破滅の運命を覆すため、悪役貴族は影で最強を目指す 〜歴史書では断罪される俺だが、未来知識と禁忌の魔法で成り上がってみせる〜

夏見ナイ

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第二十四話 貴族のいざこざ

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俺が「知識だけの無能」という評価を確立してから、数日が過ぎた。学園内での俺の孤立はもはや不動のものとなり、それは俺にとって非常に快適な環境だった。誰にも邪魔されず、思考に集中できる。
その日、俺は学園が誇る巨大な図書館の、最も奥まった一角にいた。古代魔法に関する禁書指定寸前の稀覯本が、埃をかぶって並んでいる場所だ。他の生徒たちは、こんな難解で退屈な書物に興味などない。ここは、俺だけの聖域だった。
分厚い革の表紙をめくり、退色したインクで書かれた古代語の文字列を目で追う。歴史書の知識と照らし合わせることで、教科書には載っていない魔法の本質、その光と闇を、俺は少しずつ理解し始めていた。
そんな静寂を、無遠慮な足音と甲高い笑い声が破った。
「おいおい、見てみろよ。こんな場所で、出来損ないが何やらお勉強中だぜ」
俺は本から顔を上げることなく、声の主を認識した。クラウス・フォン・バルトロメウス。有力な辺境伯家の嫡男で、カイウス王子に取り入ることで学園内での地位を確立しようとしている、典型的な虎の威を借る狐だ。その後ろには、同じような取り巻きが二人、にやにやと笑いながら立っている。
俺が無視を決め込むと、クラウスは苛立ったように俺の読んでいた本を乱暴にひったくった。
「おい、聞いているのか、ヴァルハハイト。こんなチンプンカンプンな本を読んで、偉大な魔法使いにでもなったつもりか? 忌み属性のお前には、猫に小判、豚に真珠というものだ」
取り巻きたちが、どっと下品な笑い声を上げる。
俺はゆっくりと立ち上がり、クラウスと向き合った。そして、悪役の仮面を完璧に被り直し、嘲るような笑みを浮かべた。
「その本を、お前が読めるとは思えんがな。少なくとも、そこに書かれている文字がアルファベットであることくらいは、お前の空っぽの頭でも理解できるか?」
「なっ……貴様!」
俺の挑発に、クラウスの顔が怒りで赤く染まった。彼は貴族としてのプライドだけは人一倍高い。
「口先だけは達者な奴め! だが、お前などカイウス王子殿下の敵ではない! 殿下は、お前のような帝国の害悪を、いずれ必ず正してくださる!」
「カイウス、カイウスか。主人の名を吠えることしかできんとは、随分と忠実な犬だな。褒めてやろう」
「だ、黙れ! 殿下の名を、その汚い口にするな!」
クラウスは激昂し、俺の胸ぐらを掴もうと手を伸ばしてきた。だが、その手は俺に届く寸前で、ぴたりと止まった。俺が、彼の目を見ていたからだ。
それは、これまで俺が見せてきたどんな表情とも違う、絶対零度の瞳。獲物の喉笛に噛みつく瞬間を待つ、獣の目。クラウスは、その目に射竦められ、本能的な恐怖で体を硬直させた。
だが、それも一瞬のこと。俺はすぐに表情を「怯え」と「悔しさ」が混じったものへと切り替えた。
「……っ!」
俺はわざとらしく唇を噛み、クラウスから視線を逸らす。その俺の態度の変化を見て、クラウスは自分の恐怖が勘違いだったと思い込んだらしい。彼は再び勝ち誇った笑みを浮かべた。
「どうした? さっきまでの威勢は。所詮、お前などその程度よ。カイウス様の名を聞いただけで、尻尾を巻くことしかできんのだ」
彼は俺の胸を、指で侮辱するように小突いた。
「覚えておけ、出来損ない。この学園は、カイウス様を中心として回っている。お前のような異分子に、居場所などないのだ!」
周囲で様子を窺っていた生徒たちが、ひそひそと囁き合う。
「やっぱりヴァルハイトは口だけだ」
「バルトロメウス辺境伯家は、カイウス様の派閥の中でも有力だからな。逆らえまい」
クラウスは、その声に満足げに頷くと、俺からひったくった本を床に叩きつけた。そして、勝ち誇ったように踵を返し、取り巻きたちと共に去っていく。
俺は、床に落ちた本を拾い上げ、埃を払う。そして、誰にも見えない角度で、唇の端を吊り上げた。
(実に、分かりやすい小物だ)
ああいう手合いは、一度徹底的に叩きのめし、恐怖を植え付けなければ、何度でも粘着してくる。
俺は静かに本を棚に戻すと、図書館を後にした。

その夜、王都のヴァルハハイト邸。
俺は自室で、一枚の羊皮紙にクラウス・フォン・バルトロメウスに関する情報を書き出していた。
「セラ」
俺が呼ぶと、部屋の闇が揺らめき、音もなくセラが現れた。
「あの男、クラウス・フォン・バルトロメウス。身辺を探れ。趣味、弱点、行動パターン。些細なことでもいい。全てを洗い出せ」
「承知いたしました」
「それから、少し灸を据えてやる。あいつが、二度と俺の前に立てなくなるような、とびきりの恥をかかせてやれ」
俺の冷たい命令に、セラの紫の瞳が、かすかに楽しそうな色を帯びたように見えた。
「――御心のままに」
彼女は一礼すると、再び闇の中へとその姿を溶かしていった。

翌日から、クラウス・フォン・バルトロメウスの受難は始まった。
それは、誰の目にも「不運な偶然」としか思えない、ささやかな不幸の連続だった。
学園の食堂で、彼が自慢げに友人たちと談笑している時だった。給仕係が運んできた熱いスープの盆が、彼の目の前で不自然に傾き、その中身が彼の真新しい制服を派手に汚した。給仕係は真っ青になって謝罪したが、原因は分からずじまい。周囲からは、失笑が漏れた。
もちろん、それは俺が十数メートル離れた柱の影から、「影の延長」で盆の縁をわずかに押し下げた結果だった。

次の日、彼は魔法薬学の授業で、貴重な材料を調合する実習に臨んでいた。完璧な手順で調合を進め、後は最後の仕上げという段階。彼がフラスコに最後の試薬を垂らそうとした瞬間、彼の足元を、どこからともなく現れた一匹の猫が駆け抜けた。驚いた彼はバランスを崩し、フラスコは床に落ちて粉々に。数週間分の努力が、水の泡と消えた。
言うまでもなく、その猫を彼の足元へと誘導したのは、侍女として学園内を自由に歩き回っていたセラだった。

さらにその翌日。実技訓練の時間。カイウスも参加する模擬戦闘で、クラウスは良いところを見せようと張り切っていた。彼は、父親にねだって買ってもらったという、美しい装飾の施された魔法剣を手に、対戦相手と向き合う。
「見ているか、カイウス様! 我がバルトロメウス家に伝わる剣技の妙技を!」
彼が剣を振りかぶり、魔力を込めようとした、その瞬間。
すぽん、と。
まるで手品のように、剣の柄から刀身だけが抜け落ち、からんからんと音を立てて足元に転がった。彼の手には、滑稽な柄だけが残されている。訓練場は、一瞬の沈黙の後、今日一番の大爆笑に包まれた。
これもまた、セラの仕業だった。彼女は訓練が始まる前、誰にも気づかれずに彼の剣に近づき、柄と刀身を繋ぐ留め具を、暗殺者ならではの技術で緩めておいたのだ。

度重なる醜態。それも、常に人目が多い場所で起こる「不運」。
クラウスの権威は、地に落ちた。あれほど彼を持ち上げていた取り巻きたちは、潮が引くように離れていき、今や彼は一人で食堂の隅で食事をするまでになっていた。周囲の生徒たちは、彼を「呪われた男」「笑いの神に愛された男」と陰で嘲笑った。
彼は、もはや俺に絡んでくる気力さえ失っていた。廊下で俺とすれ違うと、まるで幽霊でも見たかのように怯えた顔で、慌てて道を譲る。
彼は気づき始めていた。これが、ただの偶然ではないことに。見えない誰かが、自分を監視し、完璧なタイミングで不幸をもたらしていることに。だが、その正体は分からず、証拠もどこにもない。その見えない恐怖が、彼の心を完全に折り砕いたのだった。

俺は、図書館の窓から、中庭で一人うなだれるクラウスの姿を眺めていた。
計画は、成功だ。俺は一度も手を汚すことなく、邪魔な害虫を排除することに成功した。
ふと、視線を感じて横を向くと、そこにリリアーナが立っていた。彼女は、俺と同じように窓の外のクラウスを見つめていた。
「……最近の彼は、少し可哀想ですわ」
彼女は、独り言のように呟いた。
「まるで、見えない何かに呪われているかのようで……」
その翡翠色の瞳が、俺に向けられる。そこには、明確な疑いの色が浮かんでいた。
俺は悪役の仮面を被り直し、肩をすくめた。
「自業自得というやつだろう。日頃の行いが悪いから、神にでも見放されたんじゃないか?」
「……そうでしょうか」
リリアーナはそれ以上何も言わなかった。だが、彼女の心の中に、「アレン・ヴァルハイトは、ただの無能な悪党ではないのかもしれない」という、新たな疑念が芽生えたことは間違いなかった。
俺は彼女に背を向け、再び本のページへと視線を落とした。
影の中から、敵を討つ。
その最初の成功は、俺とセラの連携が、この学園という戦場で最強の武器となり得ることを、静かに証明していた。
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