破滅の運命を覆すため、悪役貴族は影で最強を目指す 〜歴史書では断罪される俺だが、未来知識と禁忌の魔法で成り上がってみせる〜

夏見ナイ

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第二十六話 影の倉庫

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リリアーナに不可解な現場を目撃されてから数日。俺は彼女の動向を、セラを通して注意深く監視させていた。彼女は俺に疑念を抱いている。それは間違いない。だが、確たる証拠がない以上、今のところ彼女にできることは何もないようだった。彼女は時折、遠くから俺のことを見つめては、何かを考え込むように俯くだけだった。
厄介な存在だ。彼女のあの真っ直ぐな瞳は、俺が何重にも被った仮面を、いつか見通してしまうかもしれない。その前に、俺はさらに力をつけ、盤石の体制を築かなければならない。
俺は、自分の力の限界を感じ始めていた。「影の延長」は確かに便利だが、万能ではない。物理的な干渉には限界があり、常に俺自身が影の届く範囲にいなければならないという制約もある。より大胆に、より隠密に動くためには、新たな切り札が必要だった。

その答えを求め、俺は再び王都の屋敷の一室で、あの黒い禁書と向き合っていた。セラが部屋の外で見張りに立ち、誰も近づけないようにしてくれている。
ページをめくる指が、ある項目で止まった。それは、これまで俺が解読してきたどの魔法理論よりも、さらに異質で、難解なものだった。
『影の内界(シャドウ・ワールド)』
そこに記されていたのは、影を単なる光の欠如ではなく、異次元へ通じる「門」として捉えるという、常軌を逸した理論だった。術者の魔力によって影の中に亜空間を形成し、そこに物理的な物体を収納、保存する。
「……空間魔法の領域か」
俺は思わず呟いた。空間魔法は、魔法の中でも最も高度で希少なものの一つだ。それを、忌み属性である影魔法で代用するなど、にわかには信じがたい。
禁書の記述は、相変わらず詩的で抽象的だった。
『影は虚無にして万有。汝の意思の深さが、その容量を定め、汝の認識の形が、その世界の理となる』
意味が分からない。だが、俺の心は激しく高鳴っていた。もし、この魔法を習得できれば、俺の行動の幅は飛躍的に広がる。武器や道具を誰にも知られず持ち運び、盗み出した機密書類を瞬時に隠蔽できる。それは、諜報と暗殺を旨とする俺の戦い方にとって、まさに革命的な力だった。

俺はその日から、新たな修練に没頭した。
まずは、禁書の記述通り、自分の足元に広がる影に「空間」という概念を与えることから始めた。魔力を練り上げ、影の表面に薄い膜が張られるのをイメージする。その膜が、現実空間と影の亜空間とを隔てる境界となるのだ。
だが、それは想像を絶するほど困難な作業だった。魔力はただ影に吸い込まれて霧散するだけで、何の変化も起こらない。下手に力を込めすぎると、魔力が暴発しそうになり、部屋の空気がビリビリと震えた。
「アレン様、ご無理はなさらず」
部屋の外から、セラの心配そうな声が聞こえる。
「分かっている」
俺は短く答え、汗を拭った。焦りは禁物だ。だが、時間は有限。俺は思考を切り替えた。
「影潜」の時は、自分と影を一体化させるイメージが鍵だった。「影の延長」では、影を自分の体の一部として認識することが重要だった。ならば、今回は?
俺は禁書の「汝の認識の形が、その世界の理となる」という一文に立ち返った。
認識の形。そうだ、俺は根本的な認識を間違えていたのかもしれない。
俺はこれまで、影を床や壁に広がる「平面」として捉えていた。二次元の存在として。だが、もし影が「門」なのだとしたら、その先には三次元の「空間」が広がっているはずだ。
俺は目を閉じ、イメージを再構築した。
俺の足元の影は、もはやただの黒いシミではない。それは、どこまでも深く、広大な闇の世界へと続く井戸の入り口だ。その井戸の底には、俺だけの世界が広がっている。
その強烈なイメージを頭に焼き付け、俺はゆっくりと目を開けた。そして、机の上にあった小さな銀貨を手に取り、再び魔力を練り上げる。
今度は、影の表面に膜を張るのではない。影そのものを、水面のように揺らめかせるイメージ。その水面の下に広がる、俺だけの空間へと、この銀貨を「落とす」。
俺は静かに、銀貨を足元の影へと投下した。
ぽちゃん。
幻聴だったのかもしれない。だが、確かにそんな音が聞こえた気がした。
銀貨は、床に落ちて金属音を立てることはなかった。まるで、黒い水たまりに吸い込まれるように、小さな波紋のようなものを残して、影の中へと完全に姿を消した。
「……できた」
声が震えた。成功だ。俺は、影魔法の新たな扉を、確かにこじ開けたのだ。
次に、取り出す訓練だ。俺は影に手をかざし、意識を集中させた。俺の空間にある銀貨よ、俺の元へ戻ってこい、と。
すると、手のひらの上に、ひやりとした感触があった。見れば、そこには先ほど消えたはずの銀貨が、何事もなかったかのように乗っていた。
俺は思わず、笑みを漏らした。
「やったぞ、セラ!」
「……おめでとうございます、アレン様」
扉の向こうから聞こえるセラの声にも、安堵と喜びの色が滲んでいた。
一度コツを掴むと、そこからは早かった。俺は次々と、部屋にあるものを影の中へと収納していった。羽根ペン、インク壺、分厚い本。収納する物体の大きさと質量に応じて、消費する魔力が増大していくのが分かった。今の俺の魔力量では、まだ人間一人を隠せるほどの広さはないだろう。だが、それでも十分だった。
俺はこの新たな力を、禁書に記された大仰な名ではなく、もっと分かりやすく呼ぶことにした。
「影の倉庫(シャドウ・ストレージ)」と。

その日の深夜、俺はセラを相手に、この新能力の実用性を試していた。
「いくぞ、セラ」
「いつでも」
部屋の対角線上に立った俺たち。セラが、音もなく短剣を投擲する。鋭い切っ先が、一直線に俺の心臓へと迫る。
俺は一歩も動かなかった。ただ、足元の影に意識を集中させる。
短剣が俺の体に届く寸前、俺の足元の影がまるで生き物のように隆起し、短剣をぱくりと飲み込んだ。金属音一つしない、不気味な光景。
「……見事です」
セラが感嘆の声を漏らす。
「まだだ」
俺は右手を、壁にかかった自分の影へと伸ばした。そして、影の中に手を差し入れる。掴んだのは、ひやりとした短剣の柄。
「これで、こうだ」
俺は壁の影から、先ほど収納した短剣を抜き放ち、そのまま近くにあった訓練用の案山子へと投げつけた。短剣は正確に、案山子の心臓部分に突き刺さる。
収納、そして別の場所からの取り出し。完璧な連携だった。
俺とセラは、顔を見合わせた。この力が、どれほどの可能性を秘めているか。二人とも、痛いほど理解していた。
「これがあれば、武器の隠し場所には困りませんね。身体検査も意味をなしません」
「ああ。それに、盗み出した証拠品を誰にも気づかれずに運べる。敵の懐に忍び込み、毒や爆薬を仕掛けることも容易になるだろう」
諜報活動の幅が、これで飛躍的に広がった。
俺は、自分の足元に広がる影を見下ろした。それはもはや、単なる影ではない。俺だけの武器庫であり、秘密の隠し場所であり、そして、敵の意表を突くための奇襲装置だ。
新たな力を手に入れたことで、俺の心には確かな自信が満ちていた。
もうすぐ、学園では初の大規模な実習が行われる。歴史書によれば、それは初級ダンジョンでの探索実習。そして、そこで何らかの「異常事態」が発生することも、俺は知っている。
以前の俺なら、その危機にどう立ち向かうか頭を悩ませていただろう。
だが、今の俺には、この「影の倉庫」がある。
どんな危機が訪れようと、どんな敵が現れようと、俺はこの影の中から、全てを覆してやる。
俺の孤独な戦いは、新たな武器を得て、さらに深く、暗い領域へと足を踏み出していく。
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