お前のような地味な女は不要だと婚約破棄されたので、持て余していた聖女の力で隣国のクールな皇子様を救ったら、ベタ惚れされました

夏見ナイ

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第10話:国境の森へ

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夜通し歩き続けた。舗装されていない街道は足にこたえ、薄い靴底を通して石の感触が伝わってくる。初めは感じていた夜の冷気も、今は歩き続ける体の熱で気にならなかった。

東の空が白み始め、やがて地平線の向こうから眩い光が差し込む。リリアーナは足を止め、生まれて初めて、誰にも邪魔されずに朝日が昇る瞬間を見た。燃えるようなオレンジ色の光が、夜の闇を優しく溶かしていく。それは、あまりにも荘厳で美しい光景だった。灰色の部屋の小さな窓から見るのとは違う、世界の始まりを告げる光。その光に照らされて、彼女は自分が本当に自由になったのだと実感した。

しかし、感傷に浸っていられる時間は短い。街道に人の気配が増える前に、先へ進まなければならなかった。時折、追い越していく商人の馬車や、農作業へ向かう村人たちの姿が見える。リリアーナは彼らと視線が合わないよう、フードのようにマントを深く被り、ひたすら道を歩き続けた。

布袋の中には、屋敷を出る前にこっそり持ち出した僅かな銀貨と、厨房から拝借した硬いパンが少しだけ入っていた。それが彼女の全財産だ。昼は森の木陰で休み、夜に歩く。道中の小さな村で、パンと水を少しだけ買い足す。店主の訝しむような視線が痛かったが、今は耐えるしかなかった。

そんな生活を何日続いただろうか。足は棒のようになり、体は泥と埃にまみれていた。それでも、リリアーナは歩みを止めなかった。後ろを振り返ることは、一度もしなかった。

そして、ついに目の前に巨大な緑の壁が現れた。
国境に広がる「迷いの森」。旅人たちが迂回する、古く広大な森だ。木々が天を覆い隠し、昼間でも薄暗いと言われている。しかし、リリアーナには選択肢がなかった。正規の関所を通れば、身元が割れてしまう。この森を抜けることが、隣国へ行く唯一の道だった。

森の入り口に立つと、ひやりとした空気が流れ出てきた。鳥の声も虫の音も途絶え、ただ風が木々の葉を揺らす音だけが聞こえる。一歩足を踏み入れると、外界の光が嘘のように遮られた。巨木が鬱蒼と生い茂り、まるで緑の伽藍の中にいるようだ。

しばらく歩くと、もう街道の喧騒は聞こえなくなった。完全に一人きり。世界に、自分という存在しかいないような錯覚に陥る。リリアーナは歩き疲れ、苔むした倒木に腰を下ろした。

静寂の中で、思考がクリアになっていく。
これまでの人生が、次々と思い起こされた。

両親の冷たい瞳。
妹の嘲笑。
使用人たちの陰口。
そして、セドリックの吐き捨てた言葉。
『お前のような地味で無能な女は、王家の恥だ』
『不要だ』
『家の恥さらしめ』

それらの言葉は、ずっと彼女の心を縛り付けてきた呪いだった。自分は価値のない人間なのだと、そう思い込まされてきた。だから、感情を殺し、ただ耐えることだけが生きる術だった。悲しいとも、悔しいとも思わないように、心を固く閉ざしてきた。

しかし、今。
この誰の目もない森の中で、張り詰めていた糸が、ぷつりと切れた。

ぽたり、と何かが手の甲に落ちた。
それが自分の涙だと気づくのに、少し時間がかかった。
一度溢れ出した涙は、もう止まらなかった。
枯れ果てたと思っていた涙腺から、熱い雫が次から次へととめどなく頬を伝う。

悔しかった。
悲しかった。
どうして自分だけが、こんな目に遭わなければならないのか。
ただ普通に、誰かに愛されたかっただけなのに。温かい家族のいる食卓で、笑い合ってみたかっただけなのに。

声にならない嗚咽が、喉の奥から漏れ出た。リリアーナは膝に顔をうずめ、子供のように声を殺して泣いた。十八年間、心の奥底に溜め込み、澱のように沈殿していた全ての感情が、涙となって流れ出ていく。

それは、絶望の涙ではなかった。
過去を洗い流すための、浄化の涙だった。

どれほどの時間、そうしていただろうか。
やがて涙は枯れ、しゃくりあげる肩の震えも収まった。リリアーナはゆっくりと顔を上げる。涙で濡れた視界はぼやけていたが、木々の隙間から差し込む光が、きらきらと輝いて見えた。

心の中が、空っぽになっていた。
憎しみも、悲しみも、全て涙と一緒に流れ去り、そこにはただ静かな空洞が残っている。
けれど、それは不快なものではなかった。
これから、この空っぽの心に、新しい何かを自分で満たしていくことができる。

リリアーナは立ち上がった。足取りはまだおぼつかないが、その瞳には、先ほどまでなかった微かな光が宿っていた。
もう、誰かのために生きるのはやめよう。
これからは、自分のために生きる。

彼女は森の奥へと、再び歩き始めた。
その先で何が待っているのか、まだ知る由もない。
ただ、もう後ろは振り返らない。それだけを決めて。
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