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第77話 目覚めと、王の覚悟
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私の意識は温かい光の中に漂っていた。
心地よい感覚。全ての痛みも苦しみもここにはない。まるで母の羊水の中にいるかのような絶対的な安らぎ。
このままここにいたい。そう思った。
『――リディア』
不意に優しい声が私の名を呼んだ。
アルフレッドの声だ。
その声に導かれるように、私はゆっくりと光の中から浮上していく。
瞼を開けると、最初に目に映ったのは見慣れた王妃の私室の天蓋だった。そして私の手を固く握りしめ、心配そうにこちらを覗き込む愛しい人の顔。
「……アルフレッド……?」
私の声はひどく掠れていた。
「リディア! よかった……! 目が覚めたんだな!」
彼の顔に心からの安堵の色が浮かんだ。彼は私が握っていた手をそっと自らの額に押し当てる。その手は僅かに震えていた。
「どのくらい……眠っていたの?」
「三日だ」
彼は静かに言った。「君は三日間ずっと眠り続けていた」
三日。
そんなにも時間が経っていたのか。
私はゆっくりと体を起こそうとした。しかし全身に力が入らない。魂を削った代償はまだ私の体を深く蝕んでいるようだった。
「無理はするな」
アルフレッドが優しく私の背中を支えてくれる。
私は彼の支えを受けながらベッドの上に座り直した。そして最も気になっていたことを尋ねた。
「ダリウスは……? 騎士たちは……?」
「……ダリウスは一命を取り留めた。イリーナの懸命な治療のおかげでね。だが、まだ意識は戻らない。他の騎士たちも多くが重傷だ。……二名が命を落とした」
その言葉に私の胸が鋭く痛んだ。
私のせいだ。
私がもっと早く決断していれば。もっとうまく立ち回れていれば。
彼らは死なずに済んだのかもしれない。
私の表情から罪悪感を読み取ったのだろう。
アルフレッドは私の肩を優しく抱き寄せた。
「君のせいじゃない。君は命を賭して皆を守ってくれた。生き残った騎士たちは皆、君に感謝していたよ。君がいなければ全滅していた、と」
その言葉は慰めにはならなかった。
二つの失われた命の重みが、ずしりと私の心にのしかかる。
「……そう」
私が言えたのはそれだけだった。
部屋に重い沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのはアルフレッドだった。彼の声は今まで聞いたことがないほど硬く、そして冷たい響きを持っていた。
「リディア。僕は決めたよ」
私は彼の顔を見上げた。
その空色の瞳の奥に揺らめく炎が見えた。それは聖なる光ではない。全てを焼き尽くす復讐の業火。
「この件はもはや内密に処理できる段階をとうに超えている。アビス・ウォーカーは我々の、世界の、明確な『敵』だ」
彼はベッドの脇から立ち上がると窓の外を見つめた。その背中は王としての絶対的な覚悟を物語っていた。
「僕はこの事実を世界中に公表する。そして全ての種族に共闘を呼びかける。人間も魔族もエルフもドワーフも関係ない。この世界に生きる全ての者が手を取り合い、この侵略者と戦うのだ」
それはあまりにも壮大で、そして困難な道だった。
ようやく手にしたばかりの脆い平和を、自らの手で壊しかねない危険な賭け。
「……民は混乱するわ」
私は静かに言った。「魔王を倒したのにまた新たな戦争が始まるのか、と。不安と恐怖が世界を覆うことになる」
「ああ、そうだろうな」
彼は頷いた。「だが偽りの平和の中で静かに蝕まれ滅びるよりはずっといい。真実を知り、覚悟を決め、自らの意思で未来を掴み取る。それこそが僕たちに残された唯一の道だ」
彼は、こちらを振り返った。
その瞳はもはや一人の優しい夫のものではなかった。
数多の民の命運を背負い、非情な決断を下す孤高の王の瞳。
「リディア。君に一つだけ頼みがある」
「……何?」
「君は戦わないでほしい」
その言葉に私は息を呑んだ。
「君が編み出した『魂の毒』。それはアビス・ウォーカーに対抗しうる唯一の切り札だ。君のその知識と光と闇への深い理解がこれからの戦いには必要不可欠となるだろう。だが、それは君が前線に出るということではない」
彼は私の前に再び膝をつくと、私の両手をその大きな手で包み込んだ。
「君にはこの城で僕の帰りを待っていてほしい。僕たちの『頭脳』として後方から僕たちを支えてほしいんだ。そして……僕がもし道を見失いそうになった時、僕を正しい場所へと引き戻してほしい。君にしかできないことだ」
それは私を危険から遠ざけたいという彼の愛であり、そして私という存在を誰よりも深く信頼しているという絶対的な証だった。
私をただ守られるだけの存在ではなく、共に戦う対等なパートナーとして認めてくれている。
その想いが痛いほど伝わってきた。
私はこみ上げてくる涙を必死で堪えた。
今、泣いてはいけない。彼の覚悟を曇らせてはいけない。
私はゆっくりと、しかし力強く頷いた。
「……分かったわ、アルフレッド。あなたの剣ではなく、あなたの盾となり、そして道標となりましょう。それが今の私にできる唯一の戦い方なのなら」
「ありがとう、リディア」
彼は私の手にそっと口づけをした。
その数日後。
国王アルフレッドの名において、全世界に向けて緊急の声明が発せられた。
未知なる侵略者「アビス・ウォーカー」の存在。
そして種族を超えた「光の同盟」による全面戦争の開始宣言。
世界は震撼した。
人々は恐怖し、混乱し、そして自分たちの未来に深い不安を抱いた。
束の間の平和は完全に終わりを告げたのだ。
しかしその絶望的な宣言の中で、アルフレッドは最後に力強くこう付け加えた。
『我々は決して屈しない。我々の世界は我々の手で守り抜く。光は必ずや闇を打ち払うだろう』
その言葉は絶望の闇の中に灯された、小さくも確かな希望の灯火となった。
王城のバルコニーで、私はその演説を多くの民と共に聞いていた。
私の隣にはまだ傷の癒えない体で、しかし力強く立ち続けるエルザと、そして車椅子に乗ったダリウスの姿があった。
私たちの戦いはまだ終わっていない。
いいや、本当の戦いは今ここから始まるのだ。
愛する人を、仲間を、そしてこの世界を守るための最後の戦いが。
私は胸元で輝く白銀の羽のブローチを強く握りしめた。
その誓いを胸に刻むように。
心地よい感覚。全ての痛みも苦しみもここにはない。まるで母の羊水の中にいるかのような絶対的な安らぎ。
このままここにいたい。そう思った。
『――リディア』
不意に優しい声が私の名を呼んだ。
アルフレッドの声だ。
その声に導かれるように、私はゆっくりと光の中から浮上していく。
瞼を開けると、最初に目に映ったのは見慣れた王妃の私室の天蓋だった。そして私の手を固く握りしめ、心配そうにこちらを覗き込む愛しい人の顔。
「……アルフレッド……?」
私の声はひどく掠れていた。
「リディア! よかった……! 目が覚めたんだな!」
彼の顔に心からの安堵の色が浮かんだ。彼は私が握っていた手をそっと自らの額に押し当てる。その手は僅かに震えていた。
「どのくらい……眠っていたの?」
「三日だ」
彼は静かに言った。「君は三日間ずっと眠り続けていた」
三日。
そんなにも時間が経っていたのか。
私はゆっくりと体を起こそうとした。しかし全身に力が入らない。魂を削った代償はまだ私の体を深く蝕んでいるようだった。
「無理はするな」
アルフレッドが優しく私の背中を支えてくれる。
私は彼の支えを受けながらベッドの上に座り直した。そして最も気になっていたことを尋ねた。
「ダリウスは……? 騎士たちは……?」
「……ダリウスは一命を取り留めた。イリーナの懸命な治療のおかげでね。だが、まだ意識は戻らない。他の騎士たちも多くが重傷だ。……二名が命を落とした」
その言葉に私の胸が鋭く痛んだ。
私のせいだ。
私がもっと早く決断していれば。もっとうまく立ち回れていれば。
彼らは死なずに済んだのかもしれない。
私の表情から罪悪感を読み取ったのだろう。
アルフレッドは私の肩を優しく抱き寄せた。
「君のせいじゃない。君は命を賭して皆を守ってくれた。生き残った騎士たちは皆、君に感謝していたよ。君がいなければ全滅していた、と」
その言葉は慰めにはならなかった。
二つの失われた命の重みが、ずしりと私の心にのしかかる。
「……そう」
私が言えたのはそれだけだった。
部屋に重い沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのはアルフレッドだった。彼の声は今まで聞いたことがないほど硬く、そして冷たい響きを持っていた。
「リディア。僕は決めたよ」
私は彼の顔を見上げた。
その空色の瞳の奥に揺らめく炎が見えた。それは聖なる光ではない。全てを焼き尽くす復讐の業火。
「この件はもはや内密に処理できる段階をとうに超えている。アビス・ウォーカーは我々の、世界の、明確な『敵』だ」
彼はベッドの脇から立ち上がると窓の外を見つめた。その背中は王としての絶対的な覚悟を物語っていた。
「僕はこの事実を世界中に公表する。そして全ての種族に共闘を呼びかける。人間も魔族もエルフもドワーフも関係ない。この世界に生きる全ての者が手を取り合い、この侵略者と戦うのだ」
それはあまりにも壮大で、そして困難な道だった。
ようやく手にしたばかりの脆い平和を、自らの手で壊しかねない危険な賭け。
「……民は混乱するわ」
私は静かに言った。「魔王を倒したのにまた新たな戦争が始まるのか、と。不安と恐怖が世界を覆うことになる」
「ああ、そうだろうな」
彼は頷いた。「だが偽りの平和の中で静かに蝕まれ滅びるよりはずっといい。真実を知り、覚悟を決め、自らの意思で未来を掴み取る。それこそが僕たちに残された唯一の道だ」
彼は、こちらを振り返った。
その瞳はもはや一人の優しい夫のものではなかった。
数多の民の命運を背負い、非情な決断を下す孤高の王の瞳。
「リディア。君に一つだけ頼みがある」
「……何?」
「君は戦わないでほしい」
その言葉に私は息を呑んだ。
「君が編み出した『魂の毒』。それはアビス・ウォーカーに対抗しうる唯一の切り札だ。君のその知識と光と闇への深い理解がこれからの戦いには必要不可欠となるだろう。だが、それは君が前線に出るということではない」
彼は私の前に再び膝をつくと、私の両手をその大きな手で包み込んだ。
「君にはこの城で僕の帰りを待っていてほしい。僕たちの『頭脳』として後方から僕たちを支えてほしいんだ。そして……僕がもし道を見失いそうになった時、僕を正しい場所へと引き戻してほしい。君にしかできないことだ」
それは私を危険から遠ざけたいという彼の愛であり、そして私という存在を誰よりも深く信頼しているという絶対的な証だった。
私をただ守られるだけの存在ではなく、共に戦う対等なパートナーとして認めてくれている。
その想いが痛いほど伝わってきた。
私はこみ上げてくる涙を必死で堪えた。
今、泣いてはいけない。彼の覚悟を曇らせてはいけない。
私はゆっくりと、しかし力強く頷いた。
「……分かったわ、アルフレッド。あなたの剣ではなく、あなたの盾となり、そして道標となりましょう。それが今の私にできる唯一の戦い方なのなら」
「ありがとう、リディア」
彼は私の手にそっと口づけをした。
その数日後。
国王アルフレッドの名において、全世界に向けて緊急の声明が発せられた。
未知なる侵略者「アビス・ウォーカー」の存在。
そして種族を超えた「光の同盟」による全面戦争の開始宣言。
世界は震撼した。
人々は恐怖し、混乱し、そして自分たちの未来に深い不安を抱いた。
束の間の平和は完全に終わりを告げたのだ。
しかしその絶望的な宣言の中で、アルフレッドは最後に力強くこう付け加えた。
『我々は決して屈しない。我々の世界は我々の手で守り抜く。光は必ずや闇を打ち払うだろう』
その言葉は絶望の闇の中に灯された、小さくも確かな希望の灯火となった。
王城のバルコニーで、私はその演説を多くの民と共に聞いていた。
私の隣にはまだ傷の癒えない体で、しかし力強く立ち続けるエルザと、そして車椅子に乗ったダリウスの姿があった。
私たちの戦いはまだ終わっていない。
いいや、本当の戦いは今ここから始まるのだ。
愛する人を、仲間を、そしてこの世界を守るための最後の戦いが。
私は胸元で輝く白銀の羽のブローチを強く握りしめた。
その誓いを胸に刻むように。
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