この男子校の生徒が自分以外全員男装女子だということを俺だけが知っている

夏見ナイ

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第100話 ここから始まる物語

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「お待たせ、祐樹(くん)」

四人の声が夕暮れの空気の中で優しく重なった。
俺はまるで時間が止まったかのような錯覚に陥っていた。目の前に立つ四人の美しい少女たち。その姿が三年間寝食を共にしてきたかけがえのない仲間たちのものだと、頭では理解している。だが、心が、感情が、その劇的すぎる変化に全く追いついてこなかった。

夢を見ているのかもしれない。卒業という大きな節目が、俺にこんなにも甘くて都合のいい幻覚を見せているのかもしれない。
風に揺れる玲の銀色の長い髪。今までずっと窮屈そうに結い上げられていたそれが、今は絹のように滑らかに彼女の白い首筋を撫でている。
快活に揺れる葵のポニーテール。男らしく短く刈り込んでいたはずの髪が、こんなにも女の子らしい魅力を放つなんて誰が想像できただろうか。
小さなリボンで飾られた湊のふわふわの髪。小動物のような愛らしさはそのままに、そこにはもう少年っぽさの欠片もなかった。
そして、月のように静かな光を放つ雅の腰まで届く黒髪。その圧倒的なまでの美しさは、彼女が今まで隠してきた本当の自分そのもののようだった。

俺が声も出せずに固まっていると、玲が心配そうに一歩前に進み出た。
「……祐樹? どうかしたの? もしかして……似合わないかしら……?」
その声はいつもの凛とした響きではなく、不安に揺れるか細い少女の声だった。その表情も完璧な王子様の仮面が剥がれ落ち、ただひたすらに好きな人の評価を待つ一人の女の子の顔だった。

そのあまりにも健気な姿に、俺の中で止まっていた時間がようやく動き出した。
俺はゆっくりと、そして深く息を吸い込んだ。込み上げてくる様々な感情を言葉に変えるために。
「……いや」

俺はやっとの思いで声を絞り出した。
そして、目の前にいる四人のかけがえのない宝物たちに、心の底からの素直な気持ちを告げる。

「……きれいだ」

そのあまりにも単純な一言。
だが、その言葉はどんな賞賛の言葉よりも、確かに彼女たちの心に届いたようだった。

「……ば、馬鹿。そんなストレートに言う人がいるかしら……」
玲が顔を真っ赤にして、ぷいっと顔を背けてしまった。その仕草は初めて彼女の秘密を知った、あの夜の彼女を思い出させた。
「へへ……だろ? 俺……いや、私、結構イケてる?」
葵が照れくさそうに自分のポニーテールをいじりながら、慣れない一人称を使った。そのぎこちなさがたまらなく愛おしい。
「えへへー、もっと褒めてくれてもいいんですよ、せんぱい♪」
湊が嬉しそうに俺の腕にすり寄ってくる。その甘え方は男装の時と何も変わらない。
「……別に。お前のために着てきたわけじゃない」
雅が俯いたまま小さな声で呟いた。だが、その口元は確かに嬉しそうに綻んでいた。

四者四様の最高の照れ隠し。
俺は、その光景がたまらなく愛おしくて、思わず笑みがこぼれた。
「……すごいな。本当に、お前たちだったんだな」
「当たり前じゃないですか!」
「疑ってたのかよ、祐樹!」
口々に言い返す彼女たちの声はもう俺が知っている「男子生徒」の声ではなかった。柔らかくて、華やかで、そしてどこまでも可愛らしい女の子たちの声だった。

「なあ」と、葵が少しだけ改まった口調で言った。
「その……俺って言うの、もうやめた方がいいよな?」
「そうね。私も『僕』という一人称は今日で卒業しないと」
玲も少しだけ寂しそうに、しかしきっぱりと言った。
その言葉に、俺たちの間にほんの少しだけ変化の予感が流れる。

「じゃあ、改めて」
俺は彼女たちの顔を一人一人しっかりと見つめて言った。
「よろしくな。玲、葵、湊、雅」
今まで何度も呼んできたはずの名前。だが、彼女たちの本当の姿を前にして呼ぶその響きは、全く違う新しくて特別なものに感じられた。

俺のその言葉に、四人は顔を見合わせた。そして、今日一番の最高の笑顔で一斉に頷いた。

「それで、これからどうする?」
俺が尋ねると、葵が待ってましたとばかりに腹を押さえた。
「腹減った! どっか美味いもん食いに行こうぜ!」
「そうですね! どこかお洒落なカフェでも行きませんか?」
湊の提案に、玲も「いいわね」と頷く。
「……甘いものが食べたい」
雅も小さな声でリクエストした。

その、どこにでもあるような普通の高校生の放課後の会話。
俺たちはもう何も隠す必要はない。誰の目も気にする必要はない。
ただの五人の男女として、これから始まる新しい日常へと足を踏み出すのだ。

「よし、じゃあ行こうか!」
葵が元気よく叫んだ。
その言葉に、玲が悪戯っぽく微笑んでこう続けた。
「ええ。私たちの本当の学園生活は、ここからよ!」

俺たちは顔を見合わせて一斉に笑い出した。
そうだ。その通りだ。
三年間という長くて短かった秘密の学園生活は、この瞬間のための壮大なプロローグだったのかもしれない。
男装という仮面を脱ぎ捨て、本当の自分で、本当の仲間と、本当の青春を、今ここから始めるのだ。

「さあ、行こうか」
俺は彼女たちに向かって手を差し伸べた。
彼女たちは何の躊躇もなく、その手をそれぞれのやり方で握り返してくる。

玲の少しだけひんやりとした上品な手。
葵の力強くて温かい手。
湊の小さくて柔らかい手。
そして、雅の不器用で、でも誰よりも熱い手。
四つのかけがえのない温もり。

俺は、その温もりをもう二度と離さないように固く、固く握りしめた。
夕暮れの街へと五人で並んで歩き出す。
俺たちの本当の物語は、まだ始まったばかりだ。
それはきっと、今までよりもっと甘くて、もっと騒がしくて、そして最高に輝いているに違いない。
俺はそんな未来への確かな期待を胸に、彼女たちの隣で幸せを噛み締めていた。

**【完】**
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