破滅の運命を覆すため、悪役貴族は影で最強を目指す 〜歴史書では断罪される俺だが、未来知識と禁忌の魔法で成り上がってみせる〜

夏見ナイ

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第七十八話 待ち受ける罠

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王宮内部、玉座の間へと続く長い廊下。
父ジークフリート率いるヴァルハイト家の精鋭部隊は、最後の抵抗を試みる近衛騎士たちを圧倒的な力でねじ伏せていた。だが、父の表情には勝利を前にした高揚感ではなく、拭いきれない焦燥の色が浮かんでいた。
(……遅い)
彼の脳裏で警鐘が鳴り響いていた。
計画通りならば、この頃には宰相が皇帝を人質に取り、玉座の間で自分を待ち受けているはずだった。そして自分が駆けつけたところで宰相の本性を暴き、彼を拘束する。それが父が描いた脚本だった。
だが、宰相からの連絡はない。まるでこのクーデターそのものに気づいていないかのように。
それはありえないことだった。
父は自らの計画がどこかで致命的な綻びを見せ始めていることを、本能的に感じ取っていた。

その頃、王都城門前では、ゲオルグとベルトルトが陽動の限界を感じ始めていた。
「……兄上、おかしい」
ベルトルトが魔法の詠唱の合間にゲオルグに囁いた。
「カイウス王子の動きがあまりにも良すぎる。まるで我々の手の内を全て読んでいるかのようだ」
ゲオルグも同じことを感じていた。カイウス率いる近衛騎士団は、ヴァルハイト軍の猛攻を最小限の犠牲で完璧に防ぎきっている。それはただの防衛戦ではない。まるで何かを、誰かを待っているかのような意図的な時間稼ぎ。
「……アレンか」
ゲオルグは弟の名を呟いた。
この奇妙な戦場の裏で、あの底知れない弟が何かを画策している。兄たちはそう確信せざるを得なかった。

そして、その元凶である俺は、王宮大聖堂の地下、カタコンベの入り口に息を殺して潜んでいた。
宰相ゲルハルトと枢機卿アウグストゥス。帝国の光と影の頂点に立つ二人が「黄昏の蛇」の首魁であったという衝撃の事実。そして彼らがすでに二つの鍵を手にしているという最悪の事態。
俺は影分身を通して、彼らの会話を盗み聞きしていた。
「……儀式の準備は整ったか」
宰相の冷たい声が響く。
「はっ。始祖の遺産への『門』を開くための最後の生贄も、すでに配置しております」
生贄?
その不吉な言葉に、俺の全身が粟立った。
「よろしい。ジークフリートが玉座の間にたどり着く頃合いを見て儀式を開始する。奴には最高の絶望を味あわせてやらねばな。自らのクーデターが我らのための壮大な生贄の儀式であったと知った時の、あの男の顔が楽しみだ」
下劣な笑い声がカタコンベに響き渡る。
俺は彼らの計画の本当のおぞましさを理解した。
父のクーデターは罠ではなかった。罠にかかっていたのは父自身だったのだ。
宰相たちは父の計画を全て知った上で、それを逆利用した。クーデターによって王都に満ちる兵士たちの闘争心、憎悪、そして流される血。その全てを、始祖の遺産を召喚するための巨大な魔力源、触媒として利用するつもりなのだ。
父が帝国を浄化するために起こした戦いが、帝国を破滅させるための儀式の最後の引き金となる。
これ以上の皮肉があるだろうか。
(……父上に、知らせなければ)
だが、どうやって? この地下深くから地上で戦う父に、この危機を伝える術はない。
俺の脳が高速で回転する。
残された時間は少ない。
俺がここで儀式を阻止するしかない。
俺は覚悟を決めた。

その頃、父ジークフリートは、ついに玉座の間の巨大な扉の前にたどり着いていた。
彼の背後には血と汗に濡れた精鋭たちが、息を荒げながらも整然と並んでいる。
「……開けろ」
父の静かな命令に、二人の兵士が重い扉をゆっくりと押し開いた。
現れたのは、息を呑むほどに豪奢な玉座の間だった。
だが、そこに父が想像していた光景はなかった。
玉座には皇帝が一人、静かに腰掛けているだけだった。その顔には恐怖も怒りもない。ただ深い諦観だけが浮かんでいた。
宰相の姿はどこにもない。
代わりに、玉座の間の至る所に黒いローブをまとった「黄昏の蛇」の兵士たちが、まるで最初からそこにいたかのように静かに佇んでいた。その数は父が率いてきた精鋭部隊を遥かに上回っていた。
そして、彼らの中心、玉座の脇に立つ一人の男を見て、父は自らの過ちを完全に理解した。
その男は温厚な笑みを浮かべていた。宰相ゲルハルト・フォン・アトウッド。
「……お待ちしておりましたぞ、ジークフリート公」
宰相の穏やかな声が響く。
「貴殿の忠義のクーデター。実に見事なものでした。おかげで我らの準備も、滞りなく完了いたしました」
「……ゲルハルト。貴様……!」
父の顔から血の気が引いていく。
「最初から全て、貴様の筋書きだったというのか」
「いかにも」と宰相は楽しげに頷いた。「貴殿の信頼する側近から計画の全てを聞いた時から、この日のために最高の舞台を用意しておりました。貴殿と貴殿の息子たちを、そしてこの帝国の全てを一度に葬り去るための、最高の舞台をな」
宰相がパチンと指を鳴らす。
それを合図に、玉座の間の全ての扉と窓が魔法の障壁によって一斉に閉ざされた。
そこはもはや玉座の間ではない。
巨大な檻の中だった。
「さあ、ジークフリート公」
宰相は両腕を広げた。
「最後の幕を始めようではないか。貴殿には我が野望の完成を、特等席で見届けてもらうとしよう」
父は絶望的な状況の中で、静かに剣を抜き放った。
その鷲のような瞳には自らの過ちへの悔恨と、それでもなお最後まで戦い抜こうとするヴァルハイト家の当主としての最後の誇りが燃えていた。
帝国の光と影が、ついに玉座の間で激突する。
だが、その勝敗はもはや火を見るよりも明らかだった。
罠にかかった獅子は、ただその牙が折れるまで戦うことしかできなかったのだ。
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