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第100話:ただのおっさんの、騒がしい日常(完)
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あれから、季節は一巡りした。
カーム村には穏やかな春の風が吹き抜け、木々は芽吹き、畑には新しい命が顔を出し始めている。
俺は自宅の縁側で、淹れたてのハーブティーが入ったカップを片手に、その光景をぼんやりと眺めていた。
国王陛下による布告は絶大な効果を発揮した。
商業ギルドは鳴りを潜め、聖人伝説に惹かれてやってきた観光客たちの姿ももうどこにもない。村は俺が初めてここを訪れた時のような、静かで穏やかな空気に満ち溢れていた。
鳥のさえずりが聞こえ、遠くで子供たちのはしゃぐ声がする。風が土の匂いを運んでくる。
完璧だ。
これこそが俺が血と硝煙の世界を捨ててまで手に入れたかった、完璧な平穏。完璧なスローライフ。
俺は目を閉じ、その完璧な静寂を心の底から味わっていた。
長かった戦いは本当に終わったのだ。
俺はもう誰にも邪魔されることなく、ただの農夫アランとしてこの場所で静かに朽ちていくことができる。
その事実に、俺は深い深い満足感を覚えていた。
――その完璧な静寂が、丘の下から聞こえてくるけたたましい足音によって破られるまでは。
「師匠ー! おはようございます! 今日の修行は何から始めますか!?」
一陣の風のようにリリアが駆け上がってきた。
その手にはもはや彼女のトレードマークとなったクワが、大事そうに握られている。一年の間に彼女の剣技はさらに磨きがかかったらしいが、それに比例して畑を耕す腕前も一流の農夫の域に達しつつあった。本人は全く自覚していないようだが。
俺は目を開け、ため息をついた。
「…今日の修行は休みだ」
「ええっ! なぜですか!? 強くなるためには日々の鍛錬が…!」
「俺が休みたい気分だからだ」
俺のあまりにやる気のない答えに、リリアが「そんな…!」と食い下がろうとしたその時。
「アラン殿! 失礼する!」
今度はガレスが真剣な顔で、分厚い羊皮紙の巻物を抱えてやってきた。
「なんだ、ガレス。また何かあったのか」
「ええ! 由々しき事態です! 最近、村の北側の畑が何者かによって荒らされるという事件が多発しておりまして!」
彼はばさりと俺の目の前に地図を広げた。
「犯人はおそらく夜行性のアナグマの群れかと! そこで私が立案した、この『対アナグマ包囲殲滅陣』についてアラン殿のご助言をいただきたく…!」
地図の上には恐ろしく緻密な罠の配置や部隊の展開図が書き込まれている。
ただのアナグマ相手にどれだけ本気なんだ、この元騎士は。
俺はこめかみを押さえた。
「師匠の休息を邪魔するなんて、あなたも感心しませんね、ガレス殿!」
「むっ! リリア殿こそ朝から師匠に稽古を強請るとは! 村の平和を守るための軍議と個人的な修行、どちらが重要かは明白であろう!」
リリアとガレスが俺を挟んでぎゃあぎゃあと口論を始めた。
俺の完璧だったはずの静寂は、もはや欠片も残っていなかった。
「…あら。朝から賑やかですわね」
そこに追い打ちをかけるように涼やかな声が響いた。
いつの間にかセレスティアが俺の隣に当たり前のように座っていた。その手には俺が淹れたはずのハーブティーのカップが、ちゃっかりと握られている。
「先輩。王都から休暇を取ってきました」
「…そうか」
「ええ。最新の情報によれば、この辺りのアナグマは焼いた魚が好物だそうですよ。罠に餌として使ってみては?」
彼女はガレスの地図をちらりと見ると、的確な、しかし全くありがたくない助言を与えた。
「な、なるほど! 情報戦か…! さすがはセレスティア殿!」
ガレスが感心したように唸っている。
俺の頭痛はさらに悪化した。
そして、とどめだった。
丘の下から一台の見覚えのある馬車が、ゆっくりと登ってきた。
ただしその馬車には王家の紋章は描かれていない。お忍び、ということらしい。
馬車から降り立ったのは、簡素な村娘の服に身を包んだエリアーナ王女だった。
その笑顔は太陽のように輝いている。
「アランさん、皆様、ごきげんよう。今日は王都で評判のお菓子を持参いたしましたの。よろしければ皆様で、お茶会でもいかがですこと?」
彼女の後ろでは侍女のリナが山のような菓子箱を抱え、少しふらついている。
その光景を見た瞬間、俺の中で何かがぷつりと切れた。
俺はゆっくりと立ち上がった。
そして天を仰ぎ、心の底から叫んだ。
いや、それは叫びというよりはもはや嘆きに近かった。
「俺の平穏はどこへ行ったんだーーーーっ!」
俺の悲痛な叫び声が、カーム村の穏やかな空に虚しく響き渡った。
リリアがきょとんとした顔で俺を見る。
ガレスが真剣な顔で「アラン殿は、何かお悩みでも…?」と呟く。
セレスティアが呆れたようにふいと顔を逸らす。
そしてエリアーナが扇子で口元を隠し、楽しそうにくすくすと笑っている。
俺は、その光景に囲まれながらがっくりと肩を落とした。
そして頭を抱えて、その場にうずくまった。
一人で手に入れたかった静かな平穏。
それはもうどこにもない。
俺の周りにはいつの間にか、こんなにも騒がしく、手のかかる厄介な人間たちが集まってきてしまった。
だが。
俺は頭を抱えたまま、気づいてしまった。
自分の口元が。
困ったように、呆れたように歪みながらも。
確かに笑っていることに。
(…まあ、たまには)
俺は心の中で誰に言うでもなく呟いた。
(こういうのも、悪くないか)
一人で味わう完璧な静寂よりも。
仲間たちと分かち合う、この騒がしくも温かい日常の方が。
もしかしたら、ずっとずっと価値のあるものなのかもしれない。
俺の、ただのおっさんの、騒がしい日常。
それはこれからもきっと続いていくのだろう。
俺が本当に手に入れたかった宝物は、案外最初からすぐそこにあったのかもしれない。
俺はゆっくりと顔を上げた。
目の前では俺をめぐって、また仲間たちが賑やかに笑い合っていた。
その光景を、俺はただ愛おしそうに見つめていた。
(完)
カーム村には穏やかな春の風が吹き抜け、木々は芽吹き、畑には新しい命が顔を出し始めている。
俺は自宅の縁側で、淹れたてのハーブティーが入ったカップを片手に、その光景をぼんやりと眺めていた。
国王陛下による布告は絶大な効果を発揮した。
商業ギルドは鳴りを潜め、聖人伝説に惹かれてやってきた観光客たちの姿ももうどこにもない。村は俺が初めてここを訪れた時のような、静かで穏やかな空気に満ち溢れていた。
鳥のさえずりが聞こえ、遠くで子供たちのはしゃぐ声がする。風が土の匂いを運んでくる。
完璧だ。
これこそが俺が血と硝煙の世界を捨ててまで手に入れたかった、完璧な平穏。完璧なスローライフ。
俺は目を閉じ、その完璧な静寂を心の底から味わっていた。
長かった戦いは本当に終わったのだ。
俺はもう誰にも邪魔されることなく、ただの農夫アランとしてこの場所で静かに朽ちていくことができる。
その事実に、俺は深い深い満足感を覚えていた。
――その完璧な静寂が、丘の下から聞こえてくるけたたましい足音によって破られるまでは。
「師匠ー! おはようございます! 今日の修行は何から始めますか!?」
一陣の風のようにリリアが駆け上がってきた。
その手にはもはや彼女のトレードマークとなったクワが、大事そうに握られている。一年の間に彼女の剣技はさらに磨きがかかったらしいが、それに比例して畑を耕す腕前も一流の農夫の域に達しつつあった。本人は全く自覚していないようだが。
俺は目を開け、ため息をついた。
「…今日の修行は休みだ」
「ええっ! なぜですか!? 強くなるためには日々の鍛錬が…!」
「俺が休みたい気分だからだ」
俺のあまりにやる気のない答えに、リリアが「そんな…!」と食い下がろうとしたその時。
「アラン殿! 失礼する!」
今度はガレスが真剣な顔で、分厚い羊皮紙の巻物を抱えてやってきた。
「なんだ、ガレス。また何かあったのか」
「ええ! 由々しき事態です! 最近、村の北側の畑が何者かによって荒らされるという事件が多発しておりまして!」
彼はばさりと俺の目の前に地図を広げた。
「犯人はおそらく夜行性のアナグマの群れかと! そこで私が立案した、この『対アナグマ包囲殲滅陣』についてアラン殿のご助言をいただきたく…!」
地図の上には恐ろしく緻密な罠の配置や部隊の展開図が書き込まれている。
ただのアナグマ相手にどれだけ本気なんだ、この元騎士は。
俺はこめかみを押さえた。
「師匠の休息を邪魔するなんて、あなたも感心しませんね、ガレス殿!」
「むっ! リリア殿こそ朝から師匠に稽古を強請るとは! 村の平和を守るための軍議と個人的な修行、どちらが重要かは明白であろう!」
リリアとガレスが俺を挟んでぎゃあぎゃあと口論を始めた。
俺の完璧だったはずの静寂は、もはや欠片も残っていなかった。
「…あら。朝から賑やかですわね」
そこに追い打ちをかけるように涼やかな声が響いた。
いつの間にかセレスティアが俺の隣に当たり前のように座っていた。その手には俺が淹れたはずのハーブティーのカップが、ちゃっかりと握られている。
「先輩。王都から休暇を取ってきました」
「…そうか」
「ええ。最新の情報によれば、この辺りのアナグマは焼いた魚が好物だそうですよ。罠に餌として使ってみては?」
彼女はガレスの地図をちらりと見ると、的確な、しかし全くありがたくない助言を与えた。
「な、なるほど! 情報戦か…! さすがはセレスティア殿!」
ガレスが感心したように唸っている。
俺の頭痛はさらに悪化した。
そして、とどめだった。
丘の下から一台の見覚えのある馬車が、ゆっくりと登ってきた。
ただしその馬車には王家の紋章は描かれていない。お忍び、ということらしい。
馬車から降り立ったのは、簡素な村娘の服に身を包んだエリアーナ王女だった。
その笑顔は太陽のように輝いている。
「アランさん、皆様、ごきげんよう。今日は王都で評判のお菓子を持参いたしましたの。よろしければ皆様で、お茶会でもいかがですこと?」
彼女の後ろでは侍女のリナが山のような菓子箱を抱え、少しふらついている。
その光景を見た瞬間、俺の中で何かがぷつりと切れた。
俺はゆっくりと立ち上がった。
そして天を仰ぎ、心の底から叫んだ。
いや、それは叫びというよりはもはや嘆きに近かった。
「俺の平穏はどこへ行ったんだーーーーっ!」
俺の悲痛な叫び声が、カーム村の穏やかな空に虚しく響き渡った。
リリアがきょとんとした顔で俺を見る。
ガレスが真剣な顔で「アラン殿は、何かお悩みでも…?」と呟く。
セレスティアが呆れたようにふいと顔を逸らす。
そしてエリアーナが扇子で口元を隠し、楽しそうにくすくすと笑っている。
俺は、その光景に囲まれながらがっくりと肩を落とした。
そして頭を抱えて、その場にうずくまった。
一人で手に入れたかった静かな平穏。
それはもうどこにもない。
俺の周りにはいつの間にか、こんなにも騒がしく、手のかかる厄介な人間たちが集まってきてしまった。
だが。
俺は頭を抱えたまま、気づいてしまった。
自分の口元が。
困ったように、呆れたように歪みながらも。
確かに笑っていることに。
(…まあ、たまには)
俺は心の中で誰に言うでもなく呟いた。
(こういうのも、悪くないか)
一人で味わう完璧な静寂よりも。
仲間たちと分かち合う、この騒がしくも温かい日常の方が。
もしかしたら、ずっとずっと価値のあるものなのかもしれない。
俺の、ただのおっさんの、騒がしい日常。
それはこれからもきっと続いていくのだろう。
俺が本当に手に入れたかった宝物は、案外最初からすぐそこにあったのかもしれない。
俺はゆっくりと顔を上げた。
目の前では俺をめぐって、また仲間たちが賑やかに笑い合っていた。
その光景を、俺はただ愛おしそうに見つめていた。
(完)
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『追放された錬金術師は、神スキル【物質創造】で辺境に楽園を築きます ~今さら戻ってこいと泣きつかれても、もう遅い。周りには僕を信じてくれる仲間がいるので~』という感じ。ありそう。
※「小説家になろう」「カクヨム」「アルファポリス」に同内容のものを投稿しています。
※この作品以外にもいろいろと小説を投稿しています。よろしければそちらもご覧ください。
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