ゴブリンだって進化したい!~最弱モンスターに転生したけど、スキル【弱肉強食】で食って食って食いまくったら、気づけば魔王さえ喰らう神になってた

夏見ナイ

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第91話 価値観の破壊

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アラン・フォン・ヴァイスにとって、グラーヘイムからの帰路は生涯で最も長く、そして苦痛に満ちた道のりだった。
彼の肉体はほとんど無傷だった。だが、その魂は魔物の王ゴブとの対話によって完膚なきまでに打ち砕かれていた。

正義とは何か。
悪とは何か。
自分がこの半生を懸けて信じてきた、その全てが揺らいでいた。

『お前たちの言う秩序とは何だ? 人間だけが全てを支配し、自分たちと異なる者を一方的に『悪』と断じて排除する。それがお前たちの言う正義か?』

ゴブの言葉が何度も、何度も頭の中で反響する。
彼は反論できなかった。
事実、人間はそうしてきた。エルフを森の奥へと追いやり、獣人を奴隷とし、魔物は全て討伐すべき対象と見なしてきた。
それが当たり前の世界の理だと信じて疑わなかった。

だが、あの魔物の王は違う秩序を築いていた。
ゴブリンとオークが協力し、エルフが子供たちに文字を教える国。
そこには確かに、アランが知るどんな人間の国よりも理想に近いかもしれない、多種族共存の姿があった。

(……我々が悪だったとでも言うのか……?)

その思考はアランにとって、あまりにも耐えがたいものだった。
彼は民を守るため、国の平和を守るため、その全てを聖剣に捧げてきたのだ。
その行いがもしかしたら、ただの傲慢な侵略行為だったのかもしれないという可能性。
それは彼の騎士としての存在意義そのものを、根底から覆すものだった。

数日後。
アークライト王国の王都に帰還したアランは、国王アークライト三世の前に一人ひざまずいていた。

会議室には国王と宰相、そして軍務大臣の三名だけ。
この報告が極秘のものであることを、その場の誰もが理解していた。

「……面を上げよ、アラン」
国王の疲れたような声が響いた。

アランはゆっくりと顔を上げた。その顔にはもはや王国最強の騎士としての輝きはなく、深い苦悩の影が刻まれている。

「報告を聞こう。一体何があった。お前の騎士団を一夜にして壊滅させた『森の魔王』の正体とは何だ」

アランはゴブとの出会いから最後の対話まで、ありのままを静かに語り始めた。
ゴブリンロードと名乗る漆黒の翼を持つ魔物の王。
彼が率いる統率の取れた多種族混成の軍団。
そして、空を覆い尽くす飛竜の群れ。

彼の報告に、宰相と軍務大臣は顔を青ざめさせていく。
それは彼らの常識を遥かに超えた、悪夢のような話だった。

だが、アランが語る最も衝撃的な事実は、その圧倒的な武力ではなかった。

「……その王は我々と対話が可能でした」

「……何?」

「彼は我々と同じ言語を操り、そして我々が持ち得ない独自の国家観と秩序を持っていました。彼は無用な殺戮を好みません。我々が彼の聖域を侵さない限り、彼の方から人間世界に牙を剥くことはおそらくないでしょう」

そしてアランは、ゴブから託された最後の言葉を国王に伝えた。

「――『戦わずとも道はある。お前たちの王がそれを理解できるだけの賢王であることを祈っている』と」

その言葉が会議室に、重い、重い沈黙をもたらした。

「……馬鹿な!」
最初に沈黙を破ったのは軍務大臣だった。「それは奴の罠だ! 我々を油断させ、力を蓄えるための時間稼ぎに決まっている! 今こそ王国全軍を挙げ、奴らを完全に殲滅すべきです!」

「お待ちくだされ」宰相がそれを制した。「もしアラン卿の報告が事実ならば話は別。下手に手を出せば、それこそ取り返しのつかない事態を招きかねん。空を飛ぶ竜の軍団……。王都でさえ安全とは言えなくなりますぞ」

議論は再び紛糾しようとしていた。
だが、国王アークライト三世は静かに手を上げた。

彼は玉座から立ち上がると、アランの前に進み出た。
そしてその肩にそっと手を置いた。

「……苦労をかけたな、アラン。お前の報告、確かに受け取った。お前の価値観を、そして誇りをどれほど傷つけたか、察するに余りある」

国王の温かい言葉に、アランの瞳がわずかに揺れた。

「……だがお前が持ち帰った情報は、何よりも価値がある。我々はこれまで魔物という存在をあまりにも侮っていたのかもしれん。彼らにも意志があり、社会があり、そして我々とは違う『正義』があるのかもしれないということをな」

国王は窓の外、遥か東の空を見つめた。
その視線の先には、グラーヴェ大森林が広がっている。

「……少し時間を置こう」
国王は静かに、しかし王としての絶対的な決断を下した。

「白銀騎士団は一度解散し、再編成する。前線基地は放棄。国境の防備はフォート・イーストンに集中させる。そして『森の魔王』ゴブに対しては、今後いかなる干渉もこれを禁ずる」

「陛下! それでは奴らの存在を認めるということですか!」
軍務大臣が声を荒げる。

「認めるのではない。理解するのだ」
国王は静かに答えた。「我々はまず相手を知らねばならん。力で押さえつけることだけが王の務めではない。時には嵐が過ぎ去るのを待ち、そして新たな道を探る知恵もまた必要なのだ」

その決断は、アークライト王国という巨大な国家の舵を大きく未知の方向へと切るものだった。
武力による魔物の完全排除。
その建国以来の国是が初めて揺らいだ瞬間だった。

アラン・フォン・ヴァイス。
彼がその身を賭して持ち帰った「敗北」は、彼の価値観だけでなく、アークライト王国という一つの国家の価値観をも根底から破壊し、そして新たな時代の扉をこじ開けようとしていた。

その扉の先に何が待っているのか。
平和か、あるいはさらなる混沌か。
それはまだ誰にも分からなかった。
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