ゲームの悪役貴族に転生した俺、断罪されて処刑される未来を回避するため死ぬ気で努力したら、いつの間にか“救国の聖人”と呼ばれてたんだが

夏見ナイ

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第29話:教師を超えた生徒

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学園の最上階にあった。
広々とした空間に、机はたったの五つ。俺、カイル、そして三人のヒロイン。この五人だけのために用意された、あまりにも贅沢で、そして息の詰まる空間だった。

最初の授業は、魔法実技。
担当するのは、学園でも特に優秀だと名高い、マクシム教授だった。銀縁眼鏡の奥の瞳は知性に溢れているが、その額には緊張の汗が滲んでいる。無理もない。彼の目の前にいるのは、王女、聖女候補、天才魔導師、謎の剣才を持つ平民、そして、それら全てを凌駕する評価を持つ『若き賢者』なのだから。胃が痛むのは、俺だけではないらしい。

「しょ、諸君。本日の課題は、第三階位の防御魔法『プロテクション』の魔法陣を、詠唱無しで構築することだ。魔力の流れを正確にイメージし、術式を安定させることが重要になる」
マクシム教授は、少し上擦った声で説明した。
俺は内心でため息をついた。『プロテクション』の無詠唱発動など、俺にとっては三年前の時点で朝飯前の課題だ。
もちろん、ここで完璧にこなせば目立ってしまう。俺は適度に失敗し、苦戦しているフリをしなければならない。

「では、始め!」
合図と共に、俺たちはそれぞれ魔法陣の構築を始めた。
セレスティーナとルナは、さすがの才能で、淀みなく術式を組み上げていく。リリアーナは少し苦戦しているようだが、その膨大な魔力量で強引に形にしようとしていた。
問題は、カイルだった。
彼は剣の才能は突出しているが、魔法に関してはまだ発展途上だ。特に、こうした精密な魔力制御を要求される作業は苦手なようだった。彼の描く魔法陣は、線が歪み、魔力が安定せずに明滅を繰り返している。

俺は自分の魔法陣を、わざと少し歪ませて描いた。よし、完璧な失敗だ。
そう思った瞬間、隣の席のルナから、じっとりとした視線を感じた。
「……アレン。貴方が、その程度の術式構築に手間取るはずがない。何を企んでいるのですか?」
見抜かれている。この天才魔導師の目はごまかせないらしい。
俺は仕方なく、溜息一つで魔法陣を完成させた。淡い光を放つ、教科書に載せたいほど完璧な魔法陣が、俺の足元に浮かび上がる。
「……見事だ、クラインフェルト君。完璧だ」
マクシム教授が、感嘆の声を漏らした。
くそっ、また目立ってしまった。

俺はチラリとカイルの方を見た。彼はまだ、悪戦苦闘している。
このままでは、彼が落ちこぼれだという印象を与えてしまう。それは、ヒロイン押し付け計画において、致命的なマイナス要素だ。
俺は、マクシム教授に気づかれないよう、ごく微量の魔力を糸のように伸ばし、カイルの足元の魔法陣に干渉した。
「……おっと」
カイルの乱れていた魔力の流れが、俺の介入によってすっと安定する。彼は驚いたように自分の魔法陣を見つめ、やがてコツを掴んだように、見事な『プロテクション』を完成させた。
「で、できた!やりました、教授!」
「う、うむ!素晴らしいぞ、アークライト君!才能の片鱗が見える!」
カイルは満面の笑みで俺にウィンクを送ってきた。俺は、誰にも気づかれぬよう、小さく頷き返した。
よし。主人公のサポート、完璧だ。

授業は、次の段階へと進んだ。
「次は、古代語魔法の基礎についてだ。古代語は、現代語と違って、一音一音が魔力に直接作用する。発音を一つ間違えるだけで、術が暴走する危険性もある。今日は、最も基本的な浄化の呪文『ルーメン』の発音を練習しよう」
マクシム教授は、黒板に古代ルーン文字を書き、その発音を解説し始めた。
俺は、その解説を聞きながら、全身が冷たくなっていくのを感じた。
違う。
その解釈は、根本的に間違っている。
ゲームの隠し設定によれば、その古代ルーンの発音は、後の時代の研究者が誤って解釈したものだ。本当は、もっと短い音節で、喉の奥を震わせるように発音しなければ、魔力への干渉効率が著しく落ちるのだ。しかも、教授の解説通りに発音すれば、微量ながら術者の生命力を削るという、最悪の副作用まである。

どうする。
黙っているか?下手に口を出せば、また俺の異常性が露呈する。
だが、このままでは、カイルたちが危険な魔法を覚えてしまう。ルナに至っては、この間違った理論を元に、さらに危険な研究を進めかねない。
俺が葛藤していると、またしても、隣から突き刺すような視線が飛んできた。
ルナだ。彼女は俺の微細な表情の変化から、何かを察したらしい。そのガラス玉のような瞳が「貴方は、何か知っている」と、雄弁に語っていた。

ああ、もう、どうにでもなれ。
俺は、観念して、おずおずと手を挙げた。
「……マクシム教授。一つ、よろしいでしょうか」
「何かな、クラインフェルト君」
「そのルーンの発音ですが、別の解釈も存在するのではないでしょうか。例えば――」
俺は立ち上がり、静かに息を吸った。
そして、喉の奥で、短く、鋭く、古代の言葉を紡いだ。
「――Lm(ルム)」

その瞬間、教室の空気が震えた。
俺の口から放たれたのは、ただの音ではなかった。それは、純粋な魔力の響き。俺の周囲に浮遊していた塵が、光の粒子となって浄化され、きらきらと舞い散る。
マクシム教授の解説した呪文とは、比較にならないほどの、圧倒的な浄化の力だった。

教室が、水を打ったように静まり返った。
セレスティーナは息を呑み、リリアーナは恍惚とした表情で俺を見つめ、カイルは口をあんぐりと開けている。
そして、マクシム教授は、顔面蒼白で立ち尽くしていた。長年の研究と、教師としてのプライドが、目の前の十三歳の少年によって、根底から覆されたのだ。
「そ、そんな……。その発音は、どの文献にも……。ありえない……」

そんな中、一人だけ、歓喜に打ち震えている人物がいた。
ルナ・アシュフォードだ。
彼女は席から立ち上がり、その瞳を爛々と輝かせながら、俺に歩み寄ってきた。その表情は、もはや獲物を見つけた捕食者のそれだった。
「……アレン。やはり、貴方は……。貴方は、私の知らない『真理』を知っている」
彼女の声は、興奮で微かに震えていた。
「お願いです。教えてください。貴方の持つ、全ての知識を、私に……」

俺は、彼女の気迫にじりじりと後ずさった。
目立たないようにするどころか、教師の権威を完全に失墜させ、ヒロインの一人を狂喜させてしまった。
マクシム教授は、俺の指導を請うべきか本気で悩み始めた顔をしている。
俺の胃は、もはや悲鳴を上げることすら忘れ、ただ静かに、その機能を停止させようとしていた。
特待クラスの授業は、俺にとって地獄の始まりに過ぎなかった。
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