45 / 100
第45話 小さなすれ違い
しおりを挟む
調理実習室でのクリーム事件は、俺たちの関係に劇的な変化をもたらした。
あの日以来、俺と雫はクラス公認の「そういう雰囲気の二人」として、生温かく見守られる対象になったのだ。
「よお、クリーム王子!」
健太がからかってくるのを皮切りに、クラスの男子からは面白がられ、女子たちからは「見て見て、また二人でアイコンタクトしてるよー」「尊い……」などと遠巻きに囁かれる。
そのたびに俺と雫は顔を真っ赤にして俯くしかなかったが、その状況は決して悪いものではなかった。むしろ、クラス中に俺たちの特別な関係がふんわりと認知されたことで、ある種の安心感さえ覚えていた。
文化祭の準備は、いよいよ最終段階に突入した。
クラスの一体感は最高潮に達し、放課後の教室は熱気に満ちている。
雫はキッチンチームの絶対的リーダーとして、その才能を遺憾なく発揮していた。彼女の周りには常に女子たちが集まり、その的確な指示を仰いでいる。
俺はそんな彼女の姿を誇らしい気持ちで眺めながら、自分の持ち場である装飾係の仕事に精を出していた。
「相田くーん! ごめん、そこのモール、脚立使わないと届かないから手伝ってー!」
「はーい!」
装飾係の女子に呼ばれ、俺は脚立を押さえて飾り付けを手伝う。
「わ、ありがとう! 相田くん、優しいね!」
「これくらい、どうってことないよ」
そんな当たり障りのない会話。
「相田! こっちの看板の色塗り、人手足りねえから手伝ってくれ!」
「おう、今行く!」
今度は看板係の男子グループに呼ばれ、ペンキまみれになりながら作業に加わる。
準備に追われる中、俺はクラスのあちこちを飛び回り、様々な雑用をこなしていた。元々頼み事を断れない性格なのも相まって、俺は男女問わず色々な生徒と話す機会が自然と増えていった。
その様子を、雫がキッチンの中からじっと見つめていることには、俺は全く気づいていなかった。
雫はラッピング用のリボンを結びながら、ふと顔を上げた。
航くんは、どこにいるかな。
彼女の視線が自然と俺の姿を探す。
いた。
彼は装飾係の女子たちに囲まれて、楽しそうに笑っていた。女子の一人が、航くんの腕についたペンキをハンカチで拭いてあげている。
その光景を見た瞬間、雫の胸の奥がちくりと小さく痛んだ。
気のせいだ。
航くんはただ親切なだけ。
彼女は自分にそう言い聞かせ、再び手元の作業に集中しようとした。
でも、一度気になってしまうともうダメだった。
次に顔を上げた時、航くんは看板係の女子と頭を突き合わせるようにしてデザインの相談をしていた。その距離がやけに近いように見えてしまう。
また胸が痛む。
航くんがクラスの人気者になっていく。
それはすごく嬉しいことのはずだった。彼がみんなに認められている。喜ばしいことだ。
なのに、どうしてだろう。
心の奥で、黒いモヤのようなものが少しずつ広がっていくのを感じた。
航くんの隣は私の特等席だと思っていたのに。
航くんの優しい笑顔は私だけのものだと思っていたのに。
その笑顔が自分以外の女の子に向けられている。
その事実が、雫の心に小さな、しかし確かな影を落としていった。
俺はそんな雫の心の内など、全く気づいていなかった。
「早く作業を終わらせて、雫のところに差し入れでも持っていこう」
頭の中はそんなことでいっぱいだった。
文化祭の準備が佳境に入ってからというもの、昼休みに図書室で二人きりになる時間も、放課後にゆっくり話す時間もすっかりなくなってしまっていた。
その寂しさは俺も感じていた。だからこそ、文化祭を成功させてまた二人だけの時間を取り戻したい。そう思っていた。
雫が少し元気がないことには、何となく気づいていた。
でも、俺はそれを連日の準備による疲れのせいだろうとしか考えていなかったのだ。
その日の放課後。全ての作業が一段落し、クラスの皆が片付けを始めた頃。
俺はようやく一息ついて、雫のいるキッチンの方へと向かった。
彼女は一人で調理器具を片付けていた。その背中は、どこか小さく寂しげに見えた。
「雫、お疲れ様。すごい順調みたいだな」
俺が背後から手話で話しかける。
俺の声(の気配)に気づいた彼女の肩が、びくりと震えた。
彼女はゆっくりとこちらを振り返った。その顔にはいつものような柔らかな笑みはなかった。どこか硬く、表情が抜け落ちている。
彼女は俺の顔を一瞬だけ見ると、すぐに俯いてしまい、ただこくりと頷くだけだった。
その明らかに元気のない様子に、俺はようやく「あれ?」とはっきりとした異変を感じた。
「どうした? 疲れたか?」
俺が心配して彼女の顔を覗き込むようにして、手話で尋ねる。
雫はふるふると力なく首を横に振った。
その瞳は何かを言いたそうに、でも言えない、というように悲しげに揺れていた。
そして彼女は、俺の心を突き刺すような一言を紡いだ。
『少し、一人になりたい』
その手話は震えていた。
彼女はそう伝えると、俺が何かを言う前にくるりと背を向け、逃げるように調理実習室から出て行ってしまった。
一人キッチンに残された俺は、訳が分からずただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
どうして?
俺が何かしただろうか?
彼女の突然の冷たいとも言える態度。その理由が、俺には全く見当もつかなかった。
文化祭本番を目前に控えて。
俺たちの間に初めての、小さな、しかし確かな溝が生まれてしまっていた。
その原因が他ならぬ俺自身の無神経さにあるとは。
この時の俺は、まだ知る由もなかった。
あの日以来、俺と雫はクラス公認の「そういう雰囲気の二人」として、生温かく見守られる対象になったのだ。
「よお、クリーム王子!」
健太がからかってくるのを皮切りに、クラスの男子からは面白がられ、女子たちからは「見て見て、また二人でアイコンタクトしてるよー」「尊い……」などと遠巻きに囁かれる。
そのたびに俺と雫は顔を真っ赤にして俯くしかなかったが、その状況は決して悪いものではなかった。むしろ、クラス中に俺たちの特別な関係がふんわりと認知されたことで、ある種の安心感さえ覚えていた。
文化祭の準備は、いよいよ最終段階に突入した。
クラスの一体感は最高潮に達し、放課後の教室は熱気に満ちている。
雫はキッチンチームの絶対的リーダーとして、その才能を遺憾なく発揮していた。彼女の周りには常に女子たちが集まり、その的確な指示を仰いでいる。
俺はそんな彼女の姿を誇らしい気持ちで眺めながら、自分の持ち場である装飾係の仕事に精を出していた。
「相田くーん! ごめん、そこのモール、脚立使わないと届かないから手伝ってー!」
「はーい!」
装飾係の女子に呼ばれ、俺は脚立を押さえて飾り付けを手伝う。
「わ、ありがとう! 相田くん、優しいね!」
「これくらい、どうってことないよ」
そんな当たり障りのない会話。
「相田! こっちの看板の色塗り、人手足りねえから手伝ってくれ!」
「おう、今行く!」
今度は看板係の男子グループに呼ばれ、ペンキまみれになりながら作業に加わる。
準備に追われる中、俺はクラスのあちこちを飛び回り、様々な雑用をこなしていた。元々頼み事を断れない性格なのも相まって、俺は男女問わず色々な生徒と話す機会が自然と増えていった。
その様子を、雫がキッチンの中からじっと見つめていることには、俺は全く気づいていなかった。
雫はラッピング用のリボンを結びながら、ふと顔を上げた。
航くんは、どこにいるかな。
彼女の視線が自然と俺の姿を探す。
いた。
彼は装飾係の女子たちに囲まれて、楽しそうに笑っていた。女子の一人が、航くんの腕についたペンキをハンカチで拭いてあげている。
その光景を見た瞬間、雫の胸の奥がちくりと小さく痛んだ。
気のせいだ。
航くんはただ親切なだけ。
彼女は自分にそう言い聞かせ、再び手元の作業に集中しようとした。
でも、一度気になってしまうともうダメだった。
次に顔を上げた時、航くんは看板係の女子と頭を突き合わせるようにしてデザインの相談をしていた。その距離がやけに近いように見えてしまう。
また胸が痛む。
航くんがクラスの人気者になっていく。
それはすごく嬉しいことのはずだった。彼がみんなに認められている。喜ばしいことだ。
なのに、どうしてだろう。
心の奥で、黒いモヤのようなものが少しずつ広がっていくのを感じた。
航くんの隣は私の特等席だと思っていたのに。
航くんの優しい笑顔は私だけのものだと思っていたのに。
その笑顔が自分以外の女の子に向けられている。
その事実が、雫の心に小さな、しかし確かな影を落としていった。
俺はそんな雫の心の内など、全く気づいていなかった。
「早く作業を終わらせて、雫のところに差し入れでも持っていこう」
頭の中はそんなことでいっぱいだった。
文化祭の準備が佳境に入ってからというもの、昼休みに図書室で二人きりになる時間も、放課後にゆっくり話す時間もすっかりなくなってしまっていた。
その寂しさは俺も感じていた。だからこそ、文化祭を成功させてまた二人だけの時間を取り戻したい。そう思っていた。
雫が少し元気がないことには、何となく気づいていた。
でも、俺はそれを連日の準備による疲れのせいだろうとしか考えていなかったのだ。
その日の放課後。全ての作業が一段落し、クラスの皆が片付けを始めた頃。
俺はようやく一息ついて、雫のいるキッチンの方へと向かった。
彼女は一人で調理器具を片付けていた。その背中は、どこか小さく寂しげに見えた。
「雫、お疲れ様。すごい順調みたいだな」
俺が背後から手話で話しかける。
俺の声(の気配)に気づいた彼女の肩が、びくりと震えた。
彼女はゆっくりとこちらを振り返った。その顔にはいつものような柔らかな笑みはなかった。どこか硬く、表情が抜け落ちている。
彼女は俺の顔を一瞬だけ見ると、すぐに俯いてしまい、ただこくりと頷くだけだった。
その明らかに元気のない様子に、俺はようやく「あれ?」とはっきりとした異変を感じた。
「どうした? 疲れたか?」
俺が心配して彼女の顔を覗き込むようにして、手話で尋ねる。
雫はふるふると力なく首を横に振った。
その瞳は何かを言いたそうに、でも言えない、というように悲しげに揺れていた。
そして彼女は、俺の心を突き刺すような一言を紡いだ。
『少し、一人になりたい』
その手話は震えていた。
彼女はそう伝えると、俺が何かを言う前にくるりと背を向け、逃げるように調理実習室から出て行ってしまった。
一人キッチンに残された俺は、訳が分からずただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
どうして?
俺が何かしただろうか?
彼女の突然の冷たいとも言える態度。その理由が、俺には全く見当もつかなかった。
文化祭本番を目前に控えて。
俺たちの間に初めての、小さな、しかし確かな溝が生まれてしまっていた。
その原因が他ならぬ俺自身の無神経さにあるとは。
この時の俺は、まだ知る由もなかった。
8
あなたにおすすめの小説
昔好きだったお姉さんが不倫されたので落としに行ったら後輩からも好かれていた
九戸政景
恋愛
高校三年生の柴代大和は、小学校一年生の頃からの付き合いである秋田泰希の姉である夕希に恋心を抱いていたが、夕希の結婚をきっかけに恋心を諦めていた。
そして小学生の頃の夢を見た日、泰希から大和は夕希の離婚を伝えられ、それと同時にある頼みをされる。
バイト先の先輩ギャルが実はクラスメイトで、しかも推しが一緒だった件
沢田美
恋愛
「きょ、今日からお世話になります。有馬蓮です……!」
高校二年の有馬蓮は、人生初のアルバイトで緊張しっぱなし。
そんな彼の前に現れたのは、銀髪ピアスのギャル系先輩――白瀬紗良だった。
見た目は派手だけど、話してみるとアニメもゲームも好きな“同類”。
意外な共通点から意気投合する二人。
だけどその日の帰り際、店長から知らされたのは――
> 「白瀬さん、今日で最後のシフトなんだよね」
一期一会の出会い。もう会えないと思っていた。
……翌日、学校で再会するまでは。
実は同じクラスの“白瀬さん”だった――!?
オタクな少年とギャルな少女の、距離ゼロから始まる青春ラブコメ。
10年ぶりに再会した幼馴染と、10年間一緒にいる幼馴染との青春ラブコメ
桜庭かなめ
恋愛
高校生の麻丘涼我には同い年の幼馴染の女の子が2人いる。1人は小学1年の5月末から涼我の隣の家に住み始め、約10年間ずっと一緒にいる穏やかで可愛らしい香川愛実。もう1人は幼稚園の年長組の1年間一緒にいて、卒園直後に引っ越してしまった明るく活発な桐山あおい。涼我は愛実ともあおいとも楽しい思い出をたくさん作ってきた。
あおいとの別れから10年。高校1年の春休みに、あおいが涼我の家の隣に引っ越してくる。涼我はあおいと10年ぶりの再会を果たす。あおいは昔の中性的な雰囲気から、清楚な美少女へと変わっていた。
3人で一緒に遊んだり、学校生活を送ったり、愛実とあおいが涼我のバイト先に来たり。春休みや新年度の日々を通じて、一度離れてしまったあおいとはもちろんのこと、ずっと一緒にいる愛実との距離も縮まっていく。
出会った早さか。それとも、一緒にいる長さか。両隣の家に住む幼馴染2人との温かくて甘いダブルヒロイン学園青春ラブコメディ!
※特別編6が完結しました!(2026.1.21)
※小説家になろう(N9714HQ)とカクヨムでも公開しています。
※お気に入り登録や感想をお待ちしております。
迷子を助けたら生徒会長の婚約者兼女の子のパパになったけど別れたはずの彼女もなぜか近づいてくる
九戸政景
恋愛
新年に初詣に来た父川冬矢は、迷子になっていた頼母木茉莉を助け、従姉妹の田母神真夏と知り合う。その後、真夏と再会した冬矢は真夏の婚約者兼茉莉の父親になってほしいと頼まれる。
※こちらは、カクヨムやエブリスタでも公開している作品です。
不器用な姉弟は傷を舐め合う、舐め合う舌はちょっとざらつく
桜乃マヒロ
恋愛
姉の柊和(ひより)は美人で聡明な完璧万能超人、弟の護(まもる)は優しく献身的な天然男子。高校生ながら二人暮らしの柊和と護は、お互いを支え合って日々を生きてきた。
ある日、友人である生徒会長から呼び出された柊和は、自分を次の生徒会の会長に推薦したいと打診を受ける。
「私はただ、私の後なら柊和ちゃんがいいなって、そんな風に思っただけだからね」
二人だけの閉鎖的だった日常は、生徒会をきっかけに急激な変化を迎える。新しい出会いと日常の中で、今まで眠っていた二人の過去と、片や必死に封じ込み、片や無自覚だった特別な想いに、光が射し込むことになり──?
「あくっ……護には負けない!」
「なんの話か知らないけど、宣言されたら負かせたくなるね?」
顔と心に傷として刻まれた過去に囚われ、自分よりお互いを大切にしすぎてすれ違い続ける不器用な姉弟。そんな二人の両片思いのお話。
—————————————————————————————————
面白いと思っていただけた時は、お気に入りにしていただけると、凄く励みになります!
一日一話を目標に更新中!(現在火曜・木曜・土曜お休み中)
「小説家になろう」 「カクヨム」様でも同時に投稿しています。
S級ハッカーの俺がSNSで炎上する完璧ヒロインを助けたら、俺にだけめちゃくちゃ甘えてくる秘密の関係になったんだが…
senko
恋愛
「一緒に、しよ?」完璧ヒロインが俺にだけベタ甘えしてくる。
地味高校生の俺は裏ではS級ハッカー。炎上するクラスの完璧ヒロインを救ったら、秘密のイチャラブ共闘関係が始まってしまった!リアルではただのモブなのに…。
クラスの隅でPCを触るだけが生きがいの陰キャプログラマー、黒瀬和人。
彼にとってクラスの中心で太陽のように笑う完璧ヒロイン・天野光は決して交わることのない別世界の住人だった。
しかしある日、和人は光を襲う匿名の「裏アカウント」を発見してしまう。
悪意に満ちた誹謗中傷で完璧な彼女がひとり涙を流していることを知り彼は決意する。
――正体を隠したまま彼女を救い出す、と。
謎の天才ハッカー『null』として光に接触した和人。
ネットでは唯一頼れる相棒として彼女に甘えられる一方、現実では目も合わせられないただのクラスメイト。
この秘密の二重生活はもどかしくて、だけど最高に甘い。
陰キャ男子と完璧ヒロインの秘密の二重生活ラブコメ、ここに開幕!
距離を置きたい女子たちを助けてしまった結果、正体バレして迫られる
歩く魚
恋愛
かつて、命を懸けて誰かを助けた日があった。
だがその記憶は、頭を打った衝撃とともに、綺麗さっぱり失われていた。
それは気にしてない。俺は深入りする気はない。
人間は好きだ。けれど、近づきすぎると嫌いになる。
だがそんな俺に、思いもよらぬ刺客が現れる。
――あの日、俺が助けたのは、できれば関わりたくなかった――距離を置きたい女子たちだったらしい。
この男子校の生徒が自分以外全員男装女子だということを俺だけが知っている
夏見ナイ
恋愛
平凡な俺、相葉祐樹が手にしたのは、ありえないはずの超名門男子校『獅子王院学園』からの合格通知。期待を胸に入学した先は、王子様みたいなイケメンだらけの夢の空間だった!
……はずが、ある夜、同室のクールな完璧王子・橘玲が女の子であるという、学園最大の秘密を知ってしまう。
なんとこの学園、俺以外、全員が“訳アリ”の男装女子だったのだ!
秘密の「共犯者」となった俺は、慣れない男装に悩む彼女たちの唯一の相談相手に。
「祐樹の前でだけは、女の子でいられる……」
クールなイケメンたちの、俺だけに見せる甘々な素顔と猛アプローチにドキドキが止まらない!
秘密だらけで糖度120%の学園ラブコメ、開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる