「お前の戦い方は地味すぎる」とギルドをクビになったおっさん、その正体は大陸を震撼させた伝説の暗殺者。

夏見ナイ

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第38話:平穏への亀裂

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増え続ける滞在者たちに頭を悩ませる日々。それでも村そのものは平和だった。
畑は順調に育ち、村人たちの笑い声は絶えない。黄昏の蛇の気配も斥候を追い払って以来、完全に消え失せていた。
あるいは俺の小さな警告が本当に功を奏したのかもしれない。このまま何事もなく日々が過ぎていってくれれば…。

そんな俺の淡い期待は、ある日の午後、無残に打ち砕かれることになる。

その日、村の入り口がにわかに騒がしくなった。
俺が畑から様子を窺うと、数人の村人が血相を変えて何かを運び込んでいるのが見えた。その中心にはぐったりとした人影がある。怪我人だ。

俺は嫌な予感を覚えながら丘を下って広場へと向かった。
広場には既にガレスやマーカスたちが集まり、騒然とした雰囲気になっている。村人たちが運び込んだのは行商人のマルコだった。一月前にこの村を訪れた、あの人の好い男だ。

だが、今の彼の姿は見るも無残だった。
着ている服はズタズタに引き裂かれ、顔や手足には無数の切り傷や打撲の跡がある。意識はなく、その呼吸はか細く今にも途切れそうだった。彼の傍らには荷台の商品がめちゃくちゃに荒らされた、空っぽの幌馬車が停められている。

「どうしたんだ、何があった!」
ガレスがマルコを発見したという若い村人に詰め寄る。
「村の外れにある東の森の入り口で倒れていやした…。馬車は横転し、馬は殺されて…。おそらく盗賊に…」

盗賊。
その言葉に俺の全身が強張った。
ただの盗賊ではない。俺の脳裏に、あの忌まわしい組織の名が浮かび上がっていた。

セレスティアが素早くマルコの容態を確認する。
「…ひどい怪我だわ。全身を殴られ蹴られている。だが、致命傷はない。まるでわざと生かしたかのように…」
彼女はそう言うと、マルコの懐から一枚の羊皮紙を抜き取った。それはマルコの手には不釣り合いなほど上質で、黒い蝋で封がされている。

セレスティアは封を切ると、その中身に目を通した。
そして、その氷のような表情を僅かに歪ませた。

「…先輩。これは、あなた宛です」
彼女はその羊皮紙を俺に差し出した。

俺は黙ってそれを受け取った。
羊皮紙に書かれていたのは、短く、そして侮辱に満ちた一文だった。

『“神の影”へ。遊びは終わりだ。我らの庭で何をしている?』

その下には蛇が黄昏の太陽を飲み込む様を描いた、禍々しい紋章が記されている。
黄昏の蛇。
間違いなかった。

俺の中で何かがぷつりと切れる音がした。
ふつふつと腹の底から黒いマグマのような怒りが込み上げてくる。

マルコはこの村に立ち寄っただけの、何の罪もない男だ。
奴らは俺への見せしめのために彼を嬲り者にしたのだ。わざと半殺しにして、この村へメッセージを運ばせた。
『お前が関わった者たちは皆こうなるぞ』と。

俺が最も嫌う、卑劣で残虐なやり方。
彼らは俺が築き上げてきたこの平穏な日常に、明確な亀裂を入れたのだ。

「…なんて卑劣な…!」
リリアが唇を噛み締め、わなわなと震えている。
マーカスと彼の部下たちは羊皮紙の紋章を見て息を呑んだ。王国騎士団に所属する彼らにとって黄昏の蛇の名は、決して無視できない脅威として知られていたからだ。

ガレスは厳しい顔で俺を見た。
「アラン殿…。これは、一体…」

俺は何も答えなかった。
ただ、手の中の羊皮紙を音もなく握り潰した。

怒り。
それは俺が十年前に捨てたつもりでいた感情だった。
だが、それは消えてはいなかった。俺の心の最も深い場所でただ眠っていただけだったのだ。そして今、奴らの卑劣な行いが、その眠れる獣を無理やりこじ開けるように目覚めさせた。

血の匂いがする。
それはマルコの傷から流れる血の匂いだけではなかった。
俺自身の過去から漂ってくる、鉄錆のような懐しくも忌まわしい匂いだった。

「…セレスティア」
俺は低い声で呟いた。
「マルコを治せるか」
「…最善を尽くします。ですが、傷だけでなく毒も使われている可能性がある。予断は許しません」
「頼む」

俺はそれだけ言うと踵を返した。
「師匠! どこへ行くんですか!」
リリアが悲鳴に近い声を上げる。

俺は振り返らなかった。
行き先は決まっている。

家だ。
家の物置の奥。そこに俺が十年前に封印した、もう一人の俺が眠っている。

平穏は破られた。
俺が望むと望まざるとにかかわらず、戦いの火蓋は切られてしまった。
ならば、もう迷っている時間はない。

俺の足取りは丘を登るにつれてどんどん速くなっていった。
それはもはやただの農夫の歩みではなかった。
目的のためならいかなる障害も排除する、冷徹な暗殺者の歩みだった。

俺の背後で村人たちの不安げな声が遠ざかっていく。
西の空はまるで血で染めたかのように、不吉なほど赤く燃えていた。
その光景はこれから始まるであろう戦いを、暗示しているかのようだった。
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