ドラゴンに攫われた聖女ですが、このドラゴン、めちゃくちゃ過保護でイケメンです

夏見ナイ

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第五十六話 聖女の覚悟

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交渉は決裂した。
ボルガノスの冷徹な拒絶の言葉は、まるで万竜の巣そのものの固い意志のように、私たちの前に立ちはだかった。
カイザーは唇を強く噛み締め、悔しさにその拳を固く握りしめている。彼ほどの存在が、これほどまでに無力感を露わにするのを私は初めて見た。
千年前の裏切り。
そのあまりにも深い傷が、竜たちの心を頑なに閉ざしてしまっているのだ。
もう、だめなのか。
私たちの反撃の計画は、ここで潰えてしまうのか。
絶望が私の心を黒く塗り潰そうとした、その時だった。
私の隣で悔しさに震えていたカイザーの手。
その手を私は、そっと両手で包み込んだ。
「……!」
カイザーが、驚いたように私を見つめる。
私は彼に向かって一度だけ力強く頷いた。
大丈夫です。
そう瞳で伝えて。
そして私は彼の手を離すと、一人で一歩、前へと進み出た。
三体の巨大な長老竜の前に。
そのあまりの威圧感に足が震える。心臓が張り裂けそうなくらい速く打っている。
けれど、私の心は不思議と穏やかだった。
私は震える声を必死で抑え込みながら、彼らに向かってはっきりと語りかけた。
「―――長老様がた」
私の、か細い声。
けれど、それは静まり返った広場に凛と響き渡った。
長老たちは侮蔑と警戒に満ちた目で私を見下ろしている。
「お言葉ですが、私はあなた方に助けを乞いに来たのではありません」
私の言葉に、長老たちの瞳にわずかな怪訝の色が浮かんだ。
私は続ける。
「私は、聖女としてあなた方に古の契約の履行を求めに来たのでもありません。私はもう、ただの聖女ではないからです」
私は一度息を吸った。
そして、告げたのだ。
私の偽らざる本当の覚悟を。
「私はアリア。カイザー様を愛する、ただ一人の女です」
そのあまりにも大胆な宣言。
カイザーが後ろで息を呑む気配がした。
長老たちの瞳が驚愕に大きく見開かれる。
「そして私は、私の愛する人が愛するこの世界を守りたいのです。人間も竜も、他の全ての命が共に平和に暮らせる、そんな世界を」
私は胸に手を当て、まっすぐに彼らを見上げた。
「あなた方が人間を憎むお気持ちは分かります。人間は愚かで過ちを犯す弱い生き物です。その弱さが時には、あなた方のような気高い存在を傷つけてしまうこともあるのでしょう」
私の言葉に、ボルガノスの瞳がわずかに揺れた。
「ですが、人間はただ弱いだけではありません。過ちから学び、手を取り合い、より良い未来を築こうとする強さも持っています。私の大切な友人のように」
レオンの生まれ変わった、あの澄み切った瞳が脳裏をよぎる。
「どうか、お願いです。過去のたった一人の人間の裏切りで、全ての人間を断じないでください。私たちにもう一度だけ、信じる機会を与えてはくださいませんか」
私はその場で深く、深く頭を下げた。
聖女としてではない。
カイザーを愛する、ただ一人の人間として。
「私は戦います。私のこの力の全てを懸けて。愛する人と愛する世界を守るために。その戦いに、どうかあなた方のその偉大なる力をお貸しください」
私の魂からの懇願。
広場に再び重い沈黙が落ちた。
長老たちは何も言わない。
ただ、その古代の叡智を宿した瞳で、深く頭を下げる私の小さな姿をじっと見つめている。
風が、びゅう、と音を立てて吹き抜けていく。
どれくらいの時間が経っただろうか。
やがて、今まで一言も発さなかった緑の竜、ヴィリディスが低い声で呟いた。
「……面白い、娘だ」
その声には、先ほどまでの嘲りの響きはなかった。
「あれほどの威圧感の前で一歩も引かず。己の言葉で己の覚悟を語りきるとはな。ただの人間の小娘とは思えん」
「……確かに」
蒼い竜、アクエリアも同調する。
「その瞳……その真っ直ぐな光はどこか懐かしい。そう……まるで、あの初代聖女様の瞳のようだ」
その言葉に、私ははっと顔を上げた。
長老たちの雰囲気が変わっていた。
氷のように固く閉ざされていた彼らの心が、ほんの少しだけ解け始めている。
最後に、赤黒い竜、ボルガノスが重々しく口を開いた。
「……小娘よ。名を、名乗れ」
「アリアと申します」
「アリア、か」
彼は一度目を閉じ、何かを深く考えているようだった。
やがて彼は、ゆっくりとその瞼を押し上げた。
そして私に告げた。
「……よかろう」
そのたった一言。
「お前の覚悟。そして、その魂の輝き。このボルガノスの老いぼれた目をもって、確かめさせてもらった」
彼は私を、そして私の後ろに立つカイザーを交互に見つめる。
「お前たちに力を貸すかどうかは、まだ決められん。だが……」
彼は言葉を続けた。
「お前たちの話をもう少しだけ聞いてやる時間は、くれてやろう」
それは、完全な勝利ではなかった。
けれど、それは絶望の淵に差し込んだ一条の確かな光だった。
私の拙い言葉が。
私の小さな覚悟が。
何千年も凍りついていた彼らの心を、ほんの少しだけ動かすことができたのだ。
私は込み上げてくる熱いものを必死で堪えた。
そして、もう一度彼らに向かって深く、深く頭を下げた。
後ろでカイ-ザーが安堵のため息を漏らすのが聞こえた。
私たちの本当の交渉が、今、始まろうとしていた。
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