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第8話:森の出会い
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酒場での一件から数日が過ぎた。
俺の日常は、幸いにも何の変化もなく続いていた。倒れたチンピラ二人は、翌朝には村から姿を消していたらしい。村人たちは俺に何かを尋ねてくることもなく、ただ以前よりも少しだけ敬意のこもった視線を向けてくるだけだった。それで十分だ。面倒な詮索がないのなら、文句はない。
あの鋭い目をした元騎士の男、ガレスとはあれ以来顔を合わせていない。彼が俺をどう見ているのかは知らないが、何か行動を起こしてこない限りは放っておくつもりだ。俺はただ、俺の平穏を守りたいだけなのだから。
その日は朝から快晴だった。
俺は籠を一つ背負い、家の裏手から続く森へと足を踏み入れた。目的は薬草の採取だ。自給自足の生活において、薬の確保は食料と同じくらい重要になる。切り傷に効くセリオの葉。腹痛を和らげるニガヨモギ。そして、神経を落ち着かせる効果のあるカモミール。この辺りの森は、薬草の宝庫だった。
かつて暗殺者だった頃、俺は毒物学と同時に薬草学も徹底的に叩き込まれた。人を殺す毒と、人を癒す薬は表裏一体。その知識が、今こうして自分の生活を豊かにするために役立っているというのは、皮肉な話だった。
森の奥深くへと進む。ひんやりとした木々の匂いが心地よい。木漏れ日が地面にまだら模様を描き、鳥たちのさえずりが静寂を彩る。俺は周囲の気配を探りながら、慎重に歩を進めた。獣の気配、風の流れ、枝のしなり具合。全ての情報が、この森の今の状態を俺に教えてくれる。
目当てのカモミールは、日当たりの良い開けた場所に群生しているはずだ。俺は記憶にある地形図と、実際の森の様子を頭の中で照合し、最短ルートを割り出した。無駄な歩きは体力を消耗するだけだ。
しばらく歩くと、森の少し開けた場所に出た。狙い通りだ。地面には白い花をつけたカモミールが、まるで絨毯のように咲き誇っている。俺は籠を下ろし、必要な分だけを丁寧に摘み始めた。根を傷つけないように、来年もまた収穫できるように。自然から一方的に奪うだけでは、持続可能な生活は送れない。
穏やかな時間だった。
このまま静かに薬草を摘み、家に帰って乾燥させ、一日を終える。そんな完璧な一日になるはずだった。
――その時、不意に遠くで甲高い悲鳴が聞こえた。
俺の指がピタリと止まる。
悲鳴は若い女の声だ。そして、その直後に地を揺るがすような獣の咆哮が続いた。金属がぶつかる甲高い音も聞こえる。誰かが、何かと戦っている。
(面倒なことだ)
俺は即座にそう判断した。
場所はここから二百メートルほど東。この森でこの時期に現れる大型の獣といえば、森猪(フォレストボア)くらいだろう。気性が荒く、一度狙った獲物は執拗に追いかける厄介な魔物だ。悲鳴の主が未熟な冒険者か何かであれば、まず助からない。
関わるべきではない。
俺は立ち上がり、背を向けた。俺の平穏を脅かす可能性のあるものには、近づかない。それが俺の信条だ。死体が見つかれば村が騒がしくなるかもしれないが、それはその時のことだ。俺が関わったと知られるよりは、よほどましだ。
俺は数歩、歩き出した。
だが、その足が止まる。
再び聞こえてきた悲鳴には、明らかな恐怖と、そして諦めが混じっていた。
ちっ、と俺は小さく舌打ちをした。
気分が悪い。
誰かがすぐ近くで死にかけているのを知りながら、見捨てて帰る。そんなことをして、今夜の飯が美味いだろうか。昨日のイーニッドさんのスープの味を、純粋な気持ちで思い出せるだろうか。
くだらない感傷だ。暗殺者だった俺が、何を今更。
そう頭では分かっている。だが、カーム村で過ごしたこの一月が、俺の中で何かを変えつつあるのもまた事実だった。
何より、一番の理由は合理的思考にあった。
ここで死人が出れば、ガレスのような男が必ず森の調査に乗り出すだろう。そうなれば、この辺りをうろついている俺が疑われる可能性もゼロではない。そうなれば事情聴取だの何だのと、考えるだけでうんざりするような面倒事が待っている。
ならば、最善手は何か。
原因を、迅速かつ隠密に排除する。
それが、結局は一番面倒が少ない。
俺はため息を一つ吐くと、踵を返し、音もなく駆け出した。地面の落ち葉を踏んでも、一切の音を立てない。木の幹から幹へと、影のように移動していく。俺が向かう先では、戦いが佳境を迎えていた。
視界が開けた先で、一人の少女が巨大な猪と対峙していた。
年の頃は十七、八か。赤い髪をポニーテールに結び、軽装の革鎧を身につけている。その手には、体格に見合わない大きな片手剣が握られていた。
相手は、体長三メートルはあろうかという巨大なフォレストボア。二本の巨大な牙は、大木さえ容易にへし折るだろう。全身は硬い体毛で覆われ、並大抵の攻撃は通じそうにない。
少女は必死に剣を振るっているが、その動きはあまりに未熟だった。剣筋は定まらず、踏み込みも甘い。フォレストボアの突進をかろうじて避けてはいるが、それはただの幸運に過ぎない。彼女の額には脂汗が浮かび、その呼吸は恐怖と疲労で乱れきっていた。
「くっ…!」
少女が体勢を立て直そうとした一瞬の隙を、フォレストボアは見逃さなかった。
猛烈な勢いで突進し、少女を撥ね飛ばす。
「きゃあ!」
少女の体は木の葉のように宙を舞い、地面に叩きつけられた。手から滑り落ちた剣が、カランと乾いた音を立てて転がる。絶体絶命だった。
フォレストボアは勝利を確信したように鼻を鳴らし、止めを刺そうと少女に歩み寄る。その巨大な蹄が、少女の頭上で振り上げられた。
(終わりか)
少女は死を覚悟し、ぎゅっと目を閉じた。
その瞬間。
カツン、という小さな音が、森に響いた。
フォレストボアの動きが、ぴたりと止まる。その巨大な顔が、ゆっくりと横を向いた。その眉間に、小さな石ころがめり込んでいる。大したダメージはないはずだ。だが、完璧な不意打ちだった。フォレストボアは、少女という獲物から完全に意識を逸らされ、新たな脅威を探して周囲を見回している。
もちろん、俺の姿など見つけられるはずもない。俺は木々の影に完全に同化していた。
フォレストボアが注意を逸らした、コンマ数秒の隙。
俺はその隙を逃さなかった。
影の中から滑り出るように飛び出すと、音もなくフォレストボアの側面へと回り込む。その手には、先程までの道中で拾っておいた、手頃な太さの木の枝が握られていた。先端は、ナイフで槍のように鋭く削り上げてある。
俺は地面を蹴った。
狙うは一点。フォレストボアの弱点、眼窩だ。
硬い頭蓋骨に守られた脳へと直接ダメージを与えられる、唯一の急所。
フォレストボアは俺の存在に気づき、慌てて振り向こうとした。だが、遅い。
俺の体は、力の流れを最適化した体捌きによって、矢のように加速していた。
ズブリ、と鈍い手応え。
俺が握っていた木の枝は、抵抗なくフォレストボアの眼窩の奥深くまで突き刺さっていた。
「グル…オ…」
巨獣は断末魔を上げる間もなく、その巨体をぐらりと揺らがせた。そして、まるでスローモーションのように、ゆっくりと横倒しになる。地響きを立てて倒れた時には、その生命活動は完全に停止していた。
静寂が森に戻る。
強大な魔物が、たった一撃で絶命した。
俺はフォレストボアの亡骸には目もくれず、突き刺した木の枝を掴む。そして、まるで汚いものでも払うかのように、手を数回振った。
「…え…?」
地面に倒れていた少女が、呆然と声を漏らした。
彼女の目には、信じられない光景が映っていた。
何が起きたのか、まるで理解できていない。ただ、自分を殺そうとしていた巨大な魔物が、目の前で死んでいる。そして、その傍らに、一人の地味な格好をしたおっさんが、何食わぬ顔で立っている。
俺は少女を一瞥したが、特に声をかけることはしなかった。
面倒だ。事情を説明するのも、感謝されるのも。
俺は背を向けると、中断していた本来の目的を果たすため、カモミールの群生地へと歩き出した。
「あ、あの!」
背後から、慌てたような声が飛んでくる。
俺は聞こえないふりをして、歩き続けた。
「ま、待ってください! あなたが、助けてくれたんですか…?」
少女は剣を拾い、ふらつく足で俺の後を追ってくる。
俺は仕方なく足を止め、面倒くさそうに振り返った。
「怪我がないなら、さっさと帰れ。ここは子供が一人で来る場所じゃない」
「こ、子供じゃありません! リリアって言います! しがない駆け出し冒険者ですけど…!」
リリアと名乗った少女は、必死にそう言った。その瞳は、俺をまっすぐに見つめている。そこには、恐怖や混乱と共に、強烈なまでの畏敬と好奇の色が浮かんでいた。
「…そうか。じゃあな、冒険者殿」
俺はそれだけ言うと、今度こそ本当に背を向けた。
俺の頭の中は、早く家に帰って薬草を乾燥させたい、という思いでいっぱいだった。
だが、リリアは違った。
彼女の頭の中は、先程のアランの動きが何度もリフレインしていた。
音もなく現れ、巨大な魔物の注意を完璧に逸らし、最小限の動きで急所を正確に貫く。その一連の動作には、一切の無駄も、迷いもなかった。それは、戦いというよりも、精密な儀式のようにさえ見えた。
(あの人、一体何者…?)
駆け出しとはいえ、冒険者としての知識はある。今の動きが、常人のそれではないことくらいは分かった。あれは、達人の動きだ。それも、ただの達人ではない。まるで、伝説物語に出てくるような、神業の域に達した者の動きだった。
リリアはゴクリと唾を飲んだ。
そして、彼女の心の中に、一つの強烈な想いが芽生えていた。
この出会いを、逃してはいけない。
この人を、逃してはいけない。
彼女の冒険者人生を、いや、彼女の人生そのものを根底から覆すであろう出会いが、今、この辺境の森で静かに始まろうとしていた。
俺の日常は、幸いにも何の変化もなく続いていた。倒れたチンピラ二人は、翌朝には村から姿を消していたらしい。村人たちは俺に何かを尋ねてくることもなく、ただ以前よりも少しだけ敬意のこもった視線を向けてくるだけだった。それで十分だ。面倒な詮索がないのなら、文句はない。
あの鋭い目をした元騎士の男、ガレスとはあれ以来顔を合わせていない。彼が俺をどう見ているのかは知らないが、何か行動を起こしてこない限りは放っておくつもりだ。俺はただ、俺の平穏を守りたいだけなのだから。
その日は朝から快晴だった。
俺は籠を一つ背負い、家の裏手から続く森へと足を踏み入れた。目的は薬草の採取だ。自給自足の生活において、薬の確保は食料と同じくらい重要になる。切り傷に効くセリオの葉。腹痛を和らげるニガヨモギ。そして、神経を落ち着かせる効果のあるカモミール。この辺りの森は、薬草の宝庫だった。
かつて暗殺者だった頃、俺は毒物学と同時に薬草学も徹底的に叩き込まれた。人を殺す毒と、人を癒す薬は表裏一体。その知識が、今こうして自分の生活を豊かにするために役立っているというのは、皮肉な話だった。
森の奥深くへと進む。ひんやりとした木々の匂いが心地よい。木漏れ日が地面にまだら模様を描き、鳥たちのさえずりが静寂を彩る。俺は周囲の気配を探りながら、慎重に歩を進めた。獣の気配、風の流れ、枝のしなり具合。全ての情報が、この森の今の状態を俺に教えてくれる。
目当てのカモミールは、日当たりの良い開けた場所に群生しているはずだ。俺は記憶にある地形図と、実際の森の様子を頭の中で照合し、最短ルートを割り出した。無駄な歩きは体力を消耗するだけだ。
しばらく歩くと、森の少し開けた場所に出た。狙い通りだ。地面には白い花をつけたカモミールが、まるで絨毯のように咲き誇っている。俺は籠を下ろし、必要な分だけを丁寧に摘み始めた。根を傷つけないように、来年もまた収穫できるように。自然から一方的に奪うだけでは、持続可能な生活は送れない。
穏やかな時間だった。
このまま静かに薬草を摘み、家に帰って乾燥させ、一日を終える。そんな完璧な一日になるはずだった。
――その時、不意に遠くで甲高い悲鳴が聞こえた。
俺の指がピタリと止まる。
悲鳴は若い女の声だ。そして、その直後に地を揺るがすような獣の咆哮が続いた。金属がぶつかる甲高い音も聞こえる。誰かが、何かと戦っている。
(面倒なことだ)
俺は即座にそう判断した。
場所はここから二百メートルほど東。この森でこの時期に現れる大型の獣といえば、森猪(フォレストボア)くらいだろう。気性が荒く、一度狙った獲物は執拗に追いかける厄介な魔物だ。悲鳴の主が未熟な冒険者か何かであれば、まず助からない。
関わるべきではない。
俺は立ち上がり、背を向けた。俺の平穏を脅かす可能性のあるものには、近づかない。それが俺の信条だ。死体が見つかれば村が騒がしくなるかもしれないが、それはその時のことだ。俺が関わったと知られるよりは、よほどましだ。
俺は数歩、歩き出した。
だが、その足が止まる。
再び聞こえてきた悲鳴には、明らかな恐怖と、そして諦めが混じっていた。
ちっ、と俺は小さく舌打ちをした。
気分が悪い。
誰かがすぐ近くで死にかけているのを知りながら、見捨てて帰る。そんなことをして、今夜の飯が美味いだろうか。昨日のイーニッドさんのスープの味を、純粋な気持ちで思い出せるだろうか。
くだらない感傷だ。暗殺者だった俺が、何を今更。
そう頭では分かっている。だが、カーム村で過ごしたこの一月が、俺の中で何かを変えつつあるのもまた事実だった。
何より、一番の理由は合理的思考にあった。
ここで死人が出れば、ガレスのような男が必ず森の調査に乗り出すだろう。そうなれば、この辺りをうろついている俺が疑われる可能性もゼロではない。そうなれば事情聴取だの何だのと、考えるだけでうんざりするような面倒事が待っている。
ならば、最善手は何か。
原因を、迅速かつ隠密に排除する。
それが、結局は一番面倒が少ない。
俺はため息を一つ吐くと、踵を返し、音もなく駆け出した。地面の落ち葉を踏んでも、一切の音を立てない。木の幹から幹へと、影のように移動していく。俺が向かう先では、戦いが佳境を迎えていた。
視界が開けた先で、一人の少女が巨大な猪と対峙していた。
年の頃は十七、八か。赤い髪をポニーテールに結び、軽装の革鎧を身につけている。その手には、体格に見合わない大きな片手剣が握られていた。
相手は、体長三メートルはあろうかという巨大なフォレストボア。二本の巨大な牙は、大木さえ容易にへし折るだろう。全身は硬い体毛で覆われ、並大抵の攻撃は通じそうにない。
少女は必死に剣を振るっているが、その動きはあまりに未熟だった。剣筋は定まらず、踏み込みも甘い。フォレストボアの突進をかろうじて避けてはいるが、それはただの幸運に過ぎない。彼女の額には脂汗が浮かび、その呼吸は恐怖と疲労で乱れきっていた。
「くっ…!」
少女が体勢を立て直そうとした一瞬の隙を、フォレストボアは見逃さなかった。
猛烈な勢いで突進し、少女を撥ね飛ばす。
「きゃあ!」
少女の体は木の葉のように宙を舞い、地面に叩きつけられた。手から滑り落ちた剣が、カランと乾いた音を立てて転がる。絶体絶命だった。
フォレストボアは勝利を確信したように鼻を鳴らし、止めを刺そうと少女に歩み寄る。その巨大な蹄が、少女の頭上で振り上げられた。
(終わりか)
少女は死を覚悟し、ぎゅっと目を閉じた。
その瞬間。
カツン、という小さな音が、森に響いた。
フォレストボアの動きが、ぴたりと止まる。その巨大な顔が、ゆっくりと横を向いた。その眉間に、小さな石ころがめり込んでいる。大したダメージはないはずだ。だが、完璧な不意打ちだった。フォレストボアは、少女という獲物から完全に意識を逸らされ、新たな脅威を探して周囲を見回している。
もちろん、俺の姿など見つけられるはずもない。俺は木々の影に完全に同化していた。
フォレストボアが注意を逸らした、コンマ数秒の隙。
俺はその隙を逃さなかった。
影の中から滑り出るように飛び出すと、音もなくフォレストボアの側面へと回り込む。その手には、先程までの道中で拾っておいた、手頃な太さの木の枝が握られていた。先端は、ナイフで槍のように鋭く削り上げてある。
俺は地面を蹴った。
狙うは一点。フォレストボアの弱点、眼窩だ。
硬い頭蓋骨に守られた脳へと直接ダメージを与えられる、唯一の急所。
フォレストボアは俺の存在に気づき、慌てて振り向こうとした。だが、遅い。
俺の体は、力の流れを最適化した体捌きによって、矢のように加速していた。
ズブリ、と鈍い手応え。
俺が握っていた木の枝は、抵抗なくフォレストボアの眼窩の奥深くまで突き刺さっていた。
「グル…オ…」
巨獣は断末魔を上げる間もなく、その巨体をぐらりと揺らがせた。そして、まるでスローモーションのように、ゆっくりと横倒しになる。地響きを立てて倒れた時には、その生命活動は完全に停止していた。
静寂が森に戻る。
強大な魔物が、たった一撃で絶命した。
俺はフォレストボアの亡骸には目もくれず、突き刺した木の枝を掴む。そして、まるで汚いものでも払うかのように、手を数回振った。
「…え…?」
地面に倒れていた少女が、呆然と声を漏らした。
彼女の目には、信じられない光景が映っていた。
何が起きたのか、まるで理解できていない。ただ、自分を殺そうとしていた巨大な魔物が、目の前で死んでいる。そして、その傍らに、一人の地味な格好をしたおっさんが、何食わぬ顔で立っている。
俺は少女を一瞥したが、特に声をかけることはしなかった。
面倒だ。事情を説明するのも、感謝されるのも。
俺は背を向けると、中断していた本来の目的を果たすため、カモミールの群生地へと歩き出した。
「あ、あの!」
背後から、慌てたような声が飛んでくる。
俺は聞こえないふりをして、歩き続けた。
「ま、待ってください! あなたが、助けてくれたんですか…?」
少女は剣を拾い、ふらつく足で俺の後を追ってくる。
俺は仕方なく足を止め、面倒くさそうに振り返った。
「怪我がないなら、さっさと帰れ。ここは子供が一人で来る場所じゃない」
「こ、子供じゃありません! リリアって言います! しがない駆け出し冒険者ですけど…!」
リリアと名乗った少女は、必死にそう言った。その瞳は、俺をまっすぐに見つめている。そこには、恐怖や混乱と共に、強烈なまでの畏敬と好奇の色が浮かんでいた。
「…そうか。じゃあな、冒険者殿」
俺はそれだけ言うと、今度こそ本当に背を向けた。
俺の頭の中は、早く家に帰って薬草を乾燥させたい、という思いでいっぱいだった。
だが、リリアは違った。
彼女の頭の中は、先程のアランの動きが何度もリフレインしていた。
音もなく現れ、巨大な魔物の注意を完璧に逸らし、最小限の動きで急所を正確に貫く。その一連の動作には、一切の無駄も、迷いもなかった。それは、戦いというよりも、精密な儀式のようにさえ見えた。
(あの人、一体何者…?)
駆け出しとはいえ、冒険者としての知識はある。今の動きが、常人のそれではないことくらいは分かった。あれは、達人の動きだ。それも、ただの達人ではない。まるで、伝説物語に出てくるような、神業の域に達した者の動きだった。
リリアはゴクリと唾を飲んだ。
そして、彼女の心の中に、一つの強烈な想いが芽生えていた。
この出会いを、逃してはいけない。
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