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第六十二話 影の狩人
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地下聖堂の備品倉庫。俺はその冷たい石の壁に背を預け、影と一体化しながら獲物を待つ蜘蛛のように息を潜めていた。
陽動に誘き出された護衛たちが通路の奥へと消えていく。聖堂内に残る敵は、リーダー格の男とリリアナの左右に立つ二人の見張りだけ。好機は今しかない。
俺は床に広がる影に意識を沈めた。魔力を練り上げ、二本の見えざる槍を生成する。
標的はまずリーダーから見て死角になる、右側の見張り。
俺の意思に応じ、男の足元の影が音もなく、そして予兆もなく鋭利な杭となって突き出した。
プスッ、という肉を貫く鈍い音。
影の杭は男の鎧の隙間を寸分の狂いもなく貫き、その心臓を破壊していた。男は自分が死んだことさえ理解できぬまま、声もなくその場に崩れ落ちる。
「ん? おい、どうした?」
異変に気づいた左側の見張りが訝しげに声をかけた。だが、それが彼の最後の言葉となった。
俺は一体目の杭が役目を終えると同時に、二体目の杭を放っていた。左側の男の影からもまた漆黒の凶器が突き出し、その命を刈り取る。
二人の護衛がわずか数秒の間に、抵抗一つできずに沈黙した。
そのあまりに静かで、あまりに異様な光景に、ついにリーダー格の男が気づいた。
「……なっ!?」
彼は絶命した仲間たちと、祭壇に繋がれたリリアナの間に広がる不自然なほど濃い影を、信じられないという目で見つめた。
「……いつの間に……誰だ! そこにいるのは誰だ!」
男の叫びが、がらんとした地下聖堂に木霊する。
その問いに答えるように、俺は備品倉庫の影の中からゆっくりとその姿を現した。漆黒のマントをはためかせ、カラスの仮面が月光を鈍く反射する。
「……お前たちの下らない芝居は終わりだ」
変声魔道具を通した、低く響く声。
男は俺のその異様な姿に一瞬だけ恐怖に目を見開いた。だが、彼は闇ギルドの手練れ。すぐに気を取り直し腰に下げた長剣を抜き放つ。
「……何者だか知らんが、ここまで嗅ぎつけた運のなさを呪うがいい! 蛇の邪魔をする者は、生かしては帰さん!」
男は雄叫びを上げ、俺に向かって一直線に突進してきた。その剣筋には迷いがない。幾多の修羅場を潜り抜けてきた者だけが持つ、鋭い殺意が込められていた。
だが、俺は一歩も動かなかった。
男の剣が俺の仮面を砕かんと迫る、その寸前。俺の体はまるで陽炎のように揺らめき、その場から掻き消えた。「影潜」。俺の体は完全に床の影の中へと沈んでいた。
「消えた!?」
男は全力の斬撃が空を切ったことに驚愕の声を上げる。
「――後ろだ」
俺の声は男の背後から響いた。俺は男が作り出す自身の影の中から、音もなく姿を現していたのだ。
男は弾かれたように振り返る。だが、その時にはもう全てが遅かった。
俺は彼の振り向きざまの無防備な首筋に、手にした短剣の柄を的確に叩き込んだ。急所への完璧な一撃。
「ぐ……っ!」
男は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。気絶しているだけで、殺してはいない。こいつは「黄昏の蛇」に関する情報をさらに引き出すための貴重なサンプルだ。
地下聖堂に完全な静寂が戻った。残されたのは意識を失った三人の賊と、祭壇に繋がれたまま目の前で起きた超常現象に言葉を失っているリリアナだけだった。
俺はリリアナへとゆっくりと歩み寄った。
彼女は俺の姿を恐怖と、そしてわずかな好奇心が入り混じった瞳で見つめていた。その翡翠色の瞳が、仮面の奥にある俺の正体を探ろうとするかのように揺れている。
俺は何も言わず、「影の倉庫」から取り出したナイフで彼女を縛り付けていた鎖と、口を塞いでいた布を切り裂いた。
自由になったリリアナは咳き込みながらも、か細い声で問いかけた。
「……あなたは、一体……? あの時、ダンジョンで私たちを助けてくださった方、ですわね?」
「……」
俺は答えない。代わりに彼女の前に跪き、その手を取った。そして彼女が身につけていた指輪の一つをそっと外す。
「な、何を……」
俺はその指輪に微弱な魔力を込めると、それを聖堂の隅の闇へと放り投げた。指輪は闇に吸い込まれるように消える。
あれは彼女の身の安全を確認するための、王家が用意した追跡用の魔道具だった。これがある限りカイウスたちはすぐにこの場所に殺到してしまう。それでは俺の計画に狂いが生じる。
俺は立ち上がり、リリアナに背を向けた。
「ここにいろ。すぐに迎えが来る」
「待って……!」
彼女の制止の声に、俺は足を止めない。
その時だった。
ズゥゥゥンッ!
頭上から地響きと共に巨大な破壊音が鳴り響いた。ついにカイウスたちが地上の教会入り口を強行突破し、地下へと続く階段を駆け下りてくる気配がする。
陽動部隊の役目は終わった。ここからは主役の登場だ。
俺は仮面の奥で静かに笑みを浮かべた。
「……さて、クロウの出番はここまで」
俺はリリアナが見ている前で、再び聖堂の深い影の中へとその身を沈めていった。まるで最初からそこに誰もいなかったかのように、俺の姿は完全に消え失せる。
残されたリリアナは解放された両手で口元を覆い、ただ呆然と闇が揺らめいた場所を見つめていた。
彼女の心の中では謎の協力者「クロウ」の存在が、決して消えることのない強烈な印象となって刻み込まれていた。
そしてその正体不明の影の騎士と、忌み嫌われる悪役であるアレン・ヴァルハイトの姿が、なぜか彼女の中で奇妙に重なり始めていた。
その答えを見つける前に、地下聖堂の扉が凄まじい勢いで蹴破られた。
「リリアーナ!」
カイウスの悲痛な叫びが響き渡る。
光と共に現れた王子と騎士たち。
物語はついにクライマックスの舞台へと、その駒を進めた。
陽動に誘き出された護衛たちが通路の奥へと消えていく。聖堂内に残る敵は、リーダー格の男とリリアナの左右に立つ二人の見張りだけ。好機は今しかない。
俺は床に広がる影に意識を沈めた。魔力を練り上げ、二本の見えざる槍を生成する。
標的はまずリーダーから見て死角になる、右側の見張り。
俺の意思に応じ、男の足元の影が音もなく、そして予兆もなく鋭利な杭となって突き出した。
プスッ、という肉を貫く鈍い音。
影の杭は男の鎧の隙間を寸分の狂いもなく貫き、その心臓を破壊していた。男は自分が死んだことさえ理解できぬまま、声もなくその場に崩れ落ちる。
「ん? おい、どうした?」
異変に気づいた左側の見張りが訝しげに声をかけた。だが、それが彼の最後の言葉となった。
俺は一体目の杭が役目を終えると同時に、二体目の杭を放っていた。左側の男の影からもまた漆黒の凶器が突き出し、その命を刈り取る。
二人の護衛がわずか数秒の間に、抵抗一つできずに沈黙した。
そのあまりに静かで、あまりに異様な光景に、ついにリーダー格の男が気づいた。
「……なっ!?」
彼は絶命した仲間たちと、祭壇に繋がれたリリアナの間に広がる不自然なほど濃い影を、信じられないという目で見つめた。
「……いつの間に……誰だ! そこにいるのは誰だ!」
男の叫びが、がらんとした地下聖堂に木霊する。
その問いに答えるように、俺は備品倉庫の影の中からゆっくりとその姿を現した。漆黒のマントをはためかせ、カラスの仮面が月光を鈍く反射する。
「……お前たちの下らない芝居は終わりだ」
変声魔道具を通した、低く響く声。
男は俺のその異様な姿に一瞬だけ恐怖に目を見開いた。だが、彼は闇ギルドの手練れ。すぐに気を取り直し腰に下げた長剣を抜き放つ。
「……何者だか知らんが、ここまで嗅ぎつけた運のなさを呪うがいい! 蛇の邪魔をする者は、生かしては帰さん!」
男は雄叫びを上げ、俺に向かって一直線に突進してきた。その剣筋には迷いがない。幾多の修羅場を潜り抜けてきた者だけが持つ、鋭い殺意が込められていた。
だが、俺は一歩も動かなかった。
男の剣が俺の仮面を砕かんと迫る、その寸前。俺の体はまるで陽炎のように揺らめき、その場から掻き消えた。「影潜」。俺の体は完全に床の影の中へと沈んでいた。
「消えた!?」
男は全力の斬撃が空を切ったことに驚愕の声を上げる。
「――後ろだ」
俺の声は男の背後から響いた。俺は男が作り出す自身の影の中から、音もなく姿を現していたのだ。
男は弾かれたように振り返る。だが、その時にはもう全てが遅かった。
俺は彼の振り向きざまの無防備な首筋に、手にした短剣の柄を的確に叩き込んだ。急所への完璧な一撃。
「ぐ……っ!」
男は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。気絶しているだけで、殺してはいない。こいつは「黄昏の蛇」に関する情報をさらに引き出すための貴重なサンプルだ。
地下聖堂に完全な静寂が戻った。残されたのは意識を失った三人の賊と、祭壇に繋がれたまま目の前で起きた超常現象に言葉を失っているリリアナだけだった。
俺はリリアナへとゆっくりと歩み寄った。
彼女は俺の姿を恐怖と、そしてわずかな好奇心が入り混じった瞳で見つめていた。その翡翠色の瞳が、仮面の奥にある俺の正体を探ろうとするかのように揺れている。
俺は何も言わず、「影の倉庫」から取り出したナイフで彼女を縛り付けていた鎖と、口を塞いでいた布を切り裂いた。
自由になったリリアナは咳き込みながらも、か細い声で問いかけた。
「……あなたは、一体……? あの時、ダンジョンで私たちを助けてくださった方、ですわね?」
「……」
俺は答えない。代わりに彼女の前に跪き、その手を取った。そして彼女が身につけていた指輪の一つをそっと外す。
「な、何を……」
俺はその指輪に微弱な魔力を込めると、それを聖堂の隅の闇へと放り投げた。指輪は闇に吸い込まれるように消える。
あれは彼女の身の安全を確認するための、王家が用意した追跡用の魔道具だった。これがある限りカイウスたちはすぐにこの場所に殺到してしまう。それでは俺の計画に狂いが生じる。
俺は立ち上がり、リリアナに背を向けた。
「ここにいろ。すぐに迎えが来る」
「待って……!」
彼女の制止の声に、俺は足を止めない。
その時だった。
ズゥゥゥンッ!
頭上から地響きと共に巨大な破壊音が鳴り響いた。ついにカイウスたちが地上の教会入り口を強行突破し、地下へと続く階段を駆け下りてくる気配がする。
陽動部隊の役目は終わった。ここからは主役の登場だ。
俺は仮面の奥で静かに笑みを浮かべた。
「……さて、クロウの出番はここまで」
俺はリリアナが見ている前で、再び聖堂の深い影の中へとその身を沈めていった。まるで最初からそこに誰もいなかったかのように、俺の姿は完全に消え失せる。
残されたリリアナは解放された両手で口元を覆い、ただ呆然と闇が揺らめいた場所を見つめていた。
彼女の心の中では謎の協力者「クロウ」の存在が、決して消えることのない強烈な印象となって刻み込まれていた。
そしてその正体不明の影の騎士と、忌み嫌われる悪役であるアレン・ヴァルハイトの姿が、なぜか彼女の中で奇妙に重なり始めていた。
その答えを見つける前に、地下聖堂の扉が凄まじい勢いで蹴破られた。
「リリアーナ!」
カイウスの悲痛な叫びが響き渡る。
光と共に現れた王子と騎士たち。
物語はついにクライマックスの舞台へと、その駒を進めた。
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