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第5話:未来への投資
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父との夕食の翌日から、俺を取り巻く環境は劇的に変化した。
これまで立ち入ることすら稀だった父の書斎への自由な出入りが許可され、俺の質問に対し、気難し屋の文官たちが嫌な顔一つせず答えてくれるようになった。剣術指南役のバルトロは俺を「アレン様」と呼ぶようになり、その訓練は実戦さながらの厳しさを増した。
全ては、父ルドルフ・フォン・クラインフェルトの鶴の一声によるものだ。
彼は、俺をようやく「投資する価値のある跡継ぎ」と認めたのだろう。それは破滅回避を目指す俺にとって、大きな前進だった。
そして数日後。俺は父の執務室に呼び出された。
「例の件、お前の考えをまとめたものがあると聞いたな」
父の言葉に、俺は頷いた。
「はい。こちらに」
俺が差し出したのは、羊皮紙の分厚い束。この数日間、睡眠時間をさらに削って作り上げた『西方農地改革及び大規模灌漑事業計画書』だ。前世で培ったプレゼン資料作成スキルが、まさかこんな形で役立つとは。
父は無言でそれを受け取り、一枚一枚、目を通し始めた。
執務室には、羊皮紙をめくる乾いた音だけが響く。
俺の計画の骨子はこうだ。
まず、ミル川の上流に巨大な貯水池を建設する。次に、そこから西方農地全体に行き渡るよう、網の目のような水路を整備する。これにより、将来起こりうる干ばつに備えるだけでなく、平常時でも安定した水の供給が可能となり、作物の収穫量は飛躍的に増大するはずだ。
もちろん、問題は山積みだった。莫大な費用、必要な労働力の確保、そして何より、前例のない大事業に対する保守的な家臣たちの反発。
計画書には、それらの問題に対する解決策も詳細に記しておいた。費用は公爵家の備蓄金の一部と、王都の商家から融資を受けることで賄う。労働力は、農閑期の領民を適切な賃金で雇うことで確保する。これにより、領民の収入増にも繋がり、領内経済の活性化も期待できる。
「……馬鹿げている」
全てのページに目を通し終えた父が、静かに呟いた。
俺の心臓が、ドクリと大きく跳ねる。
「あまりにも壮大すぎる。絵に描いた餅だ。これが成功すれば、我がクラインフェルト領は王国一の穀倉地帯となるだろう。だが、もし失敗すれば……公爵家は傾くぞ」
父の紫水晶の瞳が、俺を射抜く。
「これほどの計画を、なぜ今なのだ。お前の言う通り、ここ数年のミル川は安定している。何をそんなに急ぐ必要がある」
当然の疑問だ。未来を知らない人間からすれば、俺の提案はあまりにも唐突で、リスクが大きすぎる。
ここで俺は、賭けに出るしかなかった。
「……予感がするのです」
俺は父の目を真っ直гу見つめ、そう告げた。
「言葉では説明できません。ですが、この先に、我が領を揺るがすほどの大きな災厄が待ち受けている。そんな予感が、どうしても拭えないのです。手遅れになる前に、今、備えなければならないと」
ほとんど詐欺師の口上だ。だが、その言葉に込めた必死さだけは本物だった。俺は、この領地がどうなろうと知ったことではない。ただ、俺自身の破滅に繋がる可能性のある要素は、一つでも多く潰しておきたい。その一心だった。
父はしばらくの間、目を閉じて何かを考えていた。やがて、彼は重々しく口を開く。
「……分かった。家臣団を集めろ。お前の口から、直接その計画を説明させろ」
会議室には、クラインフェルト家に仕える主だった家臣たちが顔を揃えていた。白髪の宰相代行、屈強な騎士団長、狡猾そうな財務官。誰もが、俺の計画書に目を通し、あるいは呆れ、あるいは嘲るような表情を浮かべている。
「坊ちゃま、これは子供の夢物語にございます」
「これほどの莫大な費用、どこから捻出すると?」
「前例のない事業に、領民が納得いたしますまい」
案の定、反対意見の嵐が吹き荒れる。
だが、俺はもう怯まなかった。この日のために、あらゆる反論を想定し、その回答を準備してきたのだ。
俺は立ち上がり、彼らの前に進み出た。
「皆様のご懸念はごもっともです。ですが、未来への投資を惜しんでいては、クラインフェルト家の繁栄は望めません」
俺は子供とは思えぬ落ち着き払った声で、一人一人の目を見ながら語り始めた。
費用については、融資を申し込む商家との事前交渉が既に好感触であること。労働力の確保が、領民にどれだけの恩恵をもたらすか。過去のデータに基づいた、干ばつの危険性。
俺は前世の知識と、この一月で得た知識を総動員し、彼らの反論を一つずつ、冷静に、そして論理的に潰していった。
最初は「子供の戯言」と高を括っていた家臣たちの顔から、次第に余裕が消えていく。彼らは、自分たちが十歳の少年に完全に論破されているという事実に、気づき始めたのだ。
そして、一時間後。会議室は静まり返っていた。
俺のプレゼンを最後まで聞き終えた家臣たちは、誰一人として口を開くことができない。
その沈黙を破ったのは、玉座で腕を組んでいた父だった。
「……アレン」
父は静かに立ち上がった。
「この事業、お前に任せる。全権を委任する。無論、宰相代行のグレイマンを監督につけるがな」
その言葉に、家臣たちが息を呑むのが分かった。
「父上!」
「旦那様、ご正気ですか!」
「失敗すれば、取り返しがつきませんぞ!」
再び巻き起こる反対の声を、父は片手で制した。
「これは決定だ。異論は認めん」
その声には、有無を言わせぬ王者の響きがあった。
「だが、覚えておけアレン。もしこの事業が失敗に終われば、その責任は全てお前が取ることになる。俺も、公爵の座を降りることになるだろう。我ら親子の首が懸かっていると思え」
父の視線が、俺に最後の覚悟を問う。
俺は、一歩も引かなかった。
ここで引けば、待っているのはギロチンだ。どちらがマシかなど、考えるまでもない。
「……御意。この身命を賭して、必ずや成功させてみせます」
俺は深く、深く頭を下げた。
こうして、俺の破滅回避計画は、領地全体を巻き込む巨大なプロジェクトとして、その第一歩を踏み出した。内心では、プレッシャーで胃が破裂しそうだったが、そんな素振りは微塵も見せなかった。
これまで立ち入ることすら稀だった父の書斎への自由な出入りが許可され、俺の質問に対し、気難し屋の文官たちが嫌な顔一つせず答えてくれるようになった。剣術指南役のバルトロは俺を「アレン様」と呼ぶようになり、その訓練は実戦さながらの厳しさを増した。
全ては、父ルドルフ・フォン・クラインフェルトの鶴の一声によるものだ。
彼は、俺をようやく「投資する価値のある跡継ぎ」と認めたのだろう。それは破滅回避を目指す俺にとって、大きな前進だった。
そして数日後。俺は父の執務室に呼び出された。
「例の件、お前の考えをまとめたものがあると聞いたな」
父の言葉に、俺は頷いた。
「はい。こちらに」
俺が差し出したのは、羊皮紙の分厚い束。この数日間、睡眠時間をさらに削って作り上げた『西方農地改革及び大規模灌漑事業計画書』だ。前世で培ったプレゼン資料作成スキルが、まさかこんな形で役立つとは。
父は無言でそれを受け取り、一枚一枚、目を通し始めた。
執務室には、羊皮紙をめくる乾いた音だけが響く。
俺の計画の骨子はこうだ。
まず、ミル川の上流に巨大な貯水池を建設する。次に、そこから西方農地全体に行き渡るよう、網の目のような水路を整備する。これにより、将来起こりうる干ばつに備えるだけでなく、平常時でも安定した水の供給が可能となり、作物の収穫量は飛躍的に増大するはずだ。
もちろん、問題は山積みだった。莫大な費用、必要な労働力の確保、そして何より、前例のない大事業に対する保守的な家臣たちの反発。
計画書には、それらの問題に対する解決策も詳細に記しておいた。費用は公爵家の備蓄金の一部と、王都の商家から融資を受けることで賄う。労働力は、農閑期の領民を適切な賃金で雇うことで確保する。これにより、領民の収入増にも繋がり、領内経済の活性化も期待できる。
「……馬鹿げている」
全てのページに目を通し終えた父が、静かに呟いた。
俺の心臓が、ドクリと大きく跳ねる。
「あまりにも壮大すぎる。絵に描いた餅だ。これが成功すれば、我がクラインフェルト領は王国一の穀倉地帯となるだろう。だが、もし失敗すれば……公爵家は傾くぞ」
父の紫水晶の瞳が、俺を射抜く。
「これほどの計画を、なぜ今なのだ。お前の言う通り、ここ数年のミル川は安定している。何をそんなに急ぐ必要がある」
当然の疑問だ。未来を知らない人間からすれば、俺の提案はあまりにも唐突で、リスクが大きすぎる。
ここで俺は、賭けに出るしかなかった。
「……予感がするのです」
俺は父の目を真っ直гу見つめ、そう告げた。
「言葉では説明できません。ですが、この先に、我が領を揺るがすほどの大きな災厄が待ち受けている。そんな予感が、どうしても拭えないのです。手遅れになる前に、今、備えなければならないと」
ほとんど詐欺師の口上だ。だが、その言葉に込めた必死さだけは本物だった。俺は、この領地がどうなろうと知ったことではない。ただ、俺自身の破滅に繋がる可能性のある要素は、一つでも多く潰しておきたい。その一心だった。
父はしばらくの間、目を閉じて何かを考えていた。やがて、彼は重々しく口を開く。
「……分かった。家臣団を集めろ。お前の口から、直接その計画を説明させろ」
会議室には、クラインフェルト家に仕える主だった家臣たちが顔を揃えていた。白髪の宰相代行、屈強な騎士団長、狡猾そうな財務官。誰もが、俺の計画書に目を通し、あるいは呆れ、あるいは嘲るような表情を浮かべている。
「坊ちゃま、これは子供の夢物語にございます」
「これほどの莫大な費用、どこから捻出すると?」
「前例のない事業に、領民が納得いたしますまい」
案の定、反対意見の嵐が吹き荒れる。
だが、俺はもう怯まなかった。この日のために、あらゆる反論を想定し、その回答を準備してきたのだ。
俺は立ち上がり、彼らの前に進み出た。
「皆様のご懸念はごもっともです。ですが、未来への投資を惜しんでいては、クラインフェルト家の繁栄は望めません」
俺は子供とは思えぬ落ち着き払った声で、一人一人の目を見ながら語り始めた。
費用については、融資を申し込む商家との事前交渉が既に好感触であること。労働力の確保が、領民にどれだけの恩恵をもたらすか。過去のデータに基づいた、干ばつの危険性。
俺は前世の知識と、この一月で得た知識を総動員し、彼らの反論を一つずつ、冷静に、そして論理的に潰していった。
最初は「子供の戯言」と高を括っていた家臣たちの顔から、次第に余裕が消えていく。彼らは、自分たちが十歳の少年に完全に論破されているという事実に、気づき始めたのだ。
そして、一時間後。会議室は静まり返っていた。
俺のプレゼンを最後まで聞き終えた家臣たちは、誰一人として口を開くことができない。
その沈黙を破ったのは、玉座で腕を組んでいた父だった。
「……アレン」
父は静かに立ち上がった。
「この事業、お前に任せる。全権を委任する。無論、宰相代行のグレイマンを監督につけるがな」
その言葉に、家臣たちが息を呑むのが分かった。
「父上!」
「旦那様、ご正気ですか!」
「失敗すれば、取り返しがつきませんぞ!」
再び巻き起こる反対の声を、父は片手で制した。
「これは決定だ。異論は認めん」
その声には、有無を言わせぬ王者の響きがあった。
「だが、覚えておけアレン。もしこの事業が失敗に終われば、その責任は全てお前が取ることになる。俺も、公爵の座を降りることになるだろう。我ら親子の首が懸かっていると思え」
父の視線が、俺に最後の覚悟を問う。
俺は、一歩も引かなかった。
ここで引けば、待っているのはギロチンだ。どちらがマシかなど、考えるまでもない。
「……御意。この身命を賭して、必ずや成功させてみせます」
俺は深く、深く頭を下げた。
こうして、俺の破滅回避計画は、領地全体を巻き込む巨大なプロジェクトとして、その第一歩を踏み出した。内心では、プレッシャーで胃が破裂しそうだったが、そんな素振りは微塵も見せなかった。
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