破滅の運命を覆すため、悪役貴族は影で最強を目指す 〜歴史書では断罪される俺だが、未来知識と禁忌の魔法で成り上がってみせる〜

夏見ナイ

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第九十一話 聖女の祈り

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俺の意識が闇に沈んだ後、玉座の間にはしばしの静寂が訪れた。誰もが目の前で起きた出来事を、そして壮絶な戦いの結末を、ただ呆然と受け止めることしかできなかった。
最初に動いたのはリリアーナだった。
彼女は魔力と気力を使い果たし、蒼白になった顔でふらつきながらも倒れた俺の元へと駆け寄った。
「アレン様! しっかりしてください!」
彼女は俺の体にそっと触れ、そのあまりの冷たさに息を呑んだ。脈はかろうじて触れるが、その鼓動は糸のように弱々しい。全身からは生命力そのものが抜け落ちたかのように生気が感じられなかった。
『影ノ領域』。あの禁断の魔法は、彼の魂そのものを代償としていたのだ。
「……そんな」
リリアーナの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。彼を救いたい。その一心で放った聖なる光が、結果的に彼を限界の先へと追いやり、その命の灯火を消し去ろうとしている。その事実に彼女の心は張り裂けそうだった。
「父上! アレンが!」
ゲオルグが血塗れの体を引きずりながら駆け寄ってくる。ベルトルトもセラも、そしてカイウスさえもが俺の周囲を取り囲んだ。彼らの顔に浮かぶのは、英雄の死を目前にしたかのような深い絶望の色だった。
父ジークフリートは俺の側に跪くと、そのゴツゴツとした手で俺の頬に触れた。その手はわずかに震えていた。
「……馬鹿な息子よ。俺を超えてみせよとは言ったが……死んでしまっては元も子もないではないか」
彼の声には、これまで誰にも見せたことのない深い悲しみと後悔が滲んでいた。
「治癒魔法を! 帝国一の術者を呼んでこい!」
カイウスが叫ぶが、その場にいた誰もがそれが無駄であることを理解していた。これは肉体の傷ではない。魂そのものの消耗なのだ。通常の治癒魔法では決して届かない。
絶望的な空気がその場を支配する。
その静寂の中、リリアーナはそっと涙を拭った。そして、静かに、しかし揺るぎない決意をその翡翠色の瞳に宿らせた。
「……まだ、です」
彼女は周囲を見回し、言った。
「まだ終わりではありません」
彼女は俺の胸の上にそっと両手を重ねた。そして目を閉じ、深く、深く息を吸い込む。
「リリアーナ様、何を……!」
「あなたの魔力ももう限界のはずだ! それ以上はあなたの命が!」
カイウスとベルトルトが彼女を止めようとする。
だが、リリアーナは静かに首を横に振った。
「私のこの力は、誰かを救うためにこそ神より与えられたもの。もしこの命と引き換えに彼を救えるのなら……聖女として本望ですわ」
その言葉は、聖女としての、そして一人の少女としての究極の自己犠牲の覚悟を示していた。
彼女は周囲の制止の声に耳を貸さず、祈りを捧げ始めた。
それはこれまで彼女が使ってきたどの治癒魔法とも違う、特別な祈りだった。
それは失われた魂を呼び戻し、生命の灯火を再び灯すという、伝説の中にのみ存在する禁断の秘術。
『魂の帰還(リザレクション)』。
彼女の全身からこれまでにないほどに眩い黄金色の光が放たれ始めた。その光はもはや温かいだけではない。どこか神々しく、そして自らの身を燃やす蝋燭のように、儚く、そして力強い輝きを放っていた。
彼女の美しい白銀の髪が光の粒子となって少しずつ、少しずつ宙へと舞い上がっていく。彼女は自らの生命力そのものを魔力へと変換し、俺の魂へと注ぎ込んでいるのだ。
「やめろ、リリアーナ!」
カイウスが悲痛な叫びを上げる。だが、もはや誰にも彼女を止めることはできなかった。
リリアーナの唇が、祈りの言葉を紡いでいく。
「――闇に迷いし魂よ。光の道を、見失わないで」
「――あなたが守りたかった、温かい場所へ。どうか、還ってきて」
「――あなたの戦いはまだ終わってはいません。あなたが切り拓くべき未来が、まだ……」
彼女の声が途切れ始める。その体は光を放つごとに透明度を増し、その存在そのものがこの世界から消え去ってしまいそうだった。
父も兄たちも、セラさえもが、ただ息を呑んでその奇跡の光景を見守るしかなかった。
リリアーナの光が俺の冷え切った体を、優しく、そして力強く包み込んでいく。
その温かさは、俺が沈んでいた深い、深い闇の底まで確かに届いていた。
それはまるで母親の腕に抱かれているかのような、どこまでも優しい光だった。
(……誰だ)
俺の途切れかけた意識が、その光に問いかける。
(……俺は、もう……)
『――まだ、です』
彼女の声が俺の魂に直接響いた。
『――あなたの帰りを待っている人たちが、います』
俺の脳裏に浮かび上がる。
父の不器用な背中。
ゲオルグの無骨な優しさ。
ベルトルトの憎まれ口の裏にある信頼。
そして、セラの揺るぎない忠誠の瞳。
ロヴェルトの村で俺の帰りを待つ、民たちの笑顔。
(……ああ)
俺は思い出した。
俺には、まだやらなければならないことがある。
俺には帰るべき場所がある。
俺の魂の奥底で消えかかっていた生命の灯火が、彼女の光に応えるように、再び小さな、しかし確かな炎を灯し始めた。
その瞬間、俺の胸に置かれていたリリアーナの手が力なく、だらりと垂れ下がった。
彼女の全身から放たれていた黄金色の光は完全に消え失せ、その体は糸が切れた人形のように俺の上に倒れ込んだ。
「リリアーナーーーッ!」
カイウスの絶叫が響き渡る。
彼女は自らの命の全てを使い果たし、俺の魂をこの世に繋ぎ止めたのだった。
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