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第73話:社交界デビューの準備
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建国記念パーティーへの参加が決まった翌日。
公爵邸は、まるで王族の婚礼準備でも始まったかのような、華やかで、そして尋常ではない熱気に包まれていた。
アシュレイ様は有言実行の人だった。彼の号令一下、王国中から最高の職人たちが、公爵邸へと次々と集められてきたのだ。
王家御用達の筆頭デザイナーであるマダム・ロゼ。
ドワーフの血を引くという伝説の宝石職人、マスター・ギムリ。
親子三代にわたって王家の靴を作り続けてきたという靴職人。
彼らは皆、それぞれの分野で頂点を極めた一流のプロフェッショナルだった。普段であれば、一国の王でさえ、彼らを同時に集めることなど不可能に近い。それを、アシュレイ様はたった一日で、いとも容易くやってのけたのだ。彼の権力と人脈の広大さを、私は改めて思い知らされた。
「初めまして、リナリア様。わたくし、ロゼと申しますわ」
大広間に通された初老の女性デザイナー、マダム・ロゼは、私を一目見るなり、その鋭い審美眼で、頭のてっぺんから爪先までを、まるで鑑定でもするかのようにじろりと見つめた。そのプロフェッショナルな視線に、私は思わず身を縮こませる。
しかし、次の瞬間。彼女の厳しい顔は、ぱっと花が咲いたように輝いた。
「……素晴らしい。なんと、素晴らしい素材でしょう!」
彼女は興奮したように手を打ち鳴らした。
「この透き通るような白い肌、憂いを帯びた青い瞳、そして何より、その魂から滲み出るような清らかさ……! ああ、インスピレーションが、泉のように湧いてきますわ!」
彼女は矢継ぎ早にそう言うと、侍女が持ってきたスケッチブックに、猛烈な勢いでペンを走らせ始めた。
その様子を、アシュレイ様は満足げに眺めていたが、すぐに口を挟み始めた。
「ロゼ。デザインは、彼女の気品を最大限に引き出すものにしろ。派手すぎず、しかし、誰の目も釘付けにするような、圧倒的な存在感を」
「分かっておりますわ、公爵閣下。例えば、スカートのラインは、流れるようなAラインで、彼女のスタイルの良さを強調し……」
「いや、マーメイドラインもいいかもしれん。彼女のしなやかな動きを、より優雅に見せるだろう」
「まあ! それも素敵ですわね! では、胸元のデザインは、繊細なレースを幾重にも重ねて、彼女の儚さを表現するのはいかがでしょう」
「それもいいが、思い切って肩を出すデザインで、その美しいデコルテを見せるのも……」
二人の議論は、白熱していた。もはや、私の意見など入り込む隙はどこにもない。私はただ、二人の天才が、私という素材をどう料理するかを、呆然と聞いているだけだった。
デザインの方向性が決まると、次は生地選びが始まった。
大広間には、世界中から集められたという、最高級の生地が、何十種類も運び込まれた。
光を浴びて、水面のようにきらめくシルク。
深い闇のように、光を吸い込むベルベット。
蜘蛛の糸のように、繊細で美しいレース。
「リナリア、こちらへ」
アシュレイ様は、私を手招きすると、その中の一つの生地を手に取った。それは、月の光を溶かして固めたかのような、淡い光沢を放つ、純白のシルクだった。
彼は、その生地を、私の頬にそっと当てた。
ひんやりとした、滑らかな感触が、私の肌を撫でる。
「……うん。やはり、君の肌には、この月の光を思わせるシルクが一番似合う」
彼は、心底満足そうに、そう呟いた。その距離の近さと、真剣な眼差しに、私の心臓は、また大きく音を立てた。
マダム・ロゼも、その選定に深く頷き、私の身体の採寸が始まった。侍女たちに囲まれ、身体の隅々までメジャーを当てられるのは、少し恥ずかしかったが、これも戦いのための鎧を作る儀式なのだと、私は自分に言い聞かせた。
ドレスの準備と並行して、宝飾品の選定も進められた。
アシュレイ様は、私を公爵家の宝物庫へと案内してくれた。重厚な鉄の扉が開かれた先には、お伽話の中にしか存在しないと思っていたような、目もくらむほどの光景が広がっていた。
壁一面に埋め込まれた棚には、金銀財宝が山のように積まれ、ガラスケースの中では、様々な宝石が、それぞれの色で、まばゆいばかりの輝きを放っている。
「こ、これが……全部……?」
「ああ。アイゼンベルク家に、代々伝わる宝の一部だ」
彼は、さも当然のように言った。
「ここから、君のドレスに合うものを、好きなだけ選ぶといい」
「す、好きなだけ、なんて……! 私には、価値が分かりませんし、恐れ多くて……」
私が狼狽えていると、彼はまた、楽しそうに笑った。
「そう言うだろうと思っていたよ」
彼は、宝物庫の最も奥にある、一つのベルベットの箱を、丁重に手に取った。
「これは、初代公爵夫人が、建国王妃から賜ったという、特別なネックレスだ。『星の涙』と呼ばれている」
彼が箱を開けると、中から現れたのは、息をのむほどに美しい、ダイヤモンドのネックレスだった。中央には、私の拳ほどもあるのではないかという、巨大な青いダイヤモンドが、夜空の星のように、静かで、しかし力強い光を放っている。
「……きれい」
「この宝石は、身に着けた者の、清らかな魂に呼応して、その輝きを増すと言われている。……君以上に、これに相応しい者はいない」
彼はそう言うと、そのネックレスを、私の首に、そっとかけてくれた。
ひんやりとした、心地よい重み。首元で輝く『星の涙』は、まるで私の心臓の鼓動に合わせるかのように、 pulsating しながら、その輝きを、さらに増していくようだった。
私は、自分の身に起きている、あまりにも現実離れした状況に、ただ圧倒されるばかりだった。
全ての準備が、着々と進んでいく。
それは、私を、この国の誰よりも美しく、そして気高い存在へと、作り変えていくための、壮大なプロジェクトだった。
最初は、ただ戸惑うばかりだった私も、アシュレイ様や、職人たちの、私に注がれる真剣な情熱に触れるうち、次第に、その気持ちが変化していくのを感じていた。
これは、ただ飾られるだけではない。
彼らの想いを、期待を、この一身に背負って、私は、あの華やかな舞台に立つのだ。
その覚悟が、私の心の中に、静かに、しかし確かに、根を下ろし始めていた。
数日後に行われた、ドレスの仮縫い。
少しずつ形になっていく純白のドレスを、鏡の前で身に纏った時。
私は、隣で満足そうに頷くアシュレイ様を見上げ、はにかみながらも、はっきりと、こう思うことができた。
パーティーの日が、少しだけ、楽しみになってきた、と。
公爵邸は、まるで王族の婚礼準備でも始まったかのような、華やかで、そして尋常ではない熱気に包まれていた。
アシュレイ様は有言実行の人だった。彼の号令一下、王国中から最高の職人たちが、公爵邸へと次々と集められてきたのだ。
王家御用達の筆頭デザイナーであるマダム・ロゼ。
ドワーフの血を引くという伝説の宝石職人、マスター・ギムリ。
親子三代にわたって王家の靴を作り続けてきたという靴職人。
彼らは皆、それぞれの分野で頂点を極めた一流のプロフェッショナルだった。普段であれば、一国の王でさえ、彼らを同時に集めることなど不可能に近い。それを、アシュレイ様はたった一日で、いとも容易くやってのけたのだ。彼の権力と人脈の広大さを、私は改めて思い知らされた。
「初めまして、リナリア様。わたくし、ロゼと申しますわ」
大広間に通された初老の女性デザイナー、マダム・ロゼは、私を一目見るなり、その鋭い審美眼で、頭のてっぺんから爪先までを、まるで鑑定でもするかのようにじろりと見つめた。そのプロフェッショナルな視線に、私は思わず身を縮こませる。
しかし、次の瞬間。彼女の厳しい顔は、ぱっと花が咲いたように輝いた。
「……素晴らしい。なんと、素晴らしい素材でしょう!」
彼女は興奮したように手を打ち鳴らした。
「この透き通るような白い肌、憂いを帯びた青い瞳、そして何より、その魂から滲み出るような清らかさ……! ああ、インスピレーションが、泉のように湧いてきますわ!」
彼女は矢継ぎ早にそう言うと、侍女が持ってきたスケッチブックに、猛烈な勢いでペンを走らせ始めた。
その様子を、アシュレイ様は満足げに眺めていたが、すぐに口を挟み始めた。
「ロゼ。デザインは、彼女の気品を最大限に引き出すものにしろ。派手すぎず、しかし、誰の目も釘付けにするような、圧倒的な存在感を」
「分かっておりますわ、公爵閣下。例えば、スカートのラインは、流れるようなAラインで、彼女のスタイルの良さを強調し……」
「いや、マーメイドラインもいいかもしれん。彼女のしなやかな動きを、より優雅に見せるだろう」
「まあ! それも素敵ですわね! では、胸元のデザインは、繊細なレースを幾重にも重ねて、彼女の儚さを表現するのはいかがでしょう」
「それもいいが、思い切って肩を出すデザインで、その美しいデコルテを見せるのも……」
二人の議論は、白熱していた。もはや、私の意見など入り込む隙はどこにもない。私はただ、二人の天才が、私という素材をどう料理するかを、呆然と聞いているだけだった。
デザインの方向性が決まると、次は生地選びが始まった。
大広間には、世界中から集められたという、最高級の生地が、何十種類も運び込まれた。
光を浴びて、水面のようにきらめくシルク。
深い闇のように、光を吸い込むベルベット。
蜘蛛の糸のように、繊細で美しいレース。
「リナリア、こちらへ」
アシュレイ様は、私を手招きすると、その中の一つの生地を手に取った。それは、月の光を溶かして固めたかのような、淡い光沢を放つ、純白のシルクだった。
彼は、その生地を、私の頬にそっと当てた。
ひんやりとした、滑らかな感触が、私の肌を撫でる。
「……うん。やはり、君の肌には、この月の光を思わせるシルクが一番似合う」
彼は、心底満足そうに、そう呟いた。その距離の近さと、真剣な眼差しに、私の心臓は、また大きく音を立てた。
マダム・ロゼも、その選定に深く頷き、私の身体の採寸が始まった。侍女たちに囲まれ、身体の隅々までメジャーを当てられるのは、少し恥ずかしかったが、これも戦いのための鎧を作る儀式なのだと、私は自分に言い聞かせた。
ドレスの準備と並行して、宝飾品の選定も進められた。
アシュレイ様は、私を公爵家の宝物庫へと案内してくれた。重厚な鉄の扉が開かれた先には、お伽話の中にしか存在しないと思っていたような、目もくらむほどの光景が広がっていた。
壁一面に埋め込まれた棚には、金銀財宝が山のように積まれ、ガラスケースの中では、様々な宝石が、それぞれの色で、まばゆいばかりの輝きを放っている。
「こ、これが……全部……?」
「ああ。アイゼンベルク家に、代々伝わる宝の一部だ」
彼は、さも当然のように言った。
「ここから、君のドレスに合うものを、好きなだけ選ぶといい」
「す、好きなだけ、なんて……! 私には、価値が分かりませんし、恐れ多くて……」
私が狼狽えていると、彼はまた、楽しそうに笑った。
「そう言うだろうと思っていたよ」
彼は、宝物庫の最も奥にある、一つのベルベットの箱を、丁重に手に取った。
「これは、初代公爵夫人が、建国王妃から賜ったという、特別なネックレスだ。『星の涙』と呼ばれている」
彼が箱を開けると、中から現れたのは、息をのむほどに美しい、ダイヤモンドのネックレスだった。中央には、私の拳ほどもあるのではないかという、巨大な青いダイヤモンドが、夜空の星のように、静かで、しかし力強い光を放っている。
「……きれい」
「この宝石は、身に着けた者の、清らかな魂に呼応して、その輝きを増すと言われている。……君以上に、これに相応しい者はいない」
彼はそう言うと、そのネックレスを、私の首に、そっとかけてくれた。
ひんやりとした、心地よい重み。首元で輝く『星の涙』は、まるで私の心臓の鼓動に合わせるかのように、 pulsating しながら、その輝きを、さらに増していくようだった。
私は、自分の身に起きている、あまりにも現実離れした状況に、ただ圧倒されるばかりだった。
全ての準備が、着々と進んでいく。
それは、私を、この国の誰よりも美しく、そして気高い存在へと、作り変えていくための、壮大なプロジェクトだった。
最初は、ただ戸惑うばかりだった私も、アシュレイ様や、職人たちの、私に注がれる真剣な情熱に触れるうち、次第に、その気持ちが変化していくのを感じていた。
これは、ただ飾られるだけではない。
彼らの想いを、期待を、この一身に背負って、私は、あの華やかな舞台に立つのだ。
その覚悟が、私の心の中に、静かに、しかし確かに、根を下ろし始めていた。
数日後に行われた、ドレスの仮縫い。
少しずつ形になっていく純白のドレスを、鏡の前で身に纏った時。
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