破滅の運命を覆すため、悪役貴族は影で最強を目指す 〜歴史書では断罪される俺だが、未来知識と禁忌の魔法で成り上がってみせる〜

夏見ナイ

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第九十話 領域内の支配者

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俺が創り出した影の巨人の拳が、魔人と化した宰相ゲルハルトへと振り下ろされる。それは物理的な質量を持たない、純粋な闇の概念そのものが凝縮された一撃だった。
時間さえもが止まったかのように感じられた。
魔人は俺の家族の決死の妨害によって動きを封じられ、その濁った赤い瞳で、自らの頭上に迫る絶対的な「死」をただ見上げることしかできなかった。
その瞳に一瞬だけ、かつての老獪な政治家ゲルハルトとしての恐怖と後悔の色が浮かんだのを、俺は見逃さなかった。
だが、もう遅い。
ゴォ……という、音さえも飲み込むような圧殺音。
影の巨人の拳は、魔人の体を抵抗一つ許さずに完全に飲み込んでいった。そのおぞましい肉体は闇に触れた瞬間から、砂の城が崩れるように黒い粒子となって霧散していく。
断末魔の叫びさえ、存在を許されない。
魔人の存在そのものが、俺が支配するこの影の領域から完全に「消去」されていく。
やがて、巨人の拳が振り抜かれた後には何も残っていなかった。宰相ゲルハルトという男がこの世に存在したという痕跡さえも、きれいさっぱりと。
「……はぁ……はぁ……」
俺はその場に片膝をついた。影の巨人もまたその役目を終えたかのように、静かに闇の中へと溶けて消えていく。
『影ノ領域』の展開による生命力の消耗は、俺の想像を絶していた。全身の血管が内側から焼き切れるような激痛。意識が今にも途切れそうになる。
だが、俺は歯を食いしばり必死に自我を保った。
まだだ。まだ戦いは終わっていない。
この領域は俺の意思ある限り維持される。そして、この空間の支配者はこの俺だ。
俺はゆっくりと立ち上がった。そして、この領域内で唯一、魔人と同じ邪悪な気配を放つ最後の標的へと視線を向けた。
玉座の裏、螺旋階段の奥で未だに不気味な光を放ち続ける、黒曜石の祭壇。
あれこそが、この魔城化現象と旧き神の力の全ての元凶。
あれを破壊しない限り、この領域を解いた瞬間、王城は再び魔城へと戻り悪夢は繰り返される。
俺は祭壇に向かって片手を突き出した。
俺の意思に応じ、領域内の闇が再び蠢き始める。今度は無数の鋭利な黒い槍となって祭壇へと殺到した。
だが祭壇は、槍が突き刺さる寸前、強烈な紫色の魔力障壁を展開し全ての攻撃を弾き返した。
「……ちっ」
祭壇はそれ自体が強力な自己防衛機能を持つ古代のアーティファクトなのだ。影魔法による物理的な攻撃だけでは破壊は困難か。
その時だった。
「――アレン様!」
俺の背後から、リリアナの凛とした声が響いた。
彼女は俺が創り出したこの闇の世界に恐怖を感じながらも、その瞳には強い意志の光を宿していた。
「……あなたの力だけでは、あの邪悪な祭壇は破壊できません。あれは聖なる力によってのみ、浄化されるべきものなのです!」
「……聖なる力、だと?」
「はい! 私の光とあなたの影。その二つの力が合わされば、きっと……!」
彼女の言葉は、俺の脳裏に父が語った帝国の創生神話を蘇らせた。
光と影。
初代皇帝がその二つの力を以て大陸を平定したという、失われた歴史。
まさか、その再現をこの場所で俺と彼女が行うことになるとは。
俺はリリアナに向き直った。
「……どうすればいい」
「祭壇の魔力障壁に、あなたの影の力でほんの一瞬でいい。亀裂を入れてください! 私の光は、その一瞬の隙間さえあれば内部へと届きます!」
それは極限の集中力と完璧な信頼関係がなければ決して成功しないであろう、危険な賭けだった。
俺は無言で頷いた。
そして再び祭壇へと向き直る。
俺は残された最後の生命力を振り絞った。
「――いけ」
俺の全魔力を込めた一本の、極限まで圧縮された影の槍が、音速を超えて祭壇の魔力障壁へと突き刺さった。
ミシリ、と。
障壁の表面に蜘蛛の巣のような微細な亀裂が走る。
それはほんのコンマ数秒にも満たない、一瞬の隙間。
「――今です!」
リリアナはその一瞬を見逃さなかった。
彼女は胸の前で両手を組み、その身に宿す全ての聖なる力を解放した。
「おお、光の御主よ! 我が祈りを聞き届け、この地の穢れを天へと還したまえ! 『聖域浄化(ホーリー・パージ)』!」
彼女の全身から放たれた黄金色の光は一本の巨大な光の奔流となって、俺が空けた障壁の亀裂へと吸い込まれるように流れ込んでいった。
光と闇が激突する。
祭壇は内部から聖なる光によって浄化され、外部からは俺の影がその存在を侵食しようとする。
相容れない二つの力が祭壇という一点でぶつかり合い、凄まじいエネルギーの嵐を巻き起こした。
地下聖堂全体が激しく揺れ動き、空間そのものが悲鳴を上げている。
「うわあああっ!」
「世界が終わるのか……!?」
誰もがその天地創造にも似た圧倒的な光景を前に、ただひれ伏すことしかできなかった。
やがて。
甲高いガラスが砕け散るような音と共に、黒曜石の祭壇はその形を保てなくなり、内部から光を放ちながら粉々に砕け散った。
そして、それと同時に。
俺の『影ノ領域』もまたその限界を迎え、ガラスの壁が砕けるように霧散していった。
絶対的な闇が晴れ、玉座の間に再び本来の光が戻ってくる。
だが、そこに広がっていたのはもはや荘厳な玉座の間ではなかった。
壁は崩れ、天井には穴が空き、至る所が瓦礫の山と化している。
だが、あの邪悪な魔城の気配は完全に消え失せていた。
長い長い戦いが、ついに終わりを告げたのだ。
俺は、その場に崩れ落ちた。
薄れゆく意識の中で、俺の元へと駆け寄ってくるカイウスの、リリアナの、そして父と兄たちの必死な顔が見えた。
(……ああ。俺は勝ったのか)
俺は静かに目を閉じた。
(守り抜いたんだな……俺の、居場所を)
俺の意識は、深い深い闇の中へと沈んでいった。
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