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第九十五話 夜明け
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評議の間での裁定が下された後、王都はゆっくりと、しかし確実に日常を取り戻し始めていた。偽りのクーデターは、公式には「宰相ゲルハルトの反乱を、ヴァルハイト家とカイウス王子が協力して鎮圧した」という美談として民衆に伝えられた。真実の全てを知るのは、あの玉座の間にいたごく少数の者たちだけだ。
俺はそれから数日間、王宮の一室で静養することを許された。魂を削った代償は大きく、体力の回復にはまだ時間が必要だった。だが、俺の心はこれまでにないほどの穏やかな静けさに満たされていた。
窓の外からは再建が始まった王都の槌音と、人々の活気ある声が聞こえてくる。それは俺が守りたかった平和の音だった。
ある晴れた日の午後、俺が部屋のテラスで風にあたっていると、静かなノックの音と共にカイウスとリリアーナが見舞いに訪れた。
三人の間に、気まずい沈黙が流れる。
俺たちは敵であり、味方であり、共犯者だった。あまりにも多くのものを共に経験しすぎた。もはや以前のような単純な関係には戻れない。
最初に沈黙を破ったのはカイウスだった。
「……体は、もういいのか」
その声はどこかぎこちなかった。
「ああ。お前のおかげでな」と俺は素直に答えた。「聖剣の一閃、見事だった」
「……君の影の道がなければ、僕の剣は届かなかった」
俺たちは互いの戦いを初めて素直に認め合った。それは長く続いた競争の終わりの挨拶のようでもあった。
カイウスはしばらく何かを言いたげに躊躇った後、意を決したように俺に向き直った。
「アレン。僕は……君にしたことを謝らなければならない。君の真意を知りもせず、ただ一方的に君を悪だと断じていた」
彼は深く、深く頭を下げた。帝国の王子がヴァルハイトの、それも三男坊に頭を下げる。それは本来ありえない光景だった。
俺はそんな彼の姿を見て、少しだけ意地の悪い笑みを浮かべた。
「気にするなよ、王子様。俺は、お前のそういう真っ直ぐで馬鹿正直なところが嫌いじゃなかったぜ」
「……君は、最後までそういう奴だな」
カイウスは呆れたように顔を上げ、そして初めて俺に向かって友人のように笑った。俺もまた、それに応えるように笑みを返した。
俺たちの間にあった分厚い氷の壁が、完全に溶けた瞬間だった。
続いてリリアーナが一歩前に出た。その翡翠色の瞳は潤んでいたが、その奥には太陽のような温かい光が宿っていた。
「アレン様」
彼女は俺の前に立つと、聖女としてではなく一人の少女として深く、優雅にお辞儀をした。
「……私の命を救ってくださって、本当にありがとうございました」
その声には感謝と、そしてそれ以上の何か深い感情が込められていた。
「……礼を言われる筋合いはない」
俺は照れ臭さを隠すように、そっぽを向いた。
「俺は俺自身のために戦っただけだ。お前が助かったのは、単なる偶然の結果に過ぎん」
「いいえ、違います」
リリアーナは静かに首を横に振った。
「あなたは私のために、ご自身の魂を……命を懸けてくださいました。その温もりを私は決して忘れません」
彼女はそっと俺の手に触れた。その手は驚くほどに温かかった。
「いつか必ず、この御恩はお返しします。……いいえ、恩返しなどではなく、ただあなたの力になりたい。あなたのその孤独な戦いを、隣で支えられるような、そんな存在に」
それはほとんど告白に近い言葉だった。
俺は何も答えられなかった。ただ彼女の真っ直гуな瞳を見つめ返すことしかできなかった。
俺たちの間に流れる穏やかで、少しだけ甘い空気。
それは長かった戦いの終わりを、そして新しい物語の始まりを静かに告げているようだった。
数日後。
俺は全ての準備を終え、王都を離れる時が来ていた。
父は皇帝陛下の裁定通り爵位をゲオルグ兄上に譲り、ヴァルハイトの領地で静かな隠居生活に入ることになった。ベルトルト兄上は、その卓越した知略を買われ兄ゲオルグの、そして帝国の新たな宰相候補として王宮に残ることになった。
ヴァルハイト家は破滅を免れただけでなく、以前よりもさらに強固な形で帝国の中心にその根を張ることになったのだ。
俺は誰にも見送られることなくセラだけを連れて王都の門をくぐった。
向かう先は俺の本当の故郷。
ロヴェルトの地だ。
門を出る直前、俺は一度だけ王宮の方を振り返った。
あの場所でカイウスは理想の王となるべく、帝国の改革に乗り出すだろう。
リリアーナは聖女として人々の心を癒し、光で照らし続けるだろう。
彼らには彼らの物語がある。
そして俺には俺の物語がある。
俺はもう振り返らなかった。
馬を駆り、俺を待つ民たちの元へとひたすらに進んでいった。
玉座の間に窓から美しい夜明けの光が差し込んでいた。
それは帝国の、そして俺自身の新たな始まりを告げる希望の光だった。
長い長い戦いは終わりを告げた。
歴史書に記された破滅の運命は覆された。
俺は静かに、そして深く安堵のため息をついた。
これからは穏やかな日々が待っているはずだ。
そう、この時は信じていた。
俺の戦いがまだ本当の意味では終わっていなかったことなど、知る由もなかったのだから。
俺はそれから数日間、王宮の一室で静養することを許された。魂を削った代償は大きく、体力の回復にはまだ時間が必要だった。だが、俺の心はこれまでにないほどの穏やかな静けさに満たされていた。
窓の外からは再建が始まった王都の槌音と、人々の活気ある声が聞こえてくる。それは俺が守りたかった平和の音だった。
ある晴れた日の午後、俺が部屋のテラスで風にあたっていると、静かなノックの音と共にカイウスとリリアーナが見舞いに訪れた。
三人の間に、気まずい沈黙が流れる。
俺たちは敵であり、味方であり、共犯者だった。あまりにも多くのものを共に経験しすぎた。もはや以前のような単純な関係には戻れない。
最初に沈黙を破ったのはカイウスだった。
「……体は、もういいのか」
その声はどこかぎこちなかった。
「ああ。お前のおかげでな」と俺は素直に答えた。「聖剣の一閃、見事だった」
「……君の影の道がなければ、僕の剣は届かなかった」
俺たちは互いの戦いを初めて素直に認め合った。それは長く続いた競争の終わりの挨拶のようでもあった。
カイウスはしばらく何かを言いたげに躊躇った後、意を決したように俺に向き直った。
「アレン。僕は……君にしたことを謝らなければならない。君の真意を知りもせず、ただ一方的に君を悪だと断じていた」
彼は深く、深く頭を下げた。帝国の王子がヴァルハイトの、それも三男坊に頭を下げる。それは本来ありえない光景だった。
俺はそんな彼の姿を見て、少しだけ意地の悪い笑みを浮かべた。
「気にするなよ、王子様。俺は、お前のそういう真っ直ぐで馬鹿正直なところが嫌いじゃなかったぜ」
「……君は、最後までそういう奴だな」
カイウスは呆れたように顔を上げ、そして初めて俺に向かって友人のように笑った。俺もまた、それに応えるように笑みを返した。
俺たちの間にあった分厚い氷の壁が、完全に溶けた瞬間だった。
続いてリリアーナが一歩前に出た。その翡翠色の瞳は潤んでいたが、その奥には太陽のような温かい光が宿っていた。
「アレン様」
彼女は俺の前に立つと、聖女としてではなく一人の少女として深く、優雅にお辞儀をした。
「……私の命を救ってくださって、本当にありがとうございました」
その声には感謝と、そしてそれ以上の何か深い感情が込められていた。
「……礼を言われる筋合いはない」
俺は照れ臭さを隠すように、そっぽを向いた。
「俺は俺自身のために戦っただけだ。お前が助かったのは、単なる偶然の結果に過ぎん」
「いいえ、違います」
リリアーナは静かに首を横に振った。
「あなたは私のために、ご自身の魂を……命を懸けてくださいました。その温もりを私は決して忘れません」
彼女はそっと俺の手に触れた。その手は驚くほどに温かかった。
「いつか必ず、この御恩はお返しします。……いいえ、恩返しなどではなく、ただあなたの力になりたい。あなたのその孤独な戦いを、隣で支えられるような、そんな存在に」
それはほとんど告白に近い言葉だった。
俺は何も答えられなかった。ただ彼女の真っ直гуな瞳を見つめ返すことしかできなかった。
俺たちの間に流れる穏やかで、少しだけ甘い空気。
それは長かった戦いの終わりを、そして新しい物語の始まりを静かに告げているようだった。
数日後。
俺は全ての準備を終え、王都を離れる時が来ていた。
父は皇帝陛下の裁定通り爵位をゲオルグ兄上に譲り、ヴァルハイトの領地で静かな隠居生活に入ることになった。ベルトルト兄上は、その卓越した知略を買われ兄ゲオルグの、そして帝国の新たな宰相候補として王宮に残ることになった。
ヴァルハイト家は破滅を免れただけでなく、以前よりもさらに強固な形で帝国の中心にその根を張ることになったのだ。
俺は誰にも見送られることなくセラだけを連れて王都の門をくぐった。
向かう先は俺の本当の故郷。
ロヴェルトの地だ。
門を出る直前、俺は一度だけ王宮の方を振り返った。
あの場所でカイウスは理想の王となるべく、帝国の改革に乗り出すだろう。
リリアーナは聖女として人々の心を癒し、光で照らし続けるだろう。
彼らには彼らの物語がある。
そして俺には俺の物語がある。
俺はもう振り返らなかった。
馬を駆り、俺を待つ民たちの元へとひたすらに進んでいった。
玉座の間に窓から美しい夜明けの光が差し込んでいた。
それは帝国の、そして俺自身の新たな始まりを告げる希望の光だった。
長い長い戦いは終わりを告げた。
歴史書に記された破滅の運命は覆された。
俺は静かに、そして深く安堵のため息をついた。
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そう、この時は信じていた。
俺の戦いがまだ本当の意味では終わっていなかったことなど、知る由もなかったのだから。
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