曲がり角でぶつかった少女に回復魔法を使ったら不治の病と盲目なのを治してしまってめちゃくちゃ懐かれてた

夏見ナイ

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第81話 ささやかな不安

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結婚式への準備が最終段階へと入っていく。
招待状は大切な人たちの元へと届けられ、返信の葉書が毎日、新居の郵便受けに雪のように舞い込んできた。
その一枚一枚に書かれた温かい祝福の言葉を読むたびに、俺たちの胸は幸せで満たされた。

式で流す音楽が決まり、会場を彩る花が選ばれ、そして俺の礼服もルナのドレスに合わせた完璧な一着が仕立て上がった。
全てが順調だった。
あまりにも順調すぎた。
まるで完璧に描かれた脚本の上を、寸分の狂いもなく歩いているかのように。

その完璧すぎる幸福の中で。
俺の心に、ほんのちいさな黒い染みのようなものが生まれ始めていた。
それは不安、という名前の感情だった。

夜、一人で書斎にいる時や、診療所でふとした瞬間に。
その不安は予告なく、俺の心を支配する。

俺は本当にこのままでいいのだろうか。
ルナほどの気高く、美しく、そして心優しい女性が、俺のような何の取り柄もない元平民の男と結婚して。
本当に彼女は幸せになれるのだろうか。
俺は彼女を一生、守り、支え続けることができるのだろうか。

アウレリアの聖者。名誉子爵。
そんな借り物の肩書きを剥がしてしまえば、俺はただのユキ・アスカワだ。
特別な力を持っているだけで、中身は前世の何事も成し遂げられなかったしがない会社員と何も変わっていない。
そんな俺がシルフィード公爵家の唯一の姫君を妻に迎える。
そのあまりにも重い事実に、俺は今更ながら怖気づいてしまっていたのかもしれない。

幸せすぎることが、逆に怖い。
この夢のような毎日が、ある朝目が覚めたら全て消えてなくなってしまうのではないか。
そんなありもしない恐怖に、俺は一人苛まれていた。

もちろん、そんな弱音をルナ本人に吐けるはずもなかった。
彼女は今、人生で最も輝かしい瞬間を迎えようとしているのだ。
俺がそんな顔を見せれば、彼女を不安にさせてしまう。
俺は必死に、その心の内の小さな染みを隠し続けた。

だが、彼女は見抜いていた。
俺のそのささやかな変化を。

その夜、俺は新居の書斎で診療所のカルテの整理をしていた。
結婚式が近いからとアルフォンス公爵が、しばらくの間診療所を休診にするよう手配してくれたのだ。
だが俺は、何かをしていないと余計なことを考えてしまいそうで落ち着かなかった。

コンコン、と。
控えめなノックの音と共に、ルナが部屋に入ってきた。
その手には温かいミルクティーの入った、お揃いのマグカップが二つ。

「ユキ、あまり根を詰めすぎてはいけませんわ」
彼女はそう言うと、俺の隣にそっと腰を下ろした。
そして俺の分のマグカップをテーブルに置きながら、静かな、しかし芯の通った声で言った。

「…何か悩んでいることがあるのでしょう?」

そのあまりにも真っ直ぐな問いかけ。
俺は一瞬、言葉に詰まった。
「いや、そんなことは…」
俺がいつものように誤魔化そうとすると、彼女はそっと俺の手に自分の手を重ねた。
その手はひんやりとしていて、彼女自身もまた緊張していることが伝わってきた。

「嘘はお嫌いですわ」
彼女は俺の目をじっと見つめてきた。
その瞳には俺の心の奥底まで全てを見透かすような、深い深い愛情が宿っていた。
「わたくしはユキの妻になる女ですのよ。貴方の喜びも、悲しみも、そしてその不安さえも、全て分かち合いたいのです。…どうか、わたくしを頼ってくださいまし」

そのあまりにも真摯な言葉に、俺が必死に築いていた心の壁が音を立てて崩れ落ちていった。
ああ、俺はまた同じ過ちを繰り返すところだった。
このかけがえのないパートナーを信じずに、一人で全てを抱え込もうとしていた。

俺は、ふぅ、と長く深いため息をついた。
そして観念して、自分の情けない胸の内を全て彼女に打ち明けた。

俺がどれだけ自分に自信がないか。
俺がどれだけ彼女を幸せにできるか、不安に思っているか。
そして、この幸せすぎる毎日がいつか壊れてしまうのではないかと怯えていること。

俺のその弱々しい告白を。
彼女はただ黙って、静かに最後まで聞いてくれた。
そして俺が全てを話し終えると、彼女は重ねていた手を俺の頬へと移動させた。
そして母が子を慈しむように、優しくその頬を撫でた。

「…馬鹿な方」
彼女の口からこぼれ落ちたのは、呆れたような、しかしどこまでも愛おしさに満ちた呟きだった。
「ユキはまだご自分の価値を、何も分かっておいでではないのですね」

彼女は俺の目をもう一度、真っ直ぐに見つめ返した。
「わたくしが愛したのは、聖者様でも子爵閣下でもございませんわ。ただ一人の、誰よりも優しく、誰よりも温かい、ユキ・アスカワという殿方です」
その言葉は、俺の一番柔らかい場所に温かい光のように染み込んでいく。

「わたくしが幸せかどうか、ですって? そんなこと、決まっておりますわ。貴方がただ隣で笑っていてくださる。それだけでわたくしは、世界で一番の幸せ者なのです」

「そして…」
彼女は言葉を続けた。
その瞳には絶対的な、揺るぎない光が灯っていた。
「この幸せが壊れるですって? ふふっ。ありえませんわ」
彼女はくすりと悪戯っぽく笑った。
「もし、私たちの幸せを壊そうとするものが現れたのなら…」

彼女は俺の胸に、ぴとり、とその白い額を押し当てた。
そして囁いた。
「わたくしがこの命に代えても、ユキをお守りいたしますから」

そのあまりにも力強く、そしてあまりにも愛おしい誓いの言葉。
俺の心の中の、最後の小さな染みもその言葉で完全に浄化されてしまった。
そうだ。
俺は一人じゃない。
俺にはこの、世界で一番強くて優しい最高のパートナーがついているのだ。
俺が彼女を守る。
そして彼女も俺を守ってくれる。
二人でいれば俺たちは無敵だ。

俺はもう何も言わなかった。
ただ目の前の、愛おしすぎる未来の妻を力の限り強く、強く抱きしめた。
彼女もまた、俺の背中にしっかりと腕を回してくる。
その確かな温もりを感じながら、俺はもう二度と迷わないと心に誓った。

ささやかな不安は、彼女の絶対的な愛の前で完全に溶けて消えた。
俺たちの絆はまた一つ試練を乗り越え、より強く、そしてより深いものへと変わっていった。
俺は腕の中の温もりをもう一度確かめるように抱きしめ直した。
結婚式まであと僅か。
俺の心はもう、一点の曇りもなく晴れ渡っていた。
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