クラスで3番目に可愛い無口なあの子が実は手話で話しているのを俺だけが知っている

夏見ナイ

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第3話 好奇心という名の魔法

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家に帰り着いても、俺の頭の中は夕暮れの教室の光景でいっぱいだった。夕食の味もよく分からないまま箸を動かし、自室のベッドに倒れ込む。目を閉じると、瞼の裏に月宮さんの姿が浮かび上がった。

茜色の光の中で、しなやかに動く指先。穏やかに微笑む横顔。
あれが、月宮雫の本当の姿なのだろうか。

俺はベッドから起き上がると、机に向かいスマホを手に取った。検索窓に、震える指で二つの文字を打ち込む。

『手話』

検索ボタンを押すと、画面には無数の情報が表示された。手話辞典のサイト。学習用の動画。手話通訳士についての記事。俺は無心でそれらのページを次々と開いていった。

動画を再生すると、講師の女性が滑らかな指の動きで単語を表現していく。
『こんにちは』
『ありがとう』
『私の名前は』

画面の中の動きと、俺の記憶の中にある月宮さんの指の動きが、ぼんやりと重なる。確信はなかった。彼女が表現していたのは、もっと複雑で、流れるような一連の動きだったからだ。でも、似ている。言語が持つ独特のリズムのようなものが、確かに感じられた。

「やっぱり、手話なのか……?」

独り言が漏れる。だとしたら、なぜ彼女は手話を使っているのだろう。
一番に思いつくのは、耳が聞こえないということだ。聴覚障害。
でも、彼女は授業中、先生の声に反応しているように見えた。チャイムが鳴れば、他の生徒と同じタイミングで動き出す。名前を呼ばれた時も、きちんと振り向いていたはずだ。

それなら、声が出せないのだろうか。失声症という言葉が頭をよぎる。
理由は分からない。分かるはずもない。俺が勝手に推測していい領域ではないだろう。

でも、今は理由なんてどうでもよかった。
俺の心を占めているのは、たった一つの純粋な欲求だった。

話したい。
月宮雫と、話してみたい。

彼女が指で紡ぐ言葉を、俺も使ってみたい。もし俺が手話で話しかけたら、彼女はどんな顔をするだろう。驚くだろうか。それとも、迷惑に思うだろうか。
いや、それでもいい。たとえ無視されたとしても、俺は彼女の世界の扉をノックしてみたいのだ。

好奇心。それは、時としてどんな魔法よりも強力な原動力になる。
俺の平凡で退屈だった日常に、突然現れた巨大な謎。それが月宮雫という存在だった。彼女のことをもっと知りたい。彼女が指で語る物語を、少しでもいいから理解したい。

俺は決意した。手話を学ぼう。

とはいえ、何から手をつければいいのか見当もつかない。本屋に行って専門書を買うべきか。それとも、手話教室のようなものに通うべきか。いや、そんな大げさなことをしていれば、すぐに健太あたりにバレて面倒なことになるだろう。

まずは、こっそりと。誰にも知られずに始めたい。
俺は再びスマホの画面に向き合った。幸いなことに、現代は独学のためのツールに溢れている。初心者向けの学習アプリや、無料の解説動画が山ほど見つかった。

「まずは、挨拶からだよな」

どんなコミュニケーションも、基本は挨拶からだ。
俺は一番分かりやすそうな動画を選び、再生ボタンを押した。
画面の中の講師が、にこやかに説明を始める。

「『こんにちは』は、まず相手に手のひらを向け、額のあたりで軽く敬礼するように指を動かします。時間帯に関わらず使える便利な挨拶ですよ」

俺はスマホを机に置き、自分の右手を見つめた。ぎこちなく、動画の動きを真似てみる。
手のひらを前に向け、額の横に持ってくる。そして、軽く前に出す。
たったそれだけの動きが、ひどくぎこちなく感じた。自分の指が、まるで他人のもののように思うように動かない。

「こんなんで、いいのか……?」

鏡の前に立ち、自分の姿を映してみる。そこにいたのは、神妙な顔つきで拙い指の動きを繰り返す、間抜けな高校生だった。情けなくて、少し笑ってしまった。
でも、不思議と嫌な気はしなかった。むしろ、新しいゲームのコマンドを覚えるような楽しさがあった。

次に『ありがとう』。
片手を刀のようにして、もう片方の腕に軽く振り下ろす。これは相撲の懸賞金を受け取る時の手刀が由来らしい。なるほど、面白い。

『さようなら』は、単純に手を振るだけかと思ったら、少し違った。指を揃えて立て、それを左右に振る。バイバイとは違う、少し改まった印象の別れの挨拶。

一つ一つの動きに意味があり、由来がある。知れば知るほど、手話という言語の奥深さに引き込まれていった。これは単なるジェスチャーじゃない。歴史と文化を持った、れっきとした一つの言葉なのだ。

月宮さんは、この美しい言葉を、当たり前のように使っていた。
彼女にとって、指先は声帯であり、空間は言葉を響かせる空気なのだ。

俺は夢中で練習した。
『おはよう』『こんばんは』『おやすみ』
『ごめんなさい』『お願いします』
『はい』『いいえ』

指が疲れて、腕が少し怠くなる。それでも、練習を止めようとは思わなかった。
指を動かしながら、自然と月宮さんの顔を思い浮かべていた。
教室の隅で、静かに本を読む姿。
放課後、夕日の中で指を舞わせていた姿。

もし俺が、彼女に『こんにちは』と手話で伝えられたら。
いつも無表情な彼女の瞳は、どんな色を映すのだろう。
あの放課後のように、少しだけ微笑んでくれるだろうか。
それとも、驚いて固まってしまうだろうか。

想像するだけで、心臓がドキドキと高鳴った。
これは、誰にも言えない、俺だけの秘密の計画だ。
月宮雫という謎を解き明かすための、壮大な冒険の始まり。

気づけば、時計の針はとっくに深夜を指していた。慌ててベッドに潜り込んだが、興奮でなかなか寝付けそうにない。暗闇の中で、俺は何度も何度も指を動かし、今日覚えたばかりの挨拶を復習した。

明日、学校へ行くのが少し楽しみになっていた。
いつもと同じ教室。いつもと同じクラスメイト。でも、俺の中から見える景色は、きっと昨日までとは少しだけ違って見えるはずだ。

なぜなら、俺の視線の先には、解き明かしたい謎と、話したい相手がいるのだから。
クラスの片隅にいる君。月宮雫。
俺は君の世界の扉を、この指で叩いてみる。
その先に何が待っているのかは分からない。けれど、今はただ、その扉が開く瞬間を夢見ていた。
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