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第四十七話 前期試験の始まり
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リリアーナを拒絶した夜から、学園の空気は微妙に変化していた。彼女は俺と一切の視線を合わせなくなり、その翡翠色の瞳には、以前のような探るような色はなく、ただ深い悲しみと、俺に対する完全な拒絶が浮かんでいるだけだった。その変化はカイウスにも伝わり、彼が俺に向ける敵意は、もはや隠しようもない殺意にも似たものへと変わっていた。
それでよかった。俺は、彼らが俺から完全に興味を失うことを望んでいたのだから。
父からの密命である「もう一人の蛇」の捜索は、依然として難航していた。影分身による24時間体制の監視を続けているが、ロラン教授が拘束されて以来、「黄昏の蛇」の動きは完全に沈黙している。奴らは、一度失敗した計画に見切りをつけ、息を潜めて次の機会を窺っているのだろう。
そんな膠着した状況の中、学園は前期の終わりを告げる一大イベント、期末試験のシーズンへと突入した。
期末試験は、筆記試験と実技試験の二つに大別される。筆記試験は魔法史、魔法理論、古代語、帝国法など多岐にわたり、実技試験は対人模擬戦を中心としたトーナメント形式で行われる。総合評価は、この二つの成績を合算して決定される。
生徒たちは、皆一様に試験勉強に追われ、学園全体がどこか落ち着かない雰囲気に包まれていた。カイウスのような優等生でさえ、夜遅くまで寮の談話室で仲間たちと対策を練っているようだった。
そんな中、俺だけはいつもと変わらず、図書館の隅で自分の研究に没頭していた。俺の頭の中には、試験範囲どころか、この大陸の全ての歴史と魔法理論が叩き込まれている。試験勉強など、する必要すらなかった。
周囲の生徒たちは、そんな俺の姿を見て、陰でこう囁き合っていた。
「見ろよ、ヴァルハイトの奴。もう試験を諦めたみたいだぜ」
「どうせ実技は最下位なんだ。筆記を少し頑張ったところで、結果は変わらんからな」
「いっそ清々しいほどの落ちこぼれっぷりだ」
俺は、そんな彼らの嘲笑をBGMに、静かに知識の探求を続けていた。
そして、筆記試験の当日。
大講堂に全校生徒が集められ、厳粛な雰囲気の中で試験が始まった。配られた問題用紙に、生徒たちが一斉にペンを走らせる音が響き渡る。
俺は、問題用紙にざっと目を通した。どれも、俺にとっては幼稚園児向けのクイズのようなものだ。俺は、ほとんど思考することなく、淡々と解答欄を埋めていく。歴史書を追体験した際に得た知識は、単なる暗記ではない。その時代の空気、人々の感情、出来事の因果関係までを含んだ、生きた知識だ。教科書の記述の誤りや、学説の矛盾点さえも、俺には手に取るように分かる。
他の生徒たちが頭を抱え、必死に記憶を掘り起こしている中、俺は試験開始からわずか三十分で、全ての問題を解き終えてしまった。
俺はペンを置くと、わざとらしく大きなあくびをし、机に突っ伏して眠り始めた。
その態度は、試験監督の教師の怒りを買った。彼は俺の席までやって来ると、机を叩いて俺を叩き起こす。
「ヴァルハイト君! 試験を愚弄する気かね! やる気がないなら、退出したまえ!」
教室中の視線が、俺に集中する。カイウスは「またか」と呆れたように、リリアーナは軽蔑するように、俺を見ていた。
俺は眠そうな目をこすりながら、面倒くさそうに答えた。
「……終わったから、寝ていただけですが。何か問題でも?」
「終わっただと? この難問を、たった三十分でか! 戯言を言うのも大概にしたまえ!」
「ならば、採点してみればいいでしょう。もし、一問でも間違っていたら、俺は退学処分でも何でも受けますよ」
俺のその自信に満ちた態度に、教師は一瞬言葉を失った。だが、すぐに怒りの形相に戻る。
「よかろう! その言葉、忘れるなよ!」
俺は再び机に突っ伏した。残りの試験時間を、俺は本当に眠って過ごした。
数日後、筆記試験の結果が、大講堂の掲示板に張り出された。
生徒たちが、我先にと掲示板の前に殺到する。自分の名前と順位を見つけては、一喜一憂していた。
その人だかりの中心で、やがて、信じられないといった驚愕の声が上がり始めた。
「おい、これ……嘘だろ……?」
「一年生の首席……一位の名前を見ろ!」
その声に、生徒たちが一斉に順位表の一番上へと視線を向ける。
そこに記されていたのは、誰もが予想だにしなかった名前だった。
『一年生 筆記試験総合順位 第一位:アレン・フォン・ヴァルハイト』
しかも、その横には『全教科満点』という、前代未聞の注釈まで添えられていた。
掲示板の前が、水を打ったように静まり返る。
そして、次の瞬間、爆発的なざわめきが巻き起こった。
「満点!? ありえない!」
「あのヴァルハイトの出来損ないが、カイウス様を抑えて一位だと!?」
「何かの間違いじゃないのか!?」
人垣の後方で、カイウスとリリアーナも、信じられないという表情でその結果を見つめていた。カイウスは、常に学年トップの成績を維持してきた。その自分が、あの男に、それも満点という圧倒的な差をつけられて敗れた。その事実が、彼のプライドを深く傷つけた。
リリアーナは、ただ呆然と立ち尽くしていた。彼女の心の中に、再びあの嵐が吹き荒れ始める。実技は無能。態度は最悪。だが、その頭脳は、底が知れない。アレン・ヴァルハイトという人間の矛盾が、また一つ、彼女の前に突きつけられたのだ。
俺は、その騒ぎの中心にはいなかった。結果など、分かりきっていたからだ。俺は図書館の窓から、掲示板の前で混乱する生徒たちの姿を、冷ややかに眺めていた。
(……少し、やりすぎたか)
俺の目的は、あくまで「知識だけの無能」という評価を確立することだった。だが、満点という結果は、あまりにも目立ちすぎる。それは、俺に対する周囲の警戒を、不必要に高めてしまうかもしれない。
だが、もう遅い。賽は投げられた。
ならば、この状況さえも、俺の計画のために利用するまでだ。
筆記試験での圧倒的な勝利。それは、俺がただの無能ではないことを、学園中に知らしめた。
そして、この後に行われる実技試験。そこで俺が「無様に敗北」すれば、俺の評価は、より一層、奇妙で、アンバランスなものとなるだろう。
『知識は天才的。だが、それを活かす力は全くない、哀れな男』
その評価こそが、俺が最も望む、最高のカモフラージュなのだから。
俺は、静かに本を閉じた。
本当の試験は、ここからだ。
実技試験のトーナメント。そこで、俺は俺の無能を、学園中の前で、華々しく証明してやるのだ。
その先に待つ、王子との対決を見据えながら、俺の口元には、悪役らしい歪んだ笑みが浮かんでいた。
それでよかった。俺は、彼らが俺から完全に興味を失うことを望んでいたのだから。
父からの密命である「もう一人の蛇」の捜索は、依然として難航していた。影分身による24時間体制の監視を続けているが、ロラン教授が拘束されて以来、「黄昏の蛇」の動きは完全に沈黙している。奴らは、一度失敗した計画に見切りをつけ、息を潜めて次の機会を窺っているのだろう。
そんな膠着した状況の中、学園は前期の終わりを告げる一大イベント、期末試験のシーズンへと突入した。
期末試験は、筆記試験と実技試験の二つに大別される。筆記試験は魔法史、魔法理論、古代語、帝国法など多岐にわたり、実技試験は対人模擬戦を中心としたトーナメント形式で行われる。総合評価は、この二つの成績を合算して決定される。
生徒たちは、皆一様に試験勉強に追われ、学園全体がどこか落ち着かない雰囲気に包まれていた。カイウスのような優等生でさえ、夜遅くまで寮の談話室で仲間たちと対策を練っているようだった。
そんな中、俺だけはいつもと変わらず、図書館の隅で自分の研究に没頭していた。俺の頭の中には、試験範囲どころか、この大陸の全ての歴史と魔法理論が叩き込まれている。試験勉強など、する必要すらなかった。
周囲の生徒たちは、そんな俺の姿を見て、陰でこう囁き合っていた。
「見ろよ、ヴァルハイトの奴。もう試験を諦めたみたいだぜ」
「どうせ実技は最下位なんだ。筆記を少し頑張ったところで、結果は変わらんからな」
「いっそ清々しいほどの落ちこぼれっぷりだ」
俺は、そんな彼らの嘲笑をBGMに、静かに知識の探求を続けていた。
そして、筆記試験の当日。
大講堂に全校生徒が集められ、厳粛な雰囲気の中で試験が始まった。配られた問題用紙に、生徒たちが一斉にペンを走らせる音が響き渡る。
俺は、問題用紙にざっと目を通した。どれも、俺にとっては幼稚園児向けのクイズのようなものだ。俺は、ほとんど思考することなく、淡々と解答欄を埋めていく。歴史書を追体験した際に得た知識は、単なる暗記ではない。その時代の空気、人々の感情、出来事の因果関係までを含んだ、生きた知識だ。教科書の記述の誤りや、学説の矛盾点さえも、俺には手に取るように分かる。
他の生徒たちが頭を抱え、必死に記憶を掘り起こしている中、俺は試験開始からわずか三十分で、全ての問題を解き終えてしまった。
俺はペンを置くと、わざとらしく大きなあくびをし、机に突っ伏して眠り始めた。
その態度は、試験監督の教師の怒りを買った。彼は俺の席までやって来ると、机を叩いて俺を叩き起こす。
「ヴァルハイト君! 試験を愚弄する気かね! やる気がないなら、退出したまえ!」
教室中の視線が、俺に集中する。カイウスは「またか」と呆れたように、リリアーナは軽蔑するように、俺を見ていた。
俺は眠そうな目をこすりながら、面倒くさそうに答えた。
「……終わったから、寝ていただけですが。何か問題でも?」
「終わっただと? この難問を、たった三十分でか! 戯言を言うのも大概にしたまえ!」
「ならば、採点してみればいいでしょう。もし、一問でも間違っていたら、俺は退学処分でも何でも受けますよ」
俺のその自信に満ちた態度に、教師は一瞬言葉を失った。だが、すぐに怒りの形相に戻る。
「よかろう! その言葉、忘れるなよ!」
俺は再び机に突っ伏した。残りの試験時間を、俺は本当に眠って過ごした。
数日後、筆記試験の結果が、大講堂の掲示板に張り出された。
生徒たちが、我先にと掲示板の前に殺到する。自分の名前と順位を見つけては、一喜一憂していた。
その人だかりの中心で、やがて、信じられないといった驚愕の声が上がり始めた。
「おい、これ……嘘だろ……?」
「一年生の首席……一位の名前を見ろ!」
その声に、生徒たちが一斉に順位表の一番上へと視線を向ける。
そこに記されていたのは、誰もが予想だにしなかった名前だった。
『一年生 筆記試験総合順位 第一位:アレン・フォン・ヴァルハイト』
しかも、その横には『全教科満点』という、前代未聞の注釈まで添えられていた。
掲示板の前が、水を打ったように静まり返る。
そして、次の瞬間、爆発的なざわめきが巻き起こった。
「満点!? ありえない!」
「あのヴァルハイトの出来損ないが、カイウス様を抑えて一位だと!?」
「何かの間違いじゃないのか!?」
人垣の後方で、カイウスとリリアーナも、信じられないという表情でその結果を見つめていた。カイウスは、常に学年トップの成績を維持してきた。その自分が、あの男に、それも満点という圧倒的な差をつけられて敗れた。その事実が、彼のプライドを深く傷つけた。
リリアーナは、ただ呆然と立ち尽くしていた。彼女の心の中に、再びあの嵐が吹き荒れ始める。実技は無能。態度は最悪。だが、その頭脳は、底が知れない。アレン・ヴァルハイトという人間の矛盾が、また一つ、彼女の前に突きつけられたのだ。
俺は、その騒ぎの中心にはいなかった。結果など、分かりきっていたからだ。俺は図書館の窓から、掲示板の前で混乱する生徒たちの姿を、冷ややかに眺めていた。
(……少し、やりすぎたか)
俺の目的は、あくまで「知識だけの無能」という評価を確立することだった。だが、満点という結果は、あまりにも目立ちすぎる。それは、俺に対する周囲の警戒を、不必要に高めてしまうかもしれない。
だが、もう遅い。賽は投げられた。
ならば、この状況さえも、俺の計画のために利用するまでだ。
筆記試験での圧倒的な勝利。それは、俺がただの無能ではないことを、学園中に知らしめた。
そして、この後に行われる実技試験。そこで俺が「無様に敗北」すれば、俺の評価は、より一層、奇妙で、アンバランスなものとなるだろう。
『知識は天才的。だが、それを活かす力は全くない、哀れな男』
その評価こそが、俺が最も望む、最高のカモフラージュなのだから。
俺は、静かに本を閉じた。
本当の試験は、ここからだ。
実技試験のトーナメント。そこで、俺は俺の無能を、学園中の前で、華々しく証明してやるのだ。
その先に待つ、王子との対決を見据えながら、俺の口元には、悪役らしい歪んだ笑みが浮かんでいた。
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