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第90話 王と騎士団長
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俺が竜翼軍団を率いてグラーヘイムへと帰還すると、住民たちは地鳴りのような歓声で俺を迎えた。
斥候からの報告で、白銀騎士団が完全に撤退を開始したことを彼らは既に知っていたのだ。
「ボス! やりましたな!」
「我々の完全勝利だ!」
ガロンを筆頭に幹部たちが駆け寄ってくる。彼らの顔は誇りと興奮で紅潮していた。
だが俺は彼らの歓呼に応えることなく、ただ静かに東の空を見つめていた。
俺の脳裏には最後に見た、あの白銀の騎士団長の顔が焼き付いていた。
屈辱と絶望。そしてその奥にあった、かすかな光。
彼はまだ完全に折れてはいない。
彼の騎士としての誇りが、魂がまだ死んではいない。
俺はガロンに命じた。
「ガロン。竜翼軍団の中から最も速く飛べる個体を一騎だけ用意させろ」
「は……? 一騎でございますか?」
「ああ。少し野暮用だ。すぐに戻る」
俺は訝しげな顔をするガロンにそれだけ告げると、用意されたワイバーンの背にひらりと跨った。
そして再び東の空へと飛び立つ。
俺が向かった先は、白銀騎士団が撤退していくその進路上だった。
俺は高高度から彼らの隊列を見下ろし、そして最後尾を一人で歩いている白銀の騎士の姿を見つけ出した。
アラン・フォン・ヴァイス。
彼は敗軍の将として全ての責任をその身に負うかのように、誰とも言葉を交わさず黙々と歩みを進めていた。
俺はワイバーンに指示を出し、彼の前方の道に静かに舞い降りた。
突然空から舞い降りた漆黒の翼を持つ魔王。
その姿にアランは驚くこともなく、ただ静かに足を止め聖剣の柄に手をかけた。
「……何の用だ、魔物の王よ。我々は既にお前の森から手を引いているはずだが」
彼の声は静かだった。だが、その瞳の奥には未だ消えぬ騎士としての闘志の炎が揺らめいていた。
俺はワイバーンから降り立ち、彼と一対一で向き合った。
周囲には誰もいない。ただ森の静寂だけが二人を包んでいる。
「お前に一つ聞きたいことがあって来た」
俺はそう切り出した。
「……何だ」
「なぜ戦う?」
俺のあまりにも単純な問いに、アランは眉をひそめた。
「……何だと言っている。我々は騎士だ。王に、国に、そして民に忠誠を誓い、脅威から彼らを守る。それが我々の存在理由だ」
「その脅威が俺たちだというのか」
「そうだ。お前たちは我々人間とは相容れない、秩序を乱す魔物だ」
「秩序か」俺は鼻で笑った。「お前たちの言う秩序とは何だ? 人間だけが全てを支配し、自分たちと異なる者を一方的に『悪』と断じて排除する。それがお前たちの言う正義か?」
俺の言葉はアランの信念の最も根幹にある部分を鋭く抉った。
「黙れ! 我々人間は神に選ばれたこの世界の管理者だ! 魔物のようにただ奪い、破壊するだけの存在とは違う!」
「違わないさ」俺は静かに言い返した。「お前たちも奪っている。土地を、資源を、そして自分たちと違うというだけで他者の生きる権利さえも。俺の仲間であるエルフがなぜ故郷を失ったか、お前は知っているか?」
俺の言葉に、アランはハッとしたように目を見開いた。
「俺はお前たち人間を完全に理解することはできないだろう。そしてお前たちも俺たちを理解することはできん。だがな、アラン・フォン・ヴァイス。一つだけ確かなことがある」
俺は一歩彼に近づいた。
「お前が守ろうとしている民も、俺が守ろうとしている仲間も皆同じだということだ。誰もがただ平和に生きたいと願っている。ささやかな幸せを誰にも脅かされずに享受したいと願っている。その願いに人間も魔物も何の違いもない」
俺の言葉はアランの心を激しく揺さぶっていた。
彼がこれまで信じてきた白か黒かという単純な二元論の世界。
善である人間と悪である魔物。
そのあまりにも単純な世界の境界線が、今、目の前の魔物の王の言葉によって曖im昧に溶かされていく。
「……ならばどうしろというのだ。我々がお前たちと手を取り合えるとでも?」
「今はまだ無理だろうな」俺は正直に認めた。「だが道はあるはずだ。戦わずとも互いの領域を認め合い、共存する道が。そのための第一歩が今回の『警告』だ」
俺は彼に背を向けた。
「帰れ、アラン・フォン・ヴァイス。そしてお前たちの王に伝えろ。この森には新たな王が生まれた、と。その王は無用な争いは好まない。だが、自らの民を脅かす者には容赦しない、と」
俺はワイバーンの背に跨り、空へと舞い上がろうとした。
その時だった。
「待て!」
アランが叫んだ。
「……お前の名は何だ。まだ聞いていなかった」
俺は空中で振り返り、彼を見下ろした。
そして不敵に笑った。
「ゴブ。――ただのゴブだ」
その名をアランは、その魂に深く深く刻み込んだ。
魔物の王、ゴブ。
自分の正義を、価値観を、そして生き方そのものを根底から揺るがした、恐るべき、そしてどこか気高い敵の名を。
俺は彼に最後の言葉を告げることなく、グラーヘイムへとその姿を消した。
後に残されたアランは、ただ一人森の中で空を見上げ、立ち尽くしていた。
王と騎士団長。
二つの異なる正義が初めて言葉を交わした瞬間。
それはこの世界の歴史が大きく動き出す前兆だったのかもしれない。
斥候からの報告で、白銀騎士団が完全に撤退を開始したことを彼らは既に知っていたのだ。
「ボス! やりましたな!」
「我々の完全勝利だ!」
ガロンを筆頭に幹部たちが駆け寄ってくる。彼らの顔は誇りと興奮で紅潮していた。
だが俺は彼らの歓呼に応えることなく、ただ静かに東の空を見つめていた。
俺の脳裏には最後に見た、あの白銀の騎士団長の顔が焼き付いていた。
屈辱と絶望。そしてその奥にあった、かすかな光。
彼はまだ完全に折れてはいない。
彼の騎士としての誇りが、魂がまだ死んではいない。
俺はガロンに命じた。
「ガロン。竜翼軍団の中から最も速く飛べる個体を一騎だけ用意させろ」
「は……? 一騎でございますか?」
「ああ。少し野暮用だ。すぐに戻る」
俺は訝しげな顔をするガロンにそれだけ告げると、用意されたワイバーンの背にひらりと跨った。
そして再び東の空へと飛び立つ。
俺が向かった先は、白銀騎士団が撤退していくその進路上だった。
俺は高高度から彼らの隊列を見下ろし、そして最後尾を一人で歩いている白銀の騎士の姿を見つけ出した。
アラン・フォン・ヴァイス。
彼は敗軍の将として全ての責任をその身に負うかのように、誰とも言葉を交わさず黙々と歩みを進めていた。
俺はワイバーンに指示を出し、彼の前方の道に静かに舞い降りた。
突然空から舞い降りた漆黒の翼を持つ魔王。
その姿にアランは驚くこともなく、ただ静かに足を止め聖剣の柄に手をかけた。
「……何の用だ、魔物の王よ。我々は既にお前の森から手を引いているはずだが」
彼の声は静かだった。だが、その瞳の奥には未だ消えぬ騎士としての闘志の炎が揺らめいていた。
俺はワイバーンから降り立ち、彼と一対一で向き合った。
周囲には誰もいない。ただ森の静寂だけが二人を包んでいる。
「お前に一つ聞きたいことがあって来た」
俺はそう切り出した。
「……何だ」
「なぜ戦う?」
俺のあまりにも単純な問いに、アランは眉をひそめた。
「……何だと言っている。我々は騎士だ。王に、国に、そして民に忠誠を誓い、脅威から彼らを守る。それが我々の存在理由だ」
「その脅威が俺たちだというのか」
「そうだ。お前たちは我々人間とは相容れない、秩序を乱す魔物だ」
「秩序か」俺は鼻で笑った。「お前たちの言う秩序とは何だ? 人間だけが全てを支配し、自分たちと異なる者を一方的に『悪』と断じて排除する。それがお前たちの言う正義か?」
俺の言葉はアランの信念の最も根幹にある部分を鋭く抉った。
「黙れ! 我々人間は神に選ばれたこの世界の管理者だ! 魔物のようにただ奪い、破壊するだけの存在とは違う!」
「違わないさ」俺は静かに言い返した。「お前たちも奪っている。土地を、資源を、そして自分たちと違うというだけで他者の生きる権利さえも。俺の仲間であるエルフがなぜ故郷を失ったか、お前は知っているか?」
俺の言葉に、アランはハッとしたように目を見開いた。
「俺はお前たち人間を完全に理解することはできないだろう。そしてお前たちも俺たちを理解することはできん。だがな、アラン・フォン・ヴァイス。一つだけ確かなことがある」
俺は一歩彼に近づいた。
「お前が守ろうとしている民も、俺が守ろうとしている仲間も皆同じだということだ。誰もがただ平和に生きたいと願っている。ささやかな幸せを誰にも脅かされずに享受したいと願っている。その願いに人間も魔物も何の違いもない」
俺の言葉はアランの心を激しく揺さぶっていた。
彼がこれまで信じてきた白か黒かという単純な二元論の世界。
善である人間と悪である魔物。
そのあまりにも単純な世界の境界線が、今、目の前の魔物の王の言葉によって曖im昧に溶かされていく。
「……ならばどうしろというのだ。我々がお前たちと手を取り合えるとでも?」
「今はまだ無理だろうな」俺は正直に認めた。「だが道はあるはずだ。戦わずとも互いの領域を認め合い、共存する道が。そのための第一歩が今回の『警告』だ」
俺は彼に背を向けた。
「帰れ、アラン・フォン・ヴァイス。そしてお前たちの王に伝えろ。この森には新たな王が生まれた、と。その王は無用な争いは好まない。だが、自らの民を脅かす者には容赦しない、と」
俺はワイバーンの背に跨り、空へと舞い上がろうとした。
その時だった。
「待て!」
アランが叫んだ。
「……お前の名は何だ。まだ聞いていなかった」
俺は空中で振り返り、彼を見下ろした。
そして不敵に笑った。
「ゴブ。――ただのゴブだ」
その名をアランは、その魂に深く深く刻み込んだ。
魔物の王、ゴブ。
自分の正義を、価値観を、そして生き方そのものを根底から揺るがした、恐るべき、そしてどこか気高い敵の名を。
俺は彼に最後の言葉を告げることなく、グラーヘイムへとその姿を消した。
後に残されたアランは、ただ一人森の中で空を見上げ、立ち尽くしていた。
王と騎士団長。
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それはこの世界の歴史が大きく動き出す前兆だったのかもしれない。
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