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第73話:皇帝への報告
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祭の夜会が終わり、皇城が再び日常の静けさを取り戻した翌日の朝。
アシュレイは父である皇帝アルフォンスの執務室の前に立っていた。その表情はいつもの氷の仮面とは違う、確固たる決意に満ちていた。
扉の外に控えていた侍従長は、そんな主君のただならぬ様子を察し緊張した面持ちで扉を開けた。
「……アシュレイか。どうした、朝早くから」
皇帝は山積みの書類から顔を上げた。その鋭い瞳が、息子の顔に浮かぶ尋常でない覚悟の色を即座に見抜いた。
アシュレイは部屋の中央まで進み出ると、ためらうことなくその場に片膝をつき深く頭を垂れた。それは臣下が君主に対して行う、最上級の敬意を示す作法だった。
「父上。本日は一人の皇太子としてではなく、一人の男としてご裁可を賜りたく参上いたしました」
その厳粛な口調に、皇帝は背筋を伸ばし書類から完全に手を離した。
「……申してみよ」
アシュレイは顔を上げた。その青い瞳は父である皇帝の目を、揺ぎない光で真っ直ぐに見つめ返している。
「わたくし、アシュレイ・フォン・エルミートは聖女リリアーナ殿を、生涯の伴侶として迎え入れたいと心の底から願っております」
その言葉は静かだったが、執務室の空気を震わせるほどの重みを持っていた。
皇帝は何も言わなかった。ただ、じっと息子の顔を見つめている。その表情からは賛成とも反対とも、何の感情も読み取れない。
アシュレイは続けた。
「彼女はただ私の呪いを癒やすだけの存在ではございません。彼女こそが私の十七年間の闇を終わらせ、生きる意味と愛するという感情を教えてくれた唯一無二の光。彼女なくして私の未来はありえません。そして、この帝国の未来もないと確信しております」
そこには何の打算も、政治的な計算もなかった。
ただ一人の女性を生涯をかけて愛し、守り抜きたいという、一人の男の純粋で烈火のような想いだけがあった。
長い沈黙が部屋を支配した。
アシュレイは父の言葉をただ静かに待っていた。
たとえ反対されたとしても彼の決意は変わらない。必要とあらば、皇太子の地位さえも捨てる覚悟が彼にはあった。
やがて皇帝は、ふっと深く息を吐いた。
そして、その厳格な顔に今までアシュレイが見たこともないような、穏やかで優しい笑みが浮かんだ。
「……やっと、言いに来たか」
その言葉に、アシュレイは驚いて目を見開いた。
「父上……?」
「お前の気持ちなど、とうの昔にお見通しよ」
皇帝は楽しそうに言った。
「建国祭の夜会での、お前たちの姿を見て確信したわ。あれほど幸せそうな顔をしたお前を見たのは、お前が呪われる前の幼い頃以来だった」
皇帝は玉座から立ち上がると、アシュレイの前に歩み寄りその肩に力強く手を置いた。
「立て、アシュレイ。父親にいつまでも膝などついておるでない」
促されるままに立ち上がったアシュレイの瞳は、まだ信じられないというように父を見つめている。
「リリアーナ殿がどのような出自であろうと、構わん」
皇帝の瞳は賢帝としての鋭い光を取り戻していた。
「彼女が持つその気高い魂と、お前への深い愛情。そして、帝国を救ったという誰にも揺るがすことのできない功績。それだけで我が帝国の皇后となるに、十分すぎる資格がある」
そして、皇帝は父親としての顔に戻り、力強く言い放った。
「許す。二人の婚約を、エルミート帝国皇帝の名において心から祝福しよう」
その言葉はアシュレイの心に、温かい光となって染み渡っていった。
「……ありがたき、幸せ」
彼はこみ上げてくる感情を抑えるように、深く、深く頭を下げた。
十七年間、常に一人で戦い誰にも頼ることなく生きてきた彼が、初めて父親の大きな愛に包まれた瞬間だった。
皇帝はそんな息子の姿に満足げに頷くと、宰相を呼びつけるよう侍従長に命じた。
「すぐに二人の婚約発表の準備を進めさせよ! 大陸中に我が帝国の新たな光の誕生を知らしめるのだ!」
その日のうちに、皇城は新たな喜びに包まれた。
氷の皇子と聖女の婚約。
そのニュースはやがて帝都を、そして大陸全土を駆け巡る祝福の福音となる。
二人の愛は今や個人的なものではなく、帝国の未来そのものを照らす公な希望の光となったのだ。
アシュレイは父である皇帝アルフォンスの執務室の前に立っていた。その表情はいつもの氷の仮面とは違う、確固たる決意に満ちていた。
扉の外に控えていた侍従長は、そんな主君のただならぬ様子を察し緊張した面持ちで扉を開けた。
「……アシュレイか。どうした、朝早くから」
皇帝は山積みの書類から顔を上げた。その鋭い瞳が、息子の顔に浮かぶ尋常でない覚悟の色を即座に見抜いた。
アシュレイは部屋の中央まで進み出ると、ためらうことなくその場に片膝をつき深く頭を垂れた。それは臣下が君主に対して行う、最上級の敬意を示す作法だった。
「父上。本日は一人の皇太子としてではなく、一人の男としてご裁可を賜りたく参上いたしました」
その厳粛な口調に、皇帝は背筋を伸ばし書類から完全に手を離した。
「……申してみよ」
アシュレイは顔を上げた。その青い瞳は父である皇帝の目を、揺ぎない光で真っ直ぐに見つめ返している。
「わたくし、アシュレイ・フォン・エルミートは聖女リリアーナ殿を、生涯の伴侶として迎え入れたいと心の底から願っております」
その言葉は静かだったが、執務室の空気を震わせるほどの重みを持っていた。
皇帝は何も言わなかった。ただ、じっと息子の顔を見つめている。その表情からは賛成とも反対とも、何の感情も読み取れない。
アシュレイは続けた。
「彼女はただ私の呪いを癒やすだけの存在ではございません。彼女こそが私の十七年間の闇を終わらせ、生きる意味と愛するという感情を教えてくれた唯一無二の光。彼女なくして私の未来はありえません。そして、この帝国の未来もないと確信しております」
そこには何の打算も、政治的な計算もなかった。
ただ一人の女性を生涯をかけて愛し、守り抜きたいという、一人の男の純粋で烈火のような想いだけがあった。
長い沈黙が部屋を支配した。
アシュレイは父の言葉をただ静かに待っていた。
たとえ反対されたとしても彼の決意は変わらない。必要とあらば、皇太子の地位さえも捨てる覚悟が彼にはあった。
やがて皇帝は、ふっと深く息を吐いた。
そして、その厳格な顔に今までアシュレイが見たこともないような、穏やかで優しい笑みが浮かんだ。
「……やっと、言いに来たか」
その言葉に、アシュレイは驚いて目を見開いた。
「父上……?」
「お前の気持ちなど、とうの昔にお見通しよ」
皇帝は楽しそうに言った。
「建国祭の夜会での、お前たちの姿を見て確信したわ。あれほど幸せそうな顔をしたお前を見たのは、お前が呪われる前の幼い頃以来だった」
皇帝は玉座から立ち上がると、アシュレイの前に歩み寄りその肩に力強く手を置いた。
「立て、アシュレイ。父親にいつまでも膝などついておるでない」
促されるままに立ち上がったアシュレイの瞳は、まだ信じられないというように父を見つめている。
「リリアーナ殿がどのような出自であろうと、構わん」
皇帝の瞳は賢帝としての鋭い光を取り戻していた。
「彼女が持つその気高い魂と、お前への深い愛情。そして、帝国を救ったという誰にも揺るがすことのできない功績。それだけで我が帝国の皇后となるに、十分すぎる資格がある」
そして、皇帝は父親としての顔に戻り、力強く言い放った。
「許す。二人の婚約を、エルミート帝国皇帝の名において心から祝福しよう」
その言葉はアシュレイの心に、温かい光となって染み渡っていった。
「……ありがたき、幸せ」
彼はこみ上げてくる感情を抑えるように、深く、深く頭を下げた。
十七年間、常に一人で戦い誰にも頼ることなく生きてきた彼が、初めて父親の大きな愛に包まれた瞬間だった。
皇帝はそんな息子の姿に満足げに頷くと、宰相を呼びつけるよう侍従長に命じた。
「すぐに二人の婚約発表の準備を進めさせよ! 大陸中に我が帝国の新たな光の誕生を知らしめるのだ!」
その日のうちに、皇城は新たな喜びに包まれた。
氷の皇子と聖女の婚約。
そのニュースはやがて帝都を、そして大陸全土を駆け巡る祝福の福音となる。
二人の愛は今や個人的なものではなく、帝国の未来そのものを照らす公な希望の光となったのだ。
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