっと降ろされる。
ふかふかの寝台が疲れた体を優しく受け止めてくれた。
カイザーは私が眠っていると思ったのか、ベッドの傍らに静かに座り、ただじっと私の顔を見つめていた。
そのあまりにも真剣で、そして慈しみに満ちた眼差しに、私は眠ったふりを続けるのが少しだけ難しくなった。
やがて彼はそっと私の髪に触れた。
その指先はわずかに震えている。
「……すまない」
彼の絞り出すような低い声が、静かな部屋に響いた。
「俺が油断したせいで。お前にあんな恐ろしい思いをさせてしまった」
彼の後悔に満ちた声。
違う。違うのです。
あなたが謝ることではない。
そう言いたかった。けれど、疲労しきった体は声を発することを許してくれなかった。
「二度とこのような過ちは犯さん」
彼は自分自身に、そして眠っている(と思っている)私に固く誓った。
「必ず、お前を守り抜いてみせる」
その、あまりにも強く、そして切ない響きを帯びた誓い。
私は瞼の裏で静かに涙を流した。
あなただけを守らせはしない。
私もあなたを守る。
その想いがどうか、彼に届きますように。
私は心の底からそう祈った。
カイザーはしばらくの間、私のそばを離れなかった。
私が穏やかな寝息を立て始めたのを確かめると、彼はようやく静かに立ち上がった。
そして部屋を出て行く、その直前。
彼はもう一度だけ私の方を振り返った。
その口元にほんのわずかだけ、優しい笑みが浮かんでいたのを、私は夢うつつの中で確かに見た気がした。
影は退散した。
だが、その影が残していったものはあまりにも大きい。
敵は私たちの想像以上に狡猾で、そして強力な手駒を持っている。
その事実が私たちの心に、新たな、そしてより深い不安の影を落としていた。
私たちの本当の戦いは、まだ始まったばかりなのだ。
穏やかな眠りの中で、私は無意識にカイ-ザーの名前を呼んでいた。
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