外れスキル【修復】で追放された私、氷の公爵様に「君こそが運命だ」と溺愛されてます~その力、壊れた聖剣も呪われた心も癒せるチートでした~

夏見ナイ

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第85話:そして、運命の日

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嵐の前の静けさは、長くは続かなかった。
アシュレイ様との穏やかな夕食から一夜明けた、その日の昼下がり。
王都の空に最初の異変が現れた。
それまでどこまでも青く澄み渡っていたはずの空が、南の地平線の彼方からまるでインクを垂したかのように、急速にどす黒い雲に覆われ始めたのだ。
それはただの嵐雲ではなかった。
雲は不気味なほどの速度で広がり、あっという間に太陽の光を遮っていく。真昼だというのに、世界はまるで夕暮れ時のような薄暗い陰鬱な光に包まれた。
王都の民衆は、何事かと空を見上げ、その異様な光景に不安げな声を上げ始めた。
風が止まった。
鳥の声がぴたりと止んだ。
街全体が、まるで巨大な何かの到来を前に息を殺しているかのような、不気味な静寂に包まれる。

公爵邸の書斎では、アシュレイ様が窓の外の異変を厳しい表情で見つめていた。
「……来たか」
彼の唇から、低い、そして覚悟を決めた声が漏れた。
「閣下!」
騎士団長のギルバートが、血相を変えて書斎へと駆け込んできた。
「王宮の魔法観測所より緊急の報告です! 王都の上空に観測史上最大級の異常な魔力反応を確認! これは自然現象ではありませぬ! 何者かによる大規模な術式の発動かと!」
「分かっている」
アシュレイ様は冷静に答えた。
「ゼノビアの置き土産だ。奴ら、撤退したのではなかった。この日のために王都のどこかに大規模な術式を仕掛けていたのだ」
彼の思考は、驚くべき速度で回転していた。
敵の狙いは何か。
この不気味な暗雲は、一体何を引き起こすのか。
「ギルバート! 全騎士団に通達! 王宮及び王都全域の警備を最大限に強化せよ! 民衆の混乱を鎮め、避難誘導を!」
「はっ!」
ギルバートが敬礼して部屋を飛び出していく。
書斎にはアシュレイ様と、そして彼の背後で静かに控えるセバスチャンさんだけが残された。
「……閣下。これはおそらく……」
セバスチャンさんが、声を潜めて言った。
「ああ」とアシュレイ様は頷く。「古代魔道具だろうな。ゼノビアが密かに発掘、あるいは復元していた禁断の遺物。天候を操り、大規模な幻術、あるいは呪詛を振りまくための戦略級の魔道具だ」
その言葉に、セバスチャンさんは息をのんだ。
「では敵の狙いは、王都そのものの破壊……?」
「いや、違う」
アシュレイ様はきっぱりと否定した。
「破壊が目的ならば、もっと直接的な術式を使うはずだ。これは陽動だ。昨日までの小細工とはレベルが違う、我々全ての注意をこの空に引きつけるための壮大な陽動」
「陽動……。では真の狙いは……」
「一つしかない」
アシュレイ様の紫の瞳が、絶対零度の光を宿した。
「リナリアだ」
彼は吐き捨てるようにそう言った。
この大規模な混乱に乗じて、奴らは必ずリナリアを奪いに来る。
その確信が彼の全身を、稲妻のような戦慄と共に駆け巡った。
彼は書斎を飛び出した。
目指すはただ一つ。
私がいるサンルーム。
その時、私は何も知らずにサンルームでハーブの世話をしていた。
空が暗くなり不気味な静寂が訪れたことには気づいていた。けれどそれが自分に迫る危機の前触れだとは、夢にも思っていなかった。
ただ胸騒ぎだけが、私の心をさざ波のように揺らしていた。
バン!という激しい音を立てて、サンルームの扉が開かれた。
「リナリア!」
そこに立っていたのは、見たこともないほどに切羽詰まった表情をしたアシュレイ様だった。
「アシュレイ様……? どうなさったのですか、そんなに慌てて……」
「話は後だ! 今すぐここから離れるぞ!」
彼は私の腕を掴むと、有無を言わさず私を引っ張っていこうとした。
しかし、その瞬間だった。
ゴオオオオオッ!
という、地鳴りのような耳をつんざく轟音が、王都全体を、そして公爵邸を激しく揺るがした。
「きゃっ!」
私は立っていることもできず、その場に崩れ落ちそうになる。アシュレイ様が力強く私の身体を支えてくれた。
轟音は一度だけではなかった。
立て続けに王都のいくつかの場所から、爆発音のような轟音が響き渡る。
窓の外で、騎士たちの悲鳴に近い叫び声が聞こえた。
「結界が……! 王都を守る大結界が破壊された!」
「南門、西門、そして王宮の一部が同時に!」
「なんだ、あれは……! 魔物だ! どこからこんな数の魔物が……!」
その報告に、私は血の気が引くのを感じた。
王都の結界が破られた?
そして、魔物が?
私はアシュレイ様に支えられながら、震える足で窓の外を見た。
そしてその光景に、息をのんだ。
暗雲に覆われた薄暗い街のあちこちから、黒い煙が立ち上っている。
そして破壊された城壁の向こうから、これまで見たこともないようなおぞましい姿をした無数の魔物の群れが、まるで黒い津波のように王都市街地へと、なだれ込んできていた。
「……嘘」
私の唇からかすれた声が漏れた。
平和だったはずの私たちの街が。
今、目の前で地獄へと姿を変えようとしていた。
「……そうか。これが狙いか」
アシュレイ様が、憎悪に満ちた声で呟いた。
結界を破壊し魔物を解き放ち、王都を未曾有の大混乱に陥れる。
そして、その混乱のどさくさに紛れて。
彼は私をきつく、きつく抱きしめた。
「リナリア。約束しろ。決して私の傍から離れるな」
その声は震えていた。
それは恐怖からではない。
愛する者を失うかもしれないという、絶対的な恐怖に対する激しい怒りからだった。
運命の日は来た。
それは私たちが想像していたよりも、ずっとずっと残酷で、そして絶望的な形で私たちの前にその牙を剥いたのだった。
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