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第10話 未知なる森へ
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俺がこの群れのボスとなってから、洞窟の生活は劇的に変化した。資材管理係の働きにより、洞窟内はかつての汚臭と不潔さが嘘のように清潔に保たれている。食料は狩り部隊が持ち帰った獲物が適切に分配され、飢えて衰弱する者はいなくなった。
「ボス、コレガ昨日ノ報告ダ」
狩り部隊のリーダーが、俺の前に片膝をついて報告する。彼の言葉はまだ拙い。だがその目には、以前のゴブリンたちにはなかった知性の光が宿り始めていた。俺が導入した報告・連絡・相談、いわゆる報連相のシステムが、彼らの思考能力を強制的に引き上げているのだ。
「キバネネズミ、七匹。イワトカゲ、二匹。負傷者、ナシ」
「ご苦労。探索部隊の報告は?」
「西ノ通路、異常ナシ。水場、安全」
俺は頷き、彼の働きを労った。
狩りは安定し、群れの士気は高い。負傷者が減ったことで、戦力は常に最大値を維持できている。俺が望んだ組織の形は、少しずつだが確実に実現しつつあった。
だが、俺は満足していなかった。
むしろ、強い焦燥感に駆られていた。
現状維持は、緩やかな死だ。
前世の会社で、俺は何度もその光景を見てきた。過去の成功に胡坐をかき、変化を恐れた企業が、時代の波に取り残されていく様を。
この洞窟周辺の生態系は、俺たちが狩り続けることで確実に変化している。キバネズミの数は減り、イワトカゲはより警戒心を強めた。いずれこの一帯の獲物だけでは、三十体を超えるゴブリンの胃袋を満たせなくなるだろう。そうなれば、組織は再び崩壊への道を辿り始める。
より多くの食料。より多くの経験値。そして、より強力なスキル。
成長を止めた瞬間、俺たちは再び「食われる側」に転落する。
俺は玉座から立ち上がり、洞窟の入り口へと向かった。外から差し込む眩い光が、俺の黄色い瞳を細めさせる。光の先には、緑の壁がどこまでも続いていた。
グラーヴェ大森林。
これまで俺たちは、この森のほんの入り口、洞窟の周辺をうろついていただけに過ぎない。この広大な森の奥には、一体何が潜んでいるのか。未知の魔物、未知の植物、未知の資源。そこは危険に満ちているだろうが、同時に無限の可能性も眠っているはずだ。
「全軍、広場ニ集マレ」
俺の命令が洞窟内に響き渡る。ゴブリンたちは迅速に動き、瞬く間に俺の前に整列した。その動きは、もはや烏合の衆のそれではない。
俺は彼らを見渡し、宣言した。
「今日カラ、本格的ニ森ヲ探索スル」
ゴブリンたちの間に、緊張が走った。彼らにとって、森の奥は未知と恐怖の象徴だ。これまで誰も、好き好んで足を踏み入れようとはしなかった。
「恐レルナ。俺タチハ、モウ昔ノ群レデハナイ。組織デ動ケバ、森ナド怖クナイ」
俺は精鋭を選抜した。探索部隊の全員と、狩り部隊から選りすぐりの十体。総勢十八名。これが、最初の森林探索部隊だ。
「探索部隊ガ先行スル。決メタ道以外ハ通ルナ。奇妙ナモノヲ見ツケタラ、触ラズニ報告。狩り部隊ハ、常ニ周囲ヲ警戒シ、陣形ヲ崩スナ」
俺の指示に、リーダーたちが力強く頷く。
俺たちはついに、洞窟という揺り籠から抜け出し、広大な世界へと足を踏み出した。
森の中は、洞窟とは全くの別世界だった。
見上げるほど巨大な木々が天を突き、その隙間から差し込む木漏れ日が地面にまだらな模様を描いている。空気は濃い緑の匂いに満ち、鳥や虫の鳴き声が絶えず耳に届いた。洞窟の閉塞感に慣れた身体には、この開放感は眩暈がするほどだった。
「ヒッ……」
ゴブリンの一人が、足元の巨大なキノコに驚いて短い悲鳴を上げた。無理もない。彼らにとって、見るもの全てが初めてなのだ。
俺は【嗅覚強化】スキルを使い、周囲の匂いを慎重に探った。獣の匂い、腐葉土の匂い、そして、俺たちの知らない花の甘い香り。情報量が多すぎて、脳が処理しきれないほどだ。
探索部隊が、先行しながら道筋に印をつけていく。彼らの動きは、狩りの経験を積んだことで格段に洗練されていた。
しばらく進むと、開けた場所に出た。そこには、巨大な獣の骨が転がっていた。鹿のような角を持つ、大型の草食獣だろう。だが、その骨には明らかに肉食獣のものと思われる巨大な牙の跡が残っていた。
「ボス……コレハ」
狩り部隊のリーダーが、ゴクリと喉を鳴らす。この獣を仕留めた魔物は、少なくともボスゴブリン以上の力を持っているだろう。この森には、俺たちがまだ知らない強者がいる。その事実が、ゴブリンたちの肌を粟立たせた。
「進むぞ。警戒を怠るな」
俺は平静を装って指示を出す。恐怖に足を止めれば、そこまでだ。
さらに奥へと進むと、今度は奇妙な植物群を見つけた。鮮やかな赤色をした袋状の花弁を持ち、甘い蜜のような香りを放っている。
「近寄ルナ」
俺は本能的な危険を察知し、部隊を止めた。一人のゴブリンが、その香りに誘われて近づこうとするのを、リーダーが棍棒の柄で制止する。
俺は近くの石を拾い、その植物に向かって投げ込んだ。石が袋に触れた瞬間、花弁がまるで顎のように閉じた。もしゴブリンが手を入れていれば、どうなっていたか。ぞっとする光景だった。
森は、ただの狩場ではない。世界そのものが、牙を剥くこともあるのだ。
俺たちは慎重にルートを変え、探索を続けた。緊張と疲労が蓄積していく。だが、脅威ばかりではなかった。俺たちは清らかな水を湛えた泉を発見し、食用に適した木の実がなる木を見つけた。これらは全て、今後の群れの生存に繋がる重要な情報だ。
日が傾き始め、森が夕闇に包まれようとしていた。そろそろ引き上げるべきか。そう判断した、その時だった。
先行していた探索部隊の一人が、血相を変えて駆け戻ってきた。
「ボス! 前方ニ……!」
そのゴブリンは、恐怖で言葉がうまく出てこないようだった。肩で大きく息をしながら、震える指で前方を指差す。
「……何カイル。草原ニ。白クテ、小サイ。ダガ……速イ。目ニモ止マラナイホド」
白い? 小さい?
その特徴から、俺は可愛らしい小動物を想像した。だが、歴戦の探索隊員をここまで怯えさせる存在が、ただの小動物であるはずがない。
「仲間ガ一人……ヤラレタ。気ヅイタ時ニハ、喉ヲ掻キ切ラレテ」
その言葉に、部隊全体の空気が凍りついた。
俺は静かに、ゴブリンが指差す方向を見据えた。木々の向こうに、夕日に照らされた小さな草原が広がっている。
そこに、白い悪魔がいる。
世界の広大さと、新たな脅威。俺は、その両方を同時に突きつけられていた。洞窟の外の世界は、俺の想像を遥かに超えて、危険で、そして魅力的だった。
「ボス、コレガ昨日ノ報告ダ」
狩り部隊のリーダーが、俺の前に片膝をついて報告する。彼の言葉はまだ拙い。だがその目には、以前のゴブリンたちにはなかった知性の光が宿り始めていた。俺が導入した報告・連絡・相談、いわゆる報連相のシステムが、彼らの思考能力を強制的に引き上げているのだ。
「キバネネズミ、七匹。イワトカゲ、二匹。負傷者、ナシ」
「ご苦労。探索部隊の報告は?」
「西ノ通路、異常ナシ。水場、安全」
俺は頷き、彼の働きを労った。
狩りは安定し、群れの士気は高い。負傷者が減ったことで、戦力は常に最大値を維持できている。俺が望んだ組織の形は、少しずつだが確実に実現しつつあった。
だが、俺は満足していなかった。
むしろ、強い焦燥感に駆られていた。
現状維持は、緩やかな死だ。
前世の会社で、俺は何度もその光景を見てきた。過去の成功に胡坐をかき、変化を恐れた企業が、時代の波に取り残されていく様を。
この洞窟周辺の生態系は、俺たちが狩り続けることで確実に変化している。キバネズミの数は減り、イワトカゲはより警戒心を強めた。いずれこの一帯の獲物だけでは、三十体を超えるゴブリンの胃袋を満たせなくなるだろう。そうなれば、組織は再び崩壊への道を辿り始める。
より多くの食料。より多くの経験値。そして、より強力なスキル。
成長を止めた瞬間、俺たちは再び「食われる側」に転落する。
俺は玉座から立ち上がり、洞窟の入り口へと向かった。外から差し込む眩い光が、俺の黄色い瞳を細めさせる。光の先には、緑の壁がどこまでも続いていた。
グラーヴェ大森林。
これまで俺たちは、この森のほんの入り口、洞窟の周辺をうろついていただけに過ぎない。この広大な森の奥には、一体何が潜んでいるのか。未知の魔物、未知の植物、未知の資源。そこは危険に満ちているだろうが、同時に無限の可能性も眠っているはずだ。
「全軍、広場ニ集マレ」
俺の命令が洞窟内に響き渡る。ゴブリンたちは迅速に動き、瞬く間に俺の前に整列した。その動きは、もはや烏合の衆のそれではない。
俺は彼らを見渡し、宣言した。
「今日カラ、本格的ニ森ヲ探索スル」
ゴブリンたちの間に、緊張が走った。彼らにとって、森の奥は未知と恐怖の象徴だ。これまで誰も、好き好んで足を踏み入れようとはしなかった。
「恐レルナ。俺タチハ、モウ昔ノ群レデハナイ。組織デ動ケバ、森ナド怖クナイ」
俺は精鋭を選抜した。探索部隊の全員と、狩り部隊から選りすぐりの十体。総勢十八名。これが、最初の森林探索部隊だ。
「探索部隊ガ先行スル。決メタ道以外ハ通ルナ。奇妙ナモノヲ見ツケタラ、触ラズニ報告。狩り部隊ハ、常ニ周囲ヲ警戒シ、陣形ヲ崩スナ」
俺の指示に、リーダーたちが力強く頷く。
俺たちはついに、洞窟という揺り籠から抜け出し、広大な世界へと足を踏み出した。
森の中は、洞窟とは全くの別世界だった。
見上げるほど巨大な木々が天を突き、その隙間から差し込む木漏れ日が地面にまだらな模様を描いている。空気は濃い緑の匂いに満ち、鳥や虫の鳴き声が絶えず耳に届いた。洞窟の閉塞感に慣れた身体には、この開放感は眩暈がするほどだった。
「ヒッ……」
ゴブリンの一人が、足元の巨大なキノコに驚いて短い悲鳴を上げた。無理もない。彼らにとって、見るもの全てが初めてなのだ。
俺は【嗅覚強化】スキルを使い、周囲の匂いを慎重に探った。獣の匂い、腐葉土の匂い、そして、俺たちの知らない花の甘い香り。情報量が多すぎて、脳が処理しきれないほどだ。
探索部隊が、先行しながら道筋に印をつけていく。彼らの動きは、狩りの経験を積んだことで格段に洗練されていた。
しばらく進むと、開けた場所に出た。そこには、巨大な獣の骨が転がっていた。鹿のような角を持つ、大型の草食獣だろう。だが、その骨には明らかに肉食獣のものと思われる巨大な牙の跡が残っていた。
「ボス……コレハ」
狩り部隊のリーダーが、ゴクリと喉を鳴らす。この獣を仕留めた魔物は、少なくともボスゴブリン以上の力を持っているだろう。この森には、俺たちがまだ知らない強者がいる。その事実が、ゴブリンたちの肌を粟立たせた。
「進むぞ。警戒を怠るな」
俺は平静を装って指示を出す。恐怖に足を止めれば、そこまでだ。
さらに奥へと進むと、今度は奇妙な植物群を見つけた。鮮やかな赤色をした袋状の花弁を持ち、甘い蜜のような香りを放っている。
「近寄ルナ」
俺は本能的な危険を察知し、部隊を止めた。一人のゴブリンが、その香りに誘われて近づこうとするのを、リーダーが棍棒の柄で制止する。
俺は近くの石を拾い、その植物に向かって投げ込んだ。石が袋に触れた瞬間、花弁がまるで顎のように閉じた。もしゴブリンが手を入れていれば、どうなっていたか。ぞっとする光景だった。
森は、ただの狩場ではない。世界そのものが、牙を剥くこともあるのだ。
俺たちは慎重にルートを変え、探索を続けた。緊張と疲労が蓄積していく。だが、脅威ばかりではなかった。俺たちは清らかな水を湛えた泉を発見し、食用に適した木の実がなる木を見つけた。これらは全て、今後の群れの生存に繋がる重要な情報だ。
日が傾き始め、森が夕闇に包まれようとしていた。そろそろ引き上げるべきか。そう判断した、その時だった。
先行していた探索部隊の一人が、血相を変えて駆け戻ってきた。
「ボス! 前方ニ……!」
そのゴブリンは、恐怖で言葉がうまく出てこないようだった。肩で大きく息をしながら、震える指で前方を指差す。
「……何カイル。草原ニ。白クテ、小サイ。ダガ……速イ。目ニモ止マラナイホド」
白い? 小さい?
その特徴から、俺は可愛らしい小動物を想像した。だが、歴戦の探索隊員をここまで怯えさせる存在が、ただの小動物であるはずがない。
「仲間ガ一人……ヤラレタ。気ヅイタ時ニハ、喉ヲ掻キ切ラレテ」
その言葉に、部隊全体の空気が凍りついた。
俺は静かに、ゴブリンが指差す方向を見据えた。木々の向こうに、夕日に照らされた小さな草原が広がっている。
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