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第二十八話 異常事態発生
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俺が感じた異質な魔力の気配は、予感から確信へと変わろうとしていた。四階層の最深部、五階層へと続く階段を下り始めた、その時だった。
ゴゴゴゴゴ……!
ダンジョン全体が、まるで巨大な獣の呻きのように低く鳴動した。壁からは砂や小石がぱらぱらと剥がれ落ち、足元がおぼつかないほどの激しい揺れが襲う。
「地震か……? いや、違う!」
これは、物理的な揺れだけではない。空間に満ちる魔力そのものが悲鳴を上げ、荒れ狂っている。俺が先ほど感じた邪悪な魔力の流れが、一気に増幅され、ダンジョン全体を汚染していくのが肌で感じられた。
そして、揺れが収まった直後。
遠く、ダンジョンの深層から、一つの雄叫びが響き渡った。それは、このダンジョンに生息するはずのない、遥かに格上の魔物が発する、憎悪と苦痛に満ちた絶叫だった。
その絶叫を合図にしたかのように、ダンジョンの至る所から、無数の魔物の咆哮が連鎖して湧き上がった。それはもはや、個々の魔物の威嚇音ではない。一つの巨大な意志に突き動かされた、軍勢の鬨(とき)の声だった。
スタンピード。
歴史書に記された、原因不明の魔物の暴走。それが今、始まったのだ。
俺は即座に身を翻し、近くにあった岩陰へと身を潜めた。そして、意識を集中させ、ダンジョン内の音と気配を探る。
「ぎゃあああああっ!」
「助けてくれ!」
「来るな! こっちに来るな!」
下層階から、生徒たちの絶叫と悲鳴が次々と聞こえてくる。普段なら静かなはずのダンジョンが、阿鼻叫喚の地獄へと変貌していた。
魔物の数が、尋常ではない。本来なら少数で行動するはずのゴブリンが、何十匹という統率された群れを成し、上層階へと雪崩れ込んでいく気配がする。空からは、血に飢えたジャイアントバットの羽音が、嵐のように響き渡っていた。
状況は、歴史書の記述よりも明らかに悪化していた。これはもはや、単なるパニックではない。計画された、殺戮だ。
俺は岩陰からそっと顔を出し、上層階へと続く通路を窺った。そこを、恐怖に顔を引きつらせた生徒たちが、武器も盾も放り出して逃げ惑っていた。彼らの後ろからは、涎を垂らし、目を血走らせたゴブリンの群れが、数の暴力で押し寄せてくる。
教師たちの怒声も聞こえるが、完全に統制を失った生徒たちの波に掻き消されていた。
「落ち着け! 陣形を組むんだ!」
「魔法使いは後方から援護しろ!」
だが、その指示も虚しかった。恐怖は、いとも簡単に連携を破壊する。生徒たちは我先に
と、狭い入り口へと殺到し、将棋倒しになりかけていた。
俺は冷静に、その惨状を分析していた。
(このままでは、死者が出る。歴史書では『多数の負傷者』としか書かれていなかった。つまり、何かが、あるいは誰かが、歴史の記述よりもさらに事態を悪化させている)
俺の脳裏に、あの人為的な魔力の気配がよぎる。
(目的は、生徒たちの殲滅か? いや、それならばもっと効率的なやり方があるはずだ。これは、特定の誰かを狙った罠と考えるべきだ)
そして、その「誰か」が誰であるかは、考えるまでもない。
この国の未来を担う、第一王子カイウス・フォン・グランツ。
彼さえいなくなれば、帝国の権力図は大きく塗り替わる。それを望む者が、帝国内部にいるということだ。
俺は、カイウスたちの気配を探った。彼らのグループは、他の生徒たちよりも深層、おそらく四階層の中ほどまで進んでいたはずだ。スタンピードは下層から上層へと向かって発生している。つまり、彼らは魔物の大群によって、退路を完全に断たれている可能性が高い。
俺は岩陰から飛び出し、音もなく壁の影から影へと移動を開始した。目的地は、カイウスたちがいるであろう四階層の中心部だ。
助けに行く義理などない。むしろ、彼がここで死ねば、俺の破滅の未来は自動的に回避されるかもしれない。
(だが、それは悪手だ)
俺は思考を巡らせる。カイウスが死んだ後の未来は、歴史書には書かれていない。それは、羅針盤も海図もない暗黒の海へ、一人で漕ぎ出すことを意味する。未知の脅威、予測不能な破滅。そんな不確定な未来に身を投じるのは、愚策中の愚策だ。
カイウスには、生きていてもらわなければ困る。俺が歴史をコントロールし、確実に破滅を回避するためには、彼という「物語の主役」が、俺の筋書き通りに動いてくれる必要があるのだ。
(面倒なことになった。実に、面倒だ)
俺は心の中で悪態をつきながらも、速度を上げた。
四階層の中心部に近づくにつれ、戦闘の音が激しくなっていくのが分かった。金属がぶつかる甲高い音、魔法が炸裂する轟音、そして、ゴブリンとは明らかに違う、大型の魔物の咆哮。
俺は巨大な鍾乳石の影から、その光景を目の当たりにした。
そこは、広場のような空間になっていた。その中央で、カイウスたち五人のグループが、背中合わせに円陣を組み、必死に戦っていた。
彼らを囲んでいるのは、十数匹のホブゴブリン。ゴブリンの上位種であり、一年生が相手にするにはあまりにも荷が重い敵だ。その中には、ひときてわ大きい、傷だらけのリーダー格の個体も混じっている。
「くそっ、キリがない!」
カイウスが、炎の剣を振るってホブゴブリンの一体を薙ぎ払いながら、苦々しげに叫ぶ。彼の額には汗が光り、その呼吸は明らかに乱れていた。
「リリアーナ! 回復を!」
「はいっ!」
リリアーナは、円陣の中心で必死に治癒魔法を詠唱していた。だが、彼女の顔色は青白く、その魔力も尽きかけているのが見て取れた。負傷した仲間を癒やす傍ら、自分自身も消耗しきっているのだ。
他の三人の生徒たちも、満身創痍だった。盾は砕け、剣は刃こぼれしている。もはや、カイウス一人の力で、かろうじて戦線を維持しているに過ぎない。
彼らは、完全に孤立していた。上層階へ続く道は、後から来たホブゴブリンの群れに塞がれ、さらに深層へと続く道は、得体の知れない邪悪な気配に満ちている。まさに、袋の鼠だった。
ホブゴブリンのリーダーが、甲高い雄叫びを上げた。それを合図に、包囲網がじりじりと狭まっていく。
カイウスたちが、絶望的な状況に追い込まれていくのを、俺は冷たい目で見つめていた。
助けるか。見捨てるか。
俺の脳が、高速で損得勘定を始める。
ここで彼らを見捨てれば、俺の破滅は回避される確率が高い。だが、未来は混沌とする。
ここで彼らを助ければ、俺は歴史書にない「介入」を行うことになる。未来は予測しやすくなるが、俺自身が危険に晒され、正体がバレるリスクを負う。
どちらが、俺の生存戦略にとって、より有益か。
答えは、すでに出ていた。
俺は静かに息を吐き、足元の影に意識を沈めた。
「……ヒーローごっこは、柄じゃないんだがな」
俺の体が、音もなく影の中へと溶けていく。
歴史という舞台の脚本を書き換えるため、悪役は、今から誰にも知られぬ救世主を演じるのだ。
そのことに、カイウスも、リリアーナも、そしてこの事件を仕組んだ黒幕さえも、まだ気づいてはいなかった。
ゴゴゴゴゴ……!
ダンジョン全体が、まるで巨大な獣の呻きのように低く鳴動した。壁からは砂や小石がぱらぱらと剥がれ落ち、足元がおぼつかないほどの激しい揺れが襲う。
「地震か……? いや、違う!」
これは、物理的な揺れだけではない。空間に満ちる魔力そのものが悲鳴を上げ、荒れ狂っている。俺が先ほど感じた邪悪な魔力の流れが、一気に増幅され、ダンジョン全体を汚染していくのが肌で感じられた。
そして、揺れが収まった直後。
遠く、ダンジョンの深層から、一つの雄叫びが響き渡った。それは、このダンジョンに生息するはずのない、遥かに格上の魔物が発する、憎悪と苦痛に満ちた絶叫だった。
その絶叫を合図にしたかのように、ダンジョンの至る所から、無数の魔物の咆哮が連鎖して湧き上がった。それはもはや、個々の魔物の威嚇音ではない。一つの巨大な意志に突き動かされた、軍勢の鬨(とき)の声だった。
スタンピード。
歴史書に記された、原因不明の魔物の暴走。それが今、始まったのだ。
俺は即座に身を翻し、近くにあった岩陰へと身を潜めた。そして、意識を集中させ、ダンジョン内の音と気配を探る。
「ぎゃあああああっ!」
「助けてくれ!」
「来るな! こっちに来るな!」
下層階から、生徒たちの絶叫と悲鳴が次々と聞こえてくる。普段なら静かなはずのダンジョンが、阿鼻叫喚の地獄へと変貌していた。
魔物の数が、尋常ではない。本来なら少数で行動するはずのゴブリンが、何十匹という統率された群れを成し、上層階へと雪崩れ込んでいく気配がする。空からは、血に飢えたジャイアントバットの羽音が、嵐のように響き渡っていた。
状況は、歴史書の記述よりも明らかに悪化していた。これはもはや、単なるパニックではない。計画された、殺戮だ。
俺は岩陰からそっと顔を出し、上層階へと続く通路を窺った。そこを、恐怖に顔を引きつらせた生徒たちが、武器も盾も放り出して逃げ惑っていた。彼らの後ろからは、涎を垂らし、目を血走らせたゴブリンの群れが、数の暴力で押し寄せてくる。
教師たちの怒声も聞こえるが、完全に統制を失った生徒たちの波に掻き消されていた。
「落ち着け! 陣形を組むんだ!」
「魔法使いは後方から援護しろ!」
だが、その指示も虚しかった。恐怖は、いとも簡単に連携を破壊する。生徒たちは我先に
と、狭い入り口へと殺到し、将棋倒しになりかけていた。
俺は冷静に、その惨状を分析していた。
(このままでは、死者が出る。歴史書では『多数の負傷者』としか書かれていなかった。つまり、何かが、あるいは誰かが、歴史の記述よりもさらに事態を悪化させている)
俺の脳裏に、あの人為的な魔力の気配がよぎる。
(目的は、生徒たちの殲滅か? いや、それならばもっと効率的なやり方があるはずだ。これは、特定の誰かを狙った罠と考えるべきだ)
そして、その「誰か」が誰であるかは、考えるまでもない。
この国の未来を担う、第一王子カイウス・フォン・グランツ。
彼さえいなくなれば、帝国の権力図は大きく塗り替わる。それを望む者が、帝国内部にいるということだ。
俺は、カイウスたちの気配を探った。彼らのグループは、他の生徒たちよりも深層、おそらく四階層の中ほどまで進んでいたはずだ。スタンピードは下層から上層へと向かって発生している。つまり、彼らは魔物の大群によって、退路を完全に断たれている可能性が高い。
俺は岩陰から飛び出し、音もなく壁の影から影へと移動を開始した。目的地は、カイウスたちがいるであろう四階層の中心部だ。
助けに行く義理などない。むしろ、彼がここで死ねば、俺の破滅の未来は自動的に回避されるかもしれない。
(だが、それは悪手だ)
俺は思考を巡らせる。カイウスが死んだ後の未来は、歴史書には書かれていない。それは、羅針盤も海図もない暗黒の海へ、一人で漕ぎ出すことを意味する。未知の脅威、予測不能な破滅。そんな不確定な未来に身を投じるのは、愚策中の愚策だ。
カイウスには、生きていてもらわなければ困る。俺が歴史をコントロールし、確実に破滅を回避するためには、彼という「物語の主役」が、俺の筋書き通りに動いてくれる必要があるのだ。
(面倒なことになった。実に、面倒だ)
俺は心の中で悪態をつきながらも、速度を上げた。
四階層の中心部に近づくにつれ、戦闘の音が激しくなっていくのが分かった。金属がぶつかる甲高い音、魔法が炸裂する轟音、そして、ゴブリンとは明らかに違う、大型の魔物の咆哮。
俺は巨大な鍾乳石の影から、その光景を目の当たりにした。
そこは、広場のような空間になっていた。その中央で、カイウスたち五人のグループが、背中合わせに円陣を組み、必死に戦っていた。
彼らを囲んでいるのは、十数匹のホブゴブリン。ゴブリンの上位種であり、一年生が相手にするにはあまりにも荷が重い敵だ。その中には、ひときてわ大きい、傷だらけのリーダー格の個体も混じっている。
「くそっ、キリがない!」
カイウスが、炎の剣を振るってホブゴブリンの一体を薙ぎ払いながら、苦々しげに叫ぶ。彼の額には汗が光り、その呼吸は明らかに乱れていた。
「リリアーナ! 回復を!」
「はいっ!」
リリアーナは、円陣の中心で必死に治癒魔法を詠唱していた。だが、彼女の顔色は青白く、その魔力も尽きかけているのが見て取れた。負傷した仲間を癒やす傍ら、自分自身も消耗しきっているのだ。
他の三人の生徒たちも、満身創痍だった。盾は砕け、剣は刃こぼれしている。もはや、カイウス一人の力で、かろうじて戦線を維持しているに過ぎない。
彼らは、完全に孤立していた。上層階へ続く道は、後から来たホブゴブリンの群れに塞がれ、さらに深層へと続く道は、得体の知れない邪悪な気配に満ちている。まさに、袋の鼠だった。
ホブゴブリンのリーダーが、甲高い雄叫びを上げた。それを合図に、包囲網がじりじりと狭まっていく。
カイウスたちが、絶望的な状況に追い込まれていくのを、俺は冷たい目で見つめていた。
助けるか。見捨てるか。
俺の脳が、高速で損得勘定を始める。
ここで彼らを見捨てれば、俺の破滅は回避される確率が高い。だが、未来は混沌とする。
ここで彼らを助ければ、俺は歴史書にない「介入」を行うことになる。未来は予測しやすくなるが、俺自身が危険に晒され、正体がバレるリスクを負う。
どちらが、俺の生存戦略にとって、より有益か。
答えは、すでに出ていた。
俺は静かに息を吐き、足元の影に意識を沈めた。
「……ヒーローごっこは、柄じゃないんだがな」
俺の体が、音もなく影の中へと溶けていく。
歴史という舞台の脚本を書き換えるため、悪役は、今から誰にも知られぬ救世主を演じるのだ。
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