ゲームの悪役貴族に転生した俺、断罪されて処刑される未来を回避するため死ぬ気で努力したら、いつの間にか“救国の聖人”と呼ばれてたんだが

夏見ナイ

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第15話:知的好奇心の扉

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ルナ・アシュフォードの家庭教師としての授業は、俺の想像とは全く異なる形で始まった。
それは「授業」というより、むしろ「研究会」、あるいは一方的な「尋問」に近かった。

「アレン。昨日の位相の歪みに関する考察、一晩考えてみましたが、いくつかの疑問点があります」
初日の翌日、応接室に現れたルナは挨拶もそこそこに、分厚い数式が書き込まれた羊皮紙の束をテーブルに広げた。
「この第七項の変数、これは何を根拠に導入したのですか。マナ粒子の非対称性を考慮するにしても、この値はあまりに恣意的すぎる」
ガラス玉のような瞳が、答えを求めて俺を真っ直ぐに射抜く。
彼女は俺が昨日、咄嗟に口にした戯言を、一晩かけて学術論文レベルにまで深化させてきたらしい。天才の思考速度は、常軌を逸している。

「……それは、古代魔法における『調律』の概念を応用したものです」
俺は必死に脳内のゲーム知識を検索し、それらしい答えを絞り出した。
「古代の魔術師たちは、魔力を単なるエネルギーではなく、固有の『響き』を持つものとして捉えていたと聞きます。その響きの差異を補正するための係数が、その変数に当たります」
「響き……。魔力の周波数特性と解釈すればいいのですか。なるほど。合理的です」
ルナは納得したように頷くと、猛烈な勢いで羊皮紙に何かを書き込み始めた。
もはや、どちらが教師でどちらが生徒か分からない。俺はただ、彼女の尽きることのない知的好奇心という名の濁流に、飲み込まれないよう必死に泳ぐだけだった。

そんな奇妙な授業が数日続いたある日のこと。
ルナはいつになく、思い詰めたような表情で一枚の羊皮紙を俺の前に置いた。そこに描かれていたのは、極めて複雑で、しかし一部が欠損した魔法陣の図形だった。
「……これは?」
「王家の地下書庫で発見された、古代文明の遺物です。おそらくは、長距離転移魔法陣の一部。ですが、この欠損部分の術式が解読できず、ここ数年、私の研究は停滞しています」
彼女の声には、珍しく苛立ちの色が滲んでいた。天才である彼女にとって、解けない謎の存在は耐え難い屈辱なのだろう。

俺は、その魔法陣に見覚えがあった。
ゲーム中盤、隠しダンジョンへ行くためのキーアイテム。原作では、ルナが主人公カイルたちの助けを借りて、数々の試練の末にようやく解読に成功する、重要イベントの一つだ。
そして俺は、その答えを知っている。
攻略サイトに、書いてあったからだ。

「……ルナ先生。一つ、突拍子もない仮説を述べてもよろしいでしょうか」
俺は意を決して口を開いた。ここで彼女に恩を売っておけば、断罪イベントでの心証はさらに良くなるはずだ。
「何です」
「この魔法陣、もしかしたらこれ単体で完結しているのではなく、別の何かと連動して初めて機能する、という可能性はありませんか」
「連動……?」
ルナが訝しげに眉をひそめる。
俺は続けた。
「例えば、天体の動き。月の満ち欠けによって変動する、世界の魔力潮汐のようなものと」
「魔力潮汐……。そんなものは、現代魔法理論では観測誤差の範囲として無視されています。非科学的です」
「ですが、古代の魔術師たちは、我々とは異なる宇宙観を持っていたのかもしれません。彼らにとって、世界とは巨大な一つの生命体であり、その呼吸に合わせて魔法を編むのが当然だったとしたら?」

俺の言葉を聞きながら、ルナの目が徐々に見開かれていく。
彼女の頭脳が、俺の与えたヒントを元に、凄まจい速度で回転を始めたのが分かった。
「……なるほど。二重可変術式。潮汐レベルに応じて、術式構造そのものが動的に変化する……。だから、静的な図形として見ているだけでは、解読できるはずがなかった……」
ぶつぶつと呟きながら、彼女は羽ペンを手に取り、魔法陣の図形の上に新たな線を、数式を、見たこともない古代ルーンを書き加えていく。その動きには、一切の迷いがなかった。
まるで、長年見えなかったパズルの最後のピースが、ぴたりと嵌ったかのように。

やがて、羽ペンの動きが止まる。
羊皮紙の上には、完璧な調和と機能美を備えた、一つの完成された魔法陣が姿を現していた。
「……美しい」
ルナは、恍惚とした表情で、その魔法陣を見つめていた。それは、我が子を見る母親のようでもあり、神の創造物を前にした信者のようでもあった。
そして彼女は、ゆっくりと顔を上げた。
そのガラス玉のような瞳は、今や燃えるような探求の炎を宿し、俺の存在を捉えて離さなかった。

「アレン」
彼女は、初めて俺を呼び捨てにした。
「貴方は、何者なのですか?」
その問いは、純粋な、子供のような好奇心から発せられていた。だが、その純粋さ故に、俺の背筋を凍らせるほどの凄みがあった。
「……クラインフェルト家の禁書庫にあった、古い文献の断片を思い出しただけです」
俺は、用意していた言い訳を口にする。
だが、ルナは納得した様子もなく、じり、と俺との距離を詰めてきた。
「嘘ですね。その知識は、現代のどの文献にも記されていない。体系が、まるで違う。貴方は、失われたはずの古代の叡智を、その頭の中に持っている」

まずい。踏み込みすぎた。
彼女の知的好奇心という名のスイッチを、完全にオンにしてしまった。
「先生、それは……」
「アレン」
ルナは俺の目の前まで来ると、その白い両手で、俺の顔をそっと包み込んだ。
ひやりとした彼女の指先の感触に、俺の心臓が跳ねる。
「お願いです。もっと、貴方のことを教えてください。貴方の知識の源泉はどこにあるのですか?可能なら、一度、貴方の脳を分解して中を見てみたい」
真顔だった。彼女は一切の比喩表現ではなく、本気でそう言っていた。
俺は恐怖のあまり、後ずさった。
断罪者の一人に、物理的に解剖されそうになるなんて、原作ゲームのどこにも書いていなかった。

関係悪化は回避できた。
その代償として、俺はマッドサイエンティストの如き天才魔導師に、最高の研究サンプルとしてロックオンされてしまった。
リリアーナの恋文。セレスティーナの稽古。そして、ルナの探求。
三方向からの、それぞれベクトルが狂ったアプローチに、俺の胃はもはや限界を通り越して、無我の境地に達しようとしていた。
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