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第九十四話 決着
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俺の意識が戻った時、最初に感じたのは柔らかな寝台の感触と消毒薬の匂いだった。重い瞼を押し上げると、見慣れない白い天井が目に映った。王宮の医務室の一室らしい。
「……気が、つきましたか」
すぐ側から静かな声がした。見ると、そこにはセラが椅子に座ったまま俺の顔をじっと見つめていた。その紫の瞳には深い安堵の色が浮かんでいる。
「……俺は、どれくらい眠っていた」
「三日、三晩です」
「そうか」
俺はゆっくりと上半身を起こした。全身の痛みはまだ残っているが、あの魂を削られるような消耗感は消えていた。リリアーナの祈りと、王宮の最高位の神官たちの治癒魔法によって、俺の命は繋ぎ止められたらしかった。
「皆は……どうなった」
「カイウス王子とリリアーナ様はすでに意識を取り戻されています。お二人ともアレン様が目覚めるのをずっと待っておられました」
セラは淡々と報告を続けた。
「ジークフリート様とゲオルグ様、ベルトルト様もご無事です。現在、皇帝陛下と共に戦後処理の協議を行っておられる、と」
その言葉に俺は静かに頷いた。
全てが、終わったのだ。
数時間後。俺は歩けるまでに回復すると、一つの場所へと向かった。皇帝陛下が今回の事件の関係者全員を招集した王宮の評議の間だ。
重厚な扉を開けると、そこには今回の死闘を生き抜いた全ての主役たちが揃っていた。
玉座に座る皇帝陛下。その脇にはまだ顔色は優れないが、凛とした表情で立つカイウスとリリアーナ。
そしてその向かい側には父ジークフリート、ゲオルグ兄上、ベルトルト兄上がヴァルハイト家の当主として静かに佇んでいた。
俺が部屋に入ると、全ての視線が俺一人に集中した。
俺は誰に促されるでもなく部屋の中央へと進み出た。そして玉座の前に立つと、静かに片膝をついた。
それは臣下が王に示す最大限の敬意の形。
だが、その場の誰もが俺が何をするつもりなのか固唾を飲んで見守っていた。
俺はゆっくりと顔を上げた。そしてこれまで被り続けてきた全ての仮面を脱ぎ捨て、アレン・フォン・ヴァルハイトとして初めて真実の言葉を紡ぎ始めた。
「――この度のヴァルハイト家によるクーデター騒ぎ。その全ての責は、この私、アレン・フォン・ヴァルハイトにございます」
俺の言葉に評議の間が大きくどよめいた。
父が、兄たちが、驚愕の表情で俺を見る。カイウスとリリアーナもまた、信じられないというように目を見開いていた。
俺は構わずに続けた。
「私が父ジークフリートを唆し、兄たちを扇動し、この反乱を計画いたしました。その目的は帝国の腐敗の根源であった宰相ゲルハルトの陰謀を暴き出すこと。そして、彼が狙っていた『始祖の遺産』を巡る争いに終止符を打つためでありました」
それは巧妙な嘘だった。俺は父と兄たちの罪を全て自分一人で被ることで、ヴァルハイト家そのものを断罪の運命から救い出そうとしていたのだ。
「私の計画は多くの犠牲を出し、王都を未曾有の混乱に陥れました。ですが結果として、真の反逆者である宰相を討ち、帝国を滅亡の危機から救ったのもまた事実。この功罪、いかようにでもお裁きください」
俺は深く、深く頭を垂れた。
評議の間は静まり返っていた。
誰もがこの十三歳の少年が語る、あまりにも壮大で、あまりにも自己犠牲的な告白をどう受け止めていいのか分からなかった。
最初に沈黙を破ったのは父ジークフリートだった。
彼は一歩前に出ると俺の隣に、同じように片膝をついた。
「……陛下。息子アレンの言葉は、真実ではございません」
父の声は静かだったが、揺るぎない覚悟に満ちていた。
「このクーデターを計画し実行したのは、全てこの私、ジークフリートの独断。息子たちは私の野望を止めるため最後まで戦ってくれました。全ての罪は、この私一人にございます」
父もまた全ての罪を自分一人で背負おうとしていた。
続いてゲオルグが、ベルトルトが父の隣に膝をつく。
「我々もまた、同罪です!」
ヴァルハイト家はその破滅の運命を前に、初めて家族として一つになっていた。
その光景を見ていた皇帝陛下が、玉座からゆっくりと立ち上がった。
彼は威厳に満ちた、しかしどこか温かい声で言った。
「……皆、顔を上げよ」
父たちが、おそるおそる顔を上げる。
皇帝は静かに、しかしはっきりとその裁定を下した。
「――今回の事件、その発端は朕が宰相ゲルハルトの奸計を見抜けなかったことにある。その責は、朕自身にもあるのだ」
彼は玉座から降りると俺たちの前まで歩み寄ってきた。
「ジークフリートよ。貴公のやり方はあまりにも荒々しく危険であった。だが、その根底に国を憂う強い忠義があったことを朕は信じよう。よって貴公の反逆の罪は不問とする」
「……陛下!」
父が驚愕の声を上げる。
「ただし」と皇帝は続けた。「貴公が帝国を混乱させたのもまた事実。その責としてヴァルハイト公爵家の当主の座を長男ゲオルグに譲り、貴公自身は生涯政治の表舞台から退くことを命ずる」
それは最大限に寛大な処分だった。
皇帝は次に俺の前に立った。
「そして、アレン・フォン・ヴァルハイトよ」
彼は俺の目をじっと見つめた。その瞳は全てを見通しているかのように、どこまでも深く澄んでいた。
「貴様の働き、見事であった。影の英雄、『クロウ』。そしてヴァルハイトの麒麟児。貴様がいなければ、この帝国は今頃滅んでいたやもしれぬ」
皇帝は俺の肩にそっと手を置いた。
「貴様の望み通り全ての『罪』は貴様が被ったということにしよう。ただし、それは裁かれるべき罪ではない。帝国を救った功績をあえて表に出さず、影に徹するという貴様の美徳に対する『罰』としてな」
それは皇帝陛下による最大限の、そして最も粋な計らいだった。
俺の罪は公式には記録されない。だが、その功績もまた歴史の表には現れない。俺はこれからも影の存在として生きることを許されたのだ。
こうして帝国の歴史を揺るがした偽りのクーデターは、静かにその幕を下ろした。
決着。
それは誰かが勝ち、誰かが負けるという単純なものではなかった。
誰もが傷つき、誰もが何かを失い、そして誰もが何かを乗り越え、新たな始まりを迎える。
俺は評議の間の床に膝をついたまま、静かに窓の外の青い空を見上げていた。
歴史書に記されていた俺の破滅の運命。
それは確かにこの手で覆すことができた。
俺の長い戦いは、ついに終わったのだ。
そう、この時は思っていた。
「……気が、つきましたか」
すぐ側から静かな声がした。見ると、そこにはセラが椅子に座ったまま俺の顔をじっと見つめていた。その紫の瞳には深い安堵の色が浮かんでいる。
「……俺は、どれくらい眠っていた」
「三日、三晩です」
「そうか」
俺はゆっくりと上半身を起こした。全身の痛みはまだ残っているが、あの魂を削られるような消耗感は消えていた。リリアーナの祈りと、王宮の最高位の神官たちの治癒魔法によって、俺の命は繋ぎ止められたらしかった。
「皆は……どうなった」
「カイウス王子とリリアーナ様はすでに意識を取り戻されています。お二人ともアレン様が目覚めるのをずっと待っておられました」
セラは淡々と報告を続けた。
「ジークフリート様とゲオルグ様、ベルトルト様もご無事です。現在、皇帝陛下と共に戦後処理の協議を行っておられる、と」
その言葉に俺は静かに頷いた。
全てが、終わったのだ。
数時間後。俺は歩けるまでに回復すると、一つの場所へと向かった。皇帝陛下が今回の事件の関係者全員を招集した王宮の評議の間だ。
重厚な扉を開けると、そこには今回の死闘を生き抜いた全ての主役たちが揃っていた。
玉座に座る皇帝陛下。その脇にはまだ顔色は優れないが、凛とした表情で立つカイウスとリリアーナ。
そしてその向かい側には父ジークフリート、ゲオルグ兄上、ベルトルト兄上がヴァルハイト家の当主として静かに佇んでいた。
俺が部屋に入ると、全ての視線が俺一人に集中した。
俺は誰に促されるでもなく部屋の中央へと進み出た。そして玉座の前に立つと、静かに片膝をついた。
それは臣下が王に示す最大限の敬意の形。
だが、その場の誰もが俺が何をするつもりなのか固唾を飲んで見守っていた。
俺はゆっくりと顔を上げた。そしてこれまで被り続けてきた全ての仮面を脱ぎ捨て、アレン・フォン・ヴァルハイトとして初めて真実の言葉を紡ぎ始めた。
「――この度のヴァルハイト家によるクーデター騒ぎ。その全ての責は、この私、アレン・フォン・ヴァルハイトにございます」
俺の言葉に評議の間が大きくどよめいた。
父が、兄たちが、驚愕の表情で俺を見る。カイウスとリリアーナもまた、信じられないというように目を見開いていた。
俺は構わずに続けた。
「私が父ジークフリートを唆し、兄たちを扇動し、この反乱を計画いたしました。その目的は帝国の腐敗の根源であった宰相ゲルハルトの陰謀を暴き出すこと。そして、彼が狙っていた『始祖の遺産』を巡る争いに終止符を打つためでありました」
それは巧妙な嘘だった。俺は父と兄たちの罪を全て自分一人で被ることで、ヴァルハイト家そのものを断罪の運命から救い出そうとしていたのだ。
「私の計画は多くの犠牲を出し、王都を未曾有の混乱に陥れました。ですが結果として、真の反逆者である宰相を討ち、帝国を滅亡の危機から救ったのもまた事実。この功罪、いかようにでもお裁きください」
俺は深く、深く頭を垂れた。
評議の間は静まり返っていた。
誰もがこの十三歳の少年が語る、あまりにも壮大で、あまりにも自己犠牲的な告白をどう受け止めていいのか分からなかった。
最初に沈黙を破ったのは父ジークフリートだった。
彼は一歩前に出ると俺の隣に、同じように片膝をついた。
「……陛下。息子アレンの言葉は、真実ではございません」
父の声は静かだったが、揺るぎない覚悟に満ちていた。
「このクーデターを計画し実行したのは、全てこの私、ジークフリートの独断。息子たちは私の野望を止めるため最後まで戦ってくれました。全ての罪は、この私一人にございます」
父もまた全ての罪を自分一人で背負おうとしていた。
続いてゲオルグが、ベルトルトが父の隣に膝をつく。
「我々もまた、同罪です!」
ヴァルハイト家はその破滅の運命を前に、初めて家族として一つになっていた。
その光景を見ていた皇帝陛下が、玉座からゆっくりと立ち上がった。
彼は威厳に満ちた、しかしどこか温かい声で言った。
「……皆、顔を上げよ」
父たちが、おそるおそる顔を上げる。
皇帝は静かに、しかしはっきりとその裁定を下した。
「――今回の事件、その発端は朕が宰相ゲルハルトの奸計を見抜けなかったことにある。その責は、朕自身にもあるのだ」
彼は玉座から降りると俺たちの前まで歩み寄ってきた。
「ジークフリートよ。貴公のやり方はあまりにも荒々しく危険であった。だが、その根底に国を憂う強い忠義があったことを朕は信じよう。よって貴公の反逆の罪は不問とする」
「……陛下!」
父が驚愕の声を上げる。
「ただし」と皇帝は続けた。「貴公が帝国を混乱させたのもまた事実。その責としてヴァルハイト公爵家の当主の座を長男ゲオルグに譲り、貴公自身は生涯政治の表舞台から退くことを命ずる」
それは最大限に寛大な処分だった。
皇帝は次に俺の前に立った。
「そして、アレン・フォン・ヴァルハイトよ」
彼は俺の目をじっと見つめた。その瞳は全てを見通しているかのように、どこまでも深く澄んでいた。
「貴様の働き、見事であった。影の英雄、『クロウ』。そしてヴァルハイトの麒麟児。貴様がいなければ、この帝国は今頃滅んでいたやもしれぬ」
皇帝は俺の肩にそっと手を置いた。
「貴様の望み通り全ての『罪』は貴様が被ったということにしよう。ただし、それは裁かれるべき罪ではない。帝国を救った功績をあえて表に出さず、影に徹するという貴様の美徳に対する『罰』としてな」
それは皇帝陛下による最大限の、そして最も粋な計らいだった。
俺の罪は公式には記録されない。だが、その功績もまた歴史の表には現れない。俺はこれからも影の存在として生きることを許されたのだ。
こうして帝国の歴史を揺るがした偽りのクーデターは、静かにその幕を下ろした。
決着。
それは誰かが勝ち、誰かが負けるという単純なものではなかった。
誰もが傷つき、誰もが何かを失い、そして誰もが何かを乗り越え、新たな始まりを迎える。
俺は評議の間の床に膝をついたまま、静かに窓の外の青い空を見上げていた。
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そう、この時は思っていた。
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