外れスキル【修復】で追放された私、氷の公爵様に「君こそが運命だ」と溺愛されてます~その力、壊れた聖剣も呪われた心も癒せるチートでした~

夏見ナイ

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第90話:絶体絶命

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「……よくもリナリアの前に、その汚らわしい姿を現したな」
アシュレイ様の声は地を這うように低く、その奥には抑えきれない殺意がマグマのように煮えたぎっていた。
彼の紫の瞳は、もはやゾルディアスだけを捉えていた。その視線は獲物を前にした飢えた獣のように、どこまでも冷徹でそして獰猛だった。
ゾルディアスは、アシュレイのその凄まじい覇気に一瞬だけたじろいだ。
(……なんだ、この男は。呪いに蝕まれ弱っているはずではなかったのか……?)
報告とはまるで違う。目の前に立つ男は呪いなど微塵も感じさせない、完璧な、そして全盛期以上の力をその身に漲らせていた。
その理由が彼の背後で黄金色の光を放ち続ける聖女の存在にあることに、ゾルディアスはすぐに気づいた。
「……なるほど。あの娘がそなたの力の源か。ますます手に入れる価値があるというものよ」
彼は歪んだ笑みを浮かべると、再びその髑髏の杖を構えた。
「エドワードよ。まずは手始めに、あの男の動きを止めよ」
ゾルディアスの命令に、操り人形と化したエドワード王子が虚な目のままアシュレイ様に向かって、その手に持った短剣を振りかざし襲いかかった。
「……邪魔だ」
アシュレイ様はエドワードを一瞥だにせず、ただ冷たくそう吐き捨てた。
彼は魔剣『夜天』を振るうことなく、ただその柄頭でエドワードの鳩尾を軽く、しかし的確に打ち据えた。
「ぐふっ……!」
エドワードは短い悲鳴を上げ白目を剥くと、まるで糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ち、完全に意識を失った。王族に対する一切の情け容赦のない一撃だった。
「……さて」
邪魔者を排除したアシュレイ様は、ゆっくりとゾルディアスに向き直った。
「これで一対一だ。……覚悟はできたか?」
その言葉を合図に、二人の絶対的な強者が同時に動いた。
アシュレイ様は床を蹴り、黒い閃光となってゾルディアスへと突進する。
ゾルディアスもまた杖を振りかぶり、無数の漆黒の魔力の矢をアシュレイ様に向かって放った。
カン、カン、カン!
アシュレイ様は魔剣『夜天』をまるで風車のように回転させ、迫りくる魔力の矢をその全てを完璧に弾き返していく。
その剣技は、もはや神業の域に達していた。
しかしゾルディアスもまた、ゼノビア最強と謳われる魔術師長。その実力は伊達ではなかった。
彼はアシュレイの剣戟を空間を歪ませる防御結界で防ぎながら、次々と強力な古代魔術を詠唱していく。
「『深淵の蛇よ、我が敵を喰らえ!』」
床の石畳から、巨大な闇でできた蛇が何体も姿を現し、アシュレイ様へと襲いかかる。
アシュレイ様はその蛇を一刀のもとに両断するが、切り裂かれた蛇はすぐに再生し、さらに数を増やして彼に絡みついてこようとする。
「ちっ……!」
アシュレイ様がわずかに舌打ちをした。
その一瞬の隙。
それこそが、老獪な魔術師が待ち望んでいた絶好の機会だった。
「――かかったな、若造め!」
ゾルディアスの甲高い、勝利を確信した声が響き渡る。
彼の本当の狙いはアシュレイを倒すことではなかった。
闇の蛇は陽動。
その隙に彼は、別のさらに強力な呪文を完成させていたのだ。
彼の杖の先端に、今度はどす黒いというよりも、もはや光さえも存在しない『無』そのもののような漆黒の球体が生まれ出た。
それはあらゆるものを飲み込み消滅させる、禁断の古代魔法、『虚無の球体(ヴォイド・スフィア)』。
そして、その魔法が狙う先はアシュレイ様ではなかった。
「……!」
アシュレイ様は、はっとしたように振り返った。
その魔法はまっすぐに、彼の背後、心核の修復に全霊力を注ぎ完全に無防備となっている私へと向かっていた。
「リナリア!」
アシュレイ様の悲痛な叫び声が、地下聖堂に響き渡る。
まずい。
間に合わない。
闇の蛇に動きを封じられた彼が今から私の元へ駆けつけても、虚無の球体が私に到達する方が速い。
そして私は動けない。
今ここで力を解けば、暴走した心核が王都を吹き飛ばしてしまう。
それはまさに絶体絶命。
どちらを選んでも待っているのは破滅だけ。
漆黒の球体が死の宣告のように、私の目の前へと迫ってくる。
私は死を覚悟した。
そして心の中で最後の言葉を呟いた。
(アシュレイ様……どうかご無事で……)
その瞬間だった。
ごうっ、という凄まじい風圧と共に。
私の目の前に、再びあの誰よりも頼もしい広い背中が立ちはだかった。
「アシュレイ様……!?」
彼はいつの間に闇の蛇の拘束を振り切ったのか。
いや、違う。
彼はその拘束を力尽くで引きちぎってきたのだ。その代償として、彼の身体の至る所から血が流れていた。
しかし彼はそんなことなど気にも留めていない。
ただその紫の瞳で、私をまっすぐに見つめていた。
その瞳に宿っていたのは、恐怖でも絶望でもなかった。
それは、ただひたすらに私を守ることができたという、深い深い安堵の色だった。
そして彼は微笑んだ。
私だけに向けられた、世界で一番優しい愛に満ちた笑顔で。
「……大丈夫だ」
彼はそう囁いた。
次の瞬間。
彼の背中に、漆黒の『虚無の球体』が音もなく着弾した。
そして彼の身体は、まるで闇に飲み込まれるかのように、光の中へと静かに消えていこうとしていた。
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