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第五話 一筋の光明
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翌日、俺は宣言通り公爵家の練兵場に姿を現した。朝日が石畳を白く照らし、早朝の冷たい空気が肌を刺す。すでにそこでは、何人かの騎士たちが剣を交わす音が響いていた。
俺の姿を認めると、彼らは一様に驚きの表情を浮かべた。病み上がりで部屋に引きこもっていた三男坊が、自ら稽古場に現れたのだ。無理もない反応だろう。
「アレン様。本当に稽古をなさるので?」
指導役の騎士団長が、困惑した様子で問いかけてきた。屈強な体躯を持つ、歴戦の強者だ。以前の俺なら、その威圧感だけで竦み上がっていただろう。
「当然だ。早く始めろ」
俺は意識して、傲慢な口調で言い放った。これが俺の被るべき仮面だ。まずは手近なところから「悪役」を演じ始める。
騎士団長は眉をひそめたが、公爵家の三男に逆らうわけにもいかず、無言で木剣を一本放り投げてよこした。
俺はそれを受け取り、構える。体はまだ本調子ではない。だが、心の中には冷たい炎が燃えていた。
「始め!」
合図と共に、俺は地面を蹴った。これまで教わった通りの剣筋で、騎士団長の胴を狙う。しかし、その一撃は子供の遊びのように、いとも簡単に木剣の腹で受け止められた。金属がぶつかるような衝撃が腕に走り、木剣を取り落としそうになる。
「動きが鈍い! それでは話になりませんぞ!」
騎士団長の檄が飛ぶ。俺は歯を食いしばり、何度も打ちかかった。だが、結果は同じだった。俺の剣は一度も彼の体に届かない。それどころか、防御だけで手一杯になり、体力を無駄に消耗していくだけだった。
十分ほど打ち合っただろうか。俺の息は完全に上がり、腕は鉛のように重くなっていた。騎士団長はそんな俺を見て、失望のため息をついた。
「本日はここまでですな。まずは体力を戻すことから始めるべきでしょう」
その時、練兵場の入り口から声がかかった。
「体力の問題ではないだろう。根本的に、才能がないのだからな」
見れば、次兄のベルトルトが腕を組んでこちらを見ていた。その隣には、長兄ゲオルグの姿もある。おそらく、朝の鍛錬を終えたのだろう。
ベルトルトは、俺の無様な姿を値踏みするように眺め、嘲笑を浮かべた。
「急にやる気を出したかと思えば、この様か。一体何の風の吹き回しだ? 出来損ないにも意地くらいはあったということか」
兄の言葉に、俺の心の奥底で怒りが燻る。だが、俺はそれを表情に出さなかった。代わりに、わざとふてくされたように顔を歪め、舌打ちをしてみせる。
「うるさい。あんたには関係ないだろ」
「口だけは達者になったものだ。まあ、せいぜい足掻くがいい。無駄な努力ご苦労なことだ」
ベルトルトはそう吐き捨てると、興味を失ったように去っていった。ゲオルグは最初から最後まで一言も発しなかった。ただ、俺を道端の石ころでも見るかのような無関心な目で見つめ、そして去っていった。
その視線が、どんな罵倒よりも俺の心を抉った。
俺は地面に突き刺した木剣の柄を、血が滲むほど強く握りしめた。
自室に戻り、冷水で顔を洗う。鏡に映る自分は、悔しさと無力感にまみれていた。
分かっていたことだ。剣の才能がないことなど、とうの昔に。だが、こうして改めて現実を突きつけられると、決意が揺らぎそうになる。
正攻法では駄目だ。剣の腕を磨いても、ゲオルグ兄上のような天才には一生追いつけない。歴史書によれば、彼は後に帝国最強の騎士と謳われる存在になるのだ。そんな相手に、平凡以下の俺が剣で挑むなど、あまりにも無謀すぎる。
何か、別の力が必要だ。
俺だけの武器。誰も持っていない、俺だけが使える切り札が。
俺はベッドに横たわり、意識を内へと集中させた。再び、脳内の「歴史書」のページをめくっていく。破滅を回避するヒントが、どこかに隠されているはずだ。
政治の動向、経済の変動、貴族間の関係、戦争の記録。膨大な情報を一つ一つ丁寧に検証していく。だが、どれも俺一人の力でどうにかできるものではなかった。
諦めかけた、その時だった。ふと、魔法史に関する項目が目に留まった。
エルドラント帝国における魔法の歴史。火、水、風、土の四大属性を基本とし、希少属性として光と闇が存在する。ヴァルハイト家は代々、強力な闇属性と、それに付随する身体強化魔法を得意としてきた。
俺は読み進めていく。歴代の偉大な魔法使いたちの名が並ぶ。その華々しい歴史の記述の、本当に最後の最後。ほとんど誰も気に留めないであろう、コラムのような小さな一角に、その記述はあった。
『忌み属性について』
その見出しに、俺の心臓がどくりと鳴った。
『古来より、ごく稀に四大属性にも光闇にも属さない属性を持って生まれる者がいた。その代表格が【影】である。影魔法は、影に身を隠したり、物陰から小さな影を伸ばして物を動かしたりする程度の効果しか確認されず、戦闘における有用性は皆無とされた。さらに、その不気味な印象から「呪われた属性」「無能の烙印」として蔑まれ、歴史の表舞台に立つことはなかった』
そこまで読んで、俺は自嘲の笑みを浮かべそうになった。無能の烙印。出来損ないの俺に、実にお似合いの属性ではないか。
だが、その記述には続きがあった。俺の運命を根底から変える、たった一行の文章が。
『――しかし、遥か後世の再研究により、影魔法は魔力操作の練度次第で空間そのものに干渉しうる、極めて特異な魔法であることが判明する。歴史の影に埋もれた、名もなき一人の使い手の存在がなければ、その驚くべき可能性が再評価されるのは、さらに数百年先のことだっただろう』
その文章を読んだ瞬間、俺の全身に電流が走った。
空間そのものに干渉する? 比類なき可能性?
俺はベッドから跳ね起きた。震えが止まらない。恐怖からではない。歓喜によるものだ。
これだ。俺が探していたものは、これだ。
誰もが価値がないと見下し、見向きもしない魔法。だからこそ、俺が独占できる。俺だけがその真価を知っている。未来知識という、俺だけが持つアドバンテージを最大限に活かせる、最高の切り札。
歴史の影に埋もれた、名もなき使い手?
上等じゃないか。ならば俺が、その使い手になってやる。
俺が歴史を変え、生き延びた未来で、俺自身が影魔法の価値を証明してやる。
一筋の光明。いや、これはもはや一条の光などではない。俺の未来を燦然と照らし出す、太陽そのものだった。
延期になった「魔法適性の儀」。それが近々、改めて行われるだろう。
以前の俺なら、その日を絶望と共に待っていたはずだ。だが、今は違う。
俺は静かに、しかし確かな笑みを浮かべた。
待っていろ、世界。俺の物語は、ここから始まる。
お前たちが俺に「無能」の烙てん印を押し、嘲笑うその瞬間こそが、俺の反撃の狼煙なのだから。
俺の姿を認めると、彼らは一様に驚きの表情を浮かべた。病み上がりで部屋に引きこもっていた三男坊が、自ら稽古場に現れたのだ。無理もない反応だろう。
「アレン様。本当に稽古をなさるので?」
指導役の騎士団長が、困惑した様子で問いかけてきた。屈強な体躯を持つ、歴戦の強者だ。以前の俺なら、その威圧感だけで竦み上がっていただろう。
「当然だ。早く始めろ」
俺は意識して、傲慢な口調で言い放った。これが俺の被るべき仮面だ。まずは手近なところから「悪役」を演じ始める。
騎士団長は眉をひそめたが、公爵家の三男に逆らうわけにもいかず、無言で木剣を一本放り投げてよこした。
俺はそれを受け取り、構える。体はまだ本調子ではない。だが、心の中には冷たい炎が燃えていた。
「始め!」
合図と共に、俺は地面を蹴った。これまで教わった通りの剣筋で、騎士団長の胴を狙う。しかし、その一撃は子供の遊びのように、いとも簡単に木剣の腹で受け止められた。金属がぶつかるような衝撃が腕に走り、木剣を取り落としそうになる。
「動きが鈍い! それでは話になりませんぞ!」
騎士団長の檄が飛ぶ。俺は歯を食いしばり、何度も打ちかかった。だが、結果は同じだった。俺の剣は一度も彼の体に届かない。それどころか、防御だけで手一杯になり、体力を無駄に消耗していくだけだった。
十分ほど打ち合っただろうか。俺の息は完全に上がり、腕は鉛のように重くなっていた。騎士団長はそんな俺を見て、失望のため息をついた。
「本日はここまでですな。まずは体力を戻すことから始めるべきでしょう」
その時、練兵場の入り口から声がかかった。
「体力の問題ではないだろう。根本的に、才能がないのだからな」
見れば、次兄のベルトルトが腕を組んでこちらを見ていた。その隣には、長兄ゲオルグの姿もある。おそらく、朝の鍛錬を終えたのだろう。
ベルトルトは、俺の無様な姿を値踏みするように眺め、嘲笑を浮かべた。
「急にやる気を出したかと思えば、この様か。一体何の風の吹き回しだ? 出来損ないにも意地くらいはあったということか」
兄の言葉に、俺の心の奥底で怒りが燻る。だが、俺はそれを表情に出さなかった。代わりに、わざとふてくされたように顔を歪め、舌打ちをしてみせる。
「うるさい。あんたには関係ないだろ」
「口だけは達者になったものだ。まあ、せいぜい足掻くがいい。無駄な努力ご苦労なことだ」
ベルトルトはそう吐き捨てると、興味を失ったように去っていった。ゲオルグは最初から最後まで一言も発しなかった。ただ、俺を道端の石ころでも見るかのような無関心な目で見つめ、そして去っていった。
その視線が、どんな罵倒よりも俺の心を抉った。
俺は地面に突き刺した木剣の柄を、血が滲むほど強く握りしめた。
自室に戻り、冷水で顔を洗う。鏡に映る自分は、悔しさと無力感にまみれていた。
分かっていたことだ。剣の才能がないことなど、とうの昔に。だが、こうして改めて現実を突きつけられると、決意が揺らぎそうになる。
正攻法では駄目だ。剣の腕を磨いても、ゲオルグ兄上のような天才には一生追いつけない。歴史書によれば、彼は後に帝国最強の騎士と謳われる存在になるのだ。そんな相手に、平凡以下の俺が剣で挑むなど、あまりにも無謀すぎる。
何か、別の力が必要だ。
俺だけの武器。誰も持っていない、俺だけが使える切り札が。
俺はベッドに横たわり、意識を内へと集中させた。再び、脳内の「歴史書」のページをめくっていく。破滅を回避するヒントが、どこかに隠されているはずだ。
政治の動向、経済の変動、貴族間の関係、戦争の記録。膨大な情報を一つ一つ丁寧に検証していく。だが、どれも俺一人の力でどうにかできるものではなかった。
諦めかけた、その時だった。ふと、魔法史に関する項目が目に留まった。
エルドラント帝国における魔法の歴史。火、水、風、土の四大属性を基本とし、希少属性として光と闇が存在する。ヴァルハイト家は代々、強力な闇属性と、それに付随する身体強化魔法を得意としてきた。
俺は読み進めていく。歴代の偉大な魔法使いたちの名が並ぶ。その華々しい歴史の記述の、本当に最後の最後。ほとんど誰も気に留めないであろう、コラムのような小さな一角に、その記述はあった。
『忌み属性について』
その見出しに、俺の心臓がどくりと鳴った。
『古来より、ごく稀に四大属性にも光闇にも属さない属性を持って生まれる者がいた。その代表格が【影】である。影魔法は、影に身を隠したり、物陰から小さな影を伸ばして物を動かしたりする程度の効果しか確認されず、戦闘における有用性は皆無とされた。さらに、その不気味な印象から「呪われた属性」「無能の烙印」として蔑まれ、歴史の表舞台に立つことはなかった』
そこまで読んで、俺は自嘲の笑みを浮かべそうになった。無能の烙印。出来損ないの俺に、実にお似合いの属性ではないか。
だが、その記述には続きがあった。俺の運命を根底から変える、たった一行の文章が。
『――しかし、遥か後世の再研究により、影魔法は魔力操作の練度次第で空間そのものに干渉しうる、極めて特異な魔法であることが判明する。歴史の影に埋もれた、名もなき一人の使い手の存在がなければ、その驚くべき可能性が再評価されるのは、さらに数百年先のことだっただろう』
その文章を読んだ瞬間、俺の全身に電流が走った。
空間そのものに干渉する? 比類なき可能性?
俺はベッドから跳ね起きた。震えが止まらない。恐怖からではない。歓喜によるものだ。
これだ。俺が探していたものは、これだ。
誰もが価値がないと見下し、見向きもしない魔法。だからこそ、俺が独占できる。俺だけがその真価を知っている。未来知識という、俺だけが持つアドバンテージを最大限に活かせる、最高の切り札。
歴史の影に埋もれた、名もなき使い手?
上等じゃないか。ならば俺が、その使い手になってやる。
俺が歴史を変え、生き延びた未来で、俺自身が影魔法の価値を証明してやる。
一筋の光明。いや、これはもはや一条の光などではない。俺の未来を燦然と照らし出す、太陽そのものだった。
延期になった「魔法適性の儀」。それが近々、改めて行われるだろう。
以前の俺なら、その日を絶望と共に待っていたはずだ。だが、今は違う。
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