破滅の運命を覆すため、悪役貴族は影で最強を目指す 〜歴史書では断罪される俺だが、未来知識と禁忌の魔法で成り上がってみせる〜

夏見ナイ

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第七話 孤独な修練の始まり

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大神殿での屈辱的な儀式を終え、ヴァルハイト家に戻ってからの俺の扱いは、予想通り、そして計画通り最悪のものとなった。
父は俺の顔を見ることすらなくなり、屋敷内で鉢合わせても、まるでそこに存在しない透明人間かのように通り過ぎていく。次兄ベルトルトは、会うたびに「おお、これは呪物様のお通りか」「忌み属性の気分はどうだ?」などと、粘着質な嫌味を投げかけてくるのが日課になった。長兄ゲオルグに至っては、俺という存在が彼の視界に入ること自体を許さないかのように、俺がいる空間には近づこうともしなくなった。
その変化は使用人たちにも伝染した。彼らは俺を恐れ、そして避けた。食事は部屋の前に無言で置かれ、俺が廊下を歩けば、蜘蛛の子を散らすように人々が壁際に寄って道を空ける。俺の周囲だけ、ぽっかりと空白が生まれたようだった。
ヴァルハイト家の三男、アレン・フォン・ヴァルハイトは、この広大な屋敷の中で完全に孤立した。
だが、その孤独は俺にとって苦痛ではなかった。むしろ好都合ですらあった。誰も俺に干渉しない。誰も俺に期待しない。それは、俺が秘密の活動を行う上で、これ以上ない最高の環境だった。
俺の計画の次の段階は、忌み属性【影魔法】の本格的な修練だ。
しかし、大きな問題があった。教本がないのだ。影魔法は歴史上、研究すら放棄された無価値な魔法。大神殿の公式な書庫にも、王立図書館にも、その教本は存在しないだろう。
ならば、どこにあるのか。
俺は脳内の「歴史書」を検索する。ヴァルハイト家の歴史。その中に、ヒントは隠されていた。
ヴァルハイト家は代々、希少属性である【闇】の魔法を得意としてきた。闇魔法は強力である一方、一歩間違えれば術者自身を蝕む危険な魔法でもある。そのため、歴代当主は闇魔法だけでなく、それに類する禁忌の魔法や呪われた魔法に関する書物を、密かに収集していたという記述があった。一種の危険物管理であり、同時に他家に対するアドバンテージを確保するためだ。
その禁書庫の場所。それは、この屋敷で最も警備が厳重で、父以外の誰も立ち入ることが許されない場所。
父ジークフリートの書斎だ。
俺は行動計画を立て始めた。まず必要なのは情報収集。父の書斎へ、誰にも気づかれずに侵入するための情報。
俺は数日間、屋敷の中を幽霊のように徘徊した。使用人たちは俺を避けるが、まさか俺が彼らの動きを観察しているとは思うまい。
父が書斎に籠るのは、主に早朝と深夜。日中は執務や訓練で席を外すことが多い。
書斎の警備は、近衛の騎士が二人一組で、二時間交代で行っている。交代の瞬間、ほんの数秒だが、引き継ぎのために注意が散漫になる。
そして最も重要な鍵の在処。父は常に鍵を携帯しているが、スペアキーが一つだけ存在する。それは、屋敷の全てを管理する老執事の部屋の、鍵付きの小箱の中に保管されている。
完璧な悪役を演じる上で、情報収集と隠密行動は必須スキルだ。俺はまるで、生まれながらの密偵であるかのように、必要な情報を淡々と集めていった。

決行は、三日後の深夜。月明かりもない、新月の夜を選んだ。
俺は自室のベッドにシーツを丸めて人が寝ているように偽装し、音もなく部屋を抜け出した。黒い服は闇に溶け込み、俺の存在感を希薄にする。
廊下は静まり返っていた。大理石の床は、わずかな物音でも響いてしまう。俺はつま先で体重を支え、壁の影から影へと渡るように、慎重に進んでいく。心臓の音がやけに大きく聞こえるが、心は不思議と冷静だった。これは、破滅の運命に抗うための儀式なのだ。
まずは老執事の部屋へ。幸い、彼の部屋に鍵はかかっていなかった。長年の奉公で、この屋敷で自分の部屋に侵入する者などいないと油断しているのだろう。
音を立てずに扉を開け、中へ滑り込む。眠る執事の穏やかな寝息が聞こえる。俺は目当ての小箱を見つけ、懐から取り出した細い針金で鍵穴を探った。こういう技術も、未来の歴史書で読んだ犯罪者の手口を参考に、こっそりと練習しておいたものだ。
数度の試行の後、かちり、と小さな音を立てて錠が開いた。中には、古風なデザインの真鍮の鍵が一つ。それを手に入れ、俺は再び音もなく部屋を出た。

次はいよいよ父の書斎だ。
書斎のある棟は、屋敷の奥深くにある。そこへ続く廊下は、警備の騎士が定期的に巡回している。俺は柱の影に身を潜め、巡回が通り過ぎるのを待った。騎士の足音と鎧の擦れる音が近づき、そして遠ざかっていく。その数十秒が、永遠のように長く感じられた。
書斎の扉の前にたどり着いた俺は、壁の影に身を潜めて息を殺した。扉の前には、二人の屈強な騎士が微動だにせず立っている。
俺はただ待つ。警備の交代時間が来るのを。
やがて、廊下の奥から新たな二人の騎士が現れた。引き継ぎの会話が、小声で交わされる。
「異常なし」
「うむ、ご苦労」
その瞬間だった。四人の騎士の意識が、ほんの一瞬、互いの顔に向けられる。
俺はその隙を見逃さなかった。
影から飛び出し、無音のステップで扉に駆け寄る。手にした鍵を鍵穴に差し込み、静かに回した。心臓が張り裂けそうだった。ここで見つかれば全てが終わる。
扉のロックが解除される、ごくわずかな金属音。それは、騎士たちの鎧の音にかき消された。俺は扉をわずかに開け、その隙間に体を滑り込ませるようにして書斎の中へ侵入した。そして、同じように音なく扉を閉める。
扉が閉まりきる直前、外から「では、頼んだぞ」という声が聞こえた。交代を終えた騎士たちが去っていく足音。
……成功した。
俺は安堵のため息を、ようやく漏らすことができた。

書斎の中は、インクと古い紙の匂いが満ちていた。壁一面を埋め尽くす本棚が、巨大な知識の壁となって俺に圧し掛かってくるようだ。
だが、感傷に浸っている時間はない。禁書は、普通の人間が見つけられるような場所にはないはずだ。
俺は再び「歴史書」の記憶を探る。確か、父ジークフリートの曾祖父にあたる人物が、この書斎に巧妙な隠し部屋を作ったという記述があった。彼は稀代の魔法道具職人でもあったという。
そのヒントを頼りに、俺は書斎の中を注意深く観察した。巨大な執務机、地球儀、暖炉。一見、何の変哲もない。だが、俺は知っている。ヴァルハイト家の当主が好んで座る椅子の、右肘掛けの裏に、小さな仕掛けがあることを。
俺は父の椅子に近づき、肘掛けの裏を手で探った。指先に、わずかな突起が触れる。それを、決められた回数、決められた方向に回す。
すると、ゴゴゴ、と低い地響きのような音を立てて、暖炉の横の本棚がゆっくりと横にスライドし始めた。現れたのは、下へと続く薄暗い石の階段だった。
これだ。
俺は躊躇なく、その闇の中へと足を踏み入れた。

階段を降りた先は、埃っぽい小部屋だった。そこには、禍々しいオーラを放つ魔導書や、呪われた武具などが無造作に置かれている。どれもこれも、一つあれば小国の歴史を揺るがしかねない危険物ばかりだ。
その部屋の一番奥。黒檀で作られた書見台の上に、一冊だけ、ぽつんと本が置かれていた。
それは、表紙に何の装飾もない、ただ真っ黒な革で装丁された分厚い本だった。タイトルも、著者名もない。だが、俺には分かった。その本から放たれる、他のどの禁書とも違う、静かで深い魔力の気配。これこそが、俺が探し求めていた影魔法の原書だ。
俺はその本を手に取ると、一目散に書斎へ戻り、本棚を元に戻した。そして、来た時と同じ手順で、誰にも気づかれずに自室へと帰還した。

自室のベッドの上で、俺は禁書を前にして息を呑んだ。ページを開くと、そこには見たこともない古代語の文字が、奇妙な図形と共にびっしりと書き連ねられていた。
幸い、歴史書を追体験した際に、俺は様々な時代の言語知識も断片的に得ていた。完全ではないが、なんとか解読はできそうだ。
俺はその日から、夜ごと禁書の解読に没頭した。そして、昼間は剣の稽古で体力をつけ、周囲に「無駄な努力を続ける哀れな出来損ない」を演じ続けた。
数日が過ぎ、俺はようやく最初の魔法の理論を理解した。それは、影魔法の全ての基礎となる「影潜(シャドウ・ダイブ)」。術者の体を、自らの影の中に沈めるという単純な魔法。
俺は部屋の蝋燭に火を灯し、床に伸びた自分の影を見つめた。
禁書の記述に従い、魔力を練り上げる。そして、その魔力を足元の影に、そっと流し込んだ。
だが、何も起こらない。魔力はただ霧散していくだけで、影はただの影のままだった。
「くそ……!」
何度も試す。魔力の量を変え、イメージを変え、集中力を高める。だが、影はびくともしない。体中の魔力が空っぽになり、めまいがするまで繰り返したが、結果は同じだった。
やはり、才能のない俺には無理なのか。
弱音が頭をよぎる。だが、俺はそれを即座に打ち消した。ここで諦めたら、十年後の処刑台が待っているだけだ。
俺は床にへたり込みながらも、最後の魔力を振り絞った。今度は、ただ魔力を流すのではない。自分の体と影が、水と油ではなく、水と水滴のように一体化するイメージを、強く、強く念じた。
すると、その瞬間。
足元の影が、ほんのわずかに揺らめいたように見えた。そして、俺の足の指先が、まるで黒い水たまりに沈むかのように、ズブリ、と影の中へと消えたのだ。
「……できた」
わずか数センチ。指先が沈んだだけ。だが、それは紛れもない成功だった。
指先に感じる、冷たくもなければ熱くもない、奇妙な虚無の感覚。それは、俺が初めて掴んだ、運命に抗うための力だった。
俺は床に伸びる自分の影を見つめた。それはもはや、単なる光の欠如ではない。俺だけの聖域であり、無限の可能性を秘めた、俺の領域だった。
孤独な部屋の中、誰にも知られることなく、俺の本当の戦いが、今、静かに幕を開けた。
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