偽りの聖女と呪われた公爵様〜嘘が聞こえる私が、心を閉ざした彼と結ぶ偽りの婚約〜

夏見ナイ

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第三話 断罪の炎

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「これが真実だ!」
アルフォンス殿下の声が、偽りの正義感に満ちて神殿にこだました。もちろん、その音は不快なほどに歪んでいる。彼は光り輝く聖水を高々と掲げ、私を指さす。
「アリーシャ・フォン・クライノート!貴様は聖女の名を騙り、我らを、そして民を欺こうとした!あまつさえ、清らかな心を持つ自らの妹に嫉妬し、嘘つきの汚名を着せようとしたのだ!その罪、万死に値する!」
彼の言葉は扇動だった。集まった貴族たちの心に、疑念と怒りの火を放つ。彼らのささやき声が、一斉に不協和音となって私に襲いかかった。
「まさか、あの聖女様が…」
「リゼット様を陥れようとするとは、なんという悪女だ」
「だからあれほど力を持つ者は危険だと…」
誰も私の言い分を聞こうとしない。目に見える「奇跡」と、王子のお墨付き。それが彼らにとっての絶対的な真実なのだ。私の耳に聞こえる音の真実など、誰にも理解できない。
私は助けを求めるように、父であるクライノート伯爵を見た。しかし、父は苦々しい顔で私から視線を逸らした。彼の心に渦巻くのは、娘への信頼ではない。家の名誉が汚されたことへの怒りと、王家の不興を買ったことへの恐怖。その濁った音が、私にとどめを刺した。
もはや、味方は一人もいない。
国王陛下が厳かに立ち上がる。その冷徹な視線が、罪人を見る目で私を射抜いた。
「アリーシャ・フォン・クライノートに判決を言い渡す」
神殿が静まり返る。
「聖女を騙るその身は、聖なる炎をもって浄化されるべきである。よって、火刑に処す!」
火刑。
その言葉の意味を、私の頭はすぐには理解できなかった。ただ、周囲の貴族たちが息を呑む気配だけを感じた。
リゼットがアルフォンス殿下の腕の中で、そっと顔を伏せる。悲しんでいるふりをしながら、その口元が微かに吊り上がっているのを、私は見逃さなかった。彼女の心からは、歓喜に打ち震える、甲高い不協和音が鳴り響いていた。

有無を言わさず、屈強な衛兵たちが私の両腕を掴んだ。純白の儀式服は、もはや囚人服でしかない。私は抵抗もせず、なされるがままに神殿の出口へと引きずられていった。
神殿の外は、噂を聞きつけた民衆でごった返していた。
つい先ほどまで、私を「聖女様」と呼び、その奇跡を一目見ようと集まっていた人々。彼らが今、私に向けるのは憎悪と侮蔑の眼差しだった。
「偽りの聖女め!」
「俺たちを騙しやがって!」
「石を投げろ!魔女を焼き殺せ!」
罵声が雨のように降り注ぐ。どこからか飛んできた泥や石が、私のドレスと肌を汚していく。痛みは感じなかった。私の心は、すでに感覚を失い始めていた。
耳に届く全ての音が、ただのノイズになっていく。人々の怒声も、衛兵の荒い声も、遠くで鳴る鐘の音さえも。全てが同じ、意味のない音の羅列。
世界から、色が消えていくようだった。
私は人形のように足を引きずり、王都の中央広場へと連行された。広場の中心には、私のための舞台がすでに用意されていた。高く積み上げられた薪。その中央に立つ一本の太い柱。
私の、墓標だ。

衛兵の手で乱暴に柱へ縛り付けられる。乾いた木材の匂いが鼻をついた。見上げれば、空は皮肉なほど青く澄み渡っている。
広場を埋め尽くす民衆の向こう、特等席にアルフォンス殿下とリゼットの姿が見えた。リゼットは殿下に寄り添い、悲しげにハンカチで目元を押さえている。しかし私の耳には、彼女の勝利を祝う凱歌が、けたたましい不協和音となって届いていた。
もう、どうでもよかった。
この呪われた力を持って生まれて、良いことなど一つもなかった。人の嘘に傷つき、誰も信じられず、孤独に生きてきた。
聖女だと祭り上げられ、都合よく利用され、最後は偽りの聖女として焼き殺される。
なんて滑稽な人生だろう。
だが、これで終わるのだ。
この忌まわしい不協和音から、ようやく解放される。
炎に焼かれる苦しみは一瞬だろう。その先には、完全な静寂が待っている。嘘も真実もない、無音の世界。それは、私がずっと求め続けた安らぎそのものではないか。
ふと、口元に笑みが浮かんだ。
私を断罪した人々が、その笑みを見て息を呑むのが分かった。魔女が不気味に笑っている、そう思ったのだろう。それでいい。どう思われようと、もう関係ない。
執行官が、大きな松明を掲げて私の前に立った。彼の顔には何の感情もない。ただの仕事。彼の心は、奇妙なほど静かな音を立てていた。
「何か言い残すことはあるか」
私は静かに首を振った。
執行官は頷くと、踵を返し、薪の山へと歩み寄る。
民衆の狂騒が最高潮に達した。誰もが、偽りの聖女が炎に焼かれる瞬間を固唾を飲んで見守っている。
私は、ゆっくりと目を閉じた。
お母様。私、もう疲れてしまいました。
あなたのいない世界は、嘘の音ばかりで、とても生きづらかった。
執行官が松明を振りかぶる気配がした。熱い空気が、私の頬を撫でる。
さようなら、私の不協和音の世界。
松明が、薪の山へと投げ込まれようとした、その時だった。
広場の喧騒が、まるで水の中に沈んだように、ふっと遠のいた。
いや、違う。音が消えたわけではない。
全ての音を塗りつぶすような、絶対的な何かが、この場を支配したのだ。
それは、静寂。
私が生まれて初めて聞く、嘘も真実も含まない、完全なる静寂だった。
何が起きたのか。私は閉じていた瞼を、ゆっくりと押し上げた。
そして、見た。
広場に続く大通りから、一頭の黒馬が、ゆっくりとこちらへ向かってくるのを。
その馬に跨る人影は、まるで死神そのものだった。
漆黒の軍服。腰に下げた長剣。そして、血のように赤いマントが、風もないのに不気味に揺らめいていた。
その男の登場が、広場の時間を止めていた。
民衆も、衛兵も、執行官さえも。誰もが、その男から放たれる圧倒的な存在感に呑まれ、身動き一つできずにいる。
松明の炎だけが、現実感を失った世界で、ゆらゆらと揺れていた。
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