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第七十九話 民衆の声
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武器を捨て、呆然と立ち尽くす兵士たち。
そして、何が真実なのか分からず、ただ混乱に陥る民衆。
広場は奇妙な虚脱感に満ちた静寂に包まれていた。
私の言葉は確かに彼らの洗脳を解いた。だが、それは彼らから信じるべき「物語」を奪い去ったことと同義だった。
拠り所を失った人々の心は、あまりにも脆く、そして不安定だった。
この膠着した状況を打ち破ったのは、一つのか細い、しかし芯の通った声だった。
「―――私は、信じます」
声の主は、群衆の中にいた一人の若い母親だった。その腕には、先ほど私の光で泣き止んだばかりの赤ん坊が、すやすやと眠っている。
彼女は一歩前に出ると、その澄んだ瞳で私を真っ直ぐに見つめた。
「私は、難しいことは分かりません。教皇様が何を考えているのかも。竜が善なのか悪なのかも」
彼女は静かに語り始めた。
「ですが、一つだけ分かることがあります。それは、あなた様のその光が、私のこの子を救ってくれたということです」
彼女は腕の中の赤ん坊を愛おしそうに見つめる。
「この子は生まれつき体が弱く、ずっと熱にうなされていました。どんな薬も効かなかった。ですが、先ほどのあなたの温かい光を浴びて……この子の熱はすっかり下がりました。こんなに穏やかな寝顔、見るのは初めてです」
その言葉。
それは、どんな雄弁な理論よりも人々の心を打った。
母親は再び私に向き直ると、その場に深く、深くひざまずいた。
「ありがとうございます……! 本当にありがとうございます、聖女様!」
その心からの感謝の祈り。
それが引き金になった。
彼女のその純粋な信仰の光が、周りの人々の心に次々と伝播していく。
「……そうだ」
一人の老人が呟いた。
「わしも長年患っていた腰の痛みが、すっかり消えてしもうた……」
「私の息子の戦いの傷も……!」
「ああ、あの光は本物だ! あれこそ我らが奇跡と呼んだ、聖女様の光だ!」
一人、また一人と民衆が気づき始める。
言葉や理屈ではない。
自らの体が体験した、その温かい奇跡。
それこそが何よりも雄弁な真実の証だったのだ。
教皇が擁立した偽りの聖女セレスティーヌ。
彼女のか細い光では決して成し得なかった、本物の奇跡。
その圧倒的な差。
人々の心の中で、どちらが本物の聖女なのか、その答えはもう出ていた。
「我らは……間違っていた……!」
誰かが叫んだ。
「我らは教皇の甘言に騙され、本物の聖女様に刃を向けようとしていたのだ!」
その声は後悔と自責の念に震えていた。
そして、その声はやがて一つの大きなうねりとなって広場全体を飲み込んでいった。
「そうだ! 我らの聖女様はアリア様だけだ!」
「アリア様こそ真の聖女だ!」
「我らをお許しください、アリア様!」
民衆は次々とその場にひざまずき、私に向かって祈りを捧げ始めた。
それはもう洗脳による狂信ではない。
自らの意思で選び取った、本物の信仰の姿だった。
そのあまりにも劇的な変化。
私はただ呆然と、その光景を見つめていた。
私の祈りが届いた。
私の想いが彼らの心を動かしたのだ。
胸の奥から熱いものが込み上げてくる。
隣に立つカイザーが、私の手をそっと握ってくれた。
その温もりが私に力を与えてくれる。
レオンもゼノヴィアも、驚きと、そして安堵が入り混じった複雑な表情で、この民衆の心の革命を見守っていた。
だが、この状況を快く思わない者たちも、もちろんいた。
「……愚かな民衆どもが」
広場を見下ろす大聖堂のバルコニー。
そこにいつの間にか数人の人影が現れていた。
漆黒のローブに身を包んだ異端審問官たち。
そして、その中央に立つ一人の男。
黄金の鎧に身を包んだ、聖騎士団長だった。
彼の顔は怒りと屈辱に醜く歪んでいる。
「……惑わされるな! あれは魔女の妖術だ! 目を覚ませ、貴様ら!」
彼が拡声の魔道具で必死に叫ぶ。
だが、もはや彼の声に耳を貸す者は誰もいなかった。
民衆の心は完全に私の方へと傾いていたのだ。
「……こうなれば力ずくで黙らせるまで」
聖騎士団長は忌々しげに呟くと、その手に持った剣を天に掲げた。
「聖騎士団に告ぐ! これより、この場にいる全ての異端者と、それに与する愚民どもを、神の御名において粛清する!」
そのあまりにも冷酷な命令。
彼らは民衆ごと、私たちを葬り去るつもりなのだ。
大聖堂の屋根や窓から、聖騎士団の兵士たちが次々と姿を現し、その弓や魔法の杖を我々民衆に向ける。
広場に再び緊張が走る。
民衆が恐怖に顔を引きつらせた、その時だった。
広場の入り口の方から、一つの大きな声が響き渡った。
「―――それ以上動くな! 聖騎士団!」
その声。
私は聞き覚えがあった。
群衆がモーセの十戒のように左右に割れる。
その道の向こうから、馬に乗った一人の騎士がゆっくりと現れた。
その鎧はボロボロで、その顔には深い疲労の色が浮かんでいる。
だが、その瞳だけは正義の光を失ってはいなかった。
それはレオンの副官であり、王国騎士団の中でも良識派として知られていた騎士だった。
そして彼の後ろには。
武器を捨てたはずの王国騎士団の兵士たちが再び剣を手に、しかし今度は民衆を守るようにずらりと並んでいた。
民衆の声が。
そして私の言葉が。
彼らの騎士としての誇りを呼び覚ましたのだ。
事態は新たな局面を迎えようとしていた。
そして、何が真実なのか分からず、ただ混乱に陥る民衆。
広場は奇妙な虚脱感に満ちた静寂に包まれていた。
私の言葉は確かに彼らの洗脳を解いた。だが、それは彼らから信じるべき「物語」を奪い去ったことと同義だった。
拠り所を失った人々の心は、あまりにも脆く、そして不安定だった。
この膠着した状況を打ち破ったのは、一つのか細い、しかし芯の通った声だった。
「―――私は、信じます」
声の主は、群衆の中にいた一人の若い母親だった。その腕には、先ほど私の光で泣き止んだばかりの赤ん坊が、すやすやと眠っている。
彼女は一歩前に出ると、その澄んだ瞳で私を真っ直ぐに見つめた。
「私は、難しいことは分かりません。教皇様が何を考えているのかも。竜が善なのか悪なのかも」
彼女は静かに語り始めた。
「ですが、一つだけ分かることがあります。それは、あなた様のその光が、私のこの子を救ってくれたということです」
彼女は腕の中の赤ん坊を愛おしそうに見つめる。
「この子は生まれつき体が弱く、ずっと熱にうなされていました。どんな薬も効かなかった。ですが、先ほどのあなたの温かい光を浴びて……この子の熱はすっかり下がりました。こんなに穏やかな寝顔、見るのは初めてです」
その言葉。
それは、どんな雄弁な理論よりも人々の心を打った。
母親は再び私に向き直ると、その場に深く、深くひざまずいた。
「ありがとうございます……! 本当にありがとうございます、聖女様!」
その心からの感謝の祈り。
それが引き金になった。
彼女のその純粋な信仰の光が、周りの人々の心に次々と伝播していく。
「……そうだ」
一人の老人が呟いた。
「わしも長年患っていた腰の痛みが、すっかり消えてしもうた……」
「私の息子の戦いの傷も……!」
「ああ、あの光は本物だ! あれこそ我らが奇跡と呼んだ、聖女様の光だ!」
一人、また一人と民衆が気づき始める。
言葉や理屈ではない。
自らの体が体験した、その温かい奇跡。
それこそが何よりも雄弁な真実の証だったのだ。
教皇が擁立した偽りの聖女セレスティーヌ。
彼女のか細い光では決して成し得なかった、本物の奇跡。
その圧倒的な差。
人々の心の中で、どちらが本物の聖女なのか、その答えはもう出ていた。
「我らは……間違っていた……!」
誰かが叫んだ。
「我らは教皇の甘言に騙され、本物の聖女様に刃を向けようとしていたのだ!」
その声は後悔と自責の念に震えていた。
そして、その声はやがて一つの大きなうねりとなって広場全体を飲み込んでいった。
「そうだ! 我らの聖女様はアリア様だけだ!」
「アリア様こそ真の聖女だ!」
「我らをお許しください、アリア様!」
民衆は次々とその場にひざまずき、私に向かって祈りを捧げ始めた。
それはもう洗脳による狂信ではない。
自らの意思で選び取った、本物の信仰の姿だった。
そのあまりにも劇的な変化。
私はただ呆然と、その光景を見つめていた。
私の祈りが届いた。
私の想いが彼らの心を動かしたのだ。
胸の奥から熱いものが込み上げてくる。
隣に立つカイザーが、私の手をそっと握ってくれた。
その温もりが私に力を与えてくれる。
レオンもゼノヴィアも、驚きと、そして安堵が入り混じった複雑な表情で、この民衆の心の革命を見守っていた。
だが、この状況を快く思わない者たちも、もちろんいた。
「……愚かな民衆どもが」
広場を見下ろす大聖堂のバルコニー。
そこにいつの間にか数人の人影が現れていた。
漆黒のローブに身を包んだ異端審問官たち。
そして、その中央に立つ一人の男。
黄金の鎧に身を包んだ、聖騎士団長だった。
彼の顔は怒りと屈辱に醜く歪んでいる。
「……惑わされるな! あれは魔女の妖術だ! 目を覚ませ、貴様ら!」
彼が拡声の魔道具で必死に叫ぶ。
だが、もはや彼の声に耳を貸す者は誰もいなかった。
民衆の心は完全に私の方へと傾いていたのだ。
「……こうなれば力ずくで黙らせるまで」
聖騎士団長は忌々しげに呟くと、その手に持った剣を天に掲げた。
「聖騎士団に告ぐ! これより、この場にいる全ての異端者と、それに与する愚民どもを、神の御名において粛清する!」
そのあまりにも冷酷な命令。
彼らは民衆ごと、私たちを葬り去るつもりなのだ。
大聖堂の屋根や窓から、聖騎士団の兵士たちが次々と姿を現し、その弓や魔法の杖を我々民衆に向ける。
広場に再び緊張が走る。
民衆が恐怖に顔を引きつらせた、その時だった。
広場の入り口の方から、一つの大きな声が響き渡った。
「―――それ以上動くな! 聖騎士団!」
その声。
私は聞き覚えがあった。
群衆がモーセの十戒のように左右に割れる。
その道の向こうから、馬に乗った一人の騎士がゆっくりと現れた。
その鎧はボロボロで、その顔には深い疲労の色が浮かんでいる。
だが、その瞳だけは正義の光を失ってはいなかった。
それはレオンの副官であり、王国騎士団の中でも良識派として知られていた騎士だった。
そして彼の後ろには。
武器を捨てたはずの王国騎士団の兵士たちが再び剣を手に、しかし今度は民衆を守るようにずらりと並んでいた。
民衆の声が。
そして私の言葉が。
彼らの騎士としての誇りを呼び覚ましたのだ。
事態は新たな局面を迎えようとしていた。
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