婚約破棄のついでに国外追放されましたが、私を拾ってくれたのは前世で最推しだった黒騎士様でした

夏見ナイ

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第57話:砦に迫る危機

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太陽が西の空に傾き、砦の尖塔が長い影を落とし始めた頃。
リリアンナの胸騒ぎは現実のものとなった。

「敵襲!敵襲ーっ!」
城壁の見張り台から兵士の切羽詰まった声が響き渡った。その声は、砦の静寂を切り裂く鋭い刃のようだった。

厨房でスープの鍋をかき混ぜていたリリアンナは、びくりと肩を震わせた。マーサも顔から血の気を失くしている。
すぐさま、ハンスが血相を変えて厨房に駆け込んできた。
「リリアンナ様!ご無事ですか!」

「ハンス殿!一体何が…!?」
「魔物です!一体の巨大な魔物が北の森から砦に向かってきています!」

北の森。それはギルバートたちが出撃した三つの戦場とは全く異なる方角だった。斥候の報告にもなかった、全くの不意打ち。

「斥候は何をしていた!」
「分かりません!まるで地面から湧いて出たかのようです!おそらくは例の魔物使いの仕業かと…!」

陽動は陽動のための陽動だったのだ。ギルバートたちの注意を三方向へ引きつけておきながら、全く別の場所に本命の一手を隠していた。その狙いは言うまでもなく、手薄になったこの砦そのもの。

「リリアンナ様、奥の部屋へ!マーサ、お前もだ!絶対にここから出るな!」
ハンスはそう叫ぶと剣を抜き放ち、騎士たちを率いて中庭へと駆け出していった。
「迎撃用意!弓兵隊、放てーっ!」

城壁の上から無数の矢が放たれる。しかし森から姿を現した魔物の巨体には、ほとんど効果がないようだった。

ドッゴーン!
地響きと共に、巨大な何かが砦の城門に叩きつけられる鈍い音が響き渡った。城壁が、砦全体が大きく揺れる。厨房の棚から食器がガラガラと滑り落ちて砕けた。

「ひっ…!」
リリアンナはマーサと抱き合い、ただ震えることしかできなかった。

外からは騎士たちの怒号と魔物の咆哮、そして金属がぶつかり合う激しい音が聞こえてくる。
「怯むな!足元を狙え!」
「くそっ、硬え!剣が通らん!」

ハンス率いる五十の騎士たちは紛れもなく精鋭だ。しかし相手の魔物は、彼らの想像を絶する強敵だった。
それはグリフォンに似ていたが、その体躯は倍近くあり、全身が黒い鋼のような鱗で覆われている。その鉤爪は鉄の盾をも容易く引き裂き、口からは腐食性の酸を吐き出した。

「こいつは…伝説上の魔獣、アイアン・グリフォン…!なぜこんなものが、こんな場所に…!」
ハンスは自らの剣が鱗に弾かれるのを感じながら、愕然と呟いた。これはギルバート率いる本隊が相手にして、ようやく互角に戦えるかどうかというレベルの魔物だ。残された手勢でどうにかできる相手ではない。

それでも彼らは退かなかった。
リリアンナ様を守る。その一心で、騎士たちは死を覚悟して魔獣に立ち向かっていく。しかし、一人、また一人とその凶刃の前に倒れていった。

その頃、麓町では砦の異変に気づいた領民たちが不安げにその様子を見守っていた。
「砦の方から、すごい音が…!」
「魔物が出たらしいぞ!」

男たちは農具や猟銃を手に砦へ駆けつけようとする。しかしヨハン長老がそれを押しとどめた。
「馬鹿者!我々が行って足手まといになるだけだ!騎士様方を信じろ!」

その時だった。
広場の隅で遊んでいた数人の子供たちの一人が、母親の制止を振り切り砦の方へと走り出してしまったのだ。
「お父ちゃんが砦で働いてるんだ!僕、助けに行く!」

「こら、待ちなさい!」
母親の悲鳴も届かない。少年は夢中で砦へと続く道を駆け上がっていく。

そして最悪の事態が起こった。
砦の城門での攻防に気を取られていた騎士たちの、ほんの一瞬の隙。アイアン・グリフォンは大きく翼を広げると城壁を飛び越え、砦のすぐそばの麓町へとその巨体を降下させたのだ。その狙いは無力な民を血祭りにあげ、砦の守備をさらに混乱させること。

そして、その魔獣の目の前に一人の小さな少年がいた。
砦へ向かって走っていた、あの少年だ。

「あ…」
少年は目の前に舞い降りた巨大な怪物に腰を抜かしてその場にへたり込んでしまった。恐怖で声も出ない。
アイアン・グリフォンは、その小さな獲物を見下ろし愉快そうに喉を鳴らした。そしてその鋭い鉤爪を、ゆっくりと振り上げる。

「危ない!」
麓町から人々の絶叫が上がった。
砦から駆けつけようとする騎士たちも間に合わない。

誰もが少年の死を確信した、その時だった。

「やめてえええええ!」

甲高い、しかし凛とした声が響き渡った。
魔獣と少年の間に一人の少女が飛び出してきた。
銀色の髪を振り乱し、粗末なエプロン姿のまま。リリアンナだった。

彼女はハンスの制止を振り切り、厨房を飛び出してきたのだ。
子供が危ない。その一心で。
彼女は震える体を叱咤し、小さな少年の前に立ちはだかった。そしてその両腕を広げ、まるで翼で雛を守る親鳥のように、そのか弱い体で巨大な魔獣から少年を庇った。

アイアン・グリフォンは目の前に現れた新たな獲物に、少しだけ戸惑ったように動きを止めた。
リリアリナは目の前の絶望的な光景に頭が真っ白になった。
怖い。足がすくむ。今すぐにでも逃げ出したい。

でも、逃げられない。
私の後ろには守るべき命がある。
私の大切な居場所の、未来を担う子供がいる。

(誰か…助けて…)

彼女の心からの叫びは天には届かなかった。
代わりに、彼女自身の心の奥底に眠っていた巨大な力へと届いた。

(どうか、この子を、私の大切な人たちを、私の居場所を、守ってください…!)

それはもはや誰かに助けを求める祈りではなかった。
自らの全てを懸けて、大切なものを守り抜こうとする強い、強い意志の顕れだった。
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