ゲームの悪役貴族に転生した俺、断罪されて処刑される未来を回避するため死ぬ気で努力したら、いつの間にか“救国の聖人”と呼ばれてたんだが

夏見ナイ

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第7話:若き賢者の誕生

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あれから二年という月日が流れた。
俺が十二歳になった春、ミル川上流に建設されていた巨大なダムと、領地西部に広がる広大な灌漑水路網が、ついに完成の時を迎えた。

完成式典には、父はもちろん、領内の主だった貴族や役人、そして数えきれないほどの領民たちが集まった。
彼らの視線の先には、陽光を浴びてきらきらと輝く湖のような貯水池と、そこから規則正しく伸びていく幾筋もの水路がある。二年という歳月と、莫大な費用と労力をかけて作り上げた、壮大な光景だ。
「これぞ、我がクラインフェルト領の未来そのものだ!」
父ルドルフが高らかに宣言すると、地鳴りのような歓声が湧き上がった。人々は抱き合い、涙を流し、この偉業の完成を喜び合った。

「これも全て、我が息子、アレンの先見の明あってこそ!」
父に名前を呼ばれ、俺は壇上から集まった人々に向かって一礼する。再び、嵐のような拍手と歓声が巻き起こった。
「アレン様、万歳!」
「我らが賢者様!」
その熱狂を前に、俺は完璧な貴公子の笑みを浮かべながら、内心では冷や汗を流していた。
賢者様、ね。
ただゲームのネタバレを知っていただけなのだが、彼らの目には俺が未来予知でもできる超能力者のように映っているらしい。
ともあれ、これで一つ、大きな破滅フラグを回避できたはずだ。安堵感で、少しだけ胃の痛みが和らぐのを感じた。

灌漑事業の効果は、すぐに現れた。
安定した水供給が可能になった西方の農地では、作物の収穫量が以前の倍近くにまで跳ね上がった。凶作の心配がなくなり、領民たちの暮らしは目に見えて豊かになっていく。クラインフェルト領は、かつてないほどの好景気に沸いていた。
誰もがこの豊かさが永遠に続くと信じて疑わなかった。
俺を除いては。

その年の夏、予言の時は訪れた。
最初は、誰も気にしていなかった。数日、雨が降らないことなど珍しくもない。だが、一週間が過ぎ、二週間が過ぎても、空はただ青く澄み渡り、灼熱の太陽が大地を焦がし続けるだけだった。
三週間目に入る頃には、さすがに領民たちの顔にも不安の色が浮かび始めた。だが、クラインフェルト領においては、それはただの不安でしかなかった。
なぜなら、俺たちが作り上げた巨大なダムには、満々と水が蓄えられていたからだ。水路は涸れることなく農地を潤し続け、作物は青々と育っていた。
しかし、一山越えた隣の領地では、事態は地獄と化していた。

「聞いたか?隣のヴァインベルク領じゃ、川が完全に干上がっちまったらしい」
「作物は全滅で、飲み水すら事欠く有様だとか」
「井戸を巡って、村同士で殺し合いまで起きてるって話だ」
そんな恐ろしい噂が、どこからともなく聞こえてくるようになった。
クラインフェルト領の民は、自分たちの足元に広がる緑豊かな大地と、噂の中の地獄絵図を比べ、そして悟った。
自分たちが、どれほどの奇跡の中にいるのかを。

そして、彼らの視線は、自然と一人の少年に向けられた。
あの方だ。
皆が「まだ早い」「無駄なことだ」と笑っていたあの大事業を、たった一人で推し進められた、我らが主君の御子息。
あの方は、この未来が見えていたのだ。
この灼熱地獄が訪れることを、二年もの昔から知っておられたのだ。

感謝は、やがて畏怖に変わった。
畏怖は、狂信的なまでの崇拝へと昇華された。
領民たちは、畑仕事の前に、東の空に昇る太陽ではなく、クラインフェルトの城がある方角に向かって祈りを捧げるようになった。アレン様、と。我らが救い主の名を、静かに唱えるのだ。

事態が動いたのは、干ばつが始まって一月が過ぎた頃だった。
ボロボロの衣服を纏った人々の集団が、隣の領地からクラインフェルト領の関所へと現れたのだ。彼らは飢えと渇きで彷徨い、この地だけが緑に覆われているという噂を頼りに、命からがら辿り着いた難民たちだった。
関所の役人から報告を受けた家臣団は、すぐさま会議を開いた。
「追い返すべきです!彼らを受け入れれば、我らの食料と水がいつまで持つか!」
「いや、しかし見捨てるはあまりに非道……」
議論は紛糾した。その混乱を収めたのは、父の一言だった。
「……アレンの意見を聞こう」
全ての視線が、俺に集中する。

俺は迷わなかった。ここで彼らを見捨てれば、悪評が立つ。それは新たな破滅フラグになりかねない。それに、純粋に目の前で苦しむ人々を見捨てるのは、前世の倫理観が許さなかった。
「……受け入れましょう。彼らに食料と水を。そして、我らの仕事を手伝ってもらうのです」
俺は静かに告げた。
「幸い、我が領は豊作です。備蓄も十分。それに、この好景気で人手はいくらあっても足りません。彼らは、我らにとって新たな労働力となり得ます」
人道的な見地と、実利的な側面。その両方から説明すると、あれほど強硬に反対していた家臣たちも、ぐうの音も出なくなった。
父は満足そうに頷いた。
「聞いたな。アレンの言う通りにせよ。これは、クラインフェルト公爵家の決定である」

この決定は、俺の評判を決定的なものにした。
クラインフェルト領は、難民を無償で受け入れ、食料と仕事を与えている。その噂は、絶望に沈む周辺領地にとって、唯一の希望の光となった。
そして、その慈悲深い政策を決断したのが、わずか十二歳の公爵家嫡男であるという事実と共に、一つの二つ名が生まれた。

――若き賢者。

未来を見通す知性と、民を慈しむ聖者の心を併せ持つ、奇跡の少年。
いつしか俺は、領地の外でもそう呼ばれるようになっていた。
干ばつが終わり、豊かな雨が大地に戻った頃には、その名は王国中に広まりつつあった。

「……アレンよ」
ある夜、父に執務室へ呼ばれた。
父は静かに、窓の外に広がる領地の夜景を見つめていた。
「お前には、本当に未来が見えているのか?」
その声は、息子に問いかけるものではなく、何か人知を超えた存在に尋ねるような、畏怖の念が込められていた。
「……いいえ、父上。私に見えるのは、クラインフェルト家の民の顔だけです」
俺は、用意していた模範解答を口にする。
父はそれ以上何も聞かず、ただ「そうか」とだけ呟いた。

自分の部屋に戻った俺は、ベッドに倒れ込んだ。
うまくいった。計画は完璧だった。
破滅の未来は、また一歩遠のいたはずだ。
だが、俺の心は晴れなかった。
領民たちの狂信的な眼差し。家臣たちの過剰なまでの敬意。そして、父の畏怖に満ちた声。
俺を取り巻く勘違いは、もはや俺一人の手には負えないところまで、巨大に膨れ上がってしまっている。
「ただ、平穏に生きたいだけなのに……」
呟きは、誰に聞かれることもなく、静かな夜の闇に吸い込まれていった。
俺の胃痛は、ますます悪化する一方だった。
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