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第二十七話 初めてのダンジョン実習
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王立魔法学園に入学してひと月が過ぎた頃、新入生にとって最初の大きなイベントが告知された。学園が管理する初級ダンジョン『妖精の洞穴』での合同実習だ。
その報せに、学園は浮き足立った雰囲気に包まれた。
「ついにダンジョン実習か! 腕が鳴るぜ!」
「どんな魔物が出るのかしら。少し怖いけど、楽しみね」
生徒たちは、未知なる冒険への期待と興奮を隠しきれない様子で語り合っている。ダンジョンでの活躍は、自身の評価を上げる絶好の機会。特に、騎士や魔法兵を目指す者にとっては、最初の実績作りの場となる。
俺は、そんな教室の喧噪を、いつものように窓際の一番後ろの席で、本を読みながら聞き流していた。
『妖精の洞穴』。その名は、俺の頭の中にある歴史書にも記されている。表向きは、新入生が安全に実戦経験を積むための教育施設。だが、その実態は違う。
歴史書によれば、この実習中にダンジョン内部で原因不明の魔物の異常発生(スタンピード)が起こる。いくつかのグループが孤立し、死者こそ出ないものの、多数の負傷者を出すことになる大惨事。そして、その混乱を収拾し、生徒たちを救ったのが、第一王子カイウス・フォン・グランツ。この事件をきっかけに、彼の英雄としての名声は不動のものとなるのだ。
つまり、この実習は俺にとって、破滅の運命に繋がる重要なイベントの一つだった。
実習当日。俺たちAクラスの生徒は、学園の森の奥深くに位置するダンジョンの入り口に集まっていた。洞穴、という名が示す通り、そこには巨大な岩壁にぽっかりと空いた、不気味な闇への入り口があった。
実技担当の教師が、生徒たちの前で声を張り上げる。
「いいか、お前たち! これから『妖精の洞穴』での探索実習を開始する! ダンジョンは五階層までが探索範囲だ。内部ではゴブリンやジャイアントバットといった初級の魔物が出現する。決して油断するな!」
教師は、事前に決められていた五人一組のグループの名簿を読み上げ始めた。カイウスは騎士志望の屈強な生徒たちと、リリアーナは治癒魔法を得意とする女子生徒たちと、それぞれバランスの取れたグループを組んでいる。
やがて、教師は忌々しげに俺の名前を呼んだ。
「……そして、アレン・ヴァルハイト。貴様のグループは……」
教師が言葉を濁す。無理もない。俺とグループを組みたいと希望する生徒など、この学園に一人もいなかったからだ。残ったのは、気弱で実技成績の芳しくない、いわゆる「余り物」の生徒たちばかりだった。
俺は、教師が言い終わる前に、静かに手を上げた。
「先生」
「……なんだね、ヴァルハイト君」
「俺は、一人で行く」
その一言に、その場にいた全員が息を呑んだ。生徒たちのざわめきが、波のように広がる。
「おい、聞いたか? 一人で行くってよ」
「正気か? 死ぬ気だぞ」
「まあ、あんな奴と組まされるよりは、他のメンバーは助かっただろうがな」
カイウスが、眉間に深い皺を寄せて俺の前に進み出た。
「アレン君、それは無謀だ。ダンジョン探索は、連携が最も重要となる。君一人の力で、何ができるというんだ」
その言葉は、純粋な忠告だった。だが、俺は悪役の仮面を崩さない。
俺はカイウスを鼻で笑い、心底から侮蔑するような視線を向けた。
「連携? 馴れ合いの間違いだろう。足手まといを庇いながら進むなど、時間の無駄だ。俺一人の方が、よほど効率的に探索できる」
「足手まといだと……!?」
俺の言葉に、カイウスだけでなく、他の生徒たちも色めき立つ。
「君は、仲間を信じる心がないのか!」
「信じる? 馬鹿馬鹿しい。俺が信じるのは、俺自身の力だけだ」
俺はそう吐き捨てると、教師に向き直った。
「俺の身に何が起ころうと、全て自己責任で処理する。それで文句はないでしょう?」
教師は、俺の傲慢な態度に顔を青筋で引きつらせていたが、学園一の問題児を持て余しているのも事実だった。彼は深くため息をつくと、投げやりに言った。
「……分かった。好きにするがいい。ただし、絶対に六階層より下へは行くな! それから、これを携帯しろ!」
教師が俺に投げ渡したのは、小さな魔道具だった。緊急時に強く握りしめれば、入り口にいる教師たちに信号が送られる、非常用の発信機だ。
俺はそれを受け取ると、大仰にため息をついて見せた。
「やれやれ。子供騙しのおもちゃを持たされなければならんとはな」
そして、その発信機を、すぐに「影の倉庫」の中へと放り込んだ。俺が本当に助けを求める時、それはこんなものではない。
俺は、唖然とするカイウスや、心配そうにこちらを見つめるリリアーナに一瞥もくれず、一人でダンジョンの闇の中へと足を踏み入れた。
ひんやりとした、湿った空気が肌を撫でる。洞窟の内部は、壁に自生する光ゴケによって、ぼんやりと青白く照らされていた。天井からは時折、水滴が滴り落ち、不規則な音を立てている。
俺は、他の生徒たちが松明や光の魔法で慎重に進んでいくのを横目に、迷いのない足取りで奥へと進んだ。
歴史書の知識のおかげで、このダンジョンの構造は、俺の頭の中に地図として完璧にインプットされている。どこに罠があり、どこで魔物の群れが出現しやすいか。全て把握済みだ。
キィキィ、と甲高い鳴き声が聞こえた。前方から、数匹のジャイアントバットが飛来する。
後続のグループから、悲鳴と戦闘開始の音が聞こえてきた。だが、俺は足を止めない。
俺は、ジャイアントバットが絶対に通り抜けることのできない、天井の低い岩の隙間へと滑り込んだ。それは、地図には載っていない、俺だけが知る抜け道だった。
しばらく進むと、ゴブリンの巣があった。数人のグループが、連携を取りながら必死に戦っている。
「囲まれるな! 後衛は詠唱を急げ!」
そんな声が聞こえてくる。俺は、彼らの戦いを横目に、壁の影から影へと音もなく移動し、その戦闘地域を完全に迂回した。
単独行動の真の目的。それは、来るべきスタンピードに備え、誰にも邪魔されずに最適な迎撃ポイントを確保すること。そして、このダンジョンという閉鎖空間で、俺の「影魔法」と「影の倉庫」がどこまで通用するのかを、心ゆくまで試すことだった。
俺は時折、立ち止まっては「影の倉庫」に意識を集中させた。中には、セラが用意してくれた様々な道具が収納されている。投擲用の短剣、罠を設置するためのワイヤー、回復薬、そして非常食。これらは全て、俺の切り札だ。
俺は、他の生徒たちの声を完全に置き去りにして、ダンジョンの深部へと進んでいった。すでに三階層を越え、四階層へと続く階段を下りている。この辺りまで来ると、光ゴケの光もまばらになり、闇はさらに深くなる。
順調だ。計画通り、俺は誰よりも先に、事件が起こるであろう五階層へと到達できるだろう。
そう思った、その時だった。
俺の足が、ぴたりと止まった。
何か、おかしい。
肌を刺すような、嫌な感覚。それは、単純な魔物の気配とは違う、もっと異質で、不吉な何か。空気そのものが、淀んでいるような感覚。
俺は壁に背を預け、全神経を集中させて周囲の気配を探った。
この感覚は、歴史書には記されていなかった。
スタンピードが起こる。その事実は知っている。だが、その「原因」については、歴史書は曖昧にしか触れていなかった。
俺は、洞窟のさらに奥、まだ踏み入れていない五階層の方角から、微弱な魔力の乱れを感じ取っていた。それは、自然発生した魔力溜まりなどではない。まるで、誰かが意図的に、邪悪な儀式でも行っているかのような、歪で、粘つくような魔力の流れ。
「……人為的、か?」
俺の口から、無意識に言葉が漏れた。
もし、このスタンピードが、ただの事故ではなく、誰かによって仕組まれたものだとしたら?
歴史書の記述が、絶対ではない可能性。俺の知らない、水面下の陰謀が動いている可能性。
その事実に思い至った瞬間、俺の背筋を冷たい汗が伝った。
俺の戦いは、ただ未来を知っているだけでは、乗り越えられないのかもしれない。
俺は腰に下げた剣の柄を、強く握りしめた。
状況は、俺が考えていたよりも、遥かに深刻である可能性が高い。
俺は警戒レベルを最大に引き上げ、さらに深く、ダンジョンの闇の中へと、その一歩を踏み出した。
その報せに、学園は浮き足立った雰囲気に包まれた。
「ついにダンジョン実習か! 腕が鳴るぜ!」
「どんな魔物が出るのかしら。少し怖いけど、楽しみね」
生徒たちは、未知なる冒険への期待と興奮を隠しきれない様子で語り合っている。ダンジョンでの活躍は、自身の評価を上げる絶好の機会。特に、騎士や魔法兵を目指す者にとっては、最初の実績作りの場となる。
俺は、そんな教室の喧噪を、いつものように窓際の一番後ろの席で、本を読みながら聞き流していた。
『妖精の洞穴』。その名は、俺の頭の中にある歴史書にも記されている。表向きは、新入生が安全に実戦経験を積むための教育施設。だが、その実態は違う。
歴史書によれば、この実習中にダンジョン内部で原因不明の魔物の異常発生(スタンピード)が起こる。いくつかのグループが孤立し、死者こそ出ないものの、多数の負傷者を出すことになる大惨事。そして、その混乱を収拾し、生徒たちを救ったのが、第一王子カイウス・フォン・グランツ。この事件をきっかけに、彼の英雄としての名声は不動のものとなるのだ。
つまり、この実習は俺にとって、破滅の運命に繋がる重要なイベントの一つだった。
実習当日。俺たちAクラスの生徒は、学園の森の奥深くに位置するダンジョンの入り口に集まっていた。洞穴、という名が示す通り、そこには巨大な岩壁にぽっかりと空いた、不気味な闇への入り口があった。
実技担当の教師が、生徒たちの前で声を張り上げる。
「いいか、お前たち! これから『妖精の洞穴』での探索実習を開始する! ダンジョンは五階層までが探索範囲だ。内部ではゴブリンやジャイアントバットといった初級の魔物が出現する。決して油断するな!」
教師は、事前に決められていた五人一組のグループの名簿を読み上げ始めた。カイウスは騎士志望の屈強な生徒たちと、リリアーナは治癒魔法を得意とする女子生徒たちと、それぞれバランスの取れたグループを組んでいる。
やがて、教師は忌々しげに俺の名前を呼んだ。
「……そして、アレン・ヴァルハイト。貴様のグループは……」
教師が言葉を濁す。無理もない。俺とグループを組みたいと希望する生徒など、この学園に一人もいなかったからだ。残ったのは、気弱で実技成績の芳しくない、いわゆる「余り物」の生徒たちばかりだった。
俺は、教師が言い終わる前に、静かに手を上げた。
「先生」
「……なんだね、ヴァルハイト君」
「俺は、一人で行く」
その一言に、その場にいた全員が息を呑んだ。生徒たちのざわめきが、波のように広がる。
「おい、聞いたか? 一人で行くってよ」
「正気か? 死ぬ気だぞ」
「まあ、あんな奴と組まされるよりは、他のメンバーは助かっただろうがな」
カイウスが、眉間に深い皺を寄せて俺の前に進み出た。
「アレン君、それは無謀だ。ダンジョン探索は、連携が最も重要となる。君一人の力で、何ができるというんだ」
その言葉は、純粋な忠告だった。だが、俺は悪役の仮面を崩さない。
俺はカイウスを鼻で笑い、心底から侮蔑するような視線を向けた。
「連携? 馴れ合いの間違いだろう。足手まといを庇いながら進むなど、時間の無駄だ。俺一人の方が、よほど効率的に探索できる」
「足手まといだと……!?」
俺の言葉に、カイウスだけでなく、他の生徒たちも色めき立つ。
「君は、仲間を信じる心がないのか!」
「信じる? 馬鹿馬鹿しい。俺が信じるのは、俺自身の力だけだ」
俺はそう吐き捨てると、教師に向き直った。
「俺の身に何が起ころうと、全て自己責任で処理する。それで文句はないでしょう?」
教師は、俺の傲慢な態度に顔を青筋で引きつらせていたが、学園一の問題児を持て余しているのも事実だった。彼は深くため息をつくと、投げやりに言った。
「……分かった。好きにするがいい。ただし、絶対に六階層より下へは行くな! それから、これを携帯しろ!」
教師が俺に投げ渡したのは、小さな魔道具だった。緊急時に強く握りしめれば、入り口にいる教師たちに信号が送られる、非常用の発信機だ。
俺はそれを受け取ると、大仰にため息をついて見せた。
「やれやれ。子供騙しのおもちゃを持たされなければならんとはな」
そして、その発信機を、すぐに「影の倉庫」の中へと放り込んだ。俺が本当に助けを求める時、それはこんなものではない。
俺は、唖然とするカイウスや、心配そうにこちらを見つめるリリアーナに一瞥もくれず、一人でダンジョンの闇の中へと足を踏み入れた。
ひんやりとした、湿った空気が肌を撫でる。洞窟の内部は、壁に自生する光ゴケによって、ぼんやりと青白く照らされていた。天井からは時折、水滴が滴り落ち、不規則な音を立てている。
俺は、他の生徒たちが松明や光の魔法で慎重に進んでいくのを横目に、迷いのない足取りで奥へと進んだ。
歴史書の知識のおかげで、このダンジョンの構造は、俺の頭の中に地図として完璧にインプットされている。どこに罠があり、どこで魔物の群れが出現しやすいか。全て把握済みだ。
キィキィ、と甲高い鳴き声が聞こえた。前方から、数匹のジャイアントバットが飛来する。
後続のグループから、悲鳴と戦闘開始の音が聞こえてきた。だが、俺は足を止めない。
俺は、ジャイアントバットが絶対に通り抜けることのできない、天井の低い岩の隙間へと滑り込んだ。それは、地図には載っていない、俺だけが知る抜け道だった。
しばらく進むと、ゴブリンの巣があった。数人のグループが、連携を取りながら必死に戦っている。
「囲まれるな! 後衛は詠唱を急げ!」
そんな声が聞こえてくる。俺は、彼らの戦いを横目に、壁の影から影へと音もなく移動し、その戦闘地域を完全に迂回した。
単独行動の真の目的。それは、来るべきスタンピードに備え、誰にも邪魔されずに最適な迎撃ポイントを確保すること。そして、このダンジョンという閉鎖空間で、俺の「影魔法」と「影の倉庫」がどこまで通用するのかを、心ゆくまで試すことだった。
俺は時折、立ち止まっては「影の倉庫」に意識を集中させた。中には、セラが用意してくれた様々な道具が収納されている。投擲用の短剣、罠を設置するためのワイヤー、回復薬、そして非常食。これらは全て、俺の切り札だ。
俺は、他の生徒たちの声を完全に置き去りにして、ダンジョンの深部へと進んでいった。すでに三階層を越え、四階層へと続く階段を下りている。この辺りまで来ると、光ゴケの光もまばらになり、闇はさらに深くなる。
順調だ。計画通り、俺は誰よりも先に、事件が起こるであろう五階層へと到達できるだろう。
そう思った、その時だった。
俺の足が、ぴたりと止まった。
何か、おかしい。
肌を刺すような、嫌な感覚。それは、単純な魔物の気配とは違う、もっと異質で、不吉な何か。空気そのものが、淀んでいるような感覚。
俺は壁に背を預け、全神経を集中させて周囲の気配を探った。
この感覚は、歴史書には記されていなかった。
スタンピードが起こる。その事実は知っている。だが、その「原因」については、歴史書は曖昧にしか触れていなかった。
俺は、洞窟のさらに奥、まだ踏み入れていない五階層の方角から、微弱な魔力の乱れを感じ取っていた。それは、自然発生した魔力溜まりなどではない。まるで、誰かが意図的に、邪悪な儀式でも行っているかのような、歪で、粘つくような魔力の流れ。
「……人為的、か?」
俺の口から、無意識に言葉が漏れた。
もし、このスタンピードが、ただの事故ではなく、誰かによって仕組まれたものだとしたら?
歴史書の記述が、絶対ではない可能性。俺の知らない、水面下の陰謀が動いている可能性。
その事実に思い至った瞬間、俺の背筋を冷たい汗が伝った。
俺の戦いは、ただ未来を知っているだけでは、乗り越えられないのかもしれない。
俺は腰に下げた剣の柄を、強く握りしめた。
状況は、俺が考えていたよりも、遥かに深刻である可能性が高い。
俺は警戒レベルを最大に引き上げ、さらに深く、ダンジョンの闇の中へと、その一歩を踏み出した。
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