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第六十一話 魔族領への密使
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『―――奴らの目的は、君たちだ』
そのレオンの衝撃的な言葉を最後に、水鏡の映像はぷつりと一方的に断ち切られた。おそらく魔族の兵士に見つかったのだろう。水面は再び静けさを取り戻したが、私たちの心は激しい嵐に見舞われていた。
「……レオン」
私は心配のあまり彼の名前を呟いた。捕らわれの身でありながら、彼は命の危険を冒してまで私たちに情報を伝えてくれたのだ。
「……あの馬鹿者が」
カイザーが吐き捨てるように言った。その声には怒りと、そしてどうしようもないほどの焦燥が滲んでいる。
「計算のうち、だと? 一歩間違えば殺されていたかもしれんのだぞ。無謀にもほどがある」
彼は珍しく感情を露わにしていた。それはレオンという唯一無二の戦力を失うことへの懸念と、そして芽生え始めた友情の相手を案じる気持ちの両方から来るものだろう。
教皇と魔王軍の残党。
そのありえないはずの禁断の同盟。
敵の計画は、私たちの想像を遥かに超える規模で、そして邪悪さで進行していたのだ。
「……カイザー様」
私は決意を込めた目で彼を見上げた。
「私たちも急がなければなりません」
「ああ、分かっている」
カイザーは険しい表情のまま、深く頷いた。
「今すぐにでも魔族領へ乗り込み、あの馬鹿を引きずり出してやりたいところだが……それをすれば全てが水泡に帰す。レオンの覚悟を無駄にすることになる」
そうだ。私たちはレオンを信じなければならない。彼が自らの命を懸けて作ってくれようとしている、魔族との対話の機会を。
「私たちは、私たちの為すべきことをする」
カイザーはそう言うと、書斎の窓から外にいる若い竜たちに念話で指示を飛ばし始めた。
「バルドス、聞こえるか。これより城の警戒レベルを最大に引き上げる。いかなる者も俺の許しなく、結界の内側へ入れるな。たとえそれが神の使いであったとしてもだ」
彼の厳かな声が響き渡る。
私たちの天空の城は、もはやただの安息地ではない。
世界の運命を左右する反撃の最前線基地となったのだ。
そして私の心は、この城から遠く離れた西の地で、一人戦っているであろう友人のことを想っていた。
彼の無謀で、そしてあまりにも勇敢な旅路を。
―――その数日前。
レオンは一人、人と魔族の領土を隔てる「嘆きの荒野」と呼ばれる緩衝地帯を歩いていた。
空は常にどんよりとした紫色の雲に覆われ、太陽の光が届かない。大地はひび割れ、そこからは瘴気を含んだ不気味な色の蒸気が噴き出している。
人間界の豊かな自然とは全く違う、死と呪いに満ちた土地。
普通の人間であれば、この空気を吸っただけで肺を焼かれ、正気を失うだろう。
だがレオンは、平然とその道を進んでいた。
聖剣に選ばれた勇者である彼の体には、神々の強力な加護がかかっている。この程度の瘴気は、彼にとって少し息苦しい程度の障害でしかなかった。
彼はカイザーたちと別れてから、一直線に西を目指した。
馬も使わず、ただひたすらに己の足だけで。
それは、これから自分が為そうとすることへの覚悟を固めるための儀式でもあった。
どれくらい歩いただろうか。
やがて彼の目の前に、巨大な黒い城壁が姿を現した。
魔族領の最前線基地。黒曜石を切り出したかのような、禍々しい砦だった。
城壁の上にはいくつもの篝火が焚かれ、その炎が異形の影を投げかけている。そして、そこには武装した魔族の兵士たちがずらりと並んでいた。
牛のような角を持つ屈強なミノタウロス。蛇の下半身を持つ妖艶なラミア。そして背中に蝙蝠のような翼を持つガーゴイル。
彼らは、いち早くレオンの接近に気づき、その手に持った歪な形状の武器を、一斉に彼に向けた。
城壁の上から、矢の雨が降り注ぐ。
一本一本が人間の使う矢よりも遥かに太く、そして邪悪な魔力が込められている。
だがレオンは避けない。
彼は、ただ静かにその場に立ち尽くす。
魔力の矢は彼の体に届く寸前で、見えない壁に弾かれたように霧散していく。勇者の聖なるオーラが、彼を守っているのだ。
「……何者だ、貴様!」
城壁の上からミノタウロスの隊長らしき男が、野太い声で怒鳴った。
レオンはゆっくりと顔を上げた。
そして、その空色の瞳で城壁の上の魔族たちを真っ直ぐに見据えた。
彼は名乗った。
そのたった一言で、魔族たちの空気を凍りつかせるその名を。
「―――勇者、レオン・ハルト」
勇者。
その言葉は魔族にとって、憎悪と恐怖の象徴。
つい数年前まで、自分たちの王を討ち滅ぼした宿敵の名前。
一瞬の静寂。
そして次の瞬間、城壁の上は怒号の嵐に包まれた。
「勇者だと!?」
「なぜ人間の英雄がこんな場所に!」
「殺せ! 奴を八つ裂きにしろ!」
城門がギギギ、と重い音を立てて開かれる。
中から数十体の魔族の兵士たちが、殺気だった雄叫びを上げながら雪崩を打って飛び出してきた。
彼らはレオンを完全に包囲する。
槍の穂先が、剣の切っ先が、寸分の隙間もなく彼に向けられる。
だがレオンは動じなかった。
彼はゆっくりと、その手に持っていた聖剣を鞘ごと地面に突き立てた。
そして両手を広げて見せる。
完全な無抵抗の意思表示。
「私は戦いに来たのではない」
彼の静かな声が、魔族たちの怒号を切り裂いた。
「私は対話をしに来た。お前たちの長である魔将軍ゼノヴィア殿に取り次ぎを願いたい」
「黙れ、人間!」
ミノタウロスの隊長が巨大な戦斧を、レオンの喉元に突きつける。
「お前たち人間が我らに何の用だ! 今更命乞いか!」
「違う」
レオンは首を振った。
「これはお前たち魔族にとっても無関係ではない話だ。我々には共通の敵がいる」
「共通の敵だと……?」
ミノタウロスが訝しげに眉をひそめる。
レオンがさらに言葉を続けようとした、その時だった。
彼らを包囲していた兵士たちの後ろから。
凛とした、そして氷のように冷たい女の声が響き渡った。
「―――そこまでだ」
そのたった一言。
それだけで、あれほど殺気立っていた魔族の兵士たちが、弾かれたように道を開けた。
兵士たちの壁の向こうから、一人の女がゆっくりと姿を現す。
銀色の長い髪が、月明かりのないこの荒野でさえ妖しい光を放っている。その肌は陶器のように白く、整いすぎた顔立ちはまるで氷の彫刻のようだった。
身に纏うのは黒を基調とした優雅な、しかしどこか戦闘的なドレス。
その腰には一本の細身のレイピアが下げられている。
彼女がそこに現れただけで。
その場の空気が絶対零度まで凍りついたかのような錯覚。
魔王軍最強。
そして魔族の中でも最も人間を憎んでいると言われる魔将。
氷の魔女、ゼノヴィア。
彼女は、その血のように赤い瞳でレオンを値踏みするようにじっと見据えた。
そして、その薄い唇に残酷なほど美しい笑みを浮かべた。
「……勇者が何の用かしら。私のコレクションになりにでも来たのかしらね」
彼女のその言葉が、レオンの過酷な交渉の始まりを告げていた。
そのレオンの衝撃的な言葉を最後に、水鏡の映像はぷつりと一方的に断ち切られた。おそらく魔族の兵士に見つかったのだろう。水面は再び静けさを取り戻したが、私たちの心は激しい嵐に見舞われていた。
「……レオン」
私は心配のあまり彼の名前を呟いた。捕らわれの身でありながら、彼は命の危険を冒してまで私たちに情報を伝えてくれたのだ。
「……あの馬鹿者が」
カイザーが吐き捨てるように言った。その声には怒りと、そしてどうしようもないほどの焦燥が滲んでいる。
「計算のうち、だと? 一歩間違えば殺されていたかもしれんのだぞ。無謀にもほどがある」
彼は珍しく感情を露わにしていた。それはレオンという唯一無二の戦力を失うことへの懸念と、そして芽生え始めた友情の相手を案じる気持ちの両方から来るものだろう。
教皇と魔王軍の残党。
そのありえないはずの禁断の同盟。
敵の計画は、私たちの想像を遥かに超える規模で、そして邪悪さで進行していたのだ。
「……カイザー様」
私は決意を込めた目で彼を見上げた。
「私たちも急がなければなりません」
「ああ、分かっている」
カイザーは険しい表情のまま、深く頷いた。
「今すぐにでも魔族領へ乗り込み、あの馬鹿を引きずり出してやりたいところだが……それをすれば全てが水泡に帰す。レオンの覚悟を無駄にすることになる」
そうだ。私たちはレオンを信じなければならない。彼が自らの命を懸けて作ってくれようとしている、魔族との対話の機会を。
「私たちは、私たちの為すべきことをする」
カイザーはそう言うと、書斎の窓から外にいる若い竜たちに念話で指示を飛ばし始めた。
「バルドス、聞こえるか。これより城の警戒レベルを最大に引き上げる。いかなる者も俺の許しなく、結界の内側へ入れるな。たとえそれが神の使いであったとしてもだ」
彼の厳かな声が響き渡る。
私たちの天空の城は、もはやただの安息地ではない。
世界の運命を左右する反撃の最前線基地となったのだ。
そして私の心は、この城から遠く離れた西の地で、一人戦っているであろう友人のことを想っていた。
彼の無謀で、そしてあまりにも勇敢な旅路を。
―――その数日前。
レオンは一人、人と魔族の領土を隔てる「嘆きの荒野」と呼ばれる緩衝地帯を歩いていた。
空は常にどんよりとした紫色の雲に覆われ、太陽の光が届かない。大地はひび割れ、そこからは瘴気を含んだ不気味な色の蒸気が噴き出している。
人間界の豊かな自然とは全く違う、死と呪いに満ちた土地。
普通の人間であれば、この空気を吸っただけで肺を焼かれ、正気を失うだろう。
だがレオンは、平然とその道を進んでいた。
聖剣に選ばれた勇者である彼の体には、神々の強力な加護がかかっている。この程度の瘴気は、彼にとって少し息苦しい程度の障害でしかなかった。
彼はカイザーたちと別れてから、一直線に西を目指した。
馬も使わず、ただひたすらに己の足だけで。
それは、これから自分が為そうとすることへの覚悟を固めるための儀式でもあった。
どれくらい歩いただろうか。
やがて彼の目の前に、巨大な黒い城壁が姿を現した。
魔族領の最前線基地。黒曜石を切り出したかのような、禍々しい砦だった。
城壁の上にはいくつもの篝火が焚かれ、その炎が異形の影を投げかけている。そして、そこには武装した魔族の兵士たちがずらりと並んでいた。
牛のような角を持つ屈強なミノタウロス。蛇の下半身を持つ妖艶なラミア。そして背中に蝙蝠のような翼を持つガーゴイル。
彼らは、いち早くレオンの接近に気づき、その手に持った歪な形状の武器を、一斉に彼に向けた。
城壁の上から、矢の雨が降り注ぐ。
一本一本が人間の使う矢よりも遥かに太く、そして邪悪な魔力が込められている。
だがレオンは避けない。
彼は、ただ静かにその場に立ち尽くす。
魔力の矢は彼の体に届く寸前で、見えない壁に弾かれたように霧散していく。勇者の聖なるオーラが、彼を守っているのだ。
「……何者だ、貴様!」
城壁の上からミノタウロスの隊長らしき男が、野太い声で怒鳴った。
レオンはゆっくりと顔を上げた。
そして、その空色の瞳で城壁の上の魔族たちを真っ直ぐに見据えた。
彼は名乗った。
そのたった一言で、魔族たちの空気を凍りつかせるその名を。
「―――勇者、レオン・ハルト」
勇者。
その言葉は魔族にとって、憎悪と恐怖の象徴。
つい数年前まで、自分たちの王を討ち滅ぼした宿敵の名前。
一瞬の静寂。
そして次の瞬間、城壁の上は怒号の嵐に包まれた。
「勇者だと!?」
「なぜ人間の英雄がこんな場所に!」
「殺せ! 奴を八つ裂きにしろ!」
城門がギギギ、と重い音を立てて開かれる。
中から数十体の魔族の兵士たちが、殺気だった雄叫びを上げながら雪崩を打って飛び出してきた。
彼らはレオンを完全に包囲する。
槍の穂先が、剣の切っ先が、寸分の隙間もなく彼に向けられる。
だがレオンは動じなかった。
彼はゆっくりと、その手に持っていた聖剣を鞘ごと地面に突き立てた。
そして両手を広げて見せる。
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「私は戦いに来たのではない」
彼の静かな声が、魔族たちの怒号を切り裂いた。
「私は対話をしに来た。お前たちの長である魔将軍ゼノヴィア殿に取り次ぎを願いたい」
「黙れ、人間!」
ミノタウロスの隊長が巨大な戦斧を、レオンの喉元に突きつける。
「お前たち人間が我らに何の用だ! 今更命乞いか!」
「違う」
レオンは首を振った。
「これはお前たち魔族にとっても無関係ではない話だ。我々には共通の敵がいる」
「共通の敵だと……?」
ミノタウロスが訝しげに眉をひそめる。
レオンがさらに言葉を続けようとした、その時だった。
彼らを包囲していた兵士たちの後ろから。
凛とした、そして氷のように冷たい女の声が響き渡った。
「―――そこまでだ」
そのたった一言。
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その腰には一本の細身のレイピアが下げられている。
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その場の空気が絶対零度まで凍りついたかのような錯覚。
魔王軍最強。
そして魔族の中でも最も人間を憎んでいると言われる魔将。
氷の魔女、ゼノヴィア。
彼女は、その血のように赤い瞳でレオンを値踏みするようにじっと見据えた。
そして、その薄い唇に残酷なほど美しい笑みを浮かべた。
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