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第31話 期末テストと特別講義、あるいは二人きりの約束
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雪城冬花の魂のラブソングによる公開処刑から数日。
俺を取り巻く環境は、またしても劇的な変化を遂げていた。
クラスメイトたちが俺を見る目。それはもはや嫉妬や畏怖を通り越して、何か神聖なものを見るような、そんな色合いを帯びていた。
『未来から来たクールな銀髪美少女に、時空を超えて愛される男』
俺にはそんな壮大な称号が半ば公式に与えられてしまったらしい。誰も口には出さないが、教室の空気そのものがそう語っていた。
おかげで、高木のような輩が絡んでくることは一切なくなった。皆、触れてはならない聖域として俺と雪城さんの関係を遠巻きに見守っている。
ある意味、非常に平穏だった。
だが、その平穏は水面下で複雑な波紋を描いていた。
特に、天宮夏帆さんの態度はどこかぎこちないものになっていた。
以前のように太陽みたいな笑顔で話しかけてくれることはある。だが、その笑顔の裏にほんの少しだけ寂しさと諦めが混じっているのを、俺は感じずにはいられなかった。
カラオケでの雪城さんの、あの圧倒的な『本気』を見せつけられては無理もないだろう。
俺は、そんな彼女に少しだけ申し訳ない気持ちになりながらもどうすることもできずにいた。
そして、当の雪城さんはというと、学校ではいつも通りのクールな『氷の女王』だった。
カラオケであれほどの激情を見せたのが嘘のように、彼女は淡々と授業を受け、静かに読書をしている。
だが、俺だけには分かった。
休み時間に交わされる筆談で、彼女が描くペンギンのイラストが以前よりも心なしか嬉しそうに飛び跳ねていること。
俺の視線に気づくと教科書で顔を隠しながら、その耳がほんのり赤く染まっていること。
彼女のクールな仮面の下で、確かな喜びと俺への愛情が溢れている。その事実は、俺の心を温かく満たしていた。
この、奇妙でいびつで、でも確かに育まれている関係。
このまま穏やかな時間が続けばいい。そう願わずにはいられなかった。
しかし、高校生の日常に永続的な平穏など存在しない。
新たな試練はいつも唐突にやってくる。
「えー、来週から期末テスト一週間前になる。部活も停止だ。赤点取って、夏休みに補習なんてことにならんよう、しっかり勉強しとけよー」
タナチューの気の抜けた一言。
その瞬間、教室の空気は今までとは全く違う種類の絶望に包まれた。
期末テスト。
その悪魔のような響き。
俺は配布されたテスト範囲のプリントを見て、顔面蒼白になった。
数学II、今回の範囲は『微分・積分』。
もはや日本語ですらなかった。教科書を開いても、そこに書かれているのは謎の記号と数式の羅列だけ。まるで古代文明の暗号文書だ。
雪城さんの特訓のおかげで三角関数はどうにかなった。だが、この新たな魔王『ビブン・セキブン』を俺一人の力で倒せる気は到底しなかった。
「終わった……俺の夏休み、終わった……」
俺が机に突っ伏して絶望していると、隣からすっとノートの切れ端が差し出された。
『ご安心ください。全て、想定内です』
その自信に満ち溢れた文字を見て、俺はゆっくりと顔を上げた。
そこには、全てを見通しているかのような静かな瞳の雪城さんがいた。
その日の放課後。
俺は、昨日と同じように体育館裏へと呼び出されていた。
ただし、昨日のような重苦しい雰囲気はない。彼女の纏う空気はむしろ、これから始まる一大プロジェクトを前にした指揮官のような緊張感と高揚感に満ちていた。
「さて、優斗さん」
彼女は腕を組んで俺の前に立つと、きっぱりとした口調で切り出した。
「いよいよ期末テストが近づいてきましたね」
「ああ……考えただけで胃が痛い」
「その必要はありません。なぜなら、私がいるからです」
彼女は、どこからともなく分厚いファイルの束を取り出した。その表紙には、ゴシック体の力強い文字でこう記されている。
『未来の旦那様・赤点回避&成績上位必達計画書』
「……なんだそれは」
「未来のあなたの学習データ、つまずきやすいポイント、集中力が持続する時間、最も効率的な暗記法。その全てを分析し、あなたのためだけに最適化された完全オーダーメイドの学習カリキュラムです」
彼女は、そのファイルをパラパラとめくりながら淀みなく説明する。
「これに従って学習すれば、赤点の回避どころか学年上位に食い込むことも不可能ではありません。未来の私が、実証済みです」
その手にあるのは、もはやただの計画書ではなかった。
未来の知識と俺への愛情だけで作られた、最強の攻略本だ。
俺は、その圧倒的な準備と熱量にただただ呆気に取られる。
「……そこまでしてくれるのか」
「当然です。未来のあなたの輝かしい学歴は、妻である私の誇りでもありましたから。それを、この時代のあなたにも再現していただかなくては困ります」
彼女はそう言うと、ファイルを閉じた。
そして本題に入るというように、一つ咳払いをした。
「つきましては、本日より『未来の旦那様・赤点回避勉強会』を開催いたします」
「べ、勉強会……」
「はい。まずは週末の土日。二日間、みっちりと基礎を叩き込みます。場所ですが」
彼女は俺の目を真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、有無を言わせぬ強い意志が宿っている。
「あなたの部屋が、最も効率的であると判断しました」
俺の思考が、一瞬停止した。
俺の部屋?
あの、漫画とゲームと脱ぎっぱなしの服で構成された、男子高校生の聖域(サンクチュアリ)に、この完璧超人を招き入れるというのか。
「む、無理無理無理! 絶対に無理だ!」
俺は全力で首を横に振った。
「なんでだよ! 図書室でいいだろ、今まで通り!」
「図書室では限界があります。まず、利用時間に制限がある。そして、声を出しての音読学習ができない。何より」
彼女は一歩、俺に近づいた。
「二人きりになれる時間が、少ない」
その最後の一言が、とどめだった。
俺は、顔がカッと熱くなるのを感じる。
「み、未来では、あなたがテスト期間に入るたびに私があなたの部屋へ通い、泊まり込みで勉強を見るのが常でした。『冬花の夜食がないと、勉強頑張れない』と、あなたはいつも駄々をこねていましたよ」
「未来の俺はどれだけ甘えん坊なんだ!」
「ですから、あなたの部屋で行うのが最も合理的かつ未来に即した選択なのです。何か、問題でも?」
彼女は完璧な理論武装で、小首を傾げてみせる。
問題しかない。大ありだ。
女子を、しかも雪城冬花を自分の部屋に上げる。そんなことになったら、俺の心臓は勉強どころではなくなってしまう。
「だめだ! 絶対にだめだ! うちの親もいるし!」
「お母様には、既にご挨拶の連絡を入れてあります。『息子のことを、よろしくお願いいたします』と、大変喜んでいらっしゃいました」
「いつの間に!?」
俺の知らないところで着々と外堀が埋められている。恐るべき、未来の嫁の計画性。
俺の最後の抵抗も虚しく、雪城さんは最終通告を突きつけた。
「決定です。土曜日の朝九時にお伺いします。それまでに、部屋を未来の私が見ても恥ずかしくないレベルにまで片付けておくように。……特に、ベッドの下」
「なっ……!?」
なぜ、そこまで知っている。
俺は彼女の未来予知能力に、もはや戦慄するしかなかった。
こうして、俺の意思とは無関係に週末の『お部屋勉強会』の開催が強制的に決定されてしまった。
カラオケでの公開処刑、球技大会での板挟み。
次なる試練は、密室での二人きりの特別講義。
俺は自分の部屋で繰り広げられるであろう、甘くも危険な未来を想像し、頭を抱えるしかなかった。
俺の心臓は、果たして期末テストまで無事に持つのだろうか。
俺を取り巻く環境は、またしても劇的な変化を遂げていた。
クラスメイトたちが俺を見る目。それはもはや嫉妬や畏怖を通り越して、何か神聖なものを見るような、そんな色合いを帯びていた。
『未来から来たクールな銀髪美少女に、時空を超えて愛される男』
俺にはそんな壮大な称号が半ば公式に与えられてしまったらしい。誰も口には出さないが、教室の空気そのものがそう語っていた。
おかげで、高木のような輩が絡んでくることは一切なくなった。皆、触れてはならない聖域として俺と雪城さんの関係を遠巻きに見守っている。
ある意味、非常に平穏だった。
だが、その平穏は水面下で複雑な波紋を描いていた。
特に、天宮夏帆さんの態度はどこかぎこちないものになっていた。
以前のように太陽みたいな笑顔で話しかけてくれることはある。だが、その笑顔の裏にほんの少しだけ寂しさと諦めが混じっているのを、俺は感じずにはいられなかった。
カラオケでの雪城さんの、あの圧倒的な『本気』を見せつけられては無理もないだろう。
俺は、そんな彼女に少しだけ申し訳ない気持ちになりながらもどうすることもできずにいた。
そして、当の雪城さんはというと、学校ではいつも通りのクールな『氷の女王』だった。
カラオケであれほどの激情を見せたのが嘘のように、彼女は淡々と授業を受け、静かに読書をしている。
だが、俺だけには分かった。
休み時間に交わされる筆談で、彼女が描くペンギンのイラストが以前よりも心なしか嬉しそうに飛び跳ねていること。
俺の視線に気づくと教科書で顔を隠しながら、その耳がほんのり赤く染まっていること。
彼女のクールな仮面の下で、確かな喜びと俺への愛情が溢れている。その事実は、俺の心を温かく満たしていた。
この、奇妙でいびつで、でも確かに育まれている関係。
このまま穏やかな時間が続けばいい。そう願わずにはいられなかった。
しかし、高校生の日常に永続的な平穏など存在しない。
新たな試練はいつも唐突にやってくる。
「えー、来週から期末テスト一週間前になる。部活も停止だ。赤点取って、夏休みに補習なんてことにならんよう、しっかり勉強しとけよー」
タナチューの気の抜けた一言。
その瞬間、教室の空気は今までとは全く違う種類の絶望に包まれた。
期末テスト。
その悪魔のような響き。
俺は配布されたテスト範囲のプリントを見て、顔面蒼白になった。
数学II、今回の範囲は『微分・積分』。
もはや日本語ですらなかった。教科書を開いても、そこに書かれているのは謎の記号と数式の羅列だけ。まるで古代文明の暗号文書だ。
雪城さんの特訓のおかげで三角関数はどうにかなった。だが、この新たな魔王『ビブン・セキブン』を俺一人の力で倒せる気は到底しなかった。
「終わった……俺の夏休み、終わった……」
俺が机に突っ伏して絶望していると、隣からすっとノートの切れ端が差し出された。
『ご安心ください。全て、想定内です』
その自信に満ち溢れた文字を見て、俺はゆっくりと顔を上げた。
そこには、全てを見通しているかのような静かな瞳の雪城さんがいた。
その日の放課後。
俺は、昨日と同じように体育館裏へと呼び出されていた。
ただし、昨日のような重苦しい雰囲気はない。彼女の纏う空気はむしろ、これから始まる一大プロジェクトを前にした指揮官のような緊張感と高揚感に満ちていた。
「さて、優斗さん」
彼女は腕を組んで俺の前に立つと、きっぱりとした口調で切り出した。
「いよいよ期末テストが近づいてきましたね」
「ああ……考えただけで胃が痛い」
「その必要はありません。なぜなら、私がいるからです」
彼女は、どこからともなく分厚いファイルの束を取り出した。その表紙には、ゴシック体の力強い文字でこう記されている。
『未来の旦那様・赤点回避&成績上位必達計画書』
「……なんだそれは」
「未来のあなたの学習データ、つまずきやすいポイント、集中力が持続する時間、最も効率的な暗記法。その全てを分析し、あなたのためだけに最適化された完全オーダーメイドの学習カリキュラムです」
彼女は、そのファイルをパラパラとめくりながら淀みなく説明する。
「これに従って学習すれば、赤点の回避どころか学年上位に食い込むことも不可能ではありません。未来の私が、実証済みです」
その手にあるのは、もはやただの計画書ではなかった。
未来の知識と俺への愛情だけで作られた、最強の攻略本だ。
俺は、その圧倒的な準備と熱量にただただ呆気に取られる。
「……そこまでしてくれるのか」
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彼女はそう言うと、ファイルを閉じた。
そして本題に入るというように、一つ咳払いをした。
「つきましては、本日より『未来の旦那様・赤点回避勉強会』を開催いたします」
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「はい。まずは週末の土日。二日間、みっちりと基礎を叩き込みます。場所ですが」
彼女は俺の目を真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、有無を言わせぬ強い意志が宿っている。
「あなたの部屋が、最も効率的であると判断しました」
俺の思考が、一瞬停止した。
俺の部屋?
あの、漫画とゲームと脱ぎっぱなしの服で構成された、男子高校生の聖域(サンクチュアリ)に、この完璧超人を招き入れるというのか。
「む、無理無理無理! 絶対に無理だ!」
俺は全力で首を横に振った。
「なんでだよ! 図書室でいいだろ、今まで通り!」
「図書室では限界があります。まず、利用時間に制限がある。そして、声を出しての音読学習ができない。何より」
彼女は一歩、俺に近づいた。
「二人きりになれる時間が、少ない」
その最後の一言が、とどめだった。
俺は、顔がカッと熱くなるのを感じる。
「み、未来では、あなたがテスト期間に入るたびに私があなたの部屋へ通い、泊まり込みで勉強を見るのが常でした。『冬花の夜食がないと、勉強頑張れない』と、あなたはいつも駄々をこねていましたよ」
「未来の俺はどれだけ甘えん坊なんだ!」
「ですから、あなたの部屋で行うのが最も合理的かつ未来に即した選択なのです。何か、問題でも?」
彼女は完璧な理論武装で、小首を傾げてみせる。
問題しかない。大ありだ。
女子を、しかも雪城冬花を自分の部屋に上げる。そんなことになったら、俺の心臓は勉強どころではなくなってしまう。
「だめだ! 絶対にだめだ! うちの親もいるし!」
「お母様には、既にご挨拶の連絡を入れてあります。『息子のことを、よろしくお願いいたします』と、大変喜んでいらっしゃいました」
「いつの間に!?」
俺の知らないところで着々と外堀が埋められている。恐るべき、未来の嫁の計画性。
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「決定です。土曜日の朝九時にお伺いします。それまでに、部屋を未来の私が見ても恥ずかしくないレベルにまで片付けておくように。……特に、ベッドの下」
「なっ……!?」
なぜ、そこまで知っている。
俺は彼女の未来予知能力に、もはや戦慄するしかなかった。
こうして、俺の意思とは無関係に週末の『お部屋勉強会』の開催が強制的に決定されてしまった。
カラオケでの公開処刑、球技大会での板挟み。
次なる試練は、密室での二人きりの特別講義。
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