「お前の戦い方は地味すぎる」とギルドをクビになったおっさん、その正体は大陸を震撼させた伝説の暗殺者。

夏見ナイ

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第30話:畏敬と報告

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模擬戦の後、マーカスは一言も発さなかった。
ただ、丘の上で黙々と畑仕事に戻った俺の姿を呆然と見つめているだけだった。その瞳には、先程までの侮りや驕りの色は欠片もなく、代わりに幽霊でも見るかのような畏怖と、理解不能なものに対する純粋な恐怖が浮かんでいた。

彼の部下たちも同様だった。
自分たちの敬愛する隊長が、辺境の村の小娘にまるで子供のようにあしらわれた。その衝撃的な光景は、彼らの価値観を根底から揺さぶるのに十分すぎた。

「マーカス殿…」
ガレスがおずおずと声をかけると、マーカスはびくりと肩を震わせ我に返った。
「…ガレス殿。君の報告は正しかった。いや、むしろ控えめすぎたようだ」
その声は乾ききっていた。

マーカスは再び丘の上のアランに視線を向けた。
(あの少女、リリアと言ったか。彼女の剣技は確かに常軌を逸していた。だが、あれは彼女自身の才能ではない。あの動きは全て、あの男…アランの教えに基づいている)

マーカスの脳裏に、リリアが口にした言葉が蘇る。
『相手の嫌がることを考えろ』
『自分の足元をよく見ろ』
一見、素朴で当たり前の言葉だ。だが、その言葉を戦闘において実践した時、それは王国騎士団のいかなる剣技をも凌駕する、恐るべき戦闘哲学へと変貌した。

(あの男は戦いの本質を理解している。見栄えや型ではない。いかに効率的に、確実に相手を無力化するか。その一点のみを突き詰めている。そして、その思想をあの少女に完璧に植え付けた。一体どんな指導をすれば、僅かな期間でそこまで…)

マーカスの背筋を冷たい汗が伝う。
弟子でこの強さ。
ならば、師であるアラン本人の実力は一体どれほどのものなのか。
想像しようとして、マーカスは思考を放棄した。おそらく、自分が今まで培ってきた常識や物差しでは到底測れる次元ではないだろう。

「我々は…とんでもない思い違いをしていたようだ」
マーカスは自分自身に言い聞かせるように呟いた。
「彼はただの元暗殺者などではない。我々が知る『強さ』という概念そのものを超越した存在だ」

その言葉に部下たちは息を呑んだ。
自分たちの隊長が他者をここまで評価するのは初めてのことだった。

「ガレス殿。彼の日常について、もう少し詳しく聞かせてほしい」
マーカスの口調はカーム村に来た時とは打って変わって、真剣そのものだった。
ガレスは待っていましたとばかりに頷くと、自分がこの目で見てきたアランの「神業」の数々を改めて語り始めた。

水車の修理。ティムの捜索。収穫祭のスープ。
一つ一つのエピソードが語られるたびに、マーカスと彼の部下たちの顔から血の気が引いていく。

「…工学、薬学、追跡術、そして軍略。その全てにおいて、大陸最高峰の専門家を遥かに凌駕していると…?」
「はい。私が見る限り、アラン殿に不可能はないように思えます」

ガレスの言葉には、もはや狂信的なまでの響きがあった。
だが、マーカスはそれをもう妄言だとは思わなかった。リリアの剣技が、その何よりの証拠だった。

その日の夕方。
調査隊は村の宿屋に重々しい雰囲気で集まっていた。
マーカスは王都へ送るための報告書を、震える手で書き綴っていた。

『国王陛下へ。特命調査隊隊長、マーカス・アシュフォードより緊急報告』

彼は一度ペンを止め、深く息を吸った。
何と書くべきか。ありのままを記せば、王宮はパニックに陥るだろう。だが、この事実を矮小化して報告することは国家への裏切りに等しい。

意を決し、マーカスは再びペンを走らせた。

『元騎士ガレスの報告は全て真実。いや、その内容はむしろ過小評価であったと言わざるを得ません。対象アランは、我々の理解を完全に超えた存在です』
『彼の弟子である少女リリアと模擬戦を行いましたが、当方、一撃も加えることなく完敗いたしました。彼女の戦闘術は我々王国騎士団のそれとは全く異次元のものであり、その全てが対象アランの教えによるものとのことです』
『弟子にしてこの強さ。師である対象本人の実力は計り知れません。報告にある通り、彼は一個人で軍隊に匹敵、あるいはそれを凌駕する可能性が極めて高いと判断いたします』

マーカスは最後に自らの結論を記した。

『結論:対象はもはや一人の人間としてではなく、国家の存亡に関わる『戦略級』の存在として扱うべきです。彼が王国に対し敵意を持っていない現状、いかなる形の接触も刺激も絶対に避けるべきであると進言いたします。彼の処遇については、国王陛下と騎士団総長の直接のご判断を仰ぎたく存じます』

報告書を書き終えたマーカスは、まるで全身の力を使い果たしたかのように椅子に深く沈み込んだ。
「…隊長。これを本当にこのまま送るのですか?」
部下の一人が不安そうな顔で尋ねる。
「ああ。ありのままを、な」

マーカスは窓の外に広がるカーム村の夜景を見つめた。
丘の上の小さな家からは穏やかな灯りが漏れている。
(あの灯りの下で、あの怪物は、何を考えているのだろうか…)

翌朝、マーカス率いる調査隊は誰にも告げずにひっそりと村を後にした。
その足取りは来た時とは比べ物にならないほど速く、そして切迫していた。まるで恐ろしい悪夢から逃げ出すかのように。

彼らが持ち帰った一通の報告書が、王宮を、そして王国全体を震撼させることになる。
事態はもはや辺境の小さな村の問題ではなく、国家レベルの安全保障問題へと急速に発展していくのだった。

その頃、全ての元凶であるアランは、寝癖をつけた頭を掻きながら、のんびりと朝の食卓についていた。
「うーん、昨日の騎士様たちはもう帰っちまったのかな。まあ、いいか。それより、今日の味噌汁の具は何にしようかな」
彼の頭の中は相変わらず、平和な日常のことで埋め尽くされていた。
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