「お前の戦い方は地味すぎる」とギルドをクビになったおっさん、その正体は大陸を震撼させた伝説の暗殺者。

夏見ナイ

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第6話:気配という圧力

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カーム村での生活が始まってから、一月が過ぎた。
俺の暮らしは、驚くほど穏やかなものだった。朝は鳥の声で目覚め、午前中は畑仕事に汗を流す。昼はイーニッドさんが差し入れてくれるスープと、自分で焼いた固いパンを食べる。午後は家の補修をしたり、森へ薪を拾いに行ったり。そして夜は、満点の星空の下で静かに一日を振り返る。

村人たちとも、少しずつ打ち解けてきた。
最初はよそ者の俺を遠巻きに見ていた彼らも、俺が黙々と畑を耕し、壊れた農具を直してやるうちに、徐々に警戒を解いてくれた。道端で会えば挨拶を交わし、時には収穫したばかりの野菜を分けてくれる。そんな素朴な交流が、俺の荒んだ心を少しずつ癒していくのが分かった。

「アランさん、たまには一杯どうだい? 村の連中も、あんたと話したがってるぜ」

ある日の夕暮れ時、農作業を終えた俺に声をかけてきたのは、屈強な体つきをした鍛冶屋の男、ドルガンだった。彼の誘いに、俺は一瞬ためらった。
酒場。それは人が集まり、気が大きくなり、揉め事が起こりやすい場所だ。俺がこれまで最も避けてきた場所の一つでもある。

「いや、俺は酒はあまり…」
「そう言うなよ。たまには息抜きも必要だろ? わしが奢るからさ」

ドルガンの豪快な笑顔に、断る口実が見つからなかった。それに、村の一員として認められつつある今、あまり頑なな態度を取るのも良くないだろう。俺は小さくため息をつくと、彼の誘いを受けることにした。

村に一軒だけある酒場「樫の木亭」は、想像していたよりも活気があった。木の香りが漂う店内には、仕事終わりの男たちが集い、エールを片手に談笑している。その陽気な雰囲気に、俺は少しだけ安堵した。

ドルガンに紹介されると、村の男たちは気さくに話しかけてきた。畑仕事のコツや、この辺りでよく獲れる獣の話。他愛もない会話だったが、俺にとっては新鮮だった。俺は当たり障りのない相槌を打ちながら、出されたエールをゆっくりと口に運ぶ。

しばらくして、ドルガンが別の席の仲間と話し始めた隙に、俺は少しでも静かな場所を求めてカウンターの隅へと移動した。騒がしいのは、やはり苦手だ。

俺が一人で黙々とエールを飲んでいると、不意に背後から粘つくような声が聞こえた。
「おいおい、見ねえ顔だな。アンタ、よそ者か?」

振り返ると、そこには見るからに柄の悪い二人組の男が立っていた。一人は痩せぎすで、蛇のように執念深い目をしている。もう一人は筋肉質だが、その肉は鍛えられたものではなく、ただ無駄に膨れ上がっただけのように見えた。どちらも、この村の穏やかな雰囲気にはそぐわない、濁った目をしている。おそらく、どこかから流れ着いたチンピラだろう。

面倒なことになった。俺の直感が警鐘を鳴らす。
俺は関わり合いになるのを避けるため、男たちを無視してエールを飲んだ。

「おい、聞いてんのかコラ!」
痩せた男が、俺の肩を乱暴に掴んだ。その瞬間、俺の全身に緊張が走る。だが、俺はそれを悟らせず、ゆっくりと顔を上げた。

「何か用か」
「用があんのはこっちだ。よそ者はよそ者らしく、隅っこで縮こまってろや。その席、俺たちが使いてえんだ。どきな」

理不尽な言い分だった。周りを見れば、空いている席はいくらでもある。これは明らかに、因縁をつけるための口実だ。
周囲の村人たちも、彼らの存在に気づいてヒソヒソと話し始めている。だが、誰も止めに入ろうとはしなかった。関わって面倒なことになるのを恐れているのだろう。

俺は静かにため息をついた。
ここで騒ぎを起こすのは本意ではない。村人たちに迷惑をかけたくないし、何より俺自身が面倒だ。暴力で解決するのは簡単だ。この二人を、物の数秒で戦闘不能にすることもできるだろう。だが、そんなことをすれば、俺の平穏な日常に亀裂が入る。

ならば、どうするか。
答えは一つだ。この場から、静かに消える。

俺はゆっくりと立ち上がると、懐から銅貨を数枚取り出し、カウンターに置いた。酒代だ。

「なんだ、やる気か?」
大柄な男が、下品な笑みを浮かべて拳を鳴らす。

俺は彼らを一切見なかった。視線を合わせない。言葉も交わさない。ただ、出口だけを見据える。そして、俺は長年培ってきた技術の一つを行使した。

――気配遮断。

俺は自分の存在感を、意識の底へと沈めていく。
呼吸を止め、心音を殺し、体の発する熱さえも周囲の空気と同化させる。俺という個体を、世界から切り離していく。それはまるで、深い水の底に沈んでいくような感覚だった。

周囲の喧騒が遠のく。
酒場のざわめき、人々の話し声、暖炉の薪がはぜる音。その全てが、俺の意識から消え去っていく。
俺は、ただの「無」になる。
そこにいるのに、いない。誰の意識にも留まらない、風景の一部と化す。

これでいい。
俺はもう彼らの視界には映っていないはずだ。このまま何もなかったかのように、店を出ていくだけだ。

俺は男たちの真横を、音もなく通り抜けようとした。
その時だった。

「ひっ…!」

痩せた男が、短い悲鳴を上げた。
見ると、彼は顔面を蒼白にし、カタカタと歯の根を鳴らして震えている。その目は、何もいないはずの空間を、まるでこの世の終わりでも見るかのように見開いていた。

「ど、どうしたんだよ…?」
大柄な男も、相方の異変に気づいて戸惑っている。

「…な、なんか…いる…」
「はあ? 何言って…」
大柄な男の言葉は、途中で途切れた。
彼の視線もまた、俺がいたはずの空間に釘付けになる。その顔から、みるみる血の気が引いていくのが分かった。

「…なんだ…これ…? なんも…感じねえ…?」

そう。何も感じないのだ。
目の前に俺という人間がいるはずなのに、彼らの本能は、そこにあるべき生命の気配を一切感知できない。音も、匂いも、熱も、殺気も、敵意もない。ただ、絶対的な「無」。それは、生き物が最も根源的に恐れる「死」や「虚無」そのものに近い感覚だった。

人間は、理解できないものに恐怖する。
目の前にあるのに認識できないという矛盾が、彼らの脳を混乱させ、生存本能に直接的な恐怖信号を送り込んだのだ。

「う…あ…」
痩せた男が、カエルの潰れたような声を漏らす。
そして、白目を剥くと、糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。

「お、おい!?」
残された大柄な男も、腰を抜かして尻餅をついた。恐怖に歪んだ顔で後ずさり、壁に背中を打ち付ける。
「く、来るな…! 来るなあああ!」
彼は意味不明な絶叫を上げると、そのまま気を失い、ぐったりと動かなくなった。

一瞬にして、酒場は水を打ったように静まり返った。
何が起こったのか、誰にも理解できていない。ただ、屈強な男たちが、何もされていないのに突然倒れた。その事実だけが、そこにあった。

俺は舌打ちしたい気分をぐっとこらえた。
面倒を避けるつもりが、逆に一番目立つ結果になってしまった。最悪だ。

騒ぎが大きくなる前に、ここから立ち去るのが賢明だろう。
俺は気配を元に戻し、何食わぬ顔で酒場の出口へと向かった。村人たちは、倒れたチンピラと俺の顔を交互に見ながら、呆然としている。

その時、俺はふと、店の一番奥のテーブルに座る一人の男と目が合った。
年の頃は俺と同じくらいか。背筋が伸び、その佇まいには隙がない。元軍人か何かだろうか。男は驚きの色を浮かべながらも、探るような、そしてどこか畏敬の念さえ含んだ鋭い眼差しで、俺のことをじっと見つめていた。

俺はその視線から逃れるように、足早に店を出た。
夜風が火照った顔に心地よい。
俺は大きくため息をついた。

どうして、こうなるんだ。
俺はただ、静かに暮らしたいだけなのに。
俺の平穏な日常に、最初の、そして最も厄介な波紋が広がったことを、この時の俺はまだ知らなかった。
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