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第35話:実家からの手紙
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聖剣復活の奇跡から一夜明け、公爵邸は静かな、しかし確かな緊張感に包まれていた。
国王陛下からの謁見命令は、今日の午後。私とアシュレイ様は、聖剣エクシードを携え、王宮へ参内することになっていた。
私は自室の大きな姿見の前で、マーサさんに手伝ってもらいながら、謁見のためのドレスを身に着けていた。
それは、アシュレイ様がこの日のためにあつらえてくれた、新しいドレスだった。夜空を思わせる深い瑠璃色で、銀糸で繊細な星々の刺繍が施されている。華美すぎず、しかし圧倒的な気品を放つそのドレスは、聖剣を修復した『奇跡の乙女』という私の新しい立場に、ふさわしい威厳を与えてくれるようだった。
「……とても、お美しいですわ、リナリア様」
マーサさんは、感極まったようにそう言って、私の髪に真珠の髪飾りをそっと挿してくれた。
鏡に映る自分の姿は、まるで知らない誰かのようだった。数週間前まで、薄汚れた物置部屋で姉のお下がりを着ていた娘と、同一人物だとは到底思えない。
けれど、私の心は落ち着かなかった。
これから、国王陛下にお会いする。そして、姉のイザベラや、エドワード王子とも、顔を合わせることになるかもしれない。そう思うと、芽生え始めたばかりの自信が、途端に揺らぎそうになる。
「大丈夫。アシュレイ様が、ついていてくださるわ」
私は自分に言い聞かせるように、小さく呟いた。
その時だった。部屋の扉が、控えめにノックされた。
入ってきたのは、執事長のセバスチャンさんだった。その手には、一通の手紙が恭しく捧げ持たれている。しかし、その表情は、いつもの冷静沈着なものではなく、どこか苦々しげに歪んでいた。
「リナリア様。……エルフィールド伯爵家より、親展でございます」
「……え?」
その名を聞いた瞬間、私の背筋を冷たいものが走り抜けた。
実家から? なぜ、今?
マーサさんも、険しい顔でセバスチャンさんと手紙を見比べている。
「……受け取りを、お断りすることもできますが」
セバスチャンさんが、気遣わしげにそう言ってくれた。けれど、私は静かに首を横に振った。ここで逃げてしまっては、何も変わらない。私はもう、過去に怯えるだけの私ではないのだから。
「……いえ。いただきます」
私は震える指先を隠すように、しっかりと手を伸ばし、その手紙を受け取った。エルフィールド家の紋章が刻まれた封蝋が、やけに重く感じられた。
「少し、一人にしていただけますか」
私のその言葉に、セバスチャンさんとマーサさんは、心配そうな視線を交わした後、静かにお辞儀をして部屋を出て行った。
一人きりになった部屋で、私は椅子に深く腰掛けた。心臓が、嫌な音を立てて脈打っている。
私は意を決して、ペーパーナイフで封を切った。中から現れたのは、見慣れた、父オスカー・エルフィールド伯爵の几帳面な筆跡だった。
私は、ゆっくりとその手紙を読み始めた。
『リナリアへ
聖剣を修復したとのこと、聞き及んだ。
お前がそのような大それた力を持っていたとは、この父も気づかずにいた。我々の不明を恥じるばかりである。
第二王子殿下の一件については、今となっては些細な間違いであったと言えよう。よって、お前に対する勘当は、これをもって正式に撤回する。
お前は、エルフィールド家の娘である。その力を、家の、そして国のために役立てるのが、お前の務めだ。
本日の王宮への参内、エルフィールド家の娘として、我らと共に行くのが筋道というもの。ただちに荷物をまとめ、この家に戻ってくることを許す。
父より』
読み終えた時、私の手の中で、羊皮紙はくしゃりと音を立てていた。
全身の血が、逆流するような感覚。
しかし、それは恐怖ではなかった。
私の心を支配していたのは、燃えるような怒りでも、悲しみでもなかった。
ただ、ひたすらに、冷たい、氷のような『呆れ』だった。
謝罪の言葉は、一言もなかった。
勘当は「些細な間違い」だった? 私が雨の中、絶望の淵に突き落とされたあの日のことが?
家に戻ることを「許す」?
まるで、私が戻りたいと願っているのが当然であるかのような、その傲慢さ。
私の気持ちなど、そこには欠片も存在していなかった。彼らが気にしているのは、私の持つ力の利用価値と、それを手放してしまったことへの後悔、そして世間体だけ。
私は、道具なのだ。
彼らにとって、私は昔も今も、感情のない、都合の良い道具でしかない。
その事実が、あまりにもはっきりと、私の胸に突き刺さった。
涙は、一滴も出なかった。
ただ、心の奥底で、何かがぷつりと、音を立てて切れた。
私を長年縛り付けていた、家族という名の、最後の呪縛。それが、このあまりにも身勝手な手紙によって、完全に断ち切られたのだ。
もう、あの人たちに、私の心を揺さぶられることはない。
私の居場所は、ここだ。
私の家族は、私を心から大切にしてくれる、アシュレイ様や、この屋敷の人々だ。
私は、手紙を握りしめたまま、静かに立ち上がった。
そして、鏡に映る自分の姿を、もう一度まっすぐに見つめた。
瑠璃色のドレスを纏い、真珠の髪飾りを輝かせた、知らない誰かではない。
新しい自分へと生まれ変わった、リナリア・エルフィールド本人だ。
その瞳には、もう迷いはなかった。
私は、この手紙をどうすべきか、もう決めていた。
アシュレイ様なら、きっと、私の気持ちを分かってくれるはずだ。
私は、握りしめた手紙と共に、彼のいる書斎へと向かうべく、迷いのない足取りで、部屋の扉へと向かった。
その時、まるで私の決意を待っていたかのように、部屋の扉が外から静かにノックされた。
国王陛下からの謁見命令は、今日の午後。私とアシュレイ様は、聖剣エクシードを携え、王宮へ参内することになっていた。
私は自室の大きな姿見の前で、マーサさんに手伝ってもらいながら、謁見のためのドレスを身に着けていた。
それは、アシュレイ様がこの日のためにあつらえてくれた、新しいドレスだった。夜空を思わせる深い瑠璃色で、銀糸で繊細な星々の刺繍が施されている。華美すぎず、しかし圧倒的な気品を放つそのドレスは、聖剣を修復した『奇跡の乙女』という私の新しい立場に、ふさわしい威厳を与えてくれるようだった。
「……とても、お美しいですわ、リナリア様」
マーサさんは、感極まったようにそう言って、私の髪に真珠の髪飾りをそっと挿してくれた。
鏡に映る自分の姿は、まるで知らない誰かのようだった。数週間前まで、薄汚れた物置部屋で姉のお下がりを着ていた娘と、同一人物だとは到底思えない。
けれど、私の心は落ち着かなかった。
これから、国王陛下にお会いする。そして、姉のイザベラや、エドワード王子とも、顔を合わせることになるかもしれない。そう思うと、芽生え始めたばかりの自信が、途端に揺らぎそうになる。
「大丈夫。アシュレイ様が、ついていてくださるわ」
私は自分に言い聞かせるように、小さく呟いた。
その時だった。部屋の扉が、控えめにノックされた。
入ってきたのは、執事長のセバスチャンさんだった。その手には、一通の手紙が恭しく捧げ持たれている。しかし、その表情は、いつもの冷静沈着なものではなく、どこか苦々しげに歪んでいた。
「リナリア様。……エルフィールド伯爵家より、親展でございます」
「……え?」
その名を聞いた瞬間、私の背筋を冷たいものが走り抜けた。
実家から? なぜ、今?
マーサさんも、険しい顔でセバスチャンさんと手紙を見比べている。
「……受け取りを、お断りすることもできますが」
セバスチャンさんが、気遣わしげにそう言ってくれた。けれど、私は静かに首を横に振った。ここで逃げてしまっては、何も変わらない。私はもう、過去に怯えるだけの私ではないのだから。
「……いえ。いただきます」
私は震える指先を隠すように、しっかりと手を伸ばし、その手紙を受け取った。エルフィールド家の紋章が刻まれた封蝋が、やけに重く感じられた。
「少し、一人にしていただけますか」
私のその言葉に、セバスチャンさんとマーサさんは、心配そうな視線を交わした後、静かにお辞儀をして部屋を出て行った。
一人きりになった部屋で、私は椅子に深く腰掛けた。心臓が、嫌な音を立てて脈打っている。
私は意を決して、ペーパーナイフで封を切った。中から現れたのは、見慣れた、父オスカー・エルフィールド伯爵の几帳面な筆跡だった。
私は、ゆっくりとその手紙を読み始めた。
『リナリアへ
聖剣を修復したとのこと、聞き及んだ。
お前がそのような大それた力を持っていたとは、この父も気づかずにいた。我々の不明を恥じるばかりである。
第二王子殿下の一件については、今となっては些細な間違いであったと言えよう。よって、お前に対する勘当は、これをもって正式に撤回する。
お前は、エルフィールド家の娘である。その力を、家の、そして国のために役立てるのが、お前の務めだ。
本日の王宮への参内、エルフィールド家の娘として、我らと共に行くのが筋道というもの。ただちに荷物をまとめ、この家に戻ってくることを許す。
父より』
読み終えた時、私の手の中で、羊皮紙はくしゃりと音を立てていた。
全身の血が、逆流するような感覚。
しかし、それは恐怖ではなかった。
私の心を支配していたのは、燃えるような怒りでも、悲しみでもなかった。
ただ、ひたすらに、冷たい、氷のような『呆れ』だった。
謝罪の言葉は、一言もなかった。
勘当は「些細な間違い」だった? 私が雨の中、絶望の淵に突き落とされたあの日のことが?
家に戻ることを「許す」?
まるで、私が戻りたいと願っているのが当然であるかのような、その傲慢さ。
私の気持ちなど、そこには欠片も存在していなかった。彼らが気にしているのは、私の持つ力の利用価値と、それを手放してしまったことへの後悔、そして世間体だけ。
私は、道具なのだ。
彼らにとって、私は昔も今も、感情のない、都合の良い道具でしかない。
その事実が、あまりにもはっきりと、私の胸に突き刺さった。
涙は、一滴も出なかった。
ただ、心の奥底で、何かがぷつりと、音を立てて切れた。
私を長年縛り付けていた、家族という名の、最後の呪縛。それが、このあまりにも身勝手な手紙によって、完全に断ち切られたのだ。
もう、あの人たちに、私の心を揺さぶられることはない。
私の居場所は、ここだ。
私の家族は、私を心から大切にしてくれる、アシュレイ様や、この屋敷の人々だ。
私は、手紙を握りしめたまま、静かに立ち上がった。
そして、鏡に映る自分の姿を、もう一度まっすぐに見つめた。
瑠璃色のドレスを纏い、真珠の髪飾りを輝かせた、知らない誰かではない。
新しい自分へと生まれ変わった、リナリア・エルフィールド本人だ。
その瞳には、もう迷いはなかった。
私は、この手紙をどうすべきか、もう決めていた。
アシュレイ様なら、きっと、私の気持ちを分かってくれるはずだ。
私は、握りしめた手紙と共に、彼のいる書斎へと向かうべく、迷いのない足取りで、部屋の扉へと向かった。
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