「お前の戦い方は地味すぎる」とギルドをクビになったおっさん、その正体は大陸を震撼させた伝説の暗殺者。

夏見ナイ

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第42話:鉱山の亡霊

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鉱山の入り口は、獣の口のようにぽっかりと暗い穴を開けていた。
中からは、湿った土の匂いと鉄錆の匂い、そして下品な男たちの話し声が混じり合って漏れ出してくる。外部の見張りを音もなくやり過ごした俺は、入り口のすぐ脇にある岩陰に身を潜め、内部の様子を窺っていた。

洞窟の壁には松明が等間隔に設置され、坑道の闇を頼りなく照らしている。その光が、複雑に入り組んだ坑道の壁に不気味な影を落としていた。
俺は目を閉じ、聴覚に意識を集中させた。

反響する足音。その数、速さ、リズムから、巡回している兵の数とおおよその位置を割り出す。
遠くで聞こえる金属を打つ音。おそらく、武器の手入れをしている鍛冶場のような場所があるのだろう。
そして、最も多くの声が聞こえてくる場所。そこが奴らの酒場兼食堂、中心的な居住区だ。

セレスティアの情報では、構成員は五十人以上。
この複雑な坑道で一人ずつ確実に潰していくのは骨が折れる。ならば、やり方は一つだ。
恐怖を植え付け、内側から崩壊させる。

俺は再び闇に溶け込むと、壁に張り付くようにして坑道の奥へと侵入した。
松明の光が作り出す僅かな影から影へと、音もなく移動していく。それは、かつて俺が最も得意とした動きだった。俺の存在は、この鉱山に巣食う亡霊そのものだった。

しばらく進むと、前方の通路から二人の男がこちらへ向かってくるのが見えた。手に持った松明の光が壁を揺らめかせている。巡回の兵士だろう。

「ちくしょう、ボルガの奴、機嫌が悪ぃぜ。斥候の連中が戻ってこねえからって、俺たちに八つ当たりしやがって」
「まあ、無理もねえ。相手はあの“神の影”かもしれねえんだからな。伝説の化け物だぜ?」
「馬鹿言え。ただの噂だろ。十年も前の亡霊が今更こんな田舎にいるわけが…」

男たちの会話が俺の耳に届く。
どうやら、逃げ帰った斥候の報告はまだ完全には信じられていないらしい。組織内でも意見が割れているのだろう。それは俺にとって好都合だった。

俺は通路の脇にある岩の窪みに、滑り込むように身を隠した。
男たちが何も知らずに俺のすぐ横を通り過ぎていく。
その最後尾の男が、俺の隠れた窪みを通り過ぎた、その瞬間。

俺は動いた。
背後から音もなく現れ、男の口を左手で塞ぐ。声は出させない。
同時に、右手の指先で男の首筋にある神経の束を的確に圧迫した。

「んぐっ…!」

男は短い呻き声を上げると、白目を剥いて崩れ落ちた。意識を失っただけで、殺してはいない。無力化しただけだ。
その間、わずか一秒。

「…おい、どうした?」
前を歩いていた男が、相棒の気配が消えたことに気づき不審そうに振り返った。
だが、彼の目には誰もいない薄暗い通路しか映らない。相棒の姿は忽然と消えていた。

「…おい! どこ行ったんだ! ふざけてねえで出てこいよ!」
男の声が坑道に虚しく響く。
返事はない。
ただ、どこからかひやりと冷たい風が吹いてきたような気がした。

男の顔に恐怖の色が浮かび始めた。
松明を掲げ、震える手で周囲を照らす。だが、そこにいるのは自分一人だけだ。相棒が消えた痕跡すらどこにもない。
まるで神隠しにでもあったかのようだ。

「ば、化け物…」
男の口から掠れた声が漏れた。
斥候たちが持ち帰った荒唐無稽な噂話。それが今、恐ろしい現実味を帯びて彼の心に襲いかかってきた。

男はパニックに陥り、武器を放り出すと来た道を一目散に駆け出した。
「で、出たー! 化け物が出たぞー!」

その悲鳴は、静かだった鉱山内部に最初の波紋を広げた。

俺は意識を失った男を物陰に引きずり込み、手際よく猿轡をかませて縛り上げた。そして彼が落とした松明を拾い上げ、その火を近くにあった別の松明に移し、元の場所に戻した。
現場には何も異常がないように見せかける。
だが、一人だけが消えている。その事実が奴らの心に疑心暗鬼という名の毒を植え付けるのだ。

俺はさらに坑道の奥へと進んだ。
先程の男の悲鳴を聞きつけ、数人の構成員が武器を手に駆けつけてくる。

「何があった!」
「化け物だって? 馬鹿な!」

彼らは悲鳴が聞こえた場所で合流し、警戒しながら周囲を捜索し始めた。
俺は彼らの頭上、天井近くにある岩棚の上に身を潜めていた。
俺の体は岩と完全に同化し、誰一人として俺の存在に気づいていない。

彼らがちょうど俺の真下を通り過ぎようとした時。
俺は懐から小さな石ころを数個取り出した。そして、それを彼らとは全く別の方向にある暗い横穴の奥へと、音もなく投げ込んだ。

カラン…コロン…

暗闇の奥から響く不気味な物音。
構成員たちはびくりと肩を震わせ、一斉にそちらを向いた。

「…今の音はなんだ?」
「誰か、いるのか…?」

彼らの意識が完全に横穴へと集中する。
その隙を俺は見逃さなかった。

岩棚から音もなく飛び降り、最後尾にいた男の背後を取る。
そして先程と同じように、一瞬で彼の意識を刈り取った。
そのまま彼を引きずり、近くの資材置き場の影へと隠す。

「おい、やっぱり何もいねえぞ」
「気のせいだったのか…?」
横穴を調べていた男たちが何も見つけられずに戻ってくる。
そして、彼らは気づく。
仲間がまた一人、消えていることに。

「……おい。まさか…」
「さっきまでここにいたはずだ…!」
男たちの顔から血の気が引いていくのが分かった。
そこにあるのは、理解不能な現象への根源的な恐怖だった。

見えない敵。
音もなく仲間を攫っていく正体不明の何か。
この鉱山には自分たち以外の「何か」がいる。

その認識が彼らの心を支配し始めた時、俺の第一段階の計画は完了したも同然だった。
俺は彼らがパニックに陥り、統率を失っていく様を、暗い物陰から冷たく見つめていた。

これから始まるのは虐殺ではない。
心理戦だ。
俺という名の亡霊が、この鉱山に巣食う悪党たちの心を一人、また一人と内側から食い破っていく。

「掃除の時間だ」

俺の口元に、十年ぶりに冷酷な笑みが浮かんでいた。
それは、農夫アラン・スミスのものではない。
“神の影”の紛れもない笑みだった。
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